招待状③

「ただいま」


 玄関を開けて、そのままリビングに行くと、そこには柚の妹、百合ゆりがいた。


「お姉ちゃん、おかえりー」


 ソファーに寝そべっていた百合は、首だけを動かして柚のことを見た。そして、不思議そうな顔をした。


「どうしたの? すごい疲れた顔してるし、それに何その封筒。学校でなんかもらったの?」


 その様子だと、あの男の人は百合とは会っていないようだ。少し安心しながら、柚は大きくため息を吐いた。


「何かね、さっき家の前に変な男の人がいて、その人にこれを渡されたんだよ」

「え、何それ、怖」


 百合がうえー、と顔をしかめて起き上がった。


「ここまで来るのなんて、よっぽど慣れてる人じゃないと無理だよ。ってことは何回も来てるってこと? もしかしてストーカーとか? お姉ちゃん、何もされなかった?」

「うん、それは大丈夫だけど……」


 答えながら、柚は謎に距離を詰められたことを思い出す。身体に触れられることもなかったから、何もされなかった、ということでいいのだろう。


 柚は、百合の隣に座ると、ソファーの前に置いてある小さな机の上に封筒を置いた。


「何かね、五科工業からの招待状だって」

「え、それって、あの社長さんが若くてイケメンな会社だよね。めっちゃ有名なとこ」

「そうなの?」


 尋ねると、百合は大真面目な顔で頷いた。


「そうだよ。ほら、何年か前に新しく社長になって、ニュースに出てたじゃん。マジでイケメン」


 へえ、と柚は答える。面食いな百合が言うのだ、多分イケメンだろう。


「ねえねえ、招待状ってどういうこと? 開けてみてよ」


 百合が身を乗り出してきた。それに促されて、柚は丁寧に封筒の封を開けた。糊がメキメキと剥がれる音がした。


 二人で封筒の中を覗いてみる。中には、折り目の付いていない二枚の紙が入っていた。柚はまず、紙の一枚目の方を取り出した。


「えーと、なになに」



『白葉柚 様

 拝啓 時下ますますご清栄のこととお慶び申し上げます。

 さて、このたび、弊社で新たに開始します『特別プロジェクト』の調査対象として、厳正なる抽選の結果、あなた様が選ばれました。

 詳細につきましては、後日、本社ビルにて開催する説明会にてお知らせします。


 日程 四月一日 午前十時から 

 場所 本社ビル二十階 第一会議室

 お越しくださいましたら、本社一階のロビーにてお申し付けください。


 なお、服装は制服、当日は、身分を証明できるものと、この書類を持参してください。また、腕時計をお持ちの方は、それを持参してください。指定場所には、参加者様お一人でお越しください。

 不都合や不明な点がございましたら、下記の電話番号からご連絡ください。


 大まかな内容

 研究の調査対象として、研究のためのデータを提供していただきます。

 また、任意の非正規雇用として、簡単な事務仕事や清掃作業などもお願いします。

 本社での仕事となるので、離れたところにお住みの方には特別な寮を提供します。

 調査協力の報酬に五百万円、また、事務仕事の分は、それとは別に給料として時給千五十円を――』



「……」


 文字が何かの呪文のように見える。何だろう、これは。


 手紙を持つ手が震えている。落ち着け、取りあえず落ち着くんだ。さあ、ゆっくり息を吐いて、吸って――。



「えええええええええええええええええええええっっっっ」



 そう叫ぶと、柚と百合は顔を見合わせた。


「何これ何これ何これ何かすごいものが来たんですけどぉっっ」

「ヤバいヤバいヤバいこれ結構ガチな金額なんですけどぉっっ」


「え、待って待ってこれ普通にお兄ちゃんのバイトの稼ぎ余裕で越えちゃってるよね。こんな貧乏生活とサヨナラできるよね」

「そうだよそうだよ電気止められることだって庭に生えてる得体のしれない草食べないといけないことだって無くなるんだよそうなんだよ」


 きゃああああああああああああああっ

 二人の叫び声が共鳴する。こんなに叫んだのは人生で初めてだ。



「二人とも、何があったの?」


 急に後ろから声が聞こえた。振り向くと、大学から帰ってきた柚の兄、蓮人れんとが立っていた。


「二人の声、家の外にいてもはっきり聞こえるくらい――」

「お兄ちゃあああああああああああああん」


 蓮人の声を遮って、柚と百合は絶叫した。勢いよく立ち上がると、驚いた顔の蓮人に突進して、目の前に手紙を突き付けた。


「お兄ちゃん、これ見てよ。何か、五科工業から手紙来て、研究に協力したらお金もらえるって言ってるんだけど」

「ちょ、落ち着いて」


 近すぎるって、と苦笑いしながら、蓮人は一歩後ろに下がった。


「急にどうしたの? というか、大体、そんな変な話があるわけ――」


 書面に目を通し始めた蓮人の声が途切れる。その目が次第に揺れ始める。


「……」

「……」

「……こ」


 蓮人が手紙を凝視しながら言った。


「こぉれは、きっと詐欺だよぉ」


 声めちゃくちゃ震えてますけど。


「だって五科工業だよ!? ちょ、柚、何か応募とかしたの? 厳正なる抽選って」

「何もしてないよ! 文字通り『厳正なる抽選』なんでしょ。ねえ、すごくない?」

「すごいよ。もし本当なら、このお金があれば、僕たちの生活にもっと余裕ができるし、みんなの学費の不安も減らせるかも……」


「お兄ちゃん!」

 柚はお兄ちゃんの目を力強く見上げた。


「私がこれを受けたら、この家の家計を支えられるよ。お兄ちゃんの仕事もきっと減らせるよ」

「柚……」

「ねえ、こんなにもらえるんだよ。せっかくのチャンスだよ。イケメン社長と会えるんだよ」

「いや、でもこれは……」


 蓮人は横目で手紙を見ながら、苦い顔をした。


「多分、ヤバいやつだから」


「分かんないじゃん。だってあの五科工業なんだよ。ゆりだったら絶対行きたいよ」


 百合が力強く蓮人を見つめる。その視線から、蓮人はすうっと目を逸らした。


「いや、名前だけだったら何とでもいえるよ。全く関係ない犯罪集団が、大企業の名を騙っているのかもしれないし」


 うーん、と唸りながら、蓮人は柚に目を向けた。


「これ、普通にポストに入ってたの?」

「ううん。スーツの男の人が、一人で家の前まで届けに来たんだ」

「え?」


 蓮人の顔が一瞬で険しくなる。


「知ってる人?」

「ううん、知らない人」

「そうか……」


 蓮人は長めの袖に隠れた手を顎に当てて、難しい顔をした。


「その人、どんな感じだった?」

「えっと」


 柚はあの冷たい目と寒気を思い出しながら言った。


「不思議な雰囲気の人だったよ。私の名前も知ってて、それに、行かないと後悔する、みたいなこと言ってた。忠告だって」


 その答えに、蓮人と百合は顔を強張らせた。お互いに、顔を見合わせる。


「それは、少しまずいかもしれないね。ここまで来たことも気になるし」

「やっぱり、そうだよね……」


 柚の頭の中で、今日学校で聞いたニュースの音声が再生される。最近立て続けにこの市で起こっている、魔法使い絡みの事件。咲の言葉が、ペカペカと赤く点滅している。


 もしかして、もしかすると。


「じゃあ、もし行かなかったらヤバいことになるってこと?」


 百合が微かに震えた声で言った。それに、蓮人が軽く頷く。


「でも、逆に行ったとしても危険なことになるかもしれない。参加者一人で来るように、っていうのも気になるし、研究、っていうのも、内容が明示されていない辺り、少し怪しいし……」


 確実に、危ないことに巻き込まれようとしている。柚たちは、さっきまでの熱気を忘れて黙り込んだ。



「あ、あの」


 その時、ちょうど一番下の弟、柊人しゅうとが部屋に入ってきた。おそらく、二階の自室から出てきたのだろう。騒いでいたはずの兄姉たちが今度は緊張した空気の中にいるのを見て、居心地が悪そうに立ち止まる。


「えっと、何かあった、の?」

「……ああ、柊人」


 柚は重い足を動かして柊人に近寄った。そして、蓮人に見せたときと同じように、その時ほどの勢いはないけれど突き出した。


「こんなものが送られてきたんだけど、これは、本物なのかな。ヤバいやつなのかな。何か分かったりする?」


 柊人は、着けていたヘッドホンを外すと、躊躇いながらもそれを受け取り、紙面を眺めた。そして、しばらく見つめた後、その表情を変えないまま、軽く頬を掻いた。


「いや、特に何も……」

「そっか」

「あ、でも、この住所と電話番号を調べてみたら、本当かどうか分かるんじゃない、かな」


 そう言いながら、柊人は部屋の隅にある、古いパソコンを起動した。ヴ―ンとパソコンが唸る。


 しばらくすると、柊人の操作により、検索画面が表示された。柊人は、検索ボックスに『五科工業』と打ち込んだ。それを柚たちは横から覗き込んだ。


 五科工業のホームページが映し出される。それに記載されている住所と電話番号を、書類のものと比較してみた。


「同じ、みたいだね」


 蓮人の言葉に、柚たちも頷いた。両方とも、ホームページにあるものと全く同じだ。


 柚は柊人から手紙をもらって、それから蓮人を振り返る。


「どうかな」

「まあ」


 蓮人が小さく息を吐いていった。


「違う情報が書かれているわけじゃないなら、取りあえずは大丈夫なのかな。指定された集合場所も五科工業の本社なら、犯罪者が仕組んだことだっていう可能性は低い。柚が聞いた言葉の意味も気になるし、不安だけど、取りあえず行ってみてもいいかもしれないね」


「そう、だね」

 柚は小さく頷いた。そして、大きく深呼吸する。


 もしも、危険なことだったら。


 頭の中の点滅は、まだ消えない。正直、怖かった。ここで素直に指定場所に行くのは、向こうの思うつぼなのかもしれない。


 けれど、何もしないまま家族が危険な目に遭うのは避けたかった。それに、もしもこの話が本当で、この金額がもらえるのだったら、あの男の人が言っていた通り、家計の大きな助けになるだろう。


「分かった」


 柚は顔を上げると、にっこりと笑った。


「行ってみるよ。いい話なのは本当だし。もしここに書いてある通りだったら、きっと生活が楽になるよ」


 柚の言葉に、三人は頷いた。


「でも、もし本当に危険なことに巻き込まれそうだったら、すぐに僕に言うんだよ。いくら相手が大企業でも、安全だって保障はどこにもないから」


 蓮人が少し身をかがめて、柚の目を正面から見つめて言った。


「分かってる。ありがとう」

 柚は少し微笑むと、素直に頷いた。



「参加するかどうかは、この紙に書くみたいだね。封筒に入れて送り返すんだって」


 いつの間にかソファーの前に移動していた百合が、封筒の中に入っていたもう一枚の紙を取り出して見せた。そこには、参加、不参加、の文字のどちらかに丸を打つように書かれていた。その下には、名前を書く場所も用意されていた。


「よし。じゃあ、行ってみますか」


 柚は覚悟を決めると、近くに置いてあったボールペンを手に取って、『参加』に丸を付けた。

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