【完結】契約偽装結婚した幼馴染の冷徹貴族様が私のことを離してくれません

葉南子@アンソロ書籍発売中!

第一章 私の憧れの王子様

第1話 わたしの王子様


 朝のやわらかい光が、薄いカーテン越しに寝室を照らす。

 心地よい陽射しに包まれながら、私は小さな身体をむくりと起こした。


「……また、今日がはじまる」


 四歳の子どもらしからぬ言葉をぽつりとこぼし、ため息をつく。ぽかぽかする陽射しも、私の心まではあたためられなかった。

 

 私は、生まれた時からずっと病に伏せていた。

 ベッドの天蓋から覗く小さな空の色だけが、私の世界のすべて。

 籠の中に閉じ込められた鳥のように、私は同じ毎日を繰り返していた。


 そんな暗闇に差し込む、ひと筋の光──あの人こそが、私の世界を照らす太陽だった。


「シェリル、おはよう」


 扉をノックして入ってきたのは、幼馴染の少年。

 陽にきらめく黒髪、深海のように揺らめく蒼い瞳。

 小さな身体に似合わない落ち着いた声が、閉ざされた空間に鮮やかな色を運んでくれる。


「今日は新しい本を持ってきたよ。一緒に読もう」

「うん」


 彼はベッドのはしに腰かけて、私に本を開いてみせる。

 本の中からあふれるのは、見たことのない、私の知らない世界。

 窓からは決して届かない色や形を、彼は言葉で、仕草でたくさん教えてくれた。

 

 また別の日──。


「庭の薔薇が咲いたんだ。とても綺麗だから、シェリルに見せたくて」


 そう言って彼が差し出したのは、一輪の真紅の薔薇。

 

「わあ、きれい……」


 たった一本なのに、部屋中の空気が薔薇の香りに染まったように感じてしまう。

 ひざまずきながら薔薇を渡した彼の所作は、まるで絵本の中の王子様みたいに輝いていて──幼い私は胸をどきどきさせながら、花を抱きしめた。


 

 彼と会えるのは、一日たったの十分ほど。

 少しでも無理をすればあっという間に熱が上がり、咳で胸が詰まる。

 小さな私は、それが悔しくてたまらなかった。


 ──もしも、わたしの身体が丈夫だったら。

 

 彼と一緒に庭を駆け回れただろうか。

 遠くの森へ探検に行けただろうか。

 もっと普通に、恋とかできたのだろうか。

 

 ほんの少しの時間しか会えないのに、私はその全部を夢にしてしまう。

 そのくらい、彼との時間はかけがえのないものだった。


 彼のそばにいたい。

 彼と同じ景色を見たい。


 そんな願いを抱え続けていたある日、私の口から自然と言葉がこぼれた。


「わたし、病気を治すためにがんばるから。だから……」


 枕元にあったおもちゃの宝石箱を開け、震える指で一つの指輪を取り出す。

 色あせたシルバーのリングに、小さな赤いガラスの粒が嵌め込まれているだけの安っぽいもの。

 けれど私にとっては、大切な宝物だった。


「大きくなったら……結婚してね」


 そう言って、彼の手のひらにぎゅっと押しつける。

 子どもなりの、精いっぱいの真剣さだった。

 そのときの彼がどんな顔をしていたのかは、はっきりとは覚えていない。


 ただ、指輪を受け取ってくれた温もりだけが、胸の奥に今も残っていた──。


 あれから十五年。

 私の記憶に残ってる彼の姿は、かすみみたいにぼんやりとしたものだったけれど。

 彼の優しさだけは、今でもちゃんと覚えていた。

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