白馬の王子様

 老司祭は、そのウマ頭の怪物を見ながら殿下と言った。

 殿下というのは――主に、王子や王女などへ対して用いる敬称である。

 そして、このドラッヘ侯爵の屋敷には「現皇帝の妾腹の息子がいる」とのことだったはずで――

「ギリシア神話のミノタウロスは、たしかミーノース王の息子で……成長するほどに人食いの怪物としての性質が抑えきれなくなったから、迷宮に閉じ込められたとかいう話だったか」

 だからこれは、本当の本当にミノタウロスにまつわる神話のような状況だったわけだ。

 とはいえ、件の神話は生まれつきそういう怪物だったのに対し、こちらは「呪いで」ということらしい。

 頭がウシかウマかという違いもあるし、閉じ込められるのが地下室なのか迷宮なのかという違いもある。

 どころか、そういえば白い毛並みのウマ頭だから――


「白馬の、王子様……っていうわけだ」


 私は頭痛をこらえるように、額に手を当てながら現状を整理する。

 つまり十代の少女に転生した私は、白馬の王子様(ただしウマ頭)に迫られて甘噛み(ただし失血死寸前)されたわけだ。

 字面だけ見た場合と、実際に体験したそれとに相当な乖離がある気がするけれど。

「ますますもって、『この世界の神様には皮肉に満ちた悪意しかないのか』っていう気がする……」

 とはいえ、失血死寸前だった私の命をつなぎとめたのも、その神様の奇跡だ。

 この世界には創世の女神とやらの他にも何柱か神様がいるらしいから、あるいは別の神なのかもしれないけれど。

 少なくとも、私の周りで私の運命を左右している神は、ロクな存在ではなさそうだった。

「えぇと、神父さま。そういえば、先ほど『忌々しい呪い』といっていたと思うのですけれど……神父さまの神聖魔法でも、この呪いを解くことは難しいのでしょうか?」

「ふむ、ここまで知られたからには……誤魔化すのも、無理そうじゃの。……そう、この呪いは相当に凶悪なものらしくての。ワシの技量でも、いかんともしがたい」

 彼の司祭としての技量が、一般的にどのぐらいに相当するのかを私はよく知らないのだけれども。

「えぇと、神父さまで難しいのであれば、もっと位階の高い司教さまや……それこそ皇族相手なのですから、大司教さまといった方々に解呪を頼むということはできないのでしょうか?」

「アビゲイルよ。教会の定める位階と神聖魔法の技量は、必ずしも比例するとは限らんのじゃよ。たしかに先代の大司教様であれば、ワシなど及びもつかぬほどの業前であったのじゃが……」

 それは「今の司教や大司教は大したことがない」という意味なのか、あるいは「キムラー司祭が司祭として破格の技量を持っている」という意味なのか。

 どちらの意味なのだとしても、詳しく聞くことをはばかられる内容だろう。

 それに、そうしたことは――今はどうでもよいことだ。

「それで、仕方なくこの白馬の王子様……もとい、ブラオ殿下を『新しく建てた宮』の地下に幽閉しようとしていたということでしょうか?」

「そうじゃな。呪いを受けた当初は、ただ面相が変わった以外の問題はなかったようじゃが。日に日に荒れるようになり……侯爵家のものたちも、さすがに手に負えなくなってな」

 それで座敷牢――もとい、屋敷内に地下牢を作って封じ込めようとしたというわけか。

 あの宮を最初に見たとき、似たようなものをどこかで見たことがあると思ったけれど。

「前世で、私の真ん中の弟が亡くなる前に引きこもっていた部屋と……あれと、同じ空気だったわけだ」

 二十代の若さで亡くなった私の真ん中の弟は、高校生の頃から部屋に引きこもっていた。

 高校二年時に大病を患って後遺症が残り、そのまま高校を退学してしまったのが理由のひとつ。

 そして、もうひとつの理由は――私が腕力にものをいわせて取り押さえ、部屋に押し込めたからだ。

 というのも、弟はやたらと荒れて、両親や下の弟らにケガを負わせるなど目に余る行状だったものだから――それ以外にやりようがなかったのだ。

 おそらく今でも、当時と全く同じ状況にあれば、私は下の弟や両親を守るために同じことをすることだろう。

 それでも、それをきっかけに真ん中の弟が部屋から出なくなってしまったのは間違いがない。


――兄貴なんかに、オレの気持ちが分かるものか!


 目を閉じれば、あのとき弟から浴びせられた言葉が鮮明に思い出せる。

 あるいは、弟が二十代の若さで世を去ったことも――いや、言い訳がましいのも私の主義ではない。

 とにかくそんなことが前世の私にもあったから、あの宮を見たときに「どこかで見たことがある」気がしていたわけだ。

 さらにはそう思ってしまったからこそ――この白馬の王子様とやらの件が、私にはとても他人事には思えなくなっているのだった。

「それでも、まさか理性さえも失い、人を襲って血肉を食らおうとするほどとは……思った以上に呪いの進行は早く、思った以上に凶悪なものだったようじゃ。暴力的な行動は見られても、少なくとも昨日今日の間はまだ、会話は成立していたらしいのじゃが。……ワシがもっと、神聖魔法を使いこなせておればな」

 この世界は神から【ロール】を授かり、ともすれば魔法の力などの奇跡を行使できるものの。

 それも決して、万能ではない。

 己の無力さに悔やむ老司祭の姿に、私は胸を打たれる。

「あの! 私が、神聖魔法を試してみるというのは……できない、でしょうか?」

 だから、私がその台詞を口にしたのは、いわば必然的なことだった。

「神聖魔法による治癒は、他の魔法と違って『未熟なものがかけても悪化させることはない』のですよね? でしたら、ダメでも元々ということで、私が試しに……」

 学んだとおりであるなら、神聖魔法というのはそういうものだったはず。

 ゆえにこそ【祝福者】のロールを与えられたというただそれだけの理由で、私はただの修道女から助祭見習いとしての待遇を得ている。

 なら、その責務を果たすべきなのではないか。

 それこそ私が好待遇を得ることに後ろめたさを感じたとき、年かさ修道女のウラーも言っていた。


――それは好待遇かもしれませんが、同時にあなたへ与えられた責務でもあるのです。

――あなたに与えられた【祝福者】という大いなる力には、相応の責任が伴います。


「【祝福者】のロールを得たばかりで、まだまだ未熟かもしれませんけれど……でも、神聖魔法という奇跡を行使するのは私の責務なのですから」

「アビゲイル……。なるほど、侍者として……いや、聖職者としてとても良い心構えじゃな」

 その言葉に、老司祭はまぶしいものを見るような眼を向けてくるけれども。

「その心構えをワシもうれしく思うのじゃが……ただの、アビゲイルよ。そなたは、まだ、なにひとつとして神聖魔法を習得しておらぬのではないか?」

「えぇと、【短治癒】であれば、先ほど使えたのですけれども……」

 ただ、それを口にしている途中で、私は自分の考えの浅はかさに気づく。

 たしかに私はその【短治癒】で自らの致命傷を治してみせたものの、これはあくまでもケガを治療するための奇跡でしかない。

 脳裏をよぎる、修道女アビゲイルとしての知識も――


――呪いを解くには【解呪(ディスペル)】の神聖魔法が必要になります。

――【解呪】は捧げる供物(あるいは魔力)次第であらゆる呪いを解けるものの、習得には相当高位の聖典を読み解く必要があるのです。

――仮に【解呪】を習得できたとしても、呪いの強さに応じて必要となる供物も多くなるということでした。


 と、いうことなのだ。

 私が【短治療】を習得できたのも、あくまでも教本に書かれていたからというだけ。

 仮に、私に【解呪】とやらを習得できるぐらいの素養があったのだとしても、件の【解呪】に関することが書かれた聖典がない。

 そしてその水準(レベル)の聖典ともなると、教会総本山で厳重に秘匿されており、相応の位階がなければ手にすることもできないのだとか。

「なるほど、初級の手習い書だけで、もう【短治癒】まで習得していたのじゃな。それだけの出血のあとがあるのに、これといったケガがないと思ったら、どうりで……。たしかに目を瞠るほどの才覚じゃが、それでも【解呪】ともなればさすがに、そう簡単にはいかぬじゃろうて。それは、アビゲイルもわかるじゃろう?」

「……はい」

 前世では「転生チートで無双する」というようなマンガやアニメが流行っていたようだけれど。

 それを実現したかのようなこの世界でも、何事も上手くいくということはないわけだ。

 労せず授かった力で、何もかもが思い通りになる――なんて都合の良いことが、そうそうあるものか。

 たしかにこの世界には【ロール】という、授かれば神のそれに等しい奇跡を起こせる力はあるけれど、それは他の人々も同じ条件である。

 なら、結局は地道に修練や勉強を積み重ねた分だけ差はつくもので、与えられた才覚だけで上手くいくものではない。

「ただ、だからといって……いや、だからこそ、ここで諦めるというのも違う気がする」

 今の私にできることは、本当に何もないのだろうか。

 未熟や不勉強であるなりに、何かやりようはないのだろうか。


――たしかに、多少のケガをして思い通りの取り組みはできなくなってしまっていたのは事実だろう。

――けれど、五十歳となった今と比べればまだずっと動けたのだし、きっとやりようもあった。

――親方や兄弟子らの不審や不満だって、今の大人になった自分ならきっと耐えて乗り越えられたはずなのだ。


 そんなことを思っていたからか、私は前世で死の間際に思ったことを、ここでまた思い出していた。

 力士時代の私は、せっかく幕下二枚目まで番付をあげていたというのに、色々とあってそれ以上まで成績を伸ばせなかった。

 ケガをして不調だったというのは、間違いない。

 とある事情で、親方や兄弟子らに猛反発して精神的に参っていたというのもある。

 実家での、真ん中の弟の色々が気になっていたというのも、実は少しある。

 ただ、多少のケガや不調はどんな名力士であっても経験するものだったし、部屋内での確執なんてよくある話。

 家庭事情だって、そんなのはどんな家であっても、大なり小なりなにかしらある。

 だのに、若い私はそれらへ折り合いがつけられなくて――要は、逃げたのだ。

「未熟なのは、分かっている。難しいのも、どこまで実感があるかどうかはともかくとして、分かっているつもりだ。それでも……」

 幕下上位にいるとき、一度だけ、十両力士と当てられたことがある。

 研修生扱いの幕下以下と違い、十両からは関取と呼ばれるようになり、相撲を取る前後の所作にも色々と違いが出てくる。

 たとえば立ち合い前の「塩まき」だとか「力水」などの儀式である。

 総合テレビの大相撲中継は一般的に十両途中からの放送なので、しばしば勘違いされることがあるけれども。

 それらは、実は幕内や十両しかしない所作なのだ。


――そして、私はそのたった一度の十両との取り組みで、関取とそうでない力士の違いを実感……するようなことはなかった。


 たしかに「塩まき」や「力水」などといった普段はしない儀式に新鮮さはあったものの、相撲の取り組み自体は何も変わらない。

 以前も言ったように、私が生涯で「こいつにだけは勝てるイメージがわかない」と思ったのは、後に大横綱とたたえられることになるただひとりだけ。

 それ以外の力士については、最終的に大関や横綱へと上がった力士であろうとも「上手くやれば勝てる」と思えたものだ。

 彼らが大関や横綱となった後の取り組みをテレビで見る限りでも、その思いは変わらなかった。

 上手くやれば、現役時代の自分なら勝てる――それが分かってしまうからこそ、四十歳を過ぎるまで大相撲中継を見たくなかったのだ。

 そう、私にとって関取というのはあくまでも幕下上位から地続きで、「必要なだけの時間」と「適切な努力」を費やせたのなら手の届く場所にあるものでしかなかった。

 逆説的にいえば、現役最後の頃の私は「時間がない」と焦って「適切な努力」ができなくなってしまっていた。

 ただ、「それだけのこと」だと思っている。

 そしてプロの世界というのは、たったの「それだけのこと」で大きな差がついてしまう。

 だから、これはあくまでも私の持論であるけれども――プロなどで活躍している人々というのは、実は才覚上の大差というのはさほどない。

 もちろん、私がしきりに例に挙げる大横綱クラスになると、おそらくは別なのだけれども。

 逆にいうと並みの横綱や大関ぐらいであれば、才能だとか才覚だという基準で考えると、おそらくあまり違わない。

「違いがあるのだとすれば……『それだけのこと』が、どれだけできるかということだ」

 翻って、今の私は――修道女アビゲイルとしての私は、どうだろうか。

 この世界の【ロール】という仕組みで、アビゲイルの才能や才覚は客観的に明らかなほど保証されている。

 だからきっと今の私は、司教だとか大司教だとかと同じぐらいの結果を残せるぐらいの可能性は、十分あると考えて良いことだろう。

 足りないのはあくまでも、「必要なだけの時間」と「適切な努力」だ。

 もちろん、今は十三歳と若く未熟で、それらがないからこそ困っているわけだけれど――

「……本当に、そうだろうか?」

 今の私は、前世の経験や知識を持っている。

 もちろん、それは聖職者として時間や経験ではないだろうけれど――

「前世の経験や知識は……。五十年間での時間や努力は、本当に何の役にも立たないのかというと……違う、そうじゃない。ちゃんと、役に立っている」

 例えば、お祈りの言葉を聞いて、前世で身に着けた相撲甚句のことを思い出した。

 聖職者の位階は、まるで力士の階級のようだった。

 その他にも色々と、ここまで折につけて思ってきたように――あれもこれも、まるで相撲だ。

 もちろん、相撲の他にも。五十歳男の人生で経験し身に着けてきた様々なものが、今の私にはある。

「【解呪】の魔法を、たしかに私は知らない。でも、呪いや汚れを払うということなら、例えば……」

 今まで、ここに来るまでに見て聞いて経験したものへ思いを巡らしながら、私は周囲をサッと見回す。

 私とウマ頭とが争ったことで納屋の中は散々に荒れ、雑多に収められていたいくつもの物品が散乱してしまっている。

 ただ、その中に私はとある小瓶を見つけて――


――たとえば立ち合い前の「塩まき」だとか「力水」などの儀式。


 小瓶を手に取り、ふたを開けてみると、そこには細かく真っ白な結晶がある。

 指でつまみ、舐めてみると――とても塩辛い。

「清めの塩、か……」

 大相撲で力士が塩まきするのは、いわずもがな、古来より塩は魔を払うといわれているからだ。

 厄除けの盛り塩に、葬儀の後のお清めの塩と、日本では様々な局面で塩を神聖なものとして扱う。

 なら、呪いを解くために、これは使えるのではなかろうか。

 もちろん、「そんな上手くいくものか」という思いもあるけれども――

「今の私にできることを……悔いのないように、やるだけ!」

 そう思い切ると、私は小瓶に手を突っ込み、掴めるだけの塩を掴む。

 祈りの言葉は――いや、そんなものはこの際どうでもいい。

 とにかく、清め、祓うことだけを思い――


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