第13話 静かすぎる谷には声が潜む
悲鳴が聞こえない戦場ほど、静かな場所はない。
――そして、多分いちばんうるさいのは、俺の心臓の音だ。
◇◆◇
「ここから先が、局所危険区間の入り口だ」
まだ朝だというのに、谷間は薄暗かった。
両側を挟む岩壁と鬱蒼とした樹々が、陽の光を細く切り刻んでいる。
地面は踏み固められた街道。
それなのに、なんとなく“人の気配”が薄い。
(……前に来たときと、空気が違う)
あの時は、叫び声と血の匂いと焦りでいっぱいだった。
今は、ただ静かで、冷たい。
「隊列確認」
リシェルが短く声を飛ばす。
「前衛、グラッドとマリナ先頭、ヤンは半歩後ろでフォロー。
中衛にクラウス様とカイム、それから啓太。
後衛にエルド、ルカ、ティア。ライナーはクラウス様の近く」
「了解」
「任された」
返事は短く、無駄がない。
昨夜の焚き火の“本音共有会”のおかげか、隊の縁は悪くない状態で繋がっている。
――それでも、谷に足を踏み入れた瞬間、全員の線がぴんと張り詰めた。
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根回し:現場観察モード
対象:周辺の縁
注意:危険区間では、“切れた縁”“異常な集中”に要警戒
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(切れた縁、ね……)
意識を少しだけ前方に伸ばす。
街道を行き交う人々の縁は、普通は街へ、家族へ、仕事へと続いている。
けれど――この谷には、“どこにも繋がっていない線”がちらほらと浮いていた。
ぽつり、ぽつりと、岩陰や木の上に、小さな“孤立した気配”が引っかかる。
(いるな)
口の中が乾く。
「啓太?」
小声でリシェルが尋ねる。
「どう?」
「……谷の両側。木の上と岩の影に、いくつか“浮いた線”がある」
「“どこにも繋がってない”やつ?」
「うん。街とも家とも繋がってない。……“ここで終わる覚悟の線”だ」
その言い方に、リシェルがほんの少しだけ顔をしかめた。
「厄介ね。
じゃあ、合図通りに行くわよ」
小さく手を挙げて、前衛に合図を送る。
「前の三人、“何もないふりして歩いて”。
ティア、風の精霊にお願いしときなさい。
“空気が乱れたら教えて”って」
「う、うん」
ティアがそっと目を閉じ、小さく呟きを始める。
クラウスが横目でそれを見て、また前を向いた。
彼の縁も、いつもより少しだけ鋭敏になっている。
◇◆◇
数分ほど歩いた頃だった。
ひゅ、と、かすかな音がした。
空気を裂く、細い線の音。
「――来る!」
ティアの声と同時に、風が巻き上がった。
次の瞬間、頭上から雨のように降り注いだ矢が、目に見えない壁に弾かれて散らばる。
「右上! 木の上!」
ヤンが槍で一本の矢を叩き落としながら叫ぶ。
マリナが前に出て、大盾を構えた。
がん、と硬い音がして、矢が弾かれる。
「ちっ、やっぱり歓迎してくれるわね!」
グラッドが剣を抜き、怒鳴る。
岩陰や木陰から、ずるり、と影が動いた。
粗末な革鎧と、ところどころ錆びた武器。
だが、その動きはバラバラではない。
まるで合図を合わせたかのように、一斉に包囲を狭めてくる。
「野盗、十五……いや二十?」
ヤンが素早く数を数える。
「後衛狙いもいる!」
エルドが杖を構え、守りの障壁を張る。
矢の雨が一度止み、代わりに突撃してくる足音が増えた。
谷の両側から、挟み込むように。
(完全に“待ってた”動きだな。俺たちがここを通るの、知ってたみたいに)
縁の線を見る。
野盗たちの線はお互いに薄く繋がっているが、その先は、谷のもっと奥――見えない方向へと伸びていた。
(“向こう側”に、指示を出してる奴がいる)
「リシェル!」
「分かってる!」
リシェルが矢をつがえ、素早く狙いを定める。
狙うのは突撃してくる連中ではなく、そのさらに後ろ――指示を飛ばしているらしき男。
だが、その肩には、見慣れた“形”があった。
(……あの紋章)
穂と剣を組み合わせた意匠。
ただし、粗雑で、どこか歪んでいる。
私兵部隊のマントで見た印を、真似て作ったような紋。
(やっぱり、“繋がってる”か)
「啓太!」
近くで鋭い声が飛んだ。
振り向くと、カイムが短剣を構え、クラウスの前に立っていた。
「右から来る!」
岩陰から、素早い影が二つ飛び出す。
狙いは、クラウスと――多分、俺。
「下がれ!」
思わず叫ぶ。
でも、その前に動いたのはクラウスだった。
彼は一歩前に出て、腰の剣を抜く。
動きは無駄がなく、研ぎ澄まされている。
金属が擦れる音とともに、飛び込んできた刃がそらされ、逆に相手の懐に滑り込む。
短く、致命ではないが動きを止める一撃。
「ライナー」
「はい!」
書記役の男が、素早くその腕を取り、地面に押さえ込む。
別の影はカイムが受け止め、あわや斬撃が通りそうになったところを、ティアの風が軌道をずらす。
「っぶね!」
「感謝は後で!」
戦場は一気にごちゃごちゃになった。
前衛は正面から突撃を受け止め、後衛は守りと援護魔法。
その真ん中で、クラウスは冷静に剣を捌いている。
(今、俺ができることは――)
“戦う”ことじゃない。
俺は剣を振ったってグラッドにはなれないし、回復魔法だって扱えない。
俺にあるのは、“全体を見る目”と、“縁の線”だ。
「全員、聞こえる!?」
叫びながら、縁に意識を伸ばす。
「奴ら、正面と右から本命ぶつけてきてる! 左側は牽制だけだ!」
谷の左側にいる野盗たちの線は、明らかに薄い。
動きも少ない。
本気で突っ込む気がない、“押さえ”だ。
「ヤン、少し左にずれて前衛フォロー! 右の厚みを削って!」
「了解!」
「ティア、右側に局所的な突風! 相手の足止め優先!
エルド、後衛の守りを厚く! ルカは“転倒した奴”を優先的に縛って!」
一つ一つ指示を飛ばすたびに、縁の線が少しずつ整っていく。
バラバラだった動きが、一本の流れになっていく感覚。
「グラッド!」
「分かってる!」
彼は大剣を大きく振りかぶり、右側の突撃隊の先頭をまとめて吹き飛ばした。
その隙に、ヤンが左から回り込み、盾役のマリナが押し込む。
「……なるほどな」
隣でクラウスが小さく呟く。
「君の“根回し”、戦場でも使えるのか」
「もともと、会議室も戦場も、似たようなもんですから」
「それは本部への侮辱と取っておこう」
「本心ですけどね!」
軽口を叩いている余裕なんて、本当はない。
でも、言葉のやり取りをしていると、妙に冷静になれる。
(問題は――あの“指揮役”だ)
後方から指示を飛ばしていた男の縁は、他の野盗たちより少し太い。
その線は、更に谷の奥へと伸びている。
(ここで逃がしたら、また同じことの繰り返しかもしれない)
「リシェル!」
「何よ!」
「あの指揮役っぽい奴――」
言いかけたところで、別の線がぐっと変化した。
――エルド。
彼の縁が、一瞬だけ黒く濁る。
次の瞬間、短い悲鳴が聞こえた。
「エルド!」
振り向くと、エルドの脇腹に浅くない傷が走っていた。
障壁を破って飛び込んだ一人に、カウンターで一撃を食らわせた代償だ。
「大丈夫か!?」
「……っ、まだ、いける……!」
歯を食いしばりながら、彼は回復の光を自分に向ける。
(選ばなきゃいけない)
指揮役を追うか。
今ここで隊をまとめて、“全員生き残る”方に全振りするか。
頭の中に、昨夜の焚き火の光景がよみがえる。
ルカの震える声。
カイムの苛立つような本音。
クラウスの後悔。
そして、自分で決めた、たった一つの優先順位。
「――リシェル、指揮役は追わなくていい!」
「はあ!? 今なら落とせるかもしれないのよ!」
「かもしれない、じゃダメだ!」
喉が焼けるほどの声で叫ぶ。
「今、追って隊列崩したら、後衛が持たない!
“全員生きて帰る”のが最優先だって、さっき言っただろ!」
リシェルの縁が、苛立ちと葛藤でぐしゃぐしゃに揺れる。
でも、それでも彼女は矢を向ける方向を変えた。
「――クソっ、分かったわよ!」
矢が放たれ、指揮役の手前で突っ込んでくる野盗の脚を射抜く。
前線の圧力を少しでも削ぐために。
「グラッド! 押し込みすぎるな! 前に出た奴から順に崩せ!」
「ちまちまやるのは性に合わねえが……しゃあねえ!」
時間を稼ぐ戦いに切り替える。
倒しきるんじゃなくて、“退く余地を残した押し返し”。
「クラウス様」
ほんの一瞬だけ、息を整えて言う。
「ここで一気に殲滅するのは、諦めた方がいい。
奴ら、多分撤退用のルートと合図を持ってます」
「……だろうな」
クラウスが短く返す。
「君の判断は、監査官としても妥当だ。
“証拠”は欲しいが、“死人つき”の報告書など、私も読みたくはない」
それを聞いて、胸の奥が少しだけ軽くなった。
(これでいい。これで……いいはずだ)
◇◆◇
小競り合いが続き、やがて野盗たちの動きが変わった。
前に出ていた連中がじりじりと下がり、谷の奥へと引いていく。
「逃げてくわ」
ティアが息を弾ませながら言う。
「追う?」
グラッドが剣を肩に乗せたままこちらを見る。
「――追わない」
俺は首を振った。
「危険区間の更に奥で何が待ってるか分からない。
今は“ここで踏ん張って戻る”までが仕事だ」
「ちぇっ。
……でもまあ、生きて帰って酒飲む約束のが大事だな」
グラッドがあっさり引き下がる。
その代わり、マリナが冷静に動いた。
「逃げ遅れが一人いる」
指さした先には、足を矢で射抜かれ、地面にもんどり打っている野盗がいた。
カイムとヤンが素早く駆け寄り、武器を払いのけて押さえ込む。
「捕虜一名、確保だ」
「生きてる?」
「文句言える程度には、な」
俺が近づくと、野盗の男はギリギリと歯を食いしばって睨み上げてきた。
その肩には、やはりあの粗末な紋章。
「……その印、どこで手に入れた」
静かに尋ねる。
「さあな」
野盗は血をにじませながら笑った。
「“上の連中”がこうしろって言ったんだよ。
“監査官が来るから、事故に見せかけて片付けろ”ってな」
クラウスの縁が、その瞬間だけ鋭くきしんだ。
炎を閉じ込めたみたいな冷たさが、空気を刺す。
「“上の連中”とは誰だ」
クラウスの声は低く、静かだった。
「さあな。本部の誰かかもな。支部の誰かかもな」
野盗はわざとらしく肩をすくめる。
「ただ、俺たちは言われた通りにやるだけだ。
“邪魔な駒がいたら、事故で消す”。
本部だろうがギルドだろうが、そうやって都合よく数字を作ってんだろ?」
その言葉は、剣より鋭かった。
エルドが小さく息を呑み、ルカが唇を噛む。
カイムの拳が震えた。
「やめておけ」
俺は静かに言った。
「ここで数字の話をしても、あんたの傷は軽くならない。
それに――」
野盗の肩の紋章に触れ、そっと見せる。
「粗末な真似事に、自分の命まで預けるのは、割に合わないと思うぞ」
男は一瞬だけ黙り、それから鼻で笑った。
「……お前、根回し屋ってやつか」
「そうだけど」
「気に入らねえな。
でも、まあ――」
彼は俯き、かすかに呟いた。
「“監査官は二度と帰らない”って顔してた、上の連中はよ。
今ごろ、焦ってるかもな」
その言葉以上のことは、彼は話さなかった。
疲労と出血で、意識が薄れていく。
「これ以上は、ギルドに戻ってからだな」
エルドが傷の手当てをしながら言う。
「出血を抑えておけば、命は助かる」
「――十分だ」
クラウスが静かに呟いた。
「これだけの情報があれば、“誰がどこでどんな命令を出せるのか”洗い出すことはできる。
数字の裏に隠れていた“本当に余計な連中”に、目を向けさせられる」
その目には、冷たい炎が宿っていた。
現場で拾った小さな証言を、本部という大きな盤面に投げ込む覚悟の色。
(俺がここで選んだ“優先順位”も、無駄じゃなかったってことか)
少しだけ、肩の力が抜けた。
◇◆◇
負傷者の手当てを終え、谷を抜け出した頃には、陽はすっかり傾いていた。
危険区間を離れたとたん、空気の重さが少しだけ変わる。
みんなの縁の線も、ぴんと張り詰めていた状態から、じわじわと緩んでいく。
「……生きてるな」
グラッドがぽつりと言った。
「当たり前でしょ」
リシェルが肩を小突く。
「“全員生きて帰る”って、自分で言ったでしょ。
約束は守ってもらわないと」
「……ああ。守れて、よかった」
エルドはまだ痛みを堪えた顔をしていたが、自分の足で歩いている。
ルカも目元に疲労の色を浮かべながら、それでもしっかりと前を見ていた。
その様子を見て、クラウスが小さく言う。
「相沢」
「はい」
「今回の現場、監査官として評価するなら――“ギリギリ合格”くらいだな」
「辛口ですね」
「監査官だからな」
でも、その言葉には、わずかな笑いが含まれていた。
「君が“指揮役を追わない”と判断した瞬間――
私は、“本部に持ち帰る報告書の中身”を決めた」
「中身?」
「“この街の現場は、数字より先に命を選んだ”――そう書く」
喉の奥が熱くなった。
何かを言おうとして、うまく言葉が出てこない。
「君の根回しは、私にとっても監査対象だ」
クラウスは続ける。
「“現場の一人が選んだ優先順位”が、本当に正しかったかどうか。
それは、この先、本部と支部がどう変わるかで決まる」
「……ずいぶん時間のかかる監査ですね」
「長期案件だ」
そう言って、クラウスは遠くの街を見やった。
夕焼けに染まったスレイルの輪郭が、少しずつ近づいてくる。
俺は自分のステータスウィンドウを、こっそりと開いた。
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根回し(レベル3)に成長しました
新規サブスキル【現場優先】が開放されました
・複数の選択肢の中から、“生き残り”を重視した段取りを組みやすくなります
・ただし、“短期的な勝利”を逃すことへの後悔が増える場合があります
===========
「……最後の一文、いちいち余計なんだよなあ」
思わずぼやくと、リシェルが首をかしげた。
「何?」
「いや、“短期的な勝利を逃したこと、ちょっと悔しいな”って」
「ああ、それね」
リシェルは小さく笑う。
「だったら、長期的な勝利で取り返せばいいじゃない。
――アンタ、そういうの得意そうだし」
その言葉は、不思議なくらいしっくりきた。
会議室でも、山道でも、やることは同じだ。
目の前の縁を、今日より明日、少しでもマシな方向につなぎ直すだけ。
「短期的な勝利を諦めた日が、長期的な勝利の始まりだった――
そんな報告書を、本部の誰かに読ませてやるのも悪くない。」
そんなことを思いながら、俺は夕焼けに染まる街を見つめた。
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