第15話
十八
翌日、椿、泉、佐々木の三人は生徒指導室に呼び出されていた。どういう風の吹き回しか、この日は泉が学校に来ていたのだ。否、彼女はこうなることを見越して、学校にやってきていたのだ。三人の前には小川の他にもう一人、別の教師が座っていた。確か、隣のクラスの担任教師だった筈だ。名前は覚えていない。初めに口を開いたのは、隣の担任であった。
「なぜ、呼び出されたかは分っているな」
「分りません!」
「さー、不登校だったからっすかね」
教師の問いに大して、泉と佐々木がまるで相手を挑発するように答えた。
「なんだ、その態度は! 貴様等、自分が何をしたのか分かっているのか‼」
「だーかーらー、わかんねーって言ってるじゃないすかー」
「っち、このガキども!」
教師は憤慨し、机を勢い良く叩く。
「落ち着いてください、斎藤先生」
それを横にいた小川が宥める。それから小川は椿に向き直る。
「高坂、お前は分かっているよな」
「はい。隣の組の生徒の頭にコーヒーとコーラを掛けました。迷惑を掛けてしまったお店には、悪いことをしてしまったと思い、反省しています」
殊勝な言葉を述べているように見えて、それはあくまで店に対する謝罪であった。
「……そうか。今朝、職員室に隣のクラスの田中と谷口、樋口がやってきた。どうやら、彼女等が言っていたことは本当のことのようだったな」
「はい。私がやりました。間違いありません」
「何故そんなことをした」
「言いたくありません」
「君、そんな子供じみた言い分が通じると思っているのか!」
斎藤と呼ばれた教師が、椿に食って掛かった。
「落ち着きなよ、斎藤先生。怒ると禿げるよ」
「佐々木は黙ってろ! 第一、お前は日頃から教師に対する敬意という者が足りんのだ‼」
「二人とも静かにしてください」
小川が努めて冷静に振舞う。
「高坂、それは何か人に言えない理由がある思っていいのか」
「……」
「……高坂、お前が何も事情を言わなければ、学校側はお前達が一方的に悪かったと判断しなくてはならなくなる。何か言い分があるのなら、言いなさい」
「悪いのは私だけです。他の二人は何もしていません」
「今回の事は生徒間の諍いだけではすまない。もし、このままことが進めば、PTAにも話がいくだろう。そうなれば、お前の保護者であるお爺さんにまで迷惑がかかるかもしれない。本当にお前はそれでいいのか?」
その言葉を聴いて椿は、背筋に冷たいものが走るのを感じた。今の彼女にとって、最も恐れている事は、祖父に迷惑を掛けることである。しかし、同時に彼女は考える。学校側が泉の事情をどこまで認知しているか分からない以上、それを軽々しく他人が口に出していい事ではない。それは泉に対する裏切りだ。椿が膝の上に置いた手を固く握り込み、俯いていると横からこんな声が聞こえてきた。
「教師ってのは楽な仕事っすねー。普段は生徒のことなんか見て見ぬふりする癖に、相談があった時だけ、正義の味方面出来るんだから」
それは泉の声であった。
「なんだと、早瀬!」
「なんすか。その通りでしょ、斎藤先生」
「どういう意味だ!」
「そのままの意味ですよ。さっき佐々木に対して、教師に対する敬意がどうとか言ってましたけど、私は一度だって、あんたを尊敬したことなんかありませんよ」
「さっきから何が言いたいんだお前は!」
「だからさー……あんた、気付いてたでしょ。私のこと」
「……っぐ! そ、それが今回の件と何の関係があるというんだ‼」
話を逸らそうとしているようだが、それはもはや白状しているのと同じであった。
「ああ、でも一部の生徒……好かれているかもしれませんねー。規律、規律、規律、それさえ乱さなければ、何をしても見逃してくれる激アマ教師ですもんね。それこそ、田中みたいな連中には好かれてると思いますよ。」
斎藤が激高して立ち上がる。
「早瀬! お前という奴は‼ 小川先生、こんな奴等のいう事を聴く必要なんかない‼ 即刻……!」
「斎藤先生!」
小川が一喝が斎藤の声を阻む。
「少し、静かにしてください。早瀬、お前はこの件について、何か知っているのか」
「ええ、勿論」
早瀬は余裕綽々といった表情で頷いた。
「なら、話してくれないか」
しかし泉は答えない。代わりに
「お前が二学期から学校にあまり来ていないことは、俺も知っている。君にそれまで熱心に部活に打ち込んでいたこともだ。ただ隣のクラスのことというのもあり、君に何があったのかまでは、俺も詳しくは知らない。もしも、学校側に落ち度があったというのなら、その件については俺も謝罪しよう。しかし、今回の件はやりすぎだ。事情を知らなければ、学校側も庇い立ては出来ん」
そこまで聞いたところで、泉は大きくため息を吐いた。
「分りましたよ。夏休みの前、田中からコクられたんですよ」
予想外の言葉に小川は驚いた様子を一瞬見せたが、直ぐに取り繕った。
「それで?」
「普通に断りましたよ。私、女に興味ありませんし」
「そ、そうか」
「ただまあ、それからですかね。教室の机やロッカーにゴミを入れられたり、一部のクラスメイトから無視されたり、距離取られるようになったのは。陸上部の友達にまで、変なこと吹き込まれたりもしましたね」
「……なるほど。早瀬の言い分が確かなら、田中達の相談をまるっきり信用は出来ないな」
「ま、証拠なんてありませんからね。信じらんないのなら、信じないでいいですよ」
「だが、分からないことがある」
「なんすか」
「お前の問題は分かったが、それにどうして、転校生の高坂が関わってくる野かという点だ」
「ああ、休日に立ち寄ったゲーセンで知り合いました。それからまあ、意気投合して、ちょくちょく遊ぶようになったんですよ」
本当は普通に平日の放課後であったが、椿も余計な事を言う気はなかった。
「それでお前が絡まれているところに遭遇し、つい助けに入った結果、やり過ぎてしまった。そういったところか、高坂」
「は、はい」
急に話を振られて椿は思わず声が上ずってしまった。
「……なるほど、よくわかった」
「お、小川先生、こんな奴等の言い分を信じるんですか?」
「斎藤先生、教師は生徒に対して、公平に接するべきです。どちらか一方の意見に肩入れするわけにはいきません」
「で、ですが」
まだ何か言いたげな斎藤を無視して、小川が椿達に向き直る。
「一先ず、田中達にもう一度事情を訊いてみる。それからクラスへの聞き込みもしよう。その結果次第でお前達の処分も変わってくるだろう。それが終るまで、三人はここで自習をしていなさい」
「まあ、期待しないで待ってますよ」
「私は期待してるよ小川先生!」
「はい、分りました」
やがて教師達は生徒指導室を後にして、室内には生徒三人のみが取り残された。
「あー、やっちまったな」
「斎藤先生、顔真っ赤だったからねー」
「……二人とも、肝が座りすぎ」
「あんたも中々のポーカーフェイスだったけどね」
「私は緊張で顔面の筋肉が固まっていただけだよ」
椿は安堵のためか、溜息を漏らして背もたれに身体を預けた。しかし、彼女は直ぐに顔を強張らせ、二人の方へと向き直った。
「二人とも、ごめん」
「え、何が?」
佐々木がきょとんとした顔で言った。
「私があんなことしなければ、大ごとにはならなかった」
こんな大事になっってしまったのは、偏に椿の自制心の無さが原因である。
「だから、巻き込んじゃって、ごめん」
そう言い、椿が頭を下げると、泉の呆れたような溜息が聴こえてきた。
「バーカ、そんなことで一々謝んないで良いよ」
でも、と椿が顔を上げて何かを言おうとしたが、泉はそれを無視して言葉を続ける。
「そもそも、あの場であんたが何もせずとも、私の腕力じゃあ、この珍獣を何時までも押さえてられなかっただろうし、ああなるのも時間の問題だったよ」
「そうだよ、椿ちゃん。早瀬さんはこう見えて非力だからね」
「お前はいらんこと言わんでいい」
そう言い、泉は後ろから佐々木の両頬をつねり上げる。
「いだいいだい!」
「大体にしてな。この馬鹿の所為で、私が今まで何回生徒指導室に呼び出されてると思ってんだよ」
「えっ」
「こいつが何かやらかす度に、一緒にいた私まで先公に呼び出されるのは、小学生の頃からのお決まりみたいなものなんだよ」
「……それは何というか、ご愁傷様」
「全くだよ。だからまあ、こういうのには慣れてんだよ。だから、あんたも気にしなくてもいいよ」そう言い、佐々木の頬から手を離した後、泉は「それに」と付け足し、
「あの時、私も結構スカッとしたからさ」そう言い、屈託なく笑って見せた。
椿が何と返すか迷っていると、佐々木が口を開いた。
「ところで自習しろって言われたけど、私バッグ教室に置きっぱなんだよね」
「あ、私もだ」
「私も」
そんな会話をしていると、小川が椿達のバッグを持って、生徒指導室に戻ってきてくれた。何故か、隣のクラスの泉の分まで持ってきていたが、恐らく斎藤に押し付けられたのだろう。
昼休みになり、再び小川が生徒指導室にやってきた。彼が説明するところによると、田中達が泉に対して、嫌がらせを繰り返していたことの裏がとれたらしい。それは主に、陸上部や泉の友人達からの証言であったらしいが、証言をした人間の中には、桂木という女子生徒がいたのは、きっと偶然ではないのだろう。また、学校側から事件のあった店に問い合わせを行ったところ、たまたま椿達が言い争っている様子を最初から見ていた店員がおり、当時の様子を詳細に語ってくれたという。
そのことから、今回の椿達の行動は重々酌量の余地があると判断され、学校側からは田中達に厳重注意が言い渡された。しかし、流石に店先で相手に飲み物を掛けた事までは庇えないようで、椿達は三日間の謹慎が下った。謹慎の内容は自宅謹慎ではなく、他の生徒達と隔離され、生徒指導室での自首学習を受けるという内容のものであった。
またこの一件は各自の保護者達にも通達が行くこととなった。椿にとってはこれが一番堪えたが、自分のしでかしたことを思えば、妥当な判断だと思い、文句は言えなかった。
その後彼女達は、他の生徒達よりも少し早く下校をすることとなった。小川に連れられ、生徒指導室を出ると、各自の保護者達が、職員室の前で何やら何やら話し込んでいるのが見えた。その中には、当然だが匠吾の姿もあった。匠吾は椿達に気付くとこちらに近寄ってきた。
椿は何か言われるかと身構えたが、匠吾は彼女を見ていなかった。
「小川先生、今回は椿がご迷惑をお掛けして申し訳ありませんでした」
彼は小川の前に立つと、深深く頭を下げた。
「いえ、今回の件は学校側にも問題がありました。どうかお顔を上げてください」
それから二人で何事か話した後、匠吾はようやく椿の方へと視線を向けた。
「帰るぞ」ただ一言、匠吾はそう言った。
「はい」
椿が答えると、匠吾は他の保護者達に向き直り、「それでは」と一礼して、歩き始めた。
小川に対する態度と比べると、ややあっさりとした印象を受けたが、椿達が来るまでの間に、既に話は済ませていたのだろう。
それから校舎を出るまで、二人の間には沈黙が続いていた。
「駐車場の方に車を止めてある。自転車を取ってきなさい」
「はい」
沈黙が破られたと思えば、二人の間で交わされた言葉は、そんな事務的な会話だけであった。椿は言われた通り、駐輪場から自転車を取ってきて、それを匠吾の車に積んだ。
椿が車に乗り込んだ後、匠吾は車を発進させた。やはり車内に会話はなく、ただ車の走行音だけが響く。しかし何か言わねばと思い、椿は意を決して口を開いた。
「……あ、あのっ」
「なんだ?」
匠吾が感情の読めない声で問い返す。
「……迷惑を掛けて、ごめんなさい」椿が俯いたまま、絞り出すように声を発する。
暫くの間、沈黙が続いた。時間にしてみれば、数秒の事であっただろう。しかし椿には、その時間が途方もなく長い時間に感じられた。
「今回何があったのか、どんな事情があったのかは、学校側から聴いている」匠吾がようやく口を開いた。「お前は間違いを犯した」
「……はい」
その通りだ。椿は今回の件で沢山の人に迷惑を掛けた。椿にもっと自制心があれば、あの場をもっと丸く収めることだってできただろう。それを彼女は一時の感情に身を委ね、事態を悪化させたのだ。それを間違いと呼ばずに何と言えようか。
「だが、本当に大切なことは結果じゃない」
「え?」
「人はどんな生き方をしていようと、どこかで過ちを侵す生き物だ。だからこそ、大切なのは間違いを犯さない事ではなく、正しく在ろうとする意思だ。お前は確かに間違いを犯した。しかし、それが正しくあろうとした結果の間違いだというのなら、俺にそれを攻めることは出来ない。お前は何故、こんなことをしたんだ?」
「……友達が傷付いてるのを、見たくなかったから……です」
「その感情が間違っていると、お前は思うか?」
「……思いません」
「友達を助ける事は間違った行いか?」
「……正しい、ことだと、そう思う、思います」
「なら、後悔するな」
「……はい」
「ただし、今回はやり過ぎだ。反省はしなさい。正しい事を成したいのなら、手段を間違えてはいけない」
「わかりました」
祖父の言葉は決して厳しいものではなかった。ずっと怒られると思い込んでいた椿からすれば、むしろ優しすぎる言葉であった。しかしその優しい言葉が、この日聴いたどんな言葉よりも、椿に最も深く刺さった言葉であった。
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