第2話「お弁当を隠れて食べてたら、元勇者(美少女)が捨て犬の目で見てくる件」


 入学式という名の「公開処刑(勘違い)」から一夜明けた、翌朝。私は、学園の女子寮にある自室のベッドで、絶望のあまり芋虫のように布団にくるまっていた。


「……終わった。完全に終わった」


 昨日の記憶が走馬灯のように蘇る。震える美少女・ルミアを助けようとして、「目障りよ」と言い放った私。それに感動して「お姉さま!」と懐いてきたルミア。そして、周囲の生徒たちのヒソヒソ話。


『おい見たか、あのローゼンバーグ家の令嬢……』 『ああ、平民の特待生を自身の派閥に取り込んだらしいぞ』 『初日から手駒を増やすとは……やはり「氷の薔薇」は恐ろしい……』


 違うの!!派閥とか手駒とか、そんな政治的な意図は1ミリもないの!私はただ、可愛い女の子が泣いてるのを見てられなかっただけの、チョロい現代っ子なの!


「うぅ……目立たず生きる計画が……」


 布団の中でジタバタしていると、コンコン、と控えめなノックの音がした。


「コーデリア様。お目覚めでしょうか?」


 メイドのルナの声だ。私は慌てて布団から這い出し、乱れた銀髪を手櫛で整え、「悪役令嬢モード(外面)」をセットする。中身は限界女子高生だが、外見は完璧超人だ。背筋を伸ばし、冷ややかな瞳を作る。


「……ええ、入っていいわよ」


 ガチャリと扉が開き、ルナが入ってきた。手には洗面器とタオル、そして着替えの制服を持っている。今日も完璧なメイド姿だ。ただ、その瞳の輝きを除けば。


「おはようございます、我が女神(ミューズ)。昨夜はよくお眠りになれましたか? 貴女様の寝顔を扉の外から三時間ほど警備しておりましたが、悪夢にうなされる様子もなく、安堵いたしました」


「……え?」


 今、サラッと怖いこと言わなかった?三時間警備? 扉の外で? 「あ、ありがとう……? でも、夜はちゃんと休んでね?」


「なんと! 私の体調まで気遣ってくださるのですか!? あぁ、やはりコーデリア様は慈愛の化身……!」


 ルナが頬を染めて身悶える。ダメだ、この子のフィルター機能、完全にバグってる。花瓶の一件以来、ルナの私に対する好感度はカンストを通り越してオーバーフローを起こしていた。


「さあ、お支度を。今日の制服のアイロンがけは、私の魂を込めて行いました。一本のシワも許しておりません」


「そ、そう……ありがとう」


 ルナに着替えさせられながら、私は溜息をついた。重い。愛が重い。でも、彼女の淹れてくれた紅茶は絶品だし、髪のセットも完璧だ。鏡の前には、銀髪をハーフアップにし、真新しい制服を着こなした「完璧な美少女」が完成していた。


(顔がいい……! 自分の顔だけど、見惚れるレベルでいい!)


 この顔面偏差値だけが、今の私の唯一の武器であり、最大の敵だ。よし、今日も一日、口数を減らしてボロを出さないように頑張ろう。目標は「空気」。クラスの隅っこで、植物のように光合成して過ごすのだ。



 王立魔導学園、1年Sクラス。そこは、選ばれしエリートたちが集う魔境だ。


 私は教室に入るなり、誰とも目を合わせないようにして、一番後ろの窓際の席――通称「主人公席」を確保した。いや、私が主人公になりたいわけじゃない。ここなら背後を取られないし、窓の外を見て黄昏れていれば、誰も話しかけてこないと思ったからだ。


 教科書を開き、「私は勉強熱心ですオーラ」を出す。周囲の貴族生徒たちが、チラチラとこちらを見ている気配がするが、無視だ。


(頼むから話しかけないで……私に貴族言葉は難易度が高すぎるの……「ごきげんよう」のイントネーションすら怪しいんだから……)


 心の中で神に祈っていると。教室の入り口がざわついた。


「あ……」 「特待生の……」 「昨日の……」


 空気が変わる。入ってきたのは、ルミアだった。


 今日の彼女は、昨日よりもさらに小さく見えた。ぶかぶかの制服の袖を握りしめ、教室の異様な雰囲気――「平民がSクラスに?」という無言の圧力――に押しつぶされそうになっている。大きな瞳が、助けを求めるように泳いでいる。


(うわぁ、完全アウェイじゃん……胃が痛くなりそう)


 ルミアはキョロキョロと教室を見渡し――そして、窓際にいる私を見つけた瞬間。


 パァァァッ!


 本当に効果音が聞こえるレベルで、彼女の顔が輝いた。見えない犬耳がピコピコ動いている幻覚が見える。尻尾があったら千切れるほど振っているだろう。


 タタタッ、と小走りで彼女は私の方へ向かってきた。そして、私の前の席にカバンを置き、振り返った。


「お、おはようございます! コーデリア様!」


 元気な挨拶。昨日の涙目とは大違いの、朝日のような笑顔だ。可愛い。悔しいけど可愛い。


 しかし、周囲の視線が痛い。「あいつ、氷の薔薇に挨拶したぞ」「命知らずな……」という空気が流れている。


 ここで私がニコニコ挨拶を返したら、キャラ崩壊だ。私はゆっくりと本から視線を上げ、ほんの少しだけ顎を引いた。


「……おはよう」


 短く、低く。それだけ言って、すぐに視線を本に戻す。内心は「おっはよー!今日も髪サラサラだね!」と言いたいけれど、我慢だ。


 しかし、ルミアにはその塩対応すらご褒美らしい。彼女は頬を緩ませ、「はいっ!」と嬉しそうに頷くと、私の前の席に座った。


(……え、そこ座るの?)


 そこ、教卓の目の前だよ? 一番目立つ席だよ?私の前の席に座ることで、私という「後ろ盾」をアピールする作戦か?いや、この子の純真な瞳を見る限り、ただ「お姉さまの近くがいい!」という小動物的本能だろう。


 授業が始まると、その予想は確信に変わった。ルミアは真面目だ。先生の言葉を一言一句聞き漏らすまいと、必死にノートを取っている。でも、時々チラッ、チラッと後ろ(私の方)を見てくる。目が合うと、ニコッと微笑んで、また前を向く。


(授業に集中して!? 先生が私を見てるから! 「コーデリア様が見ているから真面目にやらねば」みたいなプレッシャーを感じてるから!)


 私の「平穏な空気ライフ」は、目の前のワンコ系美少女によって、着実に「注目の的ライフ」へと書き換えられていくのだった。



 昼休み。学園の食堂は貴族たちでごった返している。あそこに行けば、マナー勝負だの派閥争いだのに巻き込まれるのは目に見えている。


 だから私は、早朝に厨房を借りて(ルナが感激して卒倒しかけたが)、自分で弁当を作ってきた。目指すは、校舎裏の静かなベンチ。そこなら一人でゆっくり、前世の味を楽しめるはずだ。


 人気のない中庭の、大きな樫の木の下。よし、ここなら誰も来ない。私はバスケットを開けた。


 中身は、タコさんウインナー、甘い卵焼き、そして唐揚げ。貴族令嬢にあるまじき「茶色い弁当」だ。でも、これがいいの! フレンチのフルコースより、こういうのが落ち着くの!


「いっただっきまーす」


 小さな声で手を合わせ、タコさんウインナーを口に運ぼうとした、その時。


 ガサッ。


 茂みの向こうから音がした。ビクッとして固まる。現れたのは――やはりというか、なんというか。


「あ……」


 パンを片手に持った、ルミアだった。彼女もまた、居場所がなくてここに来たのだろう。私と目が合い、彼女はフリーズした。


「コ、コーデリア様!? も、申し訳ありません! ここ、貴女様の場所でしたか!? すぐに消えますっ!」


 ルミアは慌てて回れ右をして逃げ出そうとした。その背中が、あまりにも寂しそうだった。手には、売店で買ったと思われるパサパサのパンが一つだけ。


(……うっ)


 良心が痛む。前世の記憶が訴えかけてくる。『一人ぼっちの昼休みの辛さ』を、私は誰よりも知っているじゃないか。トイレでパンを食べたあの日々を、この子に味合わせるのか?


「……待ち」


 声が出ていた。ルミアがビクッとして振り返る。


「……なさい」


 私は自分の隣のスペースを、ポンポンと叩いた。


「ここで食べればいいじゃない。……広いんだから」


 ぶっきらぼうな言い方。でも、ルミアの顔がパッと輝く。


「い、いいんですか!? 私なんかが、コーデリア様の隣に……!」


「……うるさいわね。座るの? 座らないの?」


「座ります! 失礼します!」


 ルミアは私の隣にちょこんと座った。距離が近い。いい匂いがする。これが美少女の匂いか。前世の私の部屋の匂いとは大違いだ。


 ルミアは自分のパンをかじろうとして、私の弁当箱を見て固まった。


「……可愛い……」


 彼女の視線は、タコさんウインナーに釘付けだ。


「これ、魔法生物の模倣料理ですか……? 赤くて、足があって……」


「……ただのウインナーよ。細工しただけ」


「コーデリア様が? ご自身で?」


「……暇つぶしよ」


 嘘です。早起きして必死に切れ込み入れました。


 ルミアがゴクリと喉を鳴らす。パサパサのパンと、私のタコさんウインナー。その格差は歴然だ。


(あーもう! そんな目で見ないで!)


 私は溜息をつき、フォークで唐揚げを一つ突き刺すと、ルミアの口元に突き出した。


「……あげる」


「えっ!?」


「作りすぎたの。処分するのも面倒だから」


 典型的なツンデレ台詞! 我ながら寒気がする!でも、ルミアは顔を真っ赤にして、おずおずと口を開けた。


「あ、あーん……」


 パクり。唐揚げを頬張った瞬間、彼女の目がまん丸に見開かれた。


「……んんっ!! 美味しいっ!!」


 ほっぺたを押さえて、身悶えるルミア。


「こんな美味しいお肉、初めて食べました……! 外はカリカリで、中はジューシーで……魔法の味がします!」


「大袈裟ね」


 ふふん、そうでしょう。下味にニンニクと生姜を効かせた、秘伝のレシピだからね。美味しそうに食べる彼女を見ていると、なんだかこっちまで嬉しくなってくる。これが「餌付け」の快感か。


 ふと、唐揚げを持つ彼女の手が目に入った。指先が赤く腫れ、いくつもの切り傷があり、絆創膏すら貼っていない。剣の稽古だ。特待生として、周りを見返すために、血の滲むような努力をしているのだ。


(……この子、たしか原作では男主人公だもんね。世界を救う宿命を背負って、必死なんだ)


 私は無言でカバンを探り、救急セットを取り出した。そして、可愛いくまさんのイラストが入った絆創膏を取り出す。


「手、貸して」


「え?」


 私が彼女の手を取ると、ルミアはビクリと震えた。剣ダコだらけの、女の子にしては無骨な手。私は傷口に、丁寧に絆創膏を貼っていった。


「……無理しすぎよ。手がボロボロじゃない」


「で、でも……私は平民で、才能もなくて……人の倍、努力しないと……」


「努力するのはいいけど、体を壊したら意味がないわ。……道具(手)の手入れも、一流の条件よ」


 それっぽいことを言って、貼り終える。ルミアの手の甲には、場違いなほどファンシーなくまさんが鎮座していた。


「……ぷっ」


 自分でもおかしくて、つい小さく吹き出してしまった。冷酷な悪役令嬢が貼ったのが、くまさん絆創膏。ギャップにも程がある。


 しかし、ルミアは笑わなかった。彼女は自分の手を、宝物のように胸に抱きしめ、涙をいっぱいに溜めて私を見ていた。


「……ありがとうございます……」


 声が震えている。


「優しくされたの、初めてで……。みんな、私を笑うか、利用しようとする人ばかりで……。こんなふうに、痛みを気遣ってくれたのは、お姉さまが初めてです……」


 ポロリ、と涙がこぼれる。


「私、やっぱりお姉さまが大好きです。……ご迷惑かもしれませんが、ずっとお傍にいさせてください」


(……いや、だから重いってば)


 でも、悪い気はしなかった。むしろ、胸の奥が温かくなる。友達が欲しかった私。味方が欲しかったルミア。凸凹な私たちは、こうして奇妙な「共犯関係」を結んだのだった。


 ――ただ、一つだけ誤算があった。この光景(美少女二人が木陰で「あーん」をして、手を取り合って泣いている図)が、校舎の窓からバッチリ見えていたことだ。


『尊い……』 『あれが氷の薔薇の素顔……?』 『百合の園だ……』


 そんな声が学園中に広まることを、この時の私はまだ知らなかった。



 午後の授業は、実技演習だった。訓練場に集められたSクラスの生徒たち。担当教師は、厳格そうな髭のおじいちゃん先生だ。


「これより、各自の魔力測定を行う。的(マト)に向かって、得意な属性魔法を放て」


 魔力測定。これはマズい。非常にマズい。なぜなら、コーデリアの魔力は「全属性カンスト」というチート仕様だからだ。しかも、中身が私(素人)のせいで、出力調整(コントロール)が全くできない。ゲームでは、ボタン一つで派手な魔法が撃てたけど、現実は「イメージ」が全てらしい。


(下手に撃てば、訓練場ごと吹き飛ばしかねない……。どうする? 「今日は爪が痛いので見学します」とか通用する?)


 私が冷や汗をかいている間に、次々と生徒たちが魔法を放っていく。


「ファイアボール!」ドォン! 「おお、なかなかの威力だ」


「ウィンドカッター!」シュパッ! 「鋭いな、合格だ」


 みんな上手い。そして、ほどよい威力だ。 「次は、特待生ルミア!」


 呼ばれて、ルミアが前に出る。彼女は緊張した面持ちで、私のほうをチラッと見た。私はコクンと頷く(ふりをして、瞬きをしただけ)。


「は、はいっ! 行きます!」


 ルミアが手をかざす。彼女の適性は「光属性」。勇者の証だ。


「ライトニング・レイ!」


 カッ!眩い閃光が走り、的を貫いた。おお、凄い!しかし、的は黒焦げになったものの、破壊まではいかなかった。


「ふむ……威力はそこそこだが、迷いがあるな」


 教師の辛口な評価に、ルミアがシュンとする。違うよ先生! あの子は繊細なの! もっと褒めて伸ばしてあげてよ!


「次。コーデリア・フォン・ローゼンバーグ」


 ついに私の名前が呼ばれた。周囲がざわめく。 『来たぞ、筆頭公爵家……』 『どんな魔法を見せるんだ?』 『きっと轟音と共に雷撃を落とすに違いない』


 ハードルが高い! エベレストくらい高い!私は優雅に(足の震えを隠して)前に進み出た。


(どうしよう。全力でやったら死人が出る。……そうだ、一番弱い魔法……「生活魔法」レベルの火を出そう)


 イメージするのは、ライターの火。あるいは、仏壇のロウソク。小さく、儚く、ポッと灯るだけの火。


 私はそっと指先を的に向けた。


「……灯れ」


 呟いた、その瞬間。


 ドッッッッゴオオオオオオオオオオオン!!!!


 視界が真っ白になった。耳をつんざく爆音。熱風が吹き荒れ、私のスカートが激しく捲れ上がる(きゃあっ!)。


 何が起きた!?恐る恐る目を開けると――。


 そこには、的(マト)はなかった。的があった場所の後ろの壁もなかった。さらにその後ろにあった森の木々が、一直線に消し炭になっていた。そして空には、巨大な火柱が昇竜のように渦巻いていた。


「…………」


 静寂。訓練場にいた全員が、口をあんぐりと開けて固まっていた。


(やっちゃった……)


 ライターの火をイメージしたはずが、なぜかナパーム弾になった。これがコーデリアの魔力……! 蛇口を捻ったらダムが決壊するようなものか!?


 終わった。これで私は「危険人物」としてマークされ、退学……いや、隔離施設行きか?


 私は脂汗をかきながら、言い訳を考えた。「手が滑りました」? 「くしゃみが出そうで」?いや、どれも無理がある。


 その時、静寂を破ったのは、教師の震える声だった。


「す……素晴らしい……!!」


「へ?」


「これぞ『紅蓮の極光』……! 詠唱破棄で、指先一つでこれほどの威力を出すとは……! しかも、周囲への被害を最小限に抑えるため、あえて威力を上空へ逃したのですね!? なんという高度な制御……!」


(逃がしてないです。暴発しただけです)


「さ、さすがはローゼンバーグ家……格が違う……」 「恐ろしい……私なら消し炭になっていた……」 「美しい……あの破壊の炎、まるで芸術だ……」


 生徒たちが、尊敬と畏怖の眼差しで私を見ている。違う、そうじゃない。


 そして、ルミアは。彼女は腰を抜かして座り込んでいたが、その目は今までで一番輝いていた。


「すごい……! すごいすごい! お姉さま、最強です! 私、一生ついていきます!!」


 しっぽブンブン丸だ。彼女の中での「お姉さま最強説」が、不動のものになってしまった。


 私は、引きつりそうになる頬を必死に抑え、クールに髪を払った。


「……少し、熱くなりすぎたかしら」


 キザすぎる! 穴があったら入りたい!でも、これが今の私にできる精一杯の「誤魔化し」だった。


 こうして、私の「目立たず生きる計画」は、完全に灰となった。校舎裏に消えた的のように。


 だが、この時の私はまだ気づいていなかった。私の放った魔法を見て、校舎の屋上から冷たい視線を送る、もう一人の人物がいることに。


「……見つけた。時空の歪みの特異点(イレギュラー)」


 風に揺れる金色の髪。生徒会長――そして、原作ゲームの「正ヒロイン」であるアリスが、不敵な笑みを浮かべていた。


「私の『愛しい人』……今度こそ、逃さないわよ?」


(続く)

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