第27首 王都の観客は、台本を拾う



 処刑祭の広場は、朝から熱を持っていた。


 焼いた肉の匂い。

 酒の甘さ。

 太鼓の低い響き。


 それらを覆い隠すように、

 今年はもうひとつ、

 妙に硬い空気が漂っている。


 ――前夜、ミナの首が消えた。


 そして今朝。


 王城の地下から流れ出た噂が、

 人々の耳の奥で

 泡のように弾けていた。


「なあ、聞いたか」


「何を」


「“順番の紙”が落ちてたって」


「は?」


 笑い声に紛れて

 ありえない言葉が

 平然と混ざる。


 処刑祭は祝祭だ。

 だが祝祭は、

 “見えない約束”があるから成り立つ。


 順番。

 祈り。

 王城と教会が

 首の重さを整えてくれるという、

 あの安っぽい安心。


 それが、

 今年は最初から

 揺れていた。


     ◇


 広場の端。


 荷車の影で

 一人の男が

 紙を拾った。


 紙は

 厚くない。

 だが、

 捨てるには

 あまりに白すぎた。


 男は

 読める程度の文字を

 指でなぞる。


『第二処刑祭

 今年の“落とす首”配分を厳守』


 男の喉が

 ひくりと動く。


「……配分?」


 隣の女が

 首を傾げる。


「何それ」


「いや、違う。

 これ……」


 男は

 紙を裏返した。


 そこには

 もう一枚、

 薄い紙が

 糊で貼られていた。


 剥がれかけの端から

 文字が覗く。


『守護対象

 王族二

 宰相家一

 聖堂上位家系三

 商会代表二

 ……』


 女の顔色が

 さっと変わる。


「……冗談でしょ」


「王城の紋がある」


 男が

 紙の隅を指した。


 小さく、

 確かに

 王家の印。


 女は

 それ以上

 笑えなかった。


 そして。


 周囲の民が

 一人、また一人と

 紙を覗き込む。


 覗き込んだ者たちの

 顔から

 祝祭の色が

 ゆっくり抜けていく。


     ◇


 午前。


 広場のあちこちで

 “同じ種類の紙”が

 見つかり始めた。


 拾った者は

 最初、

 宝くじのように

 喜ぶ。


 だが。


 読めば読むほど

 胸の底が冷える。


『今年の“贄”優先順位』


『神聖評定により

 貧民街一区

 兵役帰還者

 線首薄者

 ……』


『祈願金未納者

 代替首へ移行』


 言葉が

 露骨すぎた。


 人々が

 うすうす感じていた悪意を、

 紙が

 丁寧に言語化している。


 これが

 台本。


 これが

 祭の真顔。


「……俺たち、

 最初から

 “選ばれてた”ってことか」


 兵役帰りの男が

 震える声で呟く。


「祈りって、

 首の保険じゃなかったの?」


 若い母親が

 子を抱き直す。


 その横で

 露店の老人が

 乾いた笑いを漏らした。


「祈りは

 決済書だって

 昔から言われてただろう」


「でも……」


「“誰の首を守るために

 誰の首を差し出すか”」


 老人は

 吐き捨てるように言う。


「それを

 紙に書いて

 落としやがった」


 その瞬間。


 ――カチリ。


 広場の中心で

 乾いた音が鳴った。


 誰かが

 聞こえたふりをした。


「今の、何?」


「……知らない」


 だが

 “知らない”という言葉ほど

 今年ふさわしくない嘘はなかった。


     ◇


 レオンは

 広場の少し離れた屋根の上から

 その光景を見下ろしていた。


 カイが

 隣で息を止めている。


「殿下……

 これ、

 ほんとにやっちゃったんですね」


「やった」


 レオンは

 低く答えた。


「台本を

 観客に返した」


 カイは

 顔をしかめる。


「でも……

 こういうのって

 暴動になりません?」


「なる」


 レオンは

 迷いなく言った。


「だから意味がある」


 その後ろで

 セヴランが

 疲れた目を細めた。


「殿下は

 王族の皮を被った

 火付け役ですな」


「火をつけたのは

 俺じゃない」


 レオンは

 広場の紙を指した。


「火は

 最初から

 紙の中にあった」


 セヴランは

 黙った。


 否定できない。


 広場では

 すでに

 声が変わり始めている。


 祝祭の歓声ではない。


 疑いの声。

 怒りの声。

 恐怖を押し殺す声。


「教会は

 何を隠してる?」


「王城は

 どれだけ

 俺たちの首を

 使ってきた?」


 その問いが

 空気を汚すほど

 増えていく。


     ◇


 そのとき。


 広場の中央に

 黒布を被せられた

 断頭台が

 姿を現した。


 いつもなら

 この瞬間から

 音楽が大きくなる。


 だが今年は

 逆だった。


 音が

 引いていく。


 人々が

 息を整え直す。


 そして。


 誰かが

 断頭台の台座に

 紙を投げつけた。


 ひらり。


 紙は落ちる。


 次の紙が落ちる。


 次も。

 次も。


 台座が

 “順番の紙”で

 埋まっていく。


 まるで

 断頭台そのものが

 台本の墓場に

 変わっていくみたいだった。


 司祭が

 顔色を変え

 前へ出る。


「皆さま!

 本日は神聖なる処刑祭――」


 言葉の途中で

 石が飛んだ。


 司祭の足元に

ぶつかり

乾いた音を立てる。


「神聖?」


 誰かが笑った。


「俺たちの首を

配分するのが

神聖かよ」


「祈りで

守られるんじゃなかったのか!」


「守られるのは

“金と血筋の首”だけだって

書いてあるじゃないか!」


 怒号が

波みたいに広がる。


 そして。


 ――カチリ、カチリ。


 音が

広場のあちこちで

重なり始めた。


 レオンは

目を細めた。


(首姫)


(お前も

祭の観客になったのか)


 だが返事はない。


 返事の代わりに

広場の空気が

一段

冷えた。


     ◇


 断頭台の前。


 人混みの中に

白い髪を隠した

小さな影が

すっと立った。


 少女――

首姫ではない。


 首姫に

憧れてしまった

“観客の子ども”。


「ねえ」


 少女が

周囲に聞こえる声で言った。


「順番って

紙で決めるの?」


「違う、違うぞ」


 兵が

押しのけようとする。


 だが

少女は動じない。


「じゃあ

次に落ちる首は

誰の首?」


 その質問が

あまりに純粋で

あまりに残酷で、


 人々の喉を

いっせいに

詰まらせた。


 そして。


 少女は

断頭台を指さして

笑った。


「じゃあさ」


「今日の最初は

“この台本の首”でいいよね」


 誰かが

息を呑む。


 誰かが

笑ってしまう。


 誰かが

泣いてしまう。


 その混ざった感情が

ひとつの結論へ

落ちていく。


 レオンが

小さく呟いた。


「勝手に

数え始めたな」


 カイが

震える手で

自分の首筋に触れた。


「殿下……

これ、

俺たちの想像より

ずっと早い」


「早いほどいい」


 レオンは

断頭台を見据える。


「首の支配は

“遅い常識”の上に立ってた」


「なら」


「壊すのは

速い恐怖だ」

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