4 刃は煙を裂き


「本当申し訳無いですうちのミュイユが色々とご迷惑を」


 平謝りだった。まさか見ず知らずの旅人を買い物に付き合わせた挙げ句、連れ去りまでしていようとは。誘拐とか疑ってごめんなさい本当に。

 バスゲウスと名乗ったその男――その心優しいお兄様は、快く、かどうかはわからないが特に怒るでもなく許してくれた。

 当のミュイユは、俺に言われてしぶしぶ頭を下げた後、少し離れたところでなんだか不貞腐れたように擁滓玉グルーツィエをくゆらせていた。


「……迷ってないし。家が工業区に無いのが悪いんだし」


 ぼそっと漏らした言葉が擁滓玉グルーツィエのかすかな香りと共に流れてくる。その頑なさは一体どこから来るんだ。方向音痴を認めたら爆裂死する呪いでもかかってんのか。


「ちなみによ、家って結局どの辺にあるんだ? この区画じゃねぇらしいが」

「商業南二区笛抜通りです……。ここからは大体中央広場を挟んだ真逆くらいの位置ですね」

「マジかよ……ほとんど最初に会った辺りじゃねぇかそれ。商店街からも離れてねぇ。なんでそんなとこで迷えんだよあの嬢ちゃん」

「俺にも未だによくわかりません……」


 というかミュイユ、引き返した直後にはもう明後日の方向へ向かってたのか。そしてその後バスゲウスさんと会って拉致したと。


「その住所だけでどこかわかるんだ。随分この街に詳しくなったねバスゲウスさん」

「誰かのおかげで死ぬ程地図とにらめっこしたからな……。今なら旅人向け道案内でひと稼ぎできそうだぜ」


 遠目から口を挟んでくるミュイユに、溜め息混じりに答えるバスゲウス。あぁ、なんだかお疲れでいらっしゃる。無理もないけど。


「あの、お詫びといってはなんですけど、よろしければ今日はうちで夕飯を食べて行きませんか? というよりご馳走させてください」


 こちらの都合で余計なことに巻き込んでしまったのだからこれくらいは、という心ばかりの気遣い。


「セラン・ウェーラーへ向かう旅の途中と伺いましたし、よければ俺の方で廻輿シュクルカーフの手配も……」

「あぁ……旅な。もういいんだ、それは」

「……えっ?」


 しかし、バスゲウスは首を横に振った。こちらの提案ではなく、旅がもう必要無いと。


「……俺の旅はここが終着点だった」

「あの、どういう……」


 彼の言う意味がよくわからず聞き返す俺に、バスゲウスは正面から向き直る。


「これ以上の旅は必要無くなったんだ。こうしてここで、あんたと会えたんだからな――『聖王スプリミオ』」


 その表情から滲み出していたものは、諦観と、覚悟だろうか。バスゲウスは俺を見据えながら一歩、こちらへ歩み寄り――、


《フィーノ避けてッ!!》


 ロティの叫び声。

 俺が一歩退いたその空間を、バスゲウスの振るった短剣が切り裂いていた。


「なっ……!?」


 短剣が街灯を反射して煌めく。長く使い込まれたであろう、多くの傷跡を蓄えた刀身が、殺意をもってこちらに向けられていた。


「そんなっ、俺そんなに怒らせるようなことしてしまいましたかっ!? やっぱり出来合いの料理じゃなくてなんか注文とかした方が」

「そんなんじゃねぇよ!」


 殺気を放ちつつも律儀に返してくれるバスゲウス。

 俺が退いた距離を更に詰め、その短剣を再度振りかざす。


「じゃあどうしてっ……!」

「……わかってるさ。あんたは関係無ぇんだろうな。わかってるがよ……!」


 要領を得ない、独り言のような返事。

 何故急に刃を向けられることになったのかわからないが、とにかく身を守らないと本当に斬られる。

 応戦のため俺が武器を取り出そうとした、その時。


「痛っ……!」


 コツンと、バスゲウスの首筋に何かが飛来して当たった。

 振り下ろそうとした腕が止まる。

 軽い音を立てて地面に転がったのは、小さな金属片。微かに何かの意匠の跡が見える。

 飛んできた方向を見ると、そこにはミュイユの姿があった。


「そこまでだよ、バスゲウスさん」


 いつもと変わらぬ調子に無表情、しかしその中に確かな怒気を込めて、ミュイユは言った。

 先程の物とは別の小さな金属片を手の平で弄びながらミュイユは続ける。


「バスゲウスさん、あんたには色々借りとか貸しとかあるけどさ」

「嬢ちゃんに借りを作った覚えは無ぇけど」

「……無いかもだけどさ」


 間髪入れぬ指摘に一瞬で折れるミュイユ。なんで無駄に盛ったんだ。

 出鼻を挫かれてわずかに言葉に詰まりつつも、改めてミュイユは言う。バスゲウスを強く見据えながら。


「とにかく、フィーノに危害を加えるなら例えバスゲウスさんでも、アタシが容赦しない。どういう理由かは知らないけどさ、続けるってんなら――覚悟はしといてね」


 それは警告。バスゲウスの凶行は自分が止める、自分には止められると、そう言っている。

 そのミュイユの言葉に、しかしバスゲウスは一笑に付すと、


「嬢ちゃんが容赦しなかったらどうなるってんだ? 悪ぃが、そんな石コロ――じゃねぇな、なんだコレ。……まぁとにかくそんなモン投げつけたって、次はもう止まらねぇ。俺を止めたけりゃ、早いとこ頼れる大人なり警邏隊なりを連れてきな」


 最早話すことは無いとミュイユから視線を切り、改めて俺に向き直る。構えた短剣が鈍く光る。

 バスゲウスが音も無くこちらへ踏み込み、刃を突き出そうとして――、


随祈エデア――『現月鏡ムルミレディニ』、茫枝オプギーシュ


 ミュイユのその『祈り』の言葉と共に、剣が飛来した。


 身の丈程の刀身を持つ細身の剣が、風切音を唸らせながら俺とバスゲウスの間に割り込むように飛んできて、バスゲウスの持つ短剣を弾き飛ばす。

 そして中空で、粉雪が舞うように光の粒を散らしながら溶けて消えた。短剣と同時に、小さな金属片が地面に転がった。先程ミュイユが手で転がしていたものだ。


「なっ……!?」


 バスゲウスの足が驚きで止まる。どこからともなく現れた剣が自身を両断する勢いで飛来し、瞬く間に消失したというのだから無理も無い。


随祈エデア――『顕鏡ラナミレダ』、雀弓シューフト


 止まったバスゲウスの足元に、小型の曲刀を持った黒い人影が現れる。

 影を固めて人型に成形したようなその黒いモノは、上半身だけを地表に飛び出させたような格好で、手にした曲刀でバスゲウスの足元に斬り掛かった。


「うおぉッ!?」


 辛うじて飛び退いたようだが、回避しきれずブーツが切断され、断面から脛を覗かせていた。


「なんだ……? 一体何が起こってやがる……!?」


 状況が理解できないバスゲウスの戸惑いの声。

 ミュイユのこの力を初めて見たのであれば仕方のない事ではあるが。


 現月鏡ムルミレディニ

 使い手のいなくなった道具の破片から、一時的にその本来の姿を復元する術。

 効果の持続が短く、僅か一秒ほどで元の破片に戻ってしまうが、あらゆる武器を投擲武器として扱うことができる。

 先程バスゲウスに飛びかかった剣は、ミュイユが放り投げた破片を空中で復元したものだ。ミュイユが好んで使う武器の一つで、茫枝オプギーシュと呼称している。


 そして、顕鏡ラナミレダ

 道具と共に、その本来の持ち主や、道具の理想の使い手を具現化する。らしい。

 実際にどういった存在が具現化されているのかはミュイユ本人にもよくわかっていないようだが、とにかく一時的に、武器を振るう霊のようなものを呼び出し行使する術だ。

 バスゲウスの足元に生えてきたのは、小型の曲刀である雀弓シューフトの霊を破片から呼び出したものだ。恐らく最初にバスゲウスに投げつけていた金属片が、この雀弓シューフトの欠片だったのだろう。

 こちらも持続は三秒程しか無く、地面から生えた影法師の上半身は既に消え去っていた。


「嬢ちゃん……、今のはあんたが……?」


 理外の現象にたじろぎ動きを止めたバスゲウスが、ミュイユを問い糾す。

 ミュイユは、ぽつりと「そうだね」と答え、白い息をひとつ吐くと、


「容赦しないって言ったはずだよ」


 感情の読めない語気でそう続けた。

 僅かに沈黙したバスゲウスだったが、一度鼻で笑ってみせると、強がるようにミュイユをミュイユを煽り、


「まぁ面白い手品だったが、その程度だな。嬢ちゃん、本当に俺を止めたいなら最初から……」

「いやまずその嬢ちゃんってのやめて欲しいんだけど」

「……あ?」


 言葉の途中でミュイユに妙な口を挟まれ訝しむバスゲウス。


「言わなかったっけ。アタシは二十五だよ。嬢ちゃんなんて歳じゃない」

「………………あぁ?」

「じゃなかったらこんなの売ってもらえないと思うけど」


 ミュイユが口から水蒸気の立ち上る擁滓玉グルーツィエを取り出して見せる。

 ミュイユの発言がイマイチ理解できない様子で、首を傾げて固まるバスゲウス。

 いやまぁその反応はよくわかる。どう見ても外見はその年齢の半分以下だし、背丈も俺の胸くらいまでしかない。その容姿で擁滓玉グルーツィエを咥えてる姿は初見だと脳が故障しそうになる。なった。

 ミュイユの能力を目の当たりにした時以上に驚愕しているようだったが、納得したのか聞かなかったことにしたのか、しばしの硬直の後、何事も無かったかのように続きを喋り始めた。


「……本当に俺を止めたいんなら、最初から殺す気で仕掛けてくるんだったな。そんなチンケなモン投げつけられたって俺はもう止まらねぇ。さっきも言ったはずだぜ」

「止まってるじゃん」

「揚げ足取る場面じゃねぇだろ。そうやって調子狂わせるのも作戦の内ってか? だが――」


 そこで言葉を切ると、再び俺の方へ踏み込んできた。


「――もう遅ぇ」


 迫りくるバスゲウスの手には、先程よりも更に小振りな短剣。まだどこかに隠し持っていたようだ。

 一体何が彼にそこまでさせるのかはわからないままだが、黙って刺されるわけにもいかない。

 防御態勢を取ろうとして――バスゲウスの背後にミュイユの姿を見た。

 ミュイユは両手を頭上に掲げてバスゲウスに飛びかかり、


随祈エデア、『現焔鏡ヴァナミレディニ』――鋼花ブランゲイアッ!!」


 ミュイユの手元に巨大な剣が出現する。

 ミュイユ二人分以上はあろうかという、冗談のように長く幅広な大剣。

 両手で構えたその無骨な大剣を最上段から重さに任せて振り下ろし――、


「……ごめんね」


 ――剣の腹でバスゲウスの背中を打ち据えた。


 自身よりも大きな鉄塊による背後からの打擲に耐えられるはずもなく、バスゲウスはその一撃で昏倒。

 鋼花ブランゲイアはその姿を元の金属片へと変え、飛散した粉雪のような残滓が、倒れ伏したバスゲウスの体に舞い散った。

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