そんな、片八百長みたいなこと

「アビィ! 今日はいつもにもまして、お祈りに身が入ってたねぇ?」


 そうして私が、存外にそつなく朝の務めをこなしていたからか。

 お祈りの時間が終わるやいなや「もう我慢ならんっ」とばかり私に声を開けてきたのは、同室の修道女。

 春を思わせる桃色髪が印象的な、笑顔のまぶしい少女だけれども――


――フリューは明るく活発な、同い年の修道女。

――昔から一緒になっていたずらをしては、年長のシスターたちに叱られていました。

――小ズルいところもあるけれど、どこか憎めない娘です。


 修道女アビゲイルとしての記憶によれば、そんな仲らしい。

 気の置けない間柄――というと、少し違うか。

 どちらかというと、悪友というべき存在なのだろう。

「ほんと、アビィってば……【ロール】を授かったかどうかで、こんなにも変わってしまうものかねぇ?」

 彼女は誕生日の関係でまだ洗礼はしておらず、ロールは不明。

 それゆえか、目に見えて雰囲気が変わった私に、憧れ半分不安半分といったところなのだろう。

 さて、これは精神的な年長者として、少しフォローしてやりたいところだけれど――

「私、そんなに変わった? 自分だと、全然、分からないのだけども……」

「だってぇ、あのアビィが、今日はアタシが起こさなくても起き出してたじゃないのぉ! もぉ、それだけでじゅーぶん、変わってるでしょぉ!」

 という指摘の声は、お祈りの場にいた全員に聞こえるぐらいに大きく。

 他のシスターたちが「えっ! あのアビィが?」「またまた、フリューは冗談ばっかり」だのと、その言葉を聞きとがめて口にしだす始末。

 うぅん、それほどまでに私――修道女アビゲイルが早起きするというのは、大事件なのだろうか。

 まるでその自覚はないものの、年頃の修道女たちはキャアキャアと女子中学生のように声を上げ――

「ほら、皆さん。お祈りの場で、はしたないですわよ!」

 と、小鳥のようにやかましい修道女たちを散らしたのはシスター=ウラーだ。

 ちなみに私は前世では五十年の人生経験こそあるものの、若い少女らをいなすのはさほど上手くない。

 力士時代の兄弟子の中には、女子あしらいが上手い人も多かったものの――思えばそういうあたりも、私が早々に引退した原因のひとつだったかもしれない。

 女子相手に限らず人付き合いが苦手で、つまらない男だとはよく言われたものだ。

 ともあれ、そんな私だったからこそ修道女ウラーのそれは正直言って助かった。

「シスター=フリューは、今日の朝食当番でしたよね? 年少シスターたちはもう厨房へ行っているのですから、年長のあなたが遅れてどうするのです!」

「は、はぁーい、シスター=ウラー。……てへっ、怒られちゃったぁ」

 次いで、それでもなお私の傍に居残っていた桃色髪の同室少女も、同じく修道女ウラーに指摘されてすごすご退散する。

 その際、片目をつむってチロっと舌を出すあたり、若くて愛嬌のある彼女らしい。

「それと、シスター=アビゲイル。……あなたは【祝福者】のロールを授かりましたので、今日からはこのあとキムラー司祭様のところへ顔を出すように」

「司祭様のところに、ですか?」

 ただ、ここで少し普段と違うことがあるとすれば、そんな年かさの修道女からの言葉だった。

 これは修道女アビゲイルとしての記憶を洗っても、それらしきものがない指示で――

「先ほども申しましたが、【祝福者】のロールを得たあなたはおそらく【神聖魔法】を習得することになりますから。その勉強と、あとは文字の読み書き練習など……ですわね。助祭(デコン)とまではいわずとも、司祭さまの侍者(アコライト)ということです。忙しくなりますから、これからは炊事や洗濯なども他のシスターたちに割り振られることになります」

「ああ、なるほど。そういう……」

 それを聞いて、ふと思ったのは「まるで相撲部屋だな」ということだ。

 先ほど「助祭が十両で、司祭が幕内」と当てはめて考えたように、やがて助祭となるだろう私は今日から十両相応の待遇だということだ。

 念のため大相撲の仕組みを知らない人のために説明すると――力士というのは十両と幕下以下では待遇が全然違う。

 分かりやすい部分だけでいうと「月給が出るのは関取(十両と幕内)だけ」で、幕下以下(序の口、序二段、三段目、幕下のこと)ではささやかな手当しか収入がない、いわゆる研修生待遇なのである。

 落語家の見習いや前座がほぼ無収入だったり、アイドル研修生の多くが無給(どころか月謝などを払っている場合もある)なのとも少し似ているか。

 ともあれ相撲界に話を戻すと、関取(十両以上)となると「付き人がつく」「部屋内での多くの雑務が免除される」「部屋住みでなくなる(個人で家を借りたり買ったりできる)」などといった違いも出てくるわけで――これが今回のそれと似ているだろうか。

 ちなみに前世の私の力士時代最高位は「幕下二枚目(その場所で四勝三敗以上だったらほぼ確実に十両へ上がれた)」で、この十両にあと一歩で手が届かなかったわけだけれど。

 何の因果か修道女として生まれ変わった私は、私が生まれ変わりを認識したその瞬間から、その十両相当の位についてしまっていたらしいのだ。

「えぇと、これは……。私が、そんな待遇をうけて……本当によいものなのでしょうか?」

 そうして相撲に当てはめて理解できてしまえたからこそ、それがいかほどの好待遇なのかが私にはよく分かったのである。

 ちなみに相撲界の場合、十両となると月収百万円超と相当な高給取り――月収換算で十万円にも満たない幕下力士と比べれば天と地ほどの差である。

 そしてどうやら、この世界における司祭や助祭というのも、それに近いものがあるらしい。

 侍者扱いの時分はともかくとして、助祭へ上がるだけでも、いわゆる中級層上位から富裕層並みの待遇と収入が得られるのは間違いないのだとか。

「それが女神クルールが与え給うた【ロール】なのです。何も、恥じることはありませんわ」

「シスター=ウラー……」

 年かさの修道女はピンと背筋を伸ばして「誇りなさい」とでもいうように言うものの。

 私のそれは、私が努力して得たものでもなんでもないのだ。


――洗礼で与えられるロールは、成人するまでに積み重ねた経験で大なり小なり左右されます。

――生まれ持った身体能力や生活環境の影響もあるものの、それは多くとも半分程度でしかありません。


 と、そんなとき脳裏によぎるのは、修道女アビゲイルの知るこの世界の仕組みだ。

 たしかに件の【祝福者】なるロールを得たのは、私ではない私(アビゲイル)がここまで詰め重ねてきた結果かもしれない。

 けれど――私(元力士の五十歳男)の実感としては「転生を自覚した直後」の「逝って目が覚めてすぐ」のことでしかないのだ。

 だから、どうしたところで、なにかズル(チート)をして得た結果のような気がしてしまう。

「そんな、片八百長みたいなこと……」

 思わず漏れたのは、そんな言葉――若い頃の私が絶対に譲れなかった、苦い経験を想起させる言葉だ。

 たしかに、私は、私の意思でズルをしたわけではない。それは間違いない。

 けれど――きっと、誰かが私を勝たせるためにズルをしたのだ。

 それで得られた結果に、どんな価値があるのだろうか。

「いいですか、シスター=アビゲイル。たしかに、それは好待遇かもしれませんが……同時にあなたへ与えられた責務でもあるのです」

 ただ、そうして納得しきれていない私へと、年かさのシスターは諭すように言う。

 さすが【規範的】なるロールの持ち主というべきか、その言葉にはまるでよどみがない。

「あなたに与えられた【祝福者】という大いなる力には、相応の責任が伴います。雑務の時間こそ免除されますが……それはむしろ、より厳しく難解なことを学んでもらうためです。決して、楽ができるというわけではありません」

「より、厳しく……ですか?」

 それは、そういう考え方は――今まで、私にはなかったものだ。

 前世では五十年を生きて、世の中の酸いも甘いも知り尽くしたつもりになっていたのに。

 なるほど、私も全然、精進が足りなかったということか。

 いわれてみれば「あと一歩で十両になれなかった」私なのだから、関取という責任ある立場からの景色は見ていない。

 傍目に眺めているだけで知ったつもりになり「こんな好待遇で良いのだろうか」などとのたまうとは――本当、おこがましいにもほどがある。

「……失礼いたしました、シスター=ウラー。私の、とんだ思い上がりだったようです」

「あら、うふふ。……そんなに卑下することではなくてよ、シスター=アビゲイル? こうして偉そうに言っているわたくしだって、助祭になったことはないのですから。本当の意味では、その責任や困難を知っているわけではありませんの」

 と、最後に茶目っ気たっぷりにウインクするあたり、この年かさのシスターはやはり【規範的】として優れているのだろう。

 ただ厳しいことを言うだけではなく、緩急使い分けてくれているのだ。

 そんなあたりは、少なくとも私が現役時代に所属していた相撲部屋とは全然違うのだなと、妙に感心するのだった。

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