第12話
水曜日の放課後。
チャイムが鳴って、ざわざわしていた教室の音が、少しずつ薄くなっていく。
「じゃ、バイト行ってくるわー」
南雲が片手を上げて教室を出る。
「俺、コンビニ寄って帰るわ。悠は?」
「今日は真っ直ぐ帰る」
「はいはい。……あとはごゆっくりどうぞ〜」
「何をだよ」
海斗はニヤニヤした顔を残して、教室から消えた。
気づけば、また——
教室に残っているのは、俺と澪だけだった。
「……帰ろ」
澪が小さく言う。
「ああ」
いつもと同じ言葉なのに、歩き出すまでの間が、今日は少し長かった。
校門を出ても、澪の歩幅はいつもより小さい。
「なあ」
「ん」
「今日、なんか変だぞ。顔」
「顔ってなに」
「元気ないっていうか」
「……ばれてた?」
澪は、作ったみたいな笑顔を一瞬だけ浮かべて、すぐに視線を落とした。
「今日ね、お母さんに怒られたの」
「朝か?」
「ううん。昼休み」
「昼?」
「お弁当の写真、送らなかったから」
意味が分からず眉をひそめる。
「……写真?」
「毎日送るの。ちゃんと食べてるか確認って」
さらっと言ったはずなのに、声は少し震えていた。
「今日、忘れてたら……」
スマホをぎゅっと握る。
「最近、ちゃんとした子じゃなくなってきてる、って言われた」
胸の奥がざわっとした。
「お弁当の写真送らなかっただけで?」
「私にとってはそれだけじゃないの。」
澪は苦笑いみたいな顔をする。
「帰るの遅いのも、スマホばっかり見てるのも。成績落ちたらどうするのも、変な男に騙されるなも、セット」
「……」
「今日はそれ、一気に来た感じ」
笑いながら言うけど、その笑い方は、全然いつものやつじゃなかった。
信号の前で止まったとき、澪はふっと小さく息を吐いた。
「怒られるの……慣れてるんだけどね」
「慣れるもんじゃねえだろ」
「うん。本当は、慣れちゃダメなんだろうけど」
少し黙ってから、ぽつりと続ける。
「……昔からそうだから」
「昔?」
「小学校のころ、連絡帳のコメントに集中力が足りないかもしれませんって書かれたとき」
澪は信号じゃなく、遠くのほうを見ていた。
「家に帰ったら、通知表と一緒に並べられて、白雪家の名前に泥を塗るなって、ずっと言われた」
その言葉は淡々としているのに、静かに冷たかった。
「テストで満点じゃなかったときも。
習い事の発表会で、一番になれなかったときも。
友だちの家から門限ちょっと過ぎて帰ったときも」
澪は、袖を指でつまむ。
「ちゃんとした子でいないといけないの。」
「ちゃんとした子ねぇ……」
「出来が悪い子はいらないって、直接言われたわけじゃないけどね」
そこで、言葉が一度切れる。
「でもね、言われてないだけで、ずっと思われてるんだろうなって感じてるの」
信号が青に変わる。
それでも、澪はすぐには歩き出さなかった。
「怒られるのは、慣れたの」
「……」
「でも最近はちょっと違う」
「何が」
澪は、指先でスマホを撫でる。
「怒られる理由が……全部貴方の為になってきてる」
胸が、ずきっと痛んだ。
「悠と話す時間。
悠の家に行ってる時間。
悠のこと考えてて、勉強中に手が止まるとき」
澪は、少しだけ笑う。
「今日のお昼には、貴方のその無駄な時間で、どれだけ勉強できたと思ってるの?って言われた」
「は?」
「大学受験はもう始まってるのよって」
それは、思っていた以上に重かった。
沈黙のまま歩いて、気づけばもう俺のアパートの前だった。
階段を上がり、鍵を回す。
ドアを開けると、澪は靴をそろえて一歩だけ中に入って——
そこで、ぴたりと止まった。
「……悠」
「ん」
「今日……帰りたくない」
いつもより少し小さい声で、はっきりと言った。
「帰ったら、また何言われるか分かんない」
指先が、制服のスカートをぎゅっと掴む。
「男は危険だとか、将来のためにならないとか、白雪家の娘らしくないとか」
それを言う声が、少しだけ震えていた。
「……私ね」
視線は足元のまま。
「ちゃんとした子でいなさいって言われるたびに、
どんどん自分が薄くなっていく感じがするの」
「薄く?」
「うん。正しいことしかできない、白雪家の娘Aみたいな」
自分で言って、苦い顔をする。
「でもね」
澪は顔を上げた。
「悠といるときだけ、白雪澪って感じがする」
その言葉は、笑い話みたいに軽くはなかった。
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