崩された名誉と星芒の兆し

 リヴィアの告白を聞いたあと、

 私と剣聖はしばらくの間、その場所に立ち尽くしていた。

 夜は深まりつつあるのに、

 街の空気はざわついたまま静まりかえらない。


「名誉の破壊、か……」


 剣聖が重い息を吐く。


夜刃ノクティア・ラミナは、どうしてそこまで……?」


「この街の決闘の伝統は、ただの武威ではない。

 長い歴史の中で、争いを“終わらせるため”の象徴となった。

 その象徴を壊すことは──

 街の“秩序そのもの”を壊すことと同義だ」


 胸の星光がズキンと痛む。


(星の乱れ……

 どんどん強くなってる……)


 風の流れさえ、どこか不穏に感じられる。


「マオリ。

 今夜はまだ終わっていない。

 夜刃は必ず動く」


「はい……

 リヴィアを脅した“上位の者”……

 この街のどこかに、まだいます」


 その時だった。


 遠くで、鋭い叫び声。


「きゃあああああ!」


 剣聖と目を合わせる。


「行くぞ!」


   ◇


 走る。

 石畳を蹴り、灯りの少ない街路を駆け抜ける。


 叫び声は、

 決闘のあった大広場の方角から聞こえた。


(また……!

 夜刃……!)


 胸の星光が熱を帯び、

 私の視界に微弱な星座がちらつく。


(星芒の……兆し……?

 何か、近くに“乱れ”が……)


 広場に飛び込むと──


 信じられないものが目に入った。


 広場の中央。

 石像が、斬り倒されていた。


 それはこの街に伝わる伝統を象徴する、

 二人の先祖が剣を下ろし、

 互いへ手を伸ばしている“和解の像”。


 その像が──

 胸元から、真っ二つに切り裂かれていた。


(……そんな……!)


 広場の周囲には住民たちが集まり、

 悲鳴と怒号が飛び交っている。


「だ、誰がこんな……!」


「決闘の象徴を……

 あれを壊すなんて……!」


「これは、冒涜だ!

 街への、挑発だ……!」


 剣聖が像の前へ歩き、

 切断面に触れる。


「……刃の跡だ」


 私の背筋が冷たくなった。


 斬られた箇所からは、

 夜の冷気が漂うような、暗い気配が立ちのぼっている。


(これ……

 夜刃の……)


「いや、それだけじゃない」


 剣聖は眉を寄せた。


「この切断面。

 夜刃の“通常の刃”ではない。

 もっと鋭い……

 もっと異質なものだ」


「異質……?」


(あの時攻撃しようとした三人とは、違う……

 もっと、上……?)


 胸の星光が脈打つ。


(何かが……近い……)


 住民の怒りが高まっていく。


「決闘の伝統を壊すなんて……!」


「街を侮辱している!」


「許せない! 許せるわけがない!」


 まるでその空気に合わせるようにして、

 夜を裂くような声が響いた。


「街の者よ──耳を傾けよ」


 広場の石壁の上。

 風を裂くように現れた影。


 黒い外套。

 顔を覆う仮面の布。

 そして胸には、濁った刃形の紋。


 だが──

 三人組よりも明らかに気配が違う。


 街そのものを冷やすような、圧のある存在感。


夜刃ノクティア・ラミナの……

 “上位の者”……!」


 剣聖が刀へ手を添える。


 影は堂々と両腕を広げた。


「街の民よ。

 伝統が砕かれる瞬間を見てどう思う……?

 名誉は朽ちるためにある。

 正義は腐るためにある。

 そして、秩序は──

 壊れるために存在する」


 住民の間に怒号が広がる。


「ふざけるな!」


「破壊者め!」


 影はそれすらも、

 愉悦のように受け取って言った。


「怒れ。叫べ。

 憎しみに駆られよ。

 それこそ我らが“刃”を振るう理由となる」


(……この人……!

 争いが、喜びなんだ……!)


 胸の星が、怒りにも似た熱を帯びる。


 影の視線が、私へ向いた。


「法の織り手……

 星の光を持つ者よ……

 この街を守れるか?」


 挑発の声。

 嘲りの声。


「守るよ……!

 あなたたちなんかに、この街を乱させない!」


 剣聖が横に並ぶ。


「マオリ、下がっていろ。

 あの男……ただの夜刃ではない」


 影の男はゆっくりと手を上げる。


 刃が抜かれた。


 光ではなく──

 闇が溢れ出すような、禍々しい刃。


(この刃……

 普通じゃない……

 星芒の解析……使わなきゃ……!)


 私は星光へ意識を集中させる。


「発動──

 星芒の解析ステラ・アナリシス!」


 瞳の奥に星座が広がり、

 光糸が影の男へ伸びる。


 だが──


(え……?

 何、これ……)


 解析が弾かれる。


 光糸が触れた瞬間、

 闇に飲み込まれるように消えた。


(こんなの……初めて……!)


 剣聖も気づく。


「マオリ、やめろ!

 奴は“星芒の解析を拒む存在”だ!」


「でも……解析できないと……!」


 影の男は、

 まるで答えるように言った。


「星の光は“乱れ”を照らす……

 ならば我らはその逆。

 光を喰う“影”として存在する」


 剣聖が刀を抜く。


「マオリ。

 夜刃の上位は“冥刃の系譜”。

 星を拒む闇の刃……」


(闇の……刃……?

 星と真逆の……?)


 影の男が一歩踏み出し──

 その刃を、剣聖へ向けた。


「黄昏の刃よ。

 お前の名誉は、今ここに“終わる”」


 剣聖が前へ出る。


「マオリ、下がれ!」


「でも……!」


「奴は私が受ける!

 君は、街の乱れを見ていろ!」


 風が止まった。

 広場が静まり返る。


 影の刃と、黄昏の刃が向かい合う。


 その瞬間──

 私の胸で星が強烈に脈打った。


(……これ……

 何かが……起きる……!)


 次の瞬間、

 影が飛んだ。


 速度が、違う。


「剣聖さん──!」


 刃が、黄昏色の光を切り裂こうと迫る。


(だめ──!)


 私は星へ意識を集中させ、

 反射的にスキルを叫んだ。


「発動──

 星の裁決スターリー・ディクリー!」


 星光がほとばしり、

 瞳に星座が宿る。


 同時に──

 星芒の秩序が自動で展開される。


 青の盾が、私を包む。

 私に向けられる“すべての攻撃”を否定する盾。


 だが──


「……っ!」


 影の刃は、私ではなく、剣聖へ向けられていた。


 星芒の秩序は発動している。

 でもそれは“私に向けられた攻撃に対してだけ”。


(剣聖さんに向けられた攻撃は……

 防げない……!)


 影の刃が振り下ろされる──


 剣聖が受け止める。


 風が裂け、

 刃と刃がぶつかる音が夜に響いた。


(だめだ……!

 剣聖さんの刃じゃ……

 夜刃の“それ”に……!)


 影の刃から漏れる闇に、

 星の光が吸われる気がした。


 まるで──

 星と闇が衝突しているみたいに。


「マオリ……離れろ……

 これは私と奴の戦いだ!」


「そんな……!

 でも……!」


 胸の星が、痛いほど脈動する。


(解析できない……

 調和も……届かない……

 星芒の啓示で……未来を見ないと……!)


 私は再び星光を集中させる。


「発動──

 星芒の啓示ステラ・レヴェラ!」


 未来の光が走り、

 回避線が剣聖の周囲に広がる。


(剣聖さん……!

 一歩、右……!)


「右へ!」


 剣聖は迷いなく動いた。

 その動きに合わせて、影の刃が虚空を切る。


「……ほう」


 影の男の声が低く笑う。


「星は、剣聖に味方するか……

 面白い」


(面白い、じゃない……!

 どうして……どうしてこんな……)


 剣聖が私を見ずに言った。


「マオリ。

 星の導きを続けろ。

 奴の動きを読むんだ」


「はいっ……!」


 影が、また動く。


 闇の刃が跳ね、

 剣聖が受け、

 火花が散る。


 星芒の啓示が次々と未来を描き、

 私は剣聖へ叫ぶ。


「次は左斜め後ろ──!」


「足元、下から──!」


「跳んで──!」


 剣聖がそれらにすべて応じ、

 黄昏の刃が夜を切る。


 だが──

 影の男は、一向に疲れた様子を見せなかった。


「剣聖よ……

 お前の名誉は、まだ壊れぬか……」


「黙れ……!」


「ならば、次は──

 “星の少女”を見せてもらおう」


 影が、こちらへ向いた。


(……えっ……!

 私へ……!?)


「マオリ──!」


(星芒の秩序……

 私に向けられた攻撃なら、止められる……!

 来るなら──止めてみせる……!)


 影の刃が迫り──


 空気が、軋んだ。


「星の光よ。

 お前の“限界”を見よう」


 刃が振り下ろされ──


 星芒の秩序が反応する──!


 ギンッ!


 影の体が止まる。


 動きが、完全に凍結した。


(止まった……!)


 だが──

 同時に、影の男が笑った。


「なるほど……

 これが“星の絶対法”か」


 笑って、動けないまま言った。


「ますます……壊しがいがある」


 星芒の秩序は、

 確かに私への攻撃を止める。


 でも──


(剣聖さん……!

 影の狙い……

 最初から……!)


 影は動けない。

 でも、その“刃”は──


 剣聖の方へ向けられていた。


(星芒の秩序は、私に向いた攻撃しか止めない……

 だから──

 この人は“わざと”私を狙ったんだ……!)


 星芒の秩序が発動する瞬間を利用し、

 刃の角度を変えて──

 剣聖を、狙おうとしている。


(動けないうちに……

 剣聖さんが……!)


 私は叫んだ。


「剣聖さん──下がって!!」


 剣聖が素早く後退する。

 刃が床を裂く。


 影は“星芒の秩序が消える瞬間”を待っていた。


 その瞬間──

 闇の刃が剣聖へ飛ぶ。


「くっ──!」


 剣聖は受ける。

 衝撃で足が滑る。


(だめ……!

 このままじゃ……!)


 星芒の啓示が、未来を示す。


(影は……“次で決める”つもり……!

 剣聖さん、受けきれない……!

 なら……私が……私が……!)


 私は星光を胸に抱きしめた。


「発動──星の調和スターリー・ハルモニア!」


 青い光が広がり、

 影の男の心に触れようとする。


 だが──


 バチンッ!


 調和の光は、闇に弾かれた。


(今の人……

 調和すら……届かない……!?)


「星の光よ。

 我らを照らすことは叶わぬ」


 影が刃を構え──

 剣聖へ向けて、最後の一撃を放とうとした。


(だめ……!

 止めないと……!

 止めないと……!)


 胸の星が叫んでいる。


(夜刃が……

 名誉を壊して……

 街を乱して……

 でも、私……

 こんなの……許せない……!)


「やめて……!!」


 叫んだ瞬間──

 星光が爆ぜた。


 青い星芒が広場を満たし、

 影の刃を包む。


 それは裁決でも調和でもない。

 ただの、私の“願い”が形になった光。


 影の男が一瞬だけ動きを止めた。


「……ほう……?」


 剣聖が隙をつき、後退する。


 刃と夜気がぶつかり──

 街の灯が揺れた。


 影は、まるで遊びに飽きたように言った。


「今日のところはここまで。

 星の光も、黄昏の刃も……

 お前たちの“限界”は見えた」


「逃がすか!」


 剣聖が踏み込むが──

 影の男は闇に溶けるように姿を消した。


 残ったのは、

 切り裂かれた石像と、

 乱れた名誉と、

 街を覆う重苦しい空気。


 そして──

 胸の奥に沈む、星のざわめき。


(夜刃……

 本当の狙いは……

 まだ……隠れてる……)


 星光が、

 強く、強く、震えた。

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