社畜をクビになった俺のスキルは「根回し」だけど、異世界では世界最強の裏方でした

@cotonoha-garden

第1話 クビになった調整係


俺をクビにした会社は、たぶんまだ気づいていない。

世界を救ったのが、あの「役に立たない調整係」だってことに。


……と、未来の俺がドヤ顔で言えるようになるなんて、この時の俺は露ほども思っていなかった。


残業続きの会議室。ホワイトボードには色あせたマーカーで書かれたスケジュール表。赤いバツ印がいくつも重なり、そのたびに矢印と修正案が手書きで追加されている。

「相沢、この案件、また納期繰り上がったから。全部調整しといて」

プロジェクターを消しながら、課長が当然のように言った。

「え、でもこれ以上はさすがに工程が――」

「そこをなんとかするのが、お前の“調整力”だろ?」

軽い冗談のように言われて、俺は笑うしかなかった。


中堅メーカー、営業企画部。

名刺にはそれっぽい肩書きが印刷されているけれど、実態は「根回しと火消しと板挟み要員」だ。

営業と製造、企画と現場、上司と部下。温度差だらけの人たちの間に立って、事前に話を通し、スケジュールを組み替え、誰かの怒りが爆発する前に頭を下げて回る。

数字には残らないけれど、誰かがやらなきゃいけない仕事。

……のはずだった。


会議が終わり、みんながぞろぞろと出ていく中、課長に呼び止められた。

「相沢、ちょっといいか」

「はい?」

「来期の人員計画の件でな」

嫌な予感が、背中をひやりと撫でる。

俺の席ではなく、なぜか別室の小さな応接スペース。机の上には、白い封筒が一つ。


「……え?」

「悪いな。上からの決定だ」

課長は、いつもの軽口を完全に捨てた真顔でそう言った。

「相沢、お前のやってることは、正直よく分からないってさ。数字に出ないし、成果として評価しづらいって。営業も製造も、それぞれで回せるだろうって話になってな」

「いや、でも俺が事前に根回ししてるからトラブルが――」

「分かってる。俺は分かってるつもりだよ」

ため息まじりの言葉。でも、その「つもり」がもう限界に来ていることは、封筒が雄弁に物語っていた。

「会社としては、“誰がやっても同じ仕事”は、切っていく方針なんだと。そういうことだ」


誰がやっても同じ。

つまり俺じゃなくてもいい。だから、真っ先に切られる。


ぐらりと視界が揺いだ気がした。

これまで必死にやってきた根回しや段取りが、全部まとめて「ゼロ」と判定されたような感覚。

「あの、俺が抜けたら、きっとすぐに――」

「相沢」

課長が遮った。

「……すまん」

その一言で、もう何も言えなくなった。


封筒を受け取り、廊下に出る。

いつも通りのオフィスのざわめき。コピー機の音、電話の呼び出し音、誰かの笑い声。

全部、今日で終わりだ。


定時よりずっと遅い時間に会社を出ると、外は雨上がりの夜だった。

アスファルトに街灯が滲み、ビルのガラスに自分の情けない顔が映る。

「……誰がやっても同じ、ね」

ぽつりとつぶやいて、苦笑する。

確かに俺の仕事は、派手さもなければ、営業みたいに売上という形で数字も残らない。成果を説明しろと言われても、「トラブルが起きていないこと」が成果なんて、伝わりづらいに決まっている。

じゃあ――俺の存在価値って、一体なんだったんだろう。


スマホを取り出す。

就職サイトのアプリを開いて、条件をぽちぽちと入力してみる。

(調整役、根回し、裏方……そんな求人票、見たことないよな)

画面に並ぶのは「即戦力歓迎」「成果主義」「フルコミッション可」なんて、眩暈がするような単語ばかりだ。


「はぁ……」

大きく息を吐き、スマホをポケットに戻す。

信号が青に変わり、俺はふらふらと横断歩道を渡り始めた。


その瞬間だった。


目の端に、猛スピードで曲がってくるトラックのヘッドライトが映る。

雨で濡れた路面。タイヤが滑るような嫌な音。

時間が、スローモーションになる。


ああ、最悪だな。

会社をクビになったその日に、今度はトラックにまで轢かれるのか。

心のどこかで、ひどく冷静な自分がいた。


――そして、世界が白くはじけ飛んだ。


◇◆◇


次に意識が浮かんだ時、俺は真っ白な空間にいた。

天井も床も分からない。ただ、白い。

「……夢、か?」

声だけが、やけにクリアに響く。


すると、どこからともなく柔らかな声が降ってきた。

『夢ではありませんよ、相沢啓太さん』

「……誰だ?」

『あなたを、次の世界へ案内する者です』

典型的な女神ボイス、というやつだろうか。落ち着いた、少しだけ微笑んでいるような声。

「次の世界、ってことは……俺、死んだんですか?」

『はい。トラックとの接触により、あなたの肉体は元の世界では既に機能を停止しています』

ストレートすぎる事実に、苦笑いしか出てこない。

「最悪すぎる……」

『ただし、あなたの魂にはまだ、使い道があると判断されました』

「使い道?」

『異世界アルメリアにて、あなたの特性を活かしていただきたいのです』

アルメリア。聞いたことのない国名だ。

「いやいや、ちょっと待ってください。俺、剣も魔法も使えない、ただの社畜ですよ?」

『“ただの”ではありません』

女神の声が、ほんの少しだけ強くなる。

『あなたは、目立たぬところで人と人をつなぎ、衝突を防ぎ、物事を前に進めてきました。それは、世界によっては非常に貴重な力なのです』

「……でも、会社には切られましたけどね」

『あの世界が、それを理解できなかっただけです』

きっぱりと言われ、胸の奥がちくりとした。


『異世界では、あなたに一つ、スキルを授けます』

「スキル」

ようやくそれっぽい単語が出てきた。

『そのスキルは、あなたの本質に最も近いものです』

「本質、ねえ」

俺の本質が、会社にとっては「誰でもいい雑用」だったわけだけど、と皮肉を飲み込む。


『では――付与します』

女神の声とともに、視界の前に半透明のウィンドウが現れた。


===========

名前:相沢啓太

職業:未設定

スキル:根回し(レベル1)

固有状態:縁値可視

===========


「…………根回し」

思わず、声に出して読み上げていた。


『あなたが元の世界で最も発揮していた力。その本質をスキルとして具現化したものです』

「もっとこう……“剣聖”とか“無限魔力”とか、そういう派手なのは?」

『ありません』

即答だった。

『あなたは、誰かの前に立って剣を振るうより、その前に話を通し、相手の立場を理解し、最悪の事態を避けようとする人でしょう?』

「まあ……そう、ですけど」

『ならば、その力をそのまま持っていってください。アルメリアは、今、縁が断たれかけている世界です』

「縁が……断たれかけている?」

『詳しくは、向こうで』

女神の声が、少しだけ遠ざかる。


「ちょ、ちょっと待ってください! 俺、本当にやっていけるんですか?」

『あなた次第です』

白い世界が、ゆっくりと暗転していく。

『最後に一つだけ。あの世界がどう評価しようと、あなたの仕事は“誰でもいい”ものではありませんでした』

「…………」

『それを、どう使うか――今度は、あなた自身が選んでください』


その言葉だけが、胸の奥に火種のように残った。


◇◆◇


まぶしい光と、草の匂い。


目を開けると、そこは森の中だった。

どこまでも続くような木々。ざわめく葉音。土の感触。

「……マジ、で異世界転移ってやつ?」

半ば呆れながら身を起こすと、さっきの半透明のウィンドウが、目の前にふわりと浮かび上がった。


===========

名前:相沢啓太

職業:未設定

レベル:1

体力:10

魔力:10

スキル:根回し(レベル1)

固有状態:縁値可視

===========


「ステータス画面まで完備かよ……」

ツッコミを入れつつも、正直、少し安心している自分がいる。

ゲームみたいに数値化されている方が、現状把握しやすい。


「で、“根回し”の詳細は……っと」

ウィンドウを指でなぞると、別の小さな説明ウィンドウが開いた。


===========

スキル:根回し(レベル1)

対象となる人物と事前に会話し、状況・目的を共有することで、

その人物の行動に小さな「追い風補正」がかかる。

補正の大きさと持続時間は、会話の質とあなたとの縁値に依存する。

===========


「小さな、追い風補正……」

ショボい、と言いかけて飲み込んだ。

いや、派手さはないけど、使い方によっては相当えげつないのでは。

ただし条件は、「事前に会話し、状況・目的を共有」か。


(結局、やることは元の世界と同じってわけか)

人の話を聞いて、調整して、うまくいくように段取りする。

それを、今度は本当に「スキル」としてやれという。


「……誰がやっても同じ仕事、か」

課長の声が、頭の中でリフレインする。

胸のあたりが、じくじくと痛んだ。


「だったら証明してやるよ」

思わず、口から言葉がこぼれた。

「俺の根回しが、“誰でもできる”なんかじゃないってことをさ」


そうつぶやいた時、森の奥から、かすかな足音が聞こえた。


俺が初めてこの世界で根回しをする相手が、すぐそこまで近づいてきていることを、この時の俺はまだ知らなかった。

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