二十話 戦場の魔眼
新市街から避難してくる人々を、ルティアはマリオンと手分けして誘導する。
ひとつの道からではなく、複数の道を使って迅速に案内することが必要だ。神殿の敷地内へ入る門はそれほど大きくはない。各方向から向かってくる人々がぶつからぬよう、彼らの先頭を走るルティアが、周囲を確認しながら案内していた。
神殿に到着した時点で本日何度目かの台詞を叫ぶ。
「お手洗いは敷地内にもあるけれど、数は多くないの! どうしても急いでいる人は、近くにわたしの家があるから申し出て! ……うん、資材はそこにいるウルフィーさんに言ってくれたら、保管場所まで案内してくれるよ。医療品は、レオニットさんの病院へ……」
この神殿は町でも高い位置にある。
門の前に立っていると、新市街とを
そして、さらにその奥から現れた存在にも気が付いた。
黒い鎧の前衛。赤いローブの後衛。町の防壁から向こうで展開した者たちが掲げる旗には、竜の紋章。竜の地の戦闘部隊が、土砂崩れの付近からゆっくりと現れはじめていた。
ちょうど、ほかの人を案内し終えたマリオンが、「うそ、でしょ……」とうろたえながら蛇の眼を見開く。
「もしかして
ルティアの知らない言葉だったが、門をくぐろうとした古株の職人がマリオンの声を耳にし、「ちくしょう!」と悪態をついては新市街のほうへ顔を向ける。
「五十年前にも、この町を襲った帝国の主力部隊だ! くそっ、おれの足が悪くなけりゃ、親父の
彼はそのまま、孫らしき男性に手を貸してもらいながら神殿へと避難する。
今の二人でちょうど避難が完了した。いま町に出ているのはカーシュ率いる防衛軍の小隊と、志願した魔道具職人が数十名。自分たち。そして。
「……ルティア、マリオン」
神殿の門へゆっくりと歩いてくる、治療が済んだイオだ。コスローほどではないが、彼女もわずかながら怪我を負っていた。
ルティアとマリオンは猫の少女を迎える。「無事に戻ってきてくれて、本当によかった」というルティアの言葉に、猫の眼に涙が溜まっていく。
イオが「あたしのせいで、コスローくんが……!」と顔を伏せるも、「あんたのおかげで彼は役目を果たした」とマリオンが励ましながらつづける。
「町が完全に閉じ込められることもなくなった。やつらも焦っているはず。なにが起きるかわからない現状、優秀なあんたにはもっと働いてもらう必要がある。できるよね?」
ルティアも同意の頷きを見せると、イオは涙を拭きつつ「うん。あたしにできること、彼みたいに全力で……」と、強い意思を瞳に戻した。
これでいい。イオはしっかりと歩けている。彼女を連れて神殿へ避難しよう、そう考えたときだ。
「われわれの、親愛なる隣人たちよ」
空から聞き覚えのない、男性の大きな声が響いてくる。
とても遠いところから聞こえるはずなのに、まるですぐそこの壇上から発されたように、はっきりと聞こえる。なにかしらの魔道具を使用して届けられたものだろう。
声は、さらに続く。
「お騒がせして申し訳ない。われわれは偉大なる帝国が六竜部隊のひとつ、
声の感じは、おそらく自分たちよりもふたまわりほど年上だろうと、ルティアは推測する。
空からの声に動揺していると、イオが「六竜、部隊?」と疑問を
プライデルという者の声が響きわたる。
「決まり文句だが、慈悲深き皇帝が定めた規則であるため伝えよう。無駄な抵抗などせず、おとなしく開門するならば命の保証を約束する。すでに見た通り、ふもとへの道は崖の崩落によって断たれている。救援は来ない。賢明なるフィルダーレンの民たちと、彼らの命を守る誇り高き
マリオンが鼻で
ルティアも頷く。「イオとコスローくん、大活躍だね」
照れ笑いを浮かべるイオが、マリオンに顔を向けた。
「ねえ、マリオン。六竜部隊って、どの程度のやつらなの? カーシュさんたちが相手にしても、問題ないかな」
マリオンは、先ほどの笑みを消しては眉をひそめ、「……正直いえば、かなりつらい戦いになると思う」と、顔を伏せて説明しはじめる。
六竜部隊。
皇帝に絶対の忠誠を誓い、かの者のためであればありとあらゆる手段を使い、慈悲も
魔眼狩りとは、いわば六竜部隊の人員を増やすための下部組織である。反抗的な覚醒魔眼の所有者を捕え、その二つの眼球を優秀な軍人に一つずつ移植することで、有力な手駒を増やしていくのだ。
「そういえば」ルティアは、思い出した。「マリオンがあの果物、リメディを竜の残り火だって驚いたときにも言ってたよね。六竜部隊って」
「そうよ。あいつらが保有する古代魔道具、『呪いを
──この私が見間違えるはずがない。
彼女がリメディを竜の果実と思い込んだとき、たしかにそう言った。
あの言葉の意味と重さを、ルティアは悲しい思いで理解する。
「……カーシュさんたち、迎撃の準備をはじめたね」イオが腕をあげて指を差した。
新市街の外壁の上に、カーシュたちの小隊が弓や銃を装備して整列しはじめた。
あれらは職人町フィルダーレンが誇る魔道具だ。その威力と精度は折り紙付きである。予備も準備しているはずなので、防衛作戦に不備はない。ルティアはそのように自分を励ます。
「なるほど。それが答えと受け取ってよろしいか?」空から落とされるプライデルの声には、わずかな
声は
しかし、きっと大丈夫なはずだ。すでに彼らの作戦は二度も阻止している。ヘルヴェグルの鐘をマリオンから教わったことで、山の魔物による陽動は避けることができた。イオとコスローのおかげで街道はなんとか通行することができる。
現在の状況は時間を稼いで、イシドルス辺境伯の救援を待つのみであり、そのための魔道具もフィルダーレンにはたっぷりとあるのだ。
なにより、あのカーシュがいる。ルティアは心を強くもつことができた。
「イオ、マリオン。みんなを信じて、このままわたしたちは神で……ん……へ……」
覚醒した魔眼というものを、ルティアは知っているつもりであった。
ヒトや獣人の多くが扱える基礎魔術より、世界の仕組みに干渉することができる、視る力。
ときどき目にするマリオンのラサルハグのように、覚醒した魔眼の術式は多くの場合、魔道具の熟練者に
絶句するイオとマリオンの横で、ルティアの口は。
「これが、覚醒魔眼」
呆然としたつぶやきを、こぼすことしかできなかった。
町を守る防壁の一角を吹き飛ばす、地中から突き出る鋼鉄の巨大な刃。
いくつもの火球が宙に浮かんだかと思えば、残光を描いて新市街へと降り注ぐ。
防壁の上から次から次へと隊員を吹き飛ばす、踊るように動く風の塊。
反撃として力強く放たれた矢と魔力の閃光は、しかし薄く、広く、どこか美しい水の膜によって防がれる。
ルティアは生まれて初めて、覚醒した魔眼による戦争を目にした。
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