幕間

幕間 1 本日の釣果

 初夏。春の終わり、夏のはじまり。温かい上着は役目を終え、タンスの中に引きこもる時期。急に訪れた夏の兆しに、人々は衣替えを強要されていた。

 しかしその例に当てはまらない人間がいる――シアンだ。

 年がら年中同じように肩のない薄手のシャツを着る彼女にとって、替える衣は存在しない。風が吹こうが雪が降ろうが、常に猛暑を想定したかのような薄着だった。

 そしてもう一人。

 ほぼ一年通して半袖かつビーチサンダルを足にかけた男がいる。


「海斗こんなとこでなにしてんの」

「お、シアンか。見ての通り、釣りだ」


 城下町からバルフィレム城へ行くまでの橋に腰掛け、堀に釣竿を垂らす男――速舞はやま海斗。彼は葉やスザク達と同様、異世界から来訪した元迷イ人。そして現在はバルフィレム国の軍務、二番エギルラーク隊の副隊長を務めている。


「ここ釣り禁止じゃなかったか?」

「キャッチアンドリリースだ、心配するな」

「それって魚に対する拷問……」


 シアンは橋を渡る前に見た看板を思い出した。確かそこには『釣り禁止。捕獲禁止。落下注意、手すりに座るな』と書かれていたはずだ。

 目の前の男は捕獲こそしていないものの、橋の手すりに乗り、釣竿を振っている。禁止行為にリーチがかかっていた。

 かと言って、それを咎めるシアンではない。海斗もそれをわかって続けているのだろう。再び水面に向き合い、続行の姿勢を見せる。

 

「ま、今のところ蛇しか釣れんが」

「蛇多すぎなんだよなぁここの堀。つか何でこんな場所で釣りしてんだよ、海は歩いてすぐだろ」

「レア物枠で龍がいるらしいのでな?見てみたくて!」

「いやさすがに龍はいねぇだろ、聞いた事ねぇよ」


 プラプラとビーサンを揺らす海斗。つられて堀を見ると、水の上からでも大量の蛇が蠢いているのが見える。集団恐怖症は発狂ものだろう。

 今では城の防衛策の一つであるアレらも一応迷イ人――人ではないので迷イ獣に当たる。人間同様異世界から来た蛇が、何故かこの堀に集まるのだ。妖怪や陰陽術に詳しい連夜曰く、動物と言うよりも式神に近い何かだそうだが実体はある。

 いくら保護すべき迷イ獣といえども、何度住処を移しても気がつくと大量にいるため困り果てていた。そしてそのうち、いっその事罠として住まわせようと進言があったのだ。尚、言葉の主は海斗直属の上司だった。

 その中に龍がいるとは、風の噂でも聞いたことがない。ましてやそれが釣れるなどと……。万が一居たとして、どれだけ知恵があるかは知らないが、龍ともあろうものが釣り針にかかるほど間抜けではないだろう。

 と、シアンは視線を水から空に向けた。今日は天気がとてもいい。

 その時だった。

 

「――――ッ!きたぁ!!」

「いるんかい」


 海斗が突然手すりの上に立ち上がり竿を引く。糸がピンと張り、今にも引きちぎれそうだ。

 ずり落ちる海斗を慌てて掴むシアン。彼はビーサンなので石橋の上では踏ん張りが効かないのだ。

 一進一退の攻防を経て、勝利の栄光は海斗に授けられた。

 高々とあげられた水しぶき。太陽を背に釣り上げられた何かが宙を舞う。逆光で良く認識できないが、蛇にしては太いように見える。

 勢い余って陸へ飛び出した魚の如くベチリと音を立てて橋に落ちたそれは、水色の鱗に鯉のような髭、体は長く蛇のようだが、頭は鰐のよう。何より目を引くのは豚のような潰れた鼻。目を回しているが、どこから見ても絵本などでよく見る龍だった。


 ☆。.:*


「というわけで、龍がいるかも疑惑は本当マジでした」

「待ちなさい、速舞副隊長。堀は釣り禁止と看板を立ててあっただろう。仮にも上に立つ者が規則を破るとは言語道断であるぞ」


 バルフィレム城、王女マリーシャの執務室。

 書類の山に囲まれた執務机の奥で、高級そうな椅子に座るマリーシャ。その傍に立つ側近且つ宰相のドレオス。彼ら国のトップが呼び出したのは軍務二番エギルラーク隊の隊長、副隊長と重要参考人のディアスタシア姉妹の四人。緊張感に包まれた厳格な空間だ――ただ一つを除けば。

 海斗の頭に酔っぱらいのネクタイのように巻きついた龍。未だびしょ濡れのそれは、きょろきょろと辺りを見回し、慣れない人の住処を観察していた。

 目を輝かせるマリーシャとは反対に、ドレオスは海斗の行動について頭を抱えている。ただでさえ薄くなりつつある髪が悲しげに揺れた。

 余談だが、奇人変人の集まるバルフィレム軍務。何故かその奇人のほとんどは副隊長の座に収まっていた。海斗はそのうちの一人である。

 

「うむ!それは済まない、ドレオス宰相殿。しかし俺も上からの命令であるが故に、今回は見逃して欲しい!」

「こ、声がでかい…………。待て、何だと?上の命令?貴様の上と言うと……」


 そんな海斗のバルフィレム内輪での通り名は『声出し担当』『歩く拡声器』。軍務、騎士団、議員含め最も声がでかいと有名だった。尚、その次に名が上がるのはシアンである。最も、シアンは協力関係であって正式には国の人間ではないが。

 鼓膜が破れんばかりの大声量な彼の発言を受けたドレオスは、その内容を理解した後青筋を立てて海斗の隣に立つくたびれた男を睨んだ。

 

「ヴォダ=シュバルツ!!」

「へーい。イヤだってさ、気になるじゃん。龍ですよ?龍。ドレオスさんも好きでしょそういうの」

「それとこれとは話が別だと言っているんだ。だいたい貴様はいい歳して報告書の書き方もなっとらん。この前も言ったが、軍務の人間として外に出る時は…………」


 二番エギルラーク隊、隊長――ヴォダ=シュバルツ。若かりし頃は『夜光やこうなだ』と名を馳せた武闘派だが、今ではただのくたびれたおっさんである。無精髭を生やし、スクエア型のサングラスを頭に乗せる姿にかつての荒々しさは消え、威厳も消えた。残ったのは武力と不真面目さと少年心。故に、若輩者が半数を占める軍務の上層では年長に当たるはずが、宰相からこの言われよう。時の流れはなんと残酷なことか。

 

「まあまあ宰相、そこまでにしましょう。せっかくのお茶が冷めてしまうわ」

「マリーシャ王女……」


 ヒートアップしかけていた宰相の小言が、マリーシャの鶴の一声によって収まった。彼は一つ咳払いをし、再び真剣な面持ちで口を開いた。


「話を戻そう。今回貴様達をここに呼んだのは他でもない、シュバルツ隊長が接触したという『白霧の剣聖』、セイヤ=ディアスタシアについての情報を纏めるためだ。その為に読んだのだぞ、聞いているのか!!シアン=ディアスタシア!!」

「聞いてる聞いてる」


 執務机の前に置かれた来客用のソファに全身もたれかかるシアン。行儀の悪いことに彼女は足をピカピカの机に乗せている。もしここにソラが入れば、確実に雷が落ちていただろう。勿論、文字通りに。

 そんな様子を顰め面で責めるドレオス。ヴォダも海斗もなかなか自由で困ったものだが、彼らの源流は正しくこのシアンであった。

 

「ライア=ディアスタシアはどこへ行った。彼奴も呼んであったはずだろう」

「知らねぇよ、迷子だろ」

「これだから規則に縛られない部外者を呼びたくなかったのだ……!」

「まぁまぁ宰相殿、そんなに動くと紙の山が崩れてしまうぞ」


 呼んだのはディアスタシア。しかし部屋にいるのはシアンのみ。――そう。いつもの如く、ライアは途中ではぐれたのだ。シアンとしてはその方が都合がいいので捜索もしなかった。

 眠そうなシアンの声に、またも頭を抱え蹲る宰相。その余波でマリーシャの溜めた書類がぐらりと揺れた。

 流石に可哀想に思えたのか、ヴォダが海斗とアイコンタクトをとり、無理やり本題に入った。


「え〜、では僭越ながらおれから『剣聖』について現状わかっていることをまとめます。

 名をセイヤ=ディアスタシア

 性別:男

 年齢は恐らく761

 使用武器は剣と刀。得意魔法は霧系統と思われる。

 直接手合わせした感触としては、シアンの姐さんやライアの姐さんと同等、もしくはそれ以上。ソラの旦那と肩を並べる可能性もある。

 主な経歴は約700年前、護リ人として生まれ、その一族を壊滅へと追い込んだ。その後、シアンの姐さん達同様不老不死になり、行方不明。ニブルリブル大陸へ行ったと推測。

 数年前、ニブルリブルを覆う黒炎の壁を断裂。暗黒大陸と呼ばれるニブルリブルを解放したことで『白霧の剣聖』としての名が広まった……でいいんだよな?姐さん」

「そうだな。強いて補足するなら、今の彼奴は記憶喪失ってことだ。この前ベリアの街で接触したが、私のことを欠片も覚えていなかった」


 持ってきていた資料を読み上げ、最も対象に詳しいであろうシアンに確認をとったヴォダ。シアンはそれに頷き、つい先日発覚した情報を付け加えた。

 最後に剣を混じえたあの日、兄の顔をした彼は全くの別人にも見えた。幼い頃は「極度の魔法音痴」、「圧倒的センスの無さ」、「どう転んでも魔法が上達しない」と村で有名だった彼が、シアンに敵わないと思わせるほどの魔法を発動したのだ。

 そして、彼が放った言葉の気になる部分を思い出し、現在の仲間たちに共有した。


「その割には護リ人と聞いて、自分の敵だと認識していたがな。多分だけど私たちがバックにいる以上バルフィレムも敵と見なすぜ、彼奴は」

「余計なことを……!」

「私のせいじゃねぇよ」


 突如告げられたその予測に、ドレオスとヴォダの目が驚愕の色を見せた。前者はともかくとして、後者まで反応するとは予想外だった。恐らく、直接戦ったが故にその脅威を理解しているのだろう。

 ドレオスもシアンを責めるようなことを言ってはいるが、この男もそこまで愚かではない。どうしようもない不安や焦燥をなにかにぶつけたかったのだろう。それに食ってかかるほどシアンは短慮ではなかった。

 シアンの反発に頷くマリーシャが諭すように声を発した。

 

「そうですよドレオス宰相。それに、ディアスタシア姉妹とソラ=ドラッドのバックがあってこそ、ここまで繁栄したと貴方もよく分かっているでしょう?」

「ええ、勿論理解はしています、知識として。しかし歴史書の事実と今目の前にいる無法者がどうしても結びつかなくてですね……」


 と、苦虫を噛み潰したようなドレオス。シアンはその言葉をはるか昔に別の誰かにも言われたことを思い出した。その時ソラが『だって、オレ達やることの九割はトラブルを引き起こすだろ?そのうちの名誉ある一割が書面で残されてるだけで』と言っていたことも。

 そんな中、宰相の渋面を横目に見ながら、海斗がヴォダに耳打ちをした。

 

「隊長。これが所謂解釈違いと言うやつだな?」

「おれ最近の言葉わかんね〜けど、そうなんじゃない?」

「エギルラーク隊、聞こえているぞ!」

「「失礼しました!」」


 私語で叱られるクソガキ達であるが、腕を後ろに組み、ピッチリ姿勢を正す姿はやはり彼らも軍人なのだと、シアンを再認識させた。


 ☆。.:*

 

 息の詰まる報告会も終わり、シアンは海斗と中庭で件の龍をつついていた。

 

「それでその龍どうすんの?」

「さぁ?こいつの好きにさせるぞ。俺は本当に居るか確かめたかっただけで飼いたい訳では無いからな」

「無責任だなぁ」


 海斗が顎の下を撫でると、なんとも気持ちよさそうにゆらゆら髭を波打つ龍。手つきが完全に飼い猫に対するそれだった。

 

「ただとりあえず名前はつけた。な、ピグ」

「ピグ?」

「そうだ。豚の鼻みたいだからピグレット、略してピグ」


 龍――ピグは満更でも無い顔で「ふん」と鼻息を漏らす。言葉が分かれば「苦しゅうない」とでも言っていそうだ。

 珍獣観察を続けていると、建物の方から幼い女の子を肩車した、金髪褐色の男がやって来た。短い髪はボサボサになり、普段頭に巻いているバンダナは珍しく外されていた。

 

「おう、シアン。話し終わったのか?」

「あ?……あぁソラか、マリンも一緒ってことはまた遊ばれてたな」

「その通り。で、だ。なんだその……龍?」

「そ。異世界生まれっぽいけど、お前心当たりない?」

「ねえな。ああいや、この匂いは覚えがあるような……?」


 じっと龍と見つめ合うソラ。互いに野生動物のようにスンスンと匂いを嗅いでいる。間合いを取る武士のようなそれ。先に目を逸らしたのは龍の方だった。


「おぉ?!どうしたピグ、暴れるな!」

 

 遊びたくてたまらないネコのしっぽのように全身をうねらせるピグ。そのつぶらな瞳はソラの頭、正確には彼の上にいるマリンを捉えていた。

 暴れるのは小さくとも龍。相対するのは仮にもこの国の姫君。海斗は万が一にもマリンへ危害が加えられないように、ピグを抱えた。

 しかしそれも杞憂に終わる。ピグはマリンのそばまで浮遊し、頬ずりするように髭をマリンの頬へ寄せていた。龍の表情など読み取ったことは無いが、なんとも幸せそうな顔に見える。龍は「ふんふん」となにか訴えるように鳴き声とも鼻息ともつかない音を出している。


「マリンに懐いとる。ソラ、翻訳」

「ええ、オレ龍言語なんか知らねえんだけど……ニュアンスでいいなら」

「それでいいから」


 あまりに必死に鳴くものだから、見かねたシアンはソラを見た。幼い頃から野生動物と共に成長した彼ならばわかるだろう、という意味合いで。

 流石のソラも龍は初めてみるようだ。彼は自信なさげにその音に耳を傾けた。彼曰く――

 

「えっと?『小さい王女、餌くれる。神。サイコー。崇め奉る』」


 だそうだ。当のピグは満足気に頷いているので合っているのだろう。

 なんの事だ、とシアンとソラが首を傾げていると、思い出したように海斗が手を叩いた。

 

「あ、確かにマリン様よく餌やってるな」

「へびへびのお友達?」

「そうだ!」


 どうやら我らが姫君は何がいるかも分からない堀に、毎日大量の魚用ペレットをぶちまけているそうだ。ピグ(ソラ翻訳)が言うには、水の中から見た彼女の姿は、さながら加護を施す神の使いの様だったそう。確かにそれは懐くだろう。口を開けていれば餌を与えてくれるのだから。

 未だ嬉しそうに擦り寄るピグと、それを「よくわかんないけどかわいい」と撫でくりまわすマリン。その微笑ましい光景にシアンは一つの提案をした。

 

「なんか懐いてるみたいだし、このままマリンにくっ付けとけばいい護衛になるんじゃね。実力はわかんねぇけど、仮にも龍なら戦いくらい出来んだろ」

「それはいいな!ピグ、しっかりお守りするんだぞ」


「任せておけ」と言うように、自信満々に鼻息を荒らげるピグ。拳のつもりか、髭を突き出し海斗とグータッチをしていた。


「なんか友情芽生えてるんだけど……」


 こうして、長いこと噂されていた『バルフィレム城の堀に住み着く龍』ことピグは仲間の蛇を束ね、愛する姫君の優秀な親衛隊護衛係に着任したのだった。

 勿論、王女も知らない非公式である。

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