第29首 前夜、首は眠れない
処刑祭の前夜。
王都は、眠るふりをしていた。
家々の窓には灯りがある。
だが笑い声はない。
酒の匂いも薄い。
代わりに、
首筋を撫でる音
だけが、
あちこちの夜に散っていた。
◇
貧民街。
ミナは、小さな家の床に座っていた。
母は寝ている。
眠れていないのに、
眠るふりをしている。
ミナは母の寝顔を見て、
そっと笑った。
「だいじょうぶだよ」
誰に言うでもない。
「きっと、今年は
わたしの順番じゃない」
口に出した瞬間、
自分でも嘘だとわかった。
昨日も鳴った。
今朝も鳴った。
そして今も──
耳の奥に、
あの乾いた音が残っている。
カチリ。
ミナは首筋に手を当てた。
線があるかどうかは見えない。
けれど、
“見られている首”
の冷たさだけが、
確かにそこにあった。
◇
王城。
レオンは眠らなかった。
眠れないのではない。
眠らないと決めていた。
窓の外で
処刑祭の旗が揺れている。
それを見ていると、
自分の首が
旗の布より軽く感じる。
「殿下」
背後の声。
カイだ。
今夜のカイは
処刑人見習いの制服ではなく、
黒い外套を羽織っていた。
空気に溶けるための色。
「準備は?」
「……一応」
カイは短く答えた。
「斧も、縄も、ないです。
でも“首の帳簿”を焼く火は
用意しました」
「それでいい」
レオンは微笑んだ。
「俺たちは
首を落としに行くんじゃない」
「首を数える仕組みを
落としに行く」
カイが頷く。
だが次の瞬間、
彼の喉が小さく鳴った。
「……殿下」
「どうした」
「姫の首が」
レオンの表情が変わる。
「今夜、しゃべってました」
◇
地下の小部屋。
布に包まれた“首”が
机の上に置かれている。
王女リリエラ。
処刑されたはずの首。
カイがこの首を
“持ち歩く理由”は
復讐ではない。
真実だ。
この国の祈りが
どこまで人を嘘にできるか。
それを一番知っているのが、
この首だった。
布を少しめくると、
姫の目が開いていた。
笑っている。
「こんばんは、王子さま」
声は軽い。
悪夢の声だ。
「処刑祭の前夜ってさ、
いつも一番おいしいよね」
「黙れ」
レオンは冷たく言う。
だが姫は楽しそうに続けた。
「今日ね、街の子どもが
首の順番を数えてた」
「……」
「数えちゃだめなのにね」
カイが息を呑む。
姫は
レオンを見て笑う。
「ねえ。
棚を壊したら、
みんな助かると思ってる?」
「思ってない」
レオンの答えは即答だった。
「棚を壊したら、
新しい棚が必要になる」
「正解」
姫は
嬉しそうに目を細める。
「だから私はね、
“棚そのもの”じゃなくて
“首の価値観”を壊したい」
レオンが一歩近づく。
「お前の目的は何だ」
姫は笑う。
「王国を殺すこと」
「……それは復讐か」
「ううん」
姫は首だけで、
小さく首を傾げる。
「祝祭の味を、
みんなに同じ温度で返すだけ」
カイが声を絞り出す。
「……じゃあ、明日。
俺たちが棚を壊すの、邪魔する?」
「邪魔しないよ」
姫は優しい声で言う。
「むしろ手伝う」
「ただし──」
笑みが深くなる。
「最初に落ちる“納得の首”が
誰になるかは、
あなたたち次第」
◇
夜更け。
セヴランは
礼拝堂の奥で
一人祈っていた。
祈りの言葉は
どれも同じに聞こえる。
だが今夜の彼は
祈りではなく
懺悔を口にしていた。
「私は
首を守ったのではない」
「ただ
首の順番を
整えていただけだ」
首筋の線が
熱を持つ。
そして
耳の奥で──
カチリ。
セヴランは息を止めた。
この音は
誰かの首が増えた音か。
それとも。
“明日、首の秤が壊れる音”
の予告か。
◇
前夜の最後の鐘が鳴る。
王都は
完全に静かになった。
誰もが
自分の首に
名前が残ることだけを祈り、
誰もが
誰かの首で
明日を買おうとしている。
レオンは窓を閉める。
「行こう、カイ」
「はい」
暗闇の中で
二人の首筋にある線が
かすかに疼いた。
そして
遠いどこかで
姫が笑う声がした気がした。
処刑祭は、
まだ始まっていない。
だが前夜の時点で、
すでに首は眠れない。
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