第7話

 月曜日の朝。

 週末を挟んだ教室は、金曜より少しだけのんびりした空気に包まれていた。


「おーい悠、プリント忘れんなよ」


 南雲が前の席から振り返って、レポート用紙をひらひらさせる。


「ああ、それ氷室の遠足レポートか」


「そうそう。今日の放課後、班でまとめろってさ。写真も貼れってよ」


「写真とか完全にひよりの領域だろ」


「だな。センス皆無の俺らがやるよりマシ」


 そんな話をしていると、海斗が机に肘をついて加わってきた。


「金曜の写真さ、見返してたんだけどさ」


「なんだよ」


「南雲の絶叫顔が優勝だった」


「消せや」


「いや提出用に使おうぜ」


「やめろって!」


 いつも通りの騒がしさ。

 その中で、ふと教室の入口から視線を感じた。


「……黒川くん」


 白雪澪が立っていた。


 金曜と同じ制服なのに、目が合った瞬間の温度が違う。


「おはよう」


「ああ、おはよ」


 澪は鞄を抱えたまま、まっすぐ俺の机のところまで歩いてくる。

 周りのやつらがなんとなく視線をそらして、距離を空ける。


「金曜日……お疲れ様」


「そっちこそ。あれだけ歩いたら疲れるだろ」


「でも、すごく楽しかった」


 澪は少しだけ顔を寄せる。


「ジェットコースター……黒川くん、最後、笑ってた」


「……見てたのか」


「うん。叫びながら、ちょっとだけ」


 思い出したら、自分でも笑えてきた。


「お化け屋敷もさ……」


 澪は一瞬だけ言葉を切って、声を落とす。


「腕、離さないでくれたの、嬉しかった」


 隣の席で、浅海ひよりがカバンから筆箱を出す手を止めていた。

 顔はプリントのほうを向いているけど、耳だけこっちを向いている感じ。


「白雪さーん、おはよー」


 ひよりが、少しだけ張った声で振り返る。


「おはよう、浅海さん」


 澪は同じ笑顔を向ける。

 でも、ひよりと目が合った瞬間だけ、ほんの少しだけ視線が鋭くなった気がした。


「金曜日さ、お化け屋敷のとき、私やばかったよね? 叫び声全部持ってった自信あるんだけど」


「……うん。すごかった」


 澪が小さく笑う。


「でも、一番びっくりしてたのは南雲くんだったと思う」


「やめろってマジで!」


 南雲が後ろから抗議の声を上げて、教室がざわっと笑いに包まれる。


 金曜の記憶が、まだ教室のあちこちで生きていた。


 


 チャイムが鳴る直前、澪が小声で俺にだけ聞こえるように言った。


「ねぇ、放課後……レポート、みんなでやるんだよね?」


「ああ。図書室で集まろうって話になってる」


「隣、いい?」


「まあ、別に」


「……よかった」


 澪はほんのわずかに目を細めた。

 その横で、ひよりがペンをくるくる回しながら、何も言わずに前を向いていた。


 


 放課後。

 図書室の奥の四人掛けのテーブルを二つくっつけて、六人で座る。


「よし、現地の様子とか感想とか、適当に書いてこーぜ」


 南雲がレポート用紙を真ん中に置く。


「適当はだめでしょ」


 すずが苦笑する。


 澪は迷わず俺の隣に座った。

 その動きがあまりにもスムーズで、誰もツッコまない。


「じゃあ、項目ごとに分担しよっか」


 ひよりがプリントを見ながら言う。


「混雑状況と待ち時間は、南雲と海斗でよくね?」


 俺が言うと、


「なんでだよ」


「一番並んで文句言ってたの、お前らだろ」


「それはそう」


 ぶつぶつ言いながら、二人が書き始める。


「じゃあ、施設の印象と感想は……」


 すずが周りを見る。


「私と浅海さんと白雪さんで書こうか。字、綺麗だし」


「うん。いいよ」


 澪が頷く。


「黒川くんは?」


 ひよりがこちらを見る。


「俺は……全体のまとめでいいよ。文つなぐやつ」


「じゃあ、それで決まり〜」


 ペンの音だけがしばらく続いた。


 


 澪の字は、相変わらず綺麗だった。

 まっすぐで、無駄がない。


「……ここ、“班で協力してルートを決めて移動した”って入れてもいい?」


 澪が俺にプリントを見せる。


「ああ。ジェットコースター→フードコート→お化け屋敷の流れな」


「うん。班の雰囲気も良く、全員が楽しんでいた」


「それ、ちょっと盛ってないか?」


「本当だよ?」


 澪は小さく笑う。


「……少なくとも、私は、すごく楽しかったから」


 その一文だけ、ペン先の動きがゆっくりだった。


 ひよりが向かい側で、ボールペンの先をいじりながら、こっそりその文を見ていた。


「写真どうする?」


 海斗がスマホを見せる。


「ジェットコースター前の集合写真と〜、フードコートでのやつと……あと一枚くらい?」


 ひよりが画面を覗き込む。


「お化け屋敷の外の写真とかどう?」


 すずが提案する。


「それいいな」


 俺がうなずくと、澪も小さく頷いた。


「……黒川くんが真ん中にいるやつ、使いたい」


「それ俺の顔ばっかじゃね?」


「班長っぽくていいじゃん」


 ひよりが言う。


「班長じゃねえし」


「実質そんな感じだったよ?」


 澪がさらっとそう言う。


「ルート決めてくれたの、黒川くんだったし」


 そう言いながら、机の下で俺の袖をそっとつまんだ。


 誰にも見えないところで、距離だけをしっかり確保してくる。


 レポートは、思ったよりスムーズに形になっていった。

 まとめの部分を俺が書き、澪がそれを横で覗き込む。


「……うん。いいと思う」


「そうか?」


 一段落ついて、プリントを先生に出す用のファイルに挟み終わったところで、南雲が伸びをした。


「よっしゃ終わり! 帰るか〜」


「おつかれ」


 ひよりが立ち上がる。


「今日、私バイトだから、ここでバイバイね」


「どこでやってんの?」


 海斗が食いつく。


「駅前のカフェ。来なくていいからね」


「行こうぜ悠」


「行かねえよ」


 そんなやりとりをしている間に、ひよりとすずは先に図書室を出ていった。


 入口のほうに目をやると、ひよりが一度だけ振り返って、俺と澪を見て、それから小さく頭を下げた。

 なにかを区切るみたいな仕草だった。


 


 教室に戻る途中、澪がすぐ後ろに並んできた。


「ねえ、黒川くん」


「なんだ」


「帰り……一緒にいい?」


「別にいいよ」


「……それとね」


 廊下の窓から夕方の光が差し込んで、澪の横顔が少しだけ赤くなる。


「今日……家寄っても、いい?」


「うちに?」


「うん。金曜日のこと、話の続き、したくて」


「話の続き?」


「遊園地のこととか……黒川くんの好きなゲームのこととか。ちゃんと聞きたかったの」


 正直、断る理由がなかった。

 それに——澪の寂しかったという言葉の意味を、もう少しだけ知っておく必要がある気がした。


「ああ。まあ、いいぞ」


「……ありがとう」


 澪の返事は、予想していたみたいに早かった。


 


 玄関のドアを開けると、澪の足が一瞬だけ止まった。


「お邪魔します……」


 靴を揃えて、一呼吸おいてから上がってくる。


 初めてのはずなのに、やけに落ち着いた顔をしていた。


「……想像してた通り」


「何が」


「黒川くんの部屋。……こういう感じかなって思ってた」


 澪は部屋をゆっくり見渡した。


 机、本棚、ゲーム機、ベッド。

 ひとつひとつ、確認するみたいに。


「誰か、来たことある?」


「ないよ」


「……そっか」


 澪は少しだけ目を細める。


「じゃあ、この部屋、知ってるの、今のところ私だけだ」


「言い方」


「私にとっては、ちょっと特別」


 そう言って、澪は当たり前の顔でベッドの端に腰掛けた。

 距離を詰めるのが自然になりすぎている。


「ゲーム、する?」


「する」


 コントローラーを渡そうとしたら、澪がその上から手を重ねてきた。


「一緒に、持っててもいい?」


「やりにくいだろ」


「慣れるから平気」


 本当に、そのままプレイし始める。

 ふたりでひとつのコントローラーを持つ形になって、肩と腕がぴったりくっついた。


「金曜日の、ジェットコースターさ」


「おう」


「一番上で一瞬止まったとき、ちょっとだけ息止めてたでしょ」


「……見てたのか」


「うん。怖いんじゃなくて、わくわくしてる顔してた」


「そんな顔あんのか俺」


「あるよ。今日も、ちょっとしてる」


「今はただのゲームだろ」


「でも、隣にいるのは……私だから」


 澪は画面から視線を外さずに言う。


「お化け屋敷のときもね。離さないでいてくれたから、怖くなかった」


「いや、普通に前見て歩いてただけだぞ」


「でも、腕は掴ませてくれた」


 ぎゅっと、今も同じように俺の服をつまむ。


「……ひよりさんのときは、そうしなかったのに」


「白雪が割り込んできただけだろ」


「うん。割り込みにきた」


 あっさり認める。


「でも、誰も怒らなかった。黒川くんも、怒らなかった」


「怒る理由ねえし」


「だから、今日も来た」


 シンプルすぎる理由だった。


 ゲームのステージが区切りのいいところで終わって、コントローラーを置く。

 澪は少しだけ体重を預けるように、俺の肩に寄りかかってきた。


「……疲れた?」


「楽しかったから、ちょっとだけ」


「遠足のときよりはマシだろ」


「うん。でも、違う意味で疲れる」


「違う意味?」


「ねえ」


 澪は顔を上げる。

 距離が近い。息がかかる。


「私がこうしてるの、……うざくない?」


「うざかったら、とっくに帰ってもらってる」


「そっか」


 澪の表情が、少しだけほどけた。


「じゃあ、もう少しだけ……こうしててもいい?」


「勝手にしろよ」


「……うん」


 小さく呟いて、また俺の肩に額を預けてくる。


 時計の針の音がやけに大きく聞こえた。

 外の車の音も、遠くなっていく。


「ねえ、黒川くん」


「なんだ」


「金曜日の夜、寂しかったって送ったの、覚えてる?」


「ああ」


「今日の私はね、寂しくないよ」


 ゆっくりと言葉を選ぶみたいに続ける。


「ちゃんと隣にいるから。……取られそうな感じもしないから」


「俺はおもちゃじゃないぞ?」


「…知ってるよ。でも、勝手に不安になる」


 澪は少しだけ目を閉じた。


「だから、自分でちゃんと見ておく」


「何を」


「黒川くんの隣が、私の場所でいられるかどうか」


 その言葉は重いのに、不思議と苦しくはなかった。


 しばらくして、澪が体を起こす。


「そろそろ帰らなきゃ」


「送ってくか?」


「大丈夫。……道、ちゃんと覚えとくね」


「次も来る気満々じゃん。」


「うん。だって——」


 玄関で靴を履き終えた澪が、振り返る。


「今日の距離をまた感じたいから…」


 小さな声だったけど、はっきりと聞こえた。


 ドアが閉まったあとも、その言葉だけは、部屋の空気に残り続けていた。


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