出稽古先の一門の部屋で、思いがけず横綱と相対してしまった時のような緊張感
そんなこんなで私は昼前、件のドラッヘ侯爵なる貴族の屋敷へ侍者としてついていくことになった。
しかし皇帝位継承権のある人物が住まう屋敷へ足を踏み入れることになろうとは。
つい先日までは、まるで思ってもいなかった。
「それではアビゲイル。繰り返しとなるが、ここからは粗相のないよう気を付けるように」
「はい、キムラー神父さま」
老司祭の荷物持ちとして件の屋敷へ行くのは、どこか力士時代の付け人に戻ったかのような感覚だ。
教会から屋敷までの行き来は馬車だったのだけれども、これはまさに相撲部屋から蔵前国技館へ車移動するのと趣が似ている。
馬車を降りた際にキムラー神父は空手なのに対し、付き人――もとい侍者の私が細々としたものを持つのも、その印象を強めるか。
ちなみに「館」と言いたいところを、私の【言語理解】が「屋敷」と訳した理由は、件の屋敷へ着いたところですぐに分かった。
「たしかに、これは……館という『建物に重きを置いたもの』ではなくて、屋敷という『敷地に重きを置いたもの』かもしれない」
それこそ先に私が思い浮かべた江戸時代の大名屋敷というのは「家臣共々暮らすための敷地」としての性質が強い。
一方、西洋系でありがちな館というのは「王宮内に官職を持つ貴族が都で住まうための建物」としての性質が強いのだったか。
では、今私の目の前にあるドラッヘ侯爵の屋敷とやらがどちらになるかというと――前者の「家臣共々暮らすための敷地」だ。
豪奢な建物はもちろんあるけれど、建屋が大きくそびえたつというよりも種々多くの建物があるという印象だろうか。
たとえば門より中へ入れば、まずは土地の広さと行き交う人の多さに目がいく。
精強な騎馬隊で有名な貴族だということだったけれど、それを示すように入口すぐのところに厩舎があり、さらには軽く馬を走らせることができるぐらいの広場もある。
少し先には大規模ではないものの農園があり、葉物野菜だか薬草だかが植えられ――よく見ると果樹らしき低木もあるようだ。
そういえば「新しい宮の落成式をする」ということだったけれど、これは「多数ある建物の中に新たにひとつの建物が加わった」という意味だったのか。
私は「館の改装工事が終わったという意味なのかな」と、さながら母が好きだったテレビ番組『大改造ビフ〇ーアフター』的なものを想像してしまっていたのだけれど――全然、違ったわけだ。
「アビゲイル、道に迷わぬようにな。この屋敷は、相応に広いのじゃから」
などと気をつかわれる程度には広い土地のようす。
これに近い感覚のものを、現代日本のものに例えるとすれば――
「東大とか立教大とか……そういう、都心にある大学敷地みたいなものか」
それこそ東大というのは、江戸時代に加賀藩主の屋敷があった土地へ建てられたという話だったか。
となると、存外、比喩としては適切かもしれない。
「さて、ついたようじゃな。ここが、式を執り行うことになる新しい宮なのじゃ」
そうしてあれこれと自分の知識や経験に照らし合わせ、現状をなんとか把握しようと私がつとめ。
けれども、それらを飲み込み切るよりも早く、私たちは目的地へとたどり着いていた。
ただ、そうしてたどり着いた「新しい宮」とやらは――
「えっと、キムラー神父さま。この、やたらと頑丈そうな宮殿……宮殿、でよいのでしょうか? これは、どういった目的の……」
「ふむ、気になるかの、アビゲイル? ……じゃが、詮索せん方がよいじゃろう」
老司祭は好々爺然とした表情を崩すことなく、そう言ってのけるものの。
その新しい宮とやらは、学のない私でも「何かおかしい」と思える建物だった。
最初は、現代日本で生きてきた前世の私の感覚でとらえるからおかしいのかと思ったけれど。
――よくいえば質素、悪くいえば飾り気がほとんどない、頑健さを最優先としたような石造り。
――手の届く高さに窓がない、人が出入りする利便性を考慮されていない、真四角で異質な雰囲気の建物。
――人が暮らしたり何かの作業をするには適さないぐらい、小さく狭く見える平屋建て。
――神殿や社のような雰囲気にも見える反面、何かを讃えたり祭ったりしているのとも少し違う雰囲気。
ほどなくして脳裏に浮かんだそれらの言葉から、この世界で修道女アビゲイルとして育ってきた身としても異質に思えてるらしいことが分かる。
新しく作られたらしいということを差っ引いても、この建屋がある周囲は人の出入りが少ない辺鄙な印象があるのだ。
いや、屋敷の人間が近づく雰囲気が薄いというだけでなく、そもそも屋敷の人々の動線上にないというか――むしろあえてそういうところに立てられたという雰囲気すらあるか。
これと似た雰囲気の何かを、私は前世で見た覚えがあるのだけれど――
「これはドラッヘ侯爵家の秘事に関わることじゃから、下手に知らん方がよい。ワシは、まあ、光栄なことに侯爵家から信頼されておるというか……ワシが政治や権力に無頓着じゃから安心されておるといったところじゃな」
苦笑しながらキムラー司祭はいうものの、存外、これは重要なものなのではなかろうか。
彼は秘事といったものの、それはつまり侯爵家が「隠したいもの」あるいは「隠したいこと」がこの宮の中にはあるということだ。
それは貴重な宝物の類なのか、あるいは――
「……とにかく、中に入ることにしようか、アビゲイルよ。ドラッヘの奥方が、既に中でお待ちのようじゃからな」
「は、はい」
ここまで何度も言葉を濁されていたものだから、てっきり私は「ここで待っているように」と言われると思ったのだけれど。
件の秘事とやらは建屋の中に入ったところですぐ目にできるものでもないのか。そういわれて私も同道することになる。
いざ建屋の中へ入ってみると――なるほど、最初に想像した通りに天井も低く狭いけれど、人が数人入れるぐらいの広さはあった。
「よくおいでくださいました、キムラー司祭」
と最初に声をあげたのは、豪奢な服を着た貴婦人だ。
先に司祭が言った通り、建屋の中には既に件の奥方なる人物と、そのお付きなのだろう使用人がいた。
その二人のいる所より奥には――
「下り階段? ……地下に、何かがある?」
小さく狭い建物だと思っていたけれど、なるほど。
あくまでもこの宮の主要なものは地下にあり、この建物自体はその地下室への入り口を覆う意味しかないのだ。
とはいえこれが宝物庫の類であるなら、わざわざ人の目が少ない辺鄙なところに作るものだろうか。
あるいは保管環境の整ったところに建てるという意味では、そちらの方が合理的な場合もあるのだろうけれども。
「ところで、キムラー司祭。そちらの娘は……?」
「おお、この子はつい先日【祝福者】のロールを賜った修道女でな。今は、侍者として使っておる。……いずれは助祭や司祭になるじゃろう、有望な子じゃよ」
奥方とやらに私のことを問われ、司祭は目を細めてそう紹介してくれる。
それに私は何も言わず、ただ笑みを作ってペコりと頭を下げるだけで応じる。
一応、私のそれは出立前に司祭から言われた通りの対応だ――いや、厳密には「王子殿下に声をかけられるようなことがあれば」という話だった気はするけれども、高貴な身分の方々全般へ対する礼儀だからこれで良いはずだ。
「ふん、侍者(アコライト)ですか。……教育は、行き届いているようですわね」
少なくとも、件の奥方はチラと私を見るも、その応対に及第点はつけてくれたらしい。
出稽古先の一門の部屋で、思いがけず横綱と相対してしまった時のような緊張感がある。
それで、私は思わず身構えてしまったわけなのだけれども――
「……ところでその侍者の娘、何か武術でも習わせていますのかしら?」
「はっ? いえ、そのようなことはないのじゃが……」
「あら、そう? 足の運びやたたずまいが、そう見えたのですが。……徒手の術など、一部の僧兵たちは嗜むものでしょう?」
どころか、そんなことまで言ってくるのだから、私はさすがにどきりとした。
キムラー神父のいうとおり、修道女アビゲイルは武術の教練などは受けていないものの――前世の私は元力士だ。
現役時代を思い起こさせる状況に、つい身構えてしまったのを、どうやら見抜かれたらしい。
「であれば、何かしら武術に関するスキルやアビリティを得ているのかもしれないですわ。あとで、調べた方がよろしいかと」
「はあ、それは参考になりますじゃ。しかし【祝福者】のロールで、その手のスキルやアビリティというと……むぅ、ワシもそちら方面は勉強不足でとんと思い当たらんですな」
などとキムラー神父はいうものの――博識そうな彼が勉強不足ということはあるのだろうかと、私は少し疑問に思う。
あるいは本当は思い当たることがあるのに、奥方の追及をのらくらとかわすための方便としたのかもしれない。
政治や派閥争いに無頓着だというのは老司祭当人の談だけれども――いや、そのあたりのことは今考えても仕方がないことか。
「ともあれ、今は式の段取りですじゃな。準備は……」
「当家の方でできることについては、滞りなく。あとは、キムラー司祭の儀式魔法の準備となりますが……」
と、奥方とやらと司祭は段取りの打ち合わせを進めていく。
ところどころ「封印には……」「いよいよ危なく」「しかし殺すわけにも……」だのといった、物騒というかいわくありげなものが漏れ聞こえてくるけれど。
その会話内容は前提となる情報や状況を私が把握しきれていないせいか、【言語理解】で言葉の意味は理解できてもいまひとつすんなり入ってこない。
それでも、それらの言葉と状況などを重ね合わせて考えれば、いくつか想像はできるわけで――
「何かしらの怪物……それこそこの世界には魔獣だか魔物だかいうものがいるらしいのだけれど、そういったものを地下に封じているとか、そういう話なのかもしれない」
封じられた怪物と聞いて連想できるものは、いくつかある。
たとえば西洋の物語で有名なものでいえば、ギリシア神話のミノタウロスだ。
ミノタウロス――たしか牛頭の怪物が迷宮に封じられてどうこうという話だったはずだけれど、そういえば内容は漠然としか知らない。
たしか人食いの怪物を英雄が退治する話だった気がするのだけれど――
「アビゲイル、ひとつお使いじゃ。こちらで用意し損ねたものが、少しばかりあってのう。屋敷内の納屋にあるようじゃから……そこの使用人と共に、それを持ってきてくれないかの?」
そんなとき、司祭がそうして使いをたのんできた。
多分、私が話についていけず手持無沙汰にしているのを察してくれたからなのだろう。
あるいは、これから私に聞かせたくない類の話を――それこそ秘事とやらにかかわる話を奥方とするから、席を外させたかったのか。
私も前世で五十余年も生きていたのだし、そういう配慮は察せた。
「はい、分かりました。でも……用意し損ねたもの、というのは?」
「うむ、儀式で用いる聖なる雫……要は葡萄酒(ワイン)じゃ。何樽か必要で時間もかかるじゃろうから、そう急がず、ゆっくりと持ってくるとよいじゃろう」
儀式で用いる酒であれば、それこそ教会側ではなく信者側が用意すべきもののような気はする。
そもそも「用意し損ねた」と言っている割に「何樽か必要」といっているあたり、少し無理があるのではないか。
ただ、それを指摘するのも野暮なので、私は素直に「分かりました」とだけ告げて奥様付きの使用人と共に席を外すことにする。
ちなみに件の使用人とやらは二十歳前後と思しき茶髪女性で、これまでひとこともしゃべっていなかったのだけれども。
「……こちらです、侍者さま」
「はい、よろしくお願いします」
私など大した身分でもないのに、そう言ってエスコートされるものだから、少しばかり面はゆいのだった。
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