第14話

 木曜日の帰り道。

 校門を出た瞬間、頬に冷たいものが落ちた。


「……え、雨?」


「最悪……」


 澪が不満そうに空を仰ぐ。

 さっきまで曇りだった空は、一気に黒い雲に覆われていた。


「お前、傘は?」


「持ってない。悠は?」


「俺もない」


「ふたりとも忘れるなんて……」


 澪がスマホを取り出し、天気アプリを確認した。


「……豪雨予報・止む見込みなしって書いてある」


「マジかよ」


「走るしかないね」


「だな——」


「……手、離さないでね?」


「なんでだよ」


「理由ほしい?」


「どうせ、理由なんてないだろ」


 が、澪はわざとらしく一歩近づいて言った。


「離されたら、転ぶかもしれないから」


 でも、その目は本気で「離すな」と言っていた。


「行こ、悠」


「ああ」


 次の瞬間——

 空が裂けたように、滝みたいな雨が降り注いだ。


 走った。

 全力で。


 角を曲がり、階段を駆け上り、俺のアパートに飛び込む。


「……はぁ、はぁ……」


 玄関でしゃがみこむ澪。

 雨の粒が髪からぽたぽたと落ちる。


「悠……なんでそんな息乱れてないの……?」


「お前が遅いんだよ」


「違うよ……手、ぎゅーって握ってたから……」


 そんな理由でペース乱すな。


 しかし——問題はそこじゃなかった。


「……あ」


 澪の制服が完全に雨で濡れ、

 生地が肌に貼りついてラインが全部出ている。


(…………やば)


 胸元、肩、腰のライン——水滴がつたって落ちるたび、妙に目がいく。


「……見ていいよ?」


「見ねぇよ」


 澪は濡れた髪を耳にかけながら、小さく笑った。


「悠の家に来ると……油断しちゃうね」


「とりあえず風呂入れよ」


「悠も?」


「交代でな」


「…………一緒じゃないの?」


 小声で言うな、そういうことを。


「だめって言うなら、諦めるけど……」


「ダメに決まってんだろ」


「そっか……残念」


「じゃ、タオルここ置いとくから」


「ありがとう。——ねぇ悠」


「ん?」


「着替え……借りてもいい?」


「俺の服しかねぇぞ?」


「悠のがいいの」


「なんで」


「落ち着くから」


「じゃ……行ってくるね」


 澪が浴室へ入る。


 ——三分後。


「……ゆ、悠……」


「なんだよ」


「タオル……手が届かない……」


(んなわけあるか!!)


 と思いながらもドアを少しだけ開けて手を伸ばす。


 湯気の向こうに——


 濡れた髪、赤い頬、タオルを胸元に押し当てた澪。


 肩から水滴が伝って……

 いや待て落ち着け俺。


「……ありがとう」


 濡れた指が、俺の手に触れる。


 熱い。明らかに。


「悠、あんまり長く入らないでね」


「なんでだよ」


「……待ってるから」


 風呂を出て部屋に戻ると——


 息が止まった。


「……悠」


 澪が俺のTシャツと短パンを着て、ベッドに座っていた。


 サイズが大きいせいで肩が少し出てて、

 Tシャツは太ももの途中まで隠れている。


 濡れ髪から落ちる水が、細い首筋をつたっていく。


「似合ってる?」


「……まあ」


「嬉しい」


 その笑顔が妙に色っぽい。


「ねぇ悠」


「ん」


「寒いから、隣……来て?」


「床でも——」


「だーめ」


 澪は布団をぽんぽん叩きながら微笑む。


「ここ。悠の隣じゃなきゃ私はやだ」


 隣に座ると、澪は自然に肩を寄せてくる。


「……あったかい」


「お前が近いからだろ」


「近いのは……好きだから」


 今日何回目だ、この“好きだから”。


 心臓に悪い。



「そういえばね、悠」


「ん」


「期末テスト、近いよね?」


「ああ。……一応な」


「一緒に勉強しよ? 手つなぎながら」


「集中できねえよ」


「じゃあ膝の上に座りながら——」


「もっとできねえよ」


 くすっと笑う澪。


「じゃあ……」


「なに」


「勉強しない時間は、全部悠に甘える時間にしていい?」


「勝手にしろ」


「やった」


 完全に懐いている猫みたいに俺の腕へ身体を預けてくる。



「ねぇ、悠」


「ん」


「ゲームしよ、いつもの」


「お前ゲーム下手じゃん」


「悠が教えて」


「また後ろからくっついてくる気だろ」


「……バレてた?」


「バレバレだわ」


 澪は満足そうに笑った。


「じゃ、やるね」


 そう言って、また背中にぴとっと張りついてくる。


 濡れ髪が首筋に触れてひんやりする。


「近い」


「近くなきゃ……ちゃんと操作できない」


「いや絶対嘘だろ」


「悠と同じ目線でやりたいの」


 意味わからん理論を言いながら、

 澪の指が俺の手の上に重なる。


「そこ右だよ」


「いや下だろ」


「右行って落っこちるの、私好き」


「なんでだよ」


「悠と一緒に落ちるなら、どこでも」


「物騒な価値観つくんな」


 そして——

 二人で操作したキャラは、案の定すぐ落ちた。


「ほら見ろ」


 何戦かしたあと、澪が急に俺の袖を引っ張る。


「悠……」


「ん?」


「こっち向いて」


「……なんで」


「見て欲しいから」


 顔を向けると、

 澪がほんの数センチの距離で見上げていた。


 濡れ髪、ゆるいTシャツ、上気した頬——

 全部が危険すぎる。


「今日ね……」


「……ああ?」


「いつも以上に悠のことが好きだよ」


「なんでだよ」


「雨の中で走るとき、手、離さなかったでしょ?」


「そりゃ転びそうだったから——」


「私のことを考えてくれたんでしょ」


 心臓が跳ねる。


「だからね、悠」


 澪はゆっくり胸元をつまんで、俺のほうに寄せる。


「今日……離れたくない」


 その視線が熱すぎて、

 でも悲しいくらい必死で。


「悠」


「……なんだよ」


「もっと……くっついていい?」


「……勝手にしろ」


「うん」


 澪は嬉しそうに微笑んで、

 そのまま俺の肩へ身体を預けてきた。


 そして小さく囁く。


「ねぇ悠となら、もっと悪いことも……してみたい」


「お、おま……急に何言って——」


「だって、悠のこと好きなんだよ?

 触りたいし、触られたいし、近くにいたいし……」


 澪は俺の手をそっと取り、自分の太ももの上に置いた。


「……だめ?」


「…………」


「悠が嫌ならやめるよ。

 でもね、止められたら……もっと好きになるかもしれない」


 その笑顔は、少し危険で、

 でも誰よりも俺だけを見ていて。


「ねぇ……今日は、甘えさせて?」


 雨音と澪の声だけが、部屋に落ちていく。


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