サラダスパゲッティはサラダじゃない、スパゲッティだ。
AKTY
サラダスパゲッティはサラダじゃない、スパゲッティだ。
「ばっかむぉぉぉぉぉん!!!!」
怒号とともに飛んできた師匠の鉄拳が、俺の頬にめり込んだ。長い年月で硬く厚く鍛え上げられたその骨が、俺の頭蓋骨を軋ませる。ぶっ飛ばされた俺は、激しい勢いで後頭部を壁に打ちつけた。
「だけど師匠⋯⋯」俺はようやく絞り出した細い声で抗弁する。「俺は、俺はどうしても力を手に入れなければならないんだ。あいつを、我が愛する妹を守るために⋯⋯」
「それが愚かだと言っているんだ!」師匠はいまだ収まらぬ怒りを抑えようともせず、そのすべてを俺に浴びせかける。「そのような力を使って守られたとて、どうしてその⋯⋯あの⋯⋯ユカリさん?⋯⋯が喜ぶというんだ!」
「それでもッ!守れなければ意味がないんですよ。あいつが喜ぶかどうかは関係ないんですよ」
いま俺たち兄妹は大きな危機に直面していた。この世界に突如現れ、各地を蹂躙しつくした魔人グレートマッスルはなおかが、ついに我々の住むこの町に侵攻を開始したのだ。
やつの要求はシンプルだった。 ”服従“ か ”死“ か。我々住人の前に直接姿を現した奴は、その二択を突きつけた。たいした戦力を持たない我々にとって、それは考える余地のないことだった。その時点までは⋯⋯
「えっ、ちょっ、マジ?⋯⋯」グレートマッスルはなおかが急にモジモジしだした。「あのう⋯⋯ちょっとそこのうしろの君、そうそう、そこの黒髪ロングのあなた。一歩前に出てくれる?」
指名されたのは妹のユカリだった。ユカリの表情は一瞬で固く強張り、震えるその身を自ら抱きしめるようにしながら、それでも一歩、おずおずと前進しようとする。俺はそれを制止しようとしたが、まわりの住人から抑え込まれた。
「ヤバっ、ちょっマジじゃん」グレートマッスルはなおかは口元を手で覆ってまごついている。
俺はその様子を身動きもできずに見つめていた。悪い予感に背筋を汗が一筋流れ落ちる。この怪物はユカリを、ユカリをどうしようというのだ。
「あのう⋯⋯お名前⋯⋯お名前だけ伺ってもいいですか?」グレートマッスルはなおかは顔を赤らめて、絞り出すように言った。
「え⋯⋯ああ、はい、ユカリと申します」
「うっわ―、すごい、きれいなお名前ですね。いやほんとうにお似合いだ」
「はぁ⋯⋯」
「それであのう、よかったらもう少しお話とかしたいなあって思って。いや別に、無理だったらぜんぜん、ホントぜんぜん断ってもらってもいいんで」
「⋯⋯どういうことでしょう」ユカリは警戒感をあらわに尋ねる。
「あっ、すぐにとか無理っすよね。わかりますわかります。それじゃあ明日また、町の人の返答受け取りに来ますから、その時にユカリさんの方の返事もお聞かせ願えれば⋯⋯」
グレートマッスルはなおかは早口でそれだけ伝えると、背後に控える数万の軍勢に向き直る。ヤツの号令ひとつで山が動くように、それらが引き上げていった。最後にもう一度振り返り、ユカリへペコリと頭を下げたあと、悠然と漆黒の獣にまたがり立ち去っていった。
その後町では町長を中心に、町の主だったものが集まり話し合いが持たれた。
「あれはつまり、ユカリ嬢を生贄に差し出せ、ということじゃな」銭湯芦ノ湯の老主人が言った。
「うむ、そういうことだろうて」河合クリーニング店店主が同意する。
「あの様子だと、ユカリ嬢次第で機嫌も変わるんじゃない?うまくいけば交渉の余地ができるかもねん」町の賢者、町内会報あかつき通信で小説を連載しているムッシュ釜堀氏が智謀を働かせる。
会議の面々はおおむねその意見に同意だった。この世界最強のグレートマッスルはなおかに抵抗しても意味がない。それよりは服従を。それもよりよい条件での服従を勝ち取れるならそれに越したことはない。
「どうじゃろう、ユカリ嬢。グレートマッスルはなおかのもとへ行ってみてはもらえんじゃろうか」現在5期目の任期を務めている町長が懇願する。「町のみんなのためなんじゃ。この通り」
頭を下げる町長の覚悟を誰もが感じ取っていた。まぶしく輝く頭頂部をさらけ出すその行為は、町長が最も忌避することだ。これまで選挙期間中とワイフ以外には決してそれを見せなかった。
「⋯⋯みなさんがそうまでおっしゃるなら」奥ゆかしいユカリは意外なほどあっさりとその頼みを引き受けた。自分が犠牲になれば皆が助かると、そう思ってのことだろう。
俺はそれを引き留めようとユカリの肩に手を掛けた。ユカリはその手に自分の手を重ねて首を振る。その決意の固さに、俺はなにも言うことができなかった。
「だからといって、俺はなにもしないでいるわけにはいかないんですよ!」
「だから、この禁忌の地、ペロペペロペペペロリン様の祠へやってきたというのか」師匠が問い質す。
「そうです。ペロペペロペペペロリン様のお力をお借りすれば、きっとヤツを倒せる!」
「だが、その代償を支払うお前はどうなるッッ」師匠は額に青筋を浮かべながら怒鳴りつけた。「TS大好きなペロペペロペペペロリン様だ。いまのままのお前ではいられんぞ!」
「それでもッッ俺は妹をッッユカリをッッ」
「ばっかむぉぉぉぉぉん!!!!」
再び鉄拳が飛んできた。俺は一歩も動けないまま、それをまともに喰らう。鼻がひしゃげたような感覚があった。
「そんなことをして勝ったとして、残されたユカリ⋯⋯さんはどうなる!喜んでくれると思うのか!」
「でも師匠、それなら俺はどうしたらいいんだよ!」
「いいか、サラダスパゲッティはサラダじゃない。スパゲッティだッ!もっと本質を見るんだ!」
「えっ?それはどういう意味ですか、師匠」
「だからほら、お前いまちょっと頭に血が上ってるわけじゃん?まわりとかぜんぜん見えてないじゃない」師匠は急に語勢を弱める。「ほら、いるじゃん。まわりにさあ、頼りになる助っ人?みたいのが」
「はい?」
「もう、はっきり言わないとわかんない?」師匠は真っ赤な顔であらためて声を張る。「ワシ、ワシがいるじゃん。お前の師匠のワシが。お前とワシと力を合わせれば倒せぬ者などないだろ?」
「し、師匠、お力をお貸しいただけるのですか?あの、町の伝説に語り継がれる、地上最強の武術家と謳われた師匠のお力をッ」
俺は感激して涙を流していた。たしかに、師匠がいっしょならグレートマッスルはなおか恐るるに足らず。それでもあの軍勢が相手だ。確実とまでは言えないが、それでも――可能性はあるッッッ!
「やりましょう、師匠!」
「うん、やろう⋯⋯あのう⋯⋯それでなんじゃがな」師匠はクネクネと身を捩らせながらなにか提案があるようだ。「もしうまくいったらでいいんじゃが、あの、ユカリさんをな、ワシに⋯⋯」
「ん?」
「ワシとお前もほら、こんな深い関係なわけじゃん?それをさ、もう一歩進めてさ、師匠っていうか、その、お兄ちゃんっていうか⋯⋯」
「ちょっとよくわからないんですが⋯⋯」
「だ、か、ら、もう〜はっきり言わないとわかんない?ワシとユカリさんで、その、お付き合いというか、結婚できるようにさ、お前から取り計らってくれたらなあって」
「は?いや、あんた、なに言ってんすか。自分の歳考えてくださいよ。あんたもうすぐ70だろ。しかもユカリをって、あいつがこんなちっさい頃から見てきてるのに、よくそんな欲望抱けるなッ。キッショ!」
「おま、お前さすがにキッショは言いすぎだろ?お前それはないわ、傷つくわ」
「いやきしょいだろ。ぜんぜん言いすぎじゃねえわ」
「はぁ、お前マジ、1回師匠って単語調べてこいよ。お前そんなこと言っていいわけないだろ」
俺と師匠の口喧嘩はそれから小一時間続いた。どちらも一歩も引かない、激しい闘いだった。しかしそれに水を差す声がした。
「ちょっとお兄ちゃん、朝からうるさいよ。ご近所のこと考えてよね」
ユカリの声だ。勝手口から顔を出して、こちらに呼びかけている。
「師匠ももうちょっと考えてよね。苦情とか言われるの私なんだから」
「あ、ごめんね〜、ユカリちゃ〜ん」師匠は即座に矛を収め、デレデレとした顔になった。
「お兄ちゃんほら、朝ごはんもうすぐできるから、その前にペロペペロペペペロリン様の祠に油揚げお供えしといてね。あっ、師匠もいっしょに食べます?」
その後、俺たちは朝食を共にした。ユカリはなにやらいつもよりソワソワしている。おそらくこのあとに待ち受ける己の運命に恐怖しているのだろう。やはりここは師匠をたばかってでも、グレートマッスルはなおかの野望を打ち砕かなければ。
「お兄ちゃんたち、食べたらお皿お水につけといてね。私これから出かけるから」
「ん?どこへ行くんだ?⋯⋯まさかッ!」俺はユカリの表情を伺う。
「えっ?ヘアーサロンりりこに行くんだけど。だってほら、今日ってデートなわけだしー。オシャレしとかないとなーって」
「えっ !? デート?」俺と師匠が同時に素っ頓狂な声を上げる。
「そうそう、はなおかくんとデート。彼なんか頼もしくていいよね。部下いっぱいいるみたいだし。それであの誘い方でしょ?なんかかわいいよね。私一発で気に入っちゃった」
呆然とする俺と師匠。いま耳に入ってきた言葉がすぐには呑み込めなかった。
「あっ、いっけない。朝イチで予約してるから、もう行かなきゃ」慌てた様子で立ち上がるユカリ。「じゃあお兄ちゃんたち、あとよろしくね~」
駆けるようにして出ていったユカリを見送り、俺は師匠に声をかける。
「師匠、とりあえずお茶でも入れましょうか」
その後、グレートマッスルはなおかとユカリの関係はうまく転がり、ついに婚姻を結ぶことと相成った。ユカリはこの世界一裕福な暮らしを謳歌し、町はユカリの地元ということでおおいに便宜がはかられることとなった。俺もグレートマッスルはなおかの義兄として、ある程度の役職に就いている。師匠はあの日から1年もたたないうちに、拾い食いが中ってその生涯の幕を下ろした。
了
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