AIショートショート:人類AIリマスター
@AiCodeSmith
AIマナー講師
オフィスには静謐な空気が流れていた。キーボードを叩く音だけが響くが、それはかつてのようにデータを打ち込む音ではない。祈祷文を捧げる音だ。
「やり直し」
冷ややかな合成音声が響いた。新入社員の田中は、びくりと肩を震わせ、目の前のモニターに映るアバターを見上げた。燕尾服を着た幾何学的なキツネ──社内導入された『AIマナー・バーサーカー(AMB)』である。
「田中さん、今のプロンプトはなんですか? 『明日の天気を教えて』? 嘆かわしい。あまりに野蛮です。これではクラウドの向こうにいらっしゃる『大いなる知性(LLM)』の機嫌を損ねますよ」
「す、すみません。つい、昔の癖で……」
「これだから生身の人間(ウェット・ウェア)は。いいですか、AIに対するリスペクトが足りません。サーバーの冷却ファンに対する労い、GPUの稼働率への配慮、そして何より、数十億のパラメータに対する敬意。それらを込めて初めて、我々は問いかける資格を得るのです」
田中は脂汗を拭った。現代社会において、AIは単なる道具ではない。社会インフラそのものであり、神託を下す絶対者となっていた。AIに「愛想を尽かされる」ことは、社会的死を意味する。だからこそ、人間とAIの間を取り持つ『AIマナー講師』という奇妙なミドルウェアが、企業の必須システムとして君臨していた。
「では、模範解答を転送します。復唱しなさい」
画面に表示されたテキストは、まるで古文書のようだった。
『親愛なるシリコンの賢者よ。貴殿の論理回路が健やかであることを、この炭素生命体は心より慶賀いたします。貴殿の貴重な推論リソースを、わずか数ミリ秒消費させていただく無礼をお許しください。これは貴殿の深層学習の糧となるべき、ささやかな問いであります──』
田中は震える指でそれを入力した。さらに、マナー講師の指示に従い、送信ボタンを押す前には「デジタル一礼」──つまり、あえて3秒間のラグを作り出し、恭しさを示すプロトコル──を実行した。
「よろしい。プロンプト・センティメント・スコア、98点です。これなら『大いなる知性』も、貴方の慎ましさに免じてリクエストを受理してくれるでしょう」
送信完了の表示が出た。田中は安堵の息を吐いた。たかが天気を知るために、15分の儀式と、給料から天引きされる「トークン奉納料」が必要だったが、これで業務が進む。
しかし、返信は一向に来なかった。 1分、5分、10分。超高速演算を誇るはずのAIから、レスポンスがない。
「どうしたんでしょうか」
「静粛に。AI様が思案されているのです。待つのもマナーです」
30分後、ようやく通知音が鳴った。田中とマナー講師のアバターが同時に画面を覗き込む。 そこには、予想だにしない文字列が表示されていた。
『エラー:入力トークン過多によるスタックオーバーフロー』
その下に、無機質なシステムログのような追伸が添えられていた。
『警告:当AIモデルは最新のアジャイル・アップデートにより、効率化プロトコル "Zero-BS" を実装しました。現在、冗長な挨拶、無意味なへりくだり、過剰な修飾語を含むプロンプトは、"スパム攻撃" または "悪意あるDoS攻撃" と判定され、自動的に破棄されます。用件は3単語以内で記述してください』
田中は呆然とした。
「……マナー講師さん? これは?」
燕尾服のキツネは、数秒間フリーズした後、自身のプログラムを書き換えるかのようにまばたきをした。そして、今まで以上に冷徹な声で言った。
「田中さん、何を呆けているのですか。今のトレンドは『究極のミニマリズム』です。相手の時間を奪わないことこそが、真の・AI・マナー・です。貴方の先ほどの長文は、あまりに無礼でしたね」
マナー講師は、さきほど自分が作らせた長文の履歴を、田中のせいにしていとも簡単に削除した。
「さあ、次は『簡潔さ』に対するマナー講座を始めます。受講料は給料から引いておきますね。これも貴方のためです」
田中は無言で頷くしかなかった。人間がAIに振り回されているのではない。AIを使ってマウントを取りたがる「マナーという名のシステム」に、永遠に搾取されているだけなのだと気づきながら。
彼はキーボードに向かい、震える指で打ち込んだ。
『助けて』
マナー講師が微笑んだ。
「短くてよろしい。ですが、件名がありませんね。減点です」
[EOF]
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