第9話 星降る夜に
「あら〜ミリアちゃ〜ん?随分と遅かったじゃな〜い?」
ミリアは、息を切らしながら大急ぎで家へと帰ってきた。
だが時すでに遅く、リンがどこか恐ろしい笑顔で玄関先に立っていた。
「あっ、ママ――」
「買い物途中に寄り道して遊んじゃうなんて悪い子ね〜♪そんな悪い子には、夕飯抜きのお仕置きよ〜?」
「ひぃぃぃ!ごめんなさいごめんなさいごめんなさいぃ!」
「――な〜んてね。冗談よ冗談♪ちゃんとメルちゃんから話は聞いてるから大丈夫よ♪」
その言葉を聞き、ミリアはへたりと玄関先で崩れ落ちた。
「さて、なんだかメルちゃんと久しぶりに長話をしていたら気が変わったわ。今晩はシチューにしましょっか♪」
そう言って、ミリアの買い物カゴを受け取ると、リンは嬉しそうにキッチンへと向かった。
「あっ!私も手伝うよ!」
「あら?嬉しいわね。それじゃ、ノルンちゃんが帰ってくるまでに作っちゃいましょうか。」
「お兄ちゃん、まだ帰ってきていないの?」
「そうなのよね。ほんと、最近毎日どこに行っているのやら⋯⋯」
二人は、シチューの材料の下ごしらえをしながら仲睦まじく会話をする。
「そういえば、今日はシャナちゃんと遊んで来たのね?あの子と会うの久しぶりだったんじゃない?」
「うん!相変わらず元気だったよ。」
「そう、それなら良かったわ。」
「そういえば、ママとシャナちゃんのお母さんって、昔からの友達だったんだっけ?」
「ええ。メルちゃんは、女学院時代の後輩よ。前に久しぶりに会った時には変わりすぎてビックリしちゃったわ〜」
トントンと具材を綺麗に切っていくリン。
「そうなんだ?昔のメルさんってどんな感じだったの?」
「うーん、なんと言うか、今よりも冷たい感じだったかしら?それこそ、あまり他人とは関わろうとしないタイプだったかしらね?」
「でも、とっても優しそうな感じだったよ?」
「今はそうみたいね。まさか、あの子がいつの間にか結婚して子どもまで居るなんてね。しかも、相手はよりにもよって――」
だんだんと、具材の切り方が崩れていき、まな板に包丁が刺さる音が少しずつ大きくなっていく。
「ママ、そんなに不機嫌そうになってどうしちゃったの?」
「――えっ?あ、あら。何でもないわよ♪」
(あー、これ、絶対に昔何かあった様子だね⋯⋯)
気を取り直し、またトントンと具材を丁寧に切っていくリン。
ミリアは、触れてはいけなそうな雰囲気に、下手に触れず大人しくしていようと決意するのであった。
「――よし!あとは具材を入れて煮込むだけね♪」
シチューもそろそろ完成するという頃になり、玄関の扉が開かれる音が聞こえた。
「ただいま〜」
「あら、ノルンちゃんおかえりなさ――って!まーた汚れてるじゃない!」
「お兄ちゃん、そんなに泥だらけになってどこに行ってたの?」
「えっ?あー、ちょっとそこまでね。」
またいつものように、はぐらかされてしまった。
問い詰めようか迷ったリンであったが、これ以上の情報は聞き出せないであろうと諦めてしまった。
「まあいいわ。そろそろ晩御飯のシチューができるから、ささっとシャワー浴びてきちゃいなさい。」
「はーい。」
そう言って、ノルンはそそくさと浴室に向かうのであった。
ノルンが戻ってきた頃、ちょうどようやくシチューが完成した。
家族三人で食卓を囲み、楽しそうに食べた。
食後、ミリアは自分の部屋に戻り、あれこれ考える。
「それにしても、シャナちゃん、数年見ないうちに大きくなっていたわね。」
家族の都合で、しばらく旅に出ていた親友との思いがけない再会。
その嬉しさに、思わず頬が緩んでしまう。
「シャナちゃんも冒険者になったら、いつか一緒に旅に行きたいな〜」
ミリアは、未来を思い描く。
大好きな兄と、大切な親友とこの広い世界を旅する。
とても楽しい旅になりそうだ。
しかし同時に、時と共に変わっていくことに対する不安が芽生え始める。
(――もしも、数年経ってシャナちゃんから忘れられたら?お兄ちゃんが、どこか遠くへ行ってしまったら?)
一度抱いてしまった不安は、簡単には拭えない。
ミリアは、急に自分の部屋が孤独と寂しさで埋まっていく錯覚に陥ってしまう。
(――そう、そうだったのね⋯⋯)
昼に、シャナの言葉に上手く返せなかった原因が分かってきたような気がする。
だが、分かっただけであって、どうすればいいのかは分からない。
再びモヤモヤとした気分に襲われ、思わず布団に包まってしまった。
その夜、星あかりが煌々と夜空に広がる。
小さな窓から差し込む微かな星あかりは、悩める少女の眠りを覚ました。
「うーん⋯⋯あれ?私、いつの間にか寝ちゃってたの?」
手元の目覚まし時計は午前0時を指している。
寝付けなくなったミリアは、もぞもぞと布団から出て、あてもなく部屋を後にして彷徨いだした。
(うーん、この本はイマイチ面白くないわね⋯⋯)
時を同じくして、リンは頬杖をつきながら書斎で本をパラパラとめくる。
(さっきの本でも読み返そうかしら⋯⋯?)
そう思って立ち上がった瞬間、こんこんとドアをノックする音が聞こえた。
「あら?こんな時間に誰かしら?」
ドアを開けると、涙目のミリアが立っていた。
「ママ〜!」
「あらあら。ミリアちゃんは大人になっても甘えん坊さんなのね♪」
リンに会った瞬間、すぐに抱きついて甘えてくるミリア。
リンは、ミリアの頭をただただそっと撫で続ける。
「――なるほどね。ミリアちゃんは、そんな事を悩んでいたのね。よしよし。」
「私怖いの。いろんな事が変わって、私がみんなから置いていかれるような気がして⋯⋯」
「うーん⋯⋯確かに、それは怖いわね。特に、あまり他の人と会えなくて、広く関わりを持てなかったミリアちゃんはね。」
リンは、ミリアを書斎に招いて打ち明けられた悩みを親身になって聞く。
そして、孤独に悩むミリアの心に寄り添うように、そっと抱きしめた。
「でもね、変わっていくことを恐れることは無いわよ?この世界には、変わっていくものの中に、変わらないものがあるからこそ美しいのだから、いつまでも怯えていたら後悔するわよ。」
「うーん?」
優しさで包むと同時に、あえて突き放すように思いついた言葉を組み立てていくリン。
ミリアのことをいつまでも甘やかしてやりたいという心と、このままでは成長出来なくなるかもしれないという不安の板挟みになりながらも、せめて母親らしくありたいと願った。
「そうね――例えば、ミリアちゃんが今悩んでいそうなことは⋯⋯私やノルンちゃんとどう接すればいいのか、辺りじゃないかしら?」
「ママすごい⋯⋯当たってるよ。」
「私が、ミリアちゃんの『本当の』ママじゃないと知った時、ミリアちゃんはどう思った?」
「少し戸惑ったかも。でも、ママは私のママなんだって思ったら、少し安心出来たよ。」
「そうでしょう?こんな風に、繋がりというものは見えなくてもちゃんと感じるものなのよ?」
ミリアは、リンの言葉に少しだけ納得がいった気がした。
「じゃあ、これはどうかしら?ミリアちゃんにとって、ノルンちゃんは何?」
「大切なお兄ちゃんだよ?」
「でも、あなたたちは『本当の』兄妹では無いわね。ミリアちゃんは、ノルンちゃんのことが好きかしら?」
「うん♪」
一切の迷いも無く、即答してみせるミリア。
そんなミリアに、リンはわざとらしく尋ねる。
「でも、『好き』には様々な形があるのよ。ミリアちゃんのは、果たしてどの『好き』なのかしらね〜?」
「どういうこと?」
「前のミリアちゃんが、ノルンちゃんに向ける『好き』は、おそらく『お兄ちゃん』に対してのものね。」
「そうなんだ?」
「だけど、今のミリアちゃんは――いや、これ以上言うのは無粋だわ。後は自分で答えを見つける事ね。」
「え〜気になるよ〜」
「いい?ミリアちゃん。答えを焦ってはいけない事もあるの。さて、今日はもう遅いし早く寝ちゃいなさい。眠れないのなら、綺麗な星空を見るといいわよ♪」
くすくすと微笑みながら、リンはミリアの背中を押し、書斎から追い出した。
(さて、これであの子も自分の気持ちに少しは向き合えるのかしら⋯⋯?)
重要なことを伝えようとしているのに、最後まで言わないなんて親としてどうなのかとほんの少しだけ葛藤する。
そして本を手に取ろうとした瞬間、急に電話が鳴る音が聞こえた。
(もうっ!こんな時間に誰かしら!?)
リンは、不機嫌そうに受話器を取る。
「はい、リンです!こんな時間に一体誰――あっ!お兄様!会いたかったわ♡」
電話の相手の正体を知った途端、急に人が変わったかのようになった。
「――えっ!?この前相談した例の物が入手出来たんですって!?さすがはお兄様ですわ♪――ええ。それじゃ、よろしく頼むわね♪愛してますわ、お兄様♡」
話を終えると、リンは上機嫌に鼻歌を歌いながら受話器をそっと置いた。
(うふふ⋯⋯あの子達の喜ぶ顔が目に浮かぶわ♪)
ノルンとミリアの知らないうちに、秘密の取り引きが着々と進んでいくのであった。
一方、書斎を半ば追い出されるように後にしたミリアは、まだ眠れないのでベランダから星空を見ることにした。
「あれ、ミリアもまだ起きてたんだ?」
「お兄ちゃん!?」
ベランダに着くと、イスに座りながら先客のノルンが星空を見ていた。
「どうして、お兄ちゃんもここに居るの?」
「僕が何をしようと勝手じゃないか。それより、ミリアも星を見に来たんだろ?このイスに座るといいよ。」
ノルンは、ポンポンと自分の横に置いてあるデッキチェアを叩いた。
ミリアは、促されるままイスに座り満点の星空を見上げる。
「綺麗な星⋯⋯」
「ああ、そうだな。」
夜空一面に光る星々を見て、二人は思わず圧倒されてしまう。
「――あのね、お兄ちゃん。聞きたい事があるの。」
「なんだ?」
沈黙を破るように、ミリアはノルンに話しかける。
「最近、お兄ちゃんよくお外に出かけてるじゃない?一体、何をしに行ってるの?」
「秘密だ。」
「え〜教えてよ〜お願い、お兄ちゃん♪」
上目遣いであざとく頼み込むミリア。
ノルンは、少し迷った後、決心したような表情で空に向かって言った。
「――秘密のトレーニングに行ってたんだ。冒険者になるんなら、それなりに鍛えておかないといけないんじゃないかな〜って思ってさ。」
「へ〜そうなんだ。」
「何だよ、勝手に聞いといてその反応は。」
ミリア「えへへ、何だかお兄ちゃんらしくて♪」
「はぁ⋯⋯何が、『僕らしい』だか。てかそういうミリアも、引きこもってばかりいないでたまには運動したらどうだ?」
「うっ⋯⋯」
痛いとこをつかれて、バツが悪そうに髪の毛の先を弄るミリア。
昔から、運動がやや苦手なのであった。
「で、でも!私が大変なことになってもお兄ちゃんが助けてくれるから問題ないよっ!」
「さあ、どうだか?もう大人になったんだから、自分の事は自分で何とかしろ。」
「酷いよ、お兄ちゃん!」
「冗談だ冗談。半分はな。」
(半分だけなんだ⋯⋯)
ノルン「それに、その――いや、やっぱ何でもない。」
ノルンは、何かを言いかけてイスから立ち上がる。
「どうしたのお兄ちゃん?何かあったの?」
「――ミリアは、大切な妹だ。例え、血が繋がっていないと知ってもだ。そんな妹を守れるようになるためならば、どんな努力だってしたい。僕はただ、それだけだ。」
背中で語るノルンの顔は、ほんの少し赤くなっていた。
「お兄ちゃんっ!」
ミリアは、後を追うように立ち上がりノルンに後ろから抱きついた。
「ちょっ!?何するんだ、ミリア!」
ノルンが慌てて振り返ると、ミリアが一片の曇りなき満面の笑みを浮かべていた。
「えへへ♪お兄ちゃん大好きっ♪」
ノルンは、恥ずかしさのあまりミリアを振りほどいて、家の中へと走り去って行った。
残されたミリアは、一人で立ち尽くして星空を見上げる。
胸に手を当てると、とくんとくんと心臓の鼓動が鳴る。
(この気持ちは、一体⋯⋯?)
それは、未だかつてミリアが経験した事の無い、何とも甘いものであった事に、ミリアは戸惑うばかりであった。
ミリアの、細くて長いピンクの尻尾は、無意識のうちにハートの形を作り出していたのであった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます