第25首 王子レオンは、順番の箱を破る

 鉄の扉が開く。


 冷気が、骨に染みた。


 鉄箱が黙って整列している。


 順番の予定表。

 首の台本。

 王城の静かな支配。


「殿下」


 セヴランが低く言う。


「ここを壊せば、王城は教会を疑います。

 教会は王城を疑う」


「疑わせろ」


 レオンは、迷いなく鉄箱に手を置いた。


「疑い合って歯車が噛み外れた瞬間が、

 俺たちの入口だ」


 カイが、一歩近づく。


「俺、斧……持ってきてないですけど」


「斧はいらない」


 レオンは自分の首筋に触れた。


 そこに刻まれた線が、じくりと熱を持つ。


「線がある」


「……殿下」


 セヴランが息を呑む。


「“線首”の権限を、王城にぶつけるおつもりで」


「権限なんて、最初から神のものでも王のものでもない」


 レオンは、鉄箱の王家の紋章に指先を滑らせた。


 その瞬間。


 ――カチリ。


 紋章の線が、かすかに揺らいだ。


 王家の印が、教会の“ひっくり返った紋”に似た形へ

 ほんの少しだけずれた。


 レオンはゆっくり息を吐く。


「ほらな」


「殿下……」


「順番は、祈りと同じだ」


 レオンは低い声で言う。


「信じる者が多いほど固くなる。

 疑う者が一人でも増えれば、脆くなる」


 彼は鉄箱の錠前に手を掛けた。


「俺は今日、“一人目の疑い”になる」


     ◇


 鉄箱の蓋が、ひとつ、軋んで開いた。


 中の紙をレオンは抜き取る。


 燃やさない。

 破かない。

 隠さない。


 ただ――床に落とした。


 紙はひらりと落ち、石の床に貼りつく。


『第二処刑祭

 本年“落とす首”配分を厳守すること』


 文字が、あまりにもむき出しだった。


 カイが喉を鳴らす。


「これ……見られたら終わるやつだ」


「終わらせる」


 レオンは次の箱も開ける。


 次も。


 順番表が、次々と床に広がる。


 王城の首の台本が、石の上で晒されていく。


「……殿下」


 セヴランが掠れた声で呟く。


「あなたは“順番の箱を破る”のではない」


 彼は床の紙を見下ろした。


「“順番という概念”を、人々の目の前へ落としている」


 レオンは冷たく笑う。


「祭の観客に、台本を渡すだけだ」


     ◇


 そのときだった。


 ――カチリ、カチリ、カチリ。


 音が、王城の奥で連鎖した。


 歯車が、悲鳴のように噛み合い直していく。


 鉄箱の列の端が、わずかに沈んだ。


「……今の、何です?」


 カイが身をすくめる。


「箱の下に“線”が通っている」


 セヴランが、顔をしかめた。


「順番の箱同士を繋ぐ首姫の回路だ。

 一つ動かせば、他の箱も揺れる仕組みになっている」


 床の紙が、ふっと浮いた。


 風はない。


 なのに、紙がひとりでに舞い上がる。


 部屋の隅──細い通気口へ向かって。


「殿下!」


 カイが叫ぶ。


「紙が、外へ――」


「いい」


 レオンは止めなかった。


「外へ行かせろ」


 紙は通気口の隙間をすり抜け、

 上の階へ、さらにその上へと吸い上げられていく。


 誰かの足元に。

 誰かの手元に。


 まだ知らない観客たちのところへ。


     ◇


「……これで、本当に戻れなくなりましたな」


 セヴランが、首筋の線を押さえながら言う。


「戻るつもりなら、最初から来ていない」


 レオンは、最後の鉄箱に手をかけた。


 その箱には、他と違う封印が施されている。


 王家の紋と、教会の紋。

 二つの鍵穴。


「それは、だめだ」


 セヴランが思わず腕を掴む。


「そこは“王都全体の首”の箱だ。

 処刑祭だけでなく、戦や疫病のときの“予備の首”まで――」


「だから壊す」


 レオンは、首筋の線に指を添えた。


 線が熱くなる。


 刃印のページが、帳簿のどこかでめくられる気配。


 ――カチリ。


 鍵穴が、音を立ててひとりでに開いた。


 封印の鎖が、床へ滑り落ちる。


「殿下! それ以上は、もはや“革命”ではない、“崩壊”だ!」


「この国は、とっくに崩れている」


 レオンは、静かに答える。


「俺たちは、崩れていると自覚させる役目だ」


 重い蓋が持ち上がった。


 箱の中には紙はなく、

 真っ白な板が一枚、敷かれていた。


 板の表面には、細い線が無数に走っている。


 王都の地図。

 町並み。

 礼拝堂。

 王城。

 断頭台。


 そのひとつひとつに、小さな刻印が揺れていた。


「……全部、首だ」


 カイが呟く。


「王都にいる人間の分だけ、印がある」


「順番を固定する前の、“生きている首の一覧”です」


 セヴランの声が震える。


「これに重さを乗せ、棚に振り分け、順番表に落とし込む。

 それが王城と教会のやり方だった」


「じゃあ――」


 レオンは、板の端に手を置いた。


「一度くらい、“全部同じ重さ”にしてみろよ」


 線首の印が、彼の首で燃える。


 ――カチリ。


 板の上の刻印が、一斉に光った。


 貴族の首も。

 兵士の首も。

 神官の首も。

 貧民の首も。


 すべての印が、たった一瞬だけ、まったく同じ明るさで輝いた。


 そして、光が消える。


 刻印のいくつかが、地図から浮かび上がり、

 紙切れとなって空中にばらまかれた。


 それは通気口から漏れ出し、

 王城の廊下へ、礼拝堂へ、広場へと舞い出ていく。


     ◇


「……殿下」


 セヴランが膝をつき、額に手を当てた。


「今ので、祈りの棚も、順番の箱も、

 “王都の首”という重さに追いつけなくなりました」


「いい」


 レオンは、額の汗を拭いながら立ち上がる。


「今日の処刑祭は、もはや誰にも台本を書けない」


 彼はカイの方を向く。


「カイ。お前の役目は変わらない」


「……処刑人見習い、ですよね」


「違う」


 レオンは笑った。


「“首の台本を拾い集める役目”だ。

 誰がどんな順番表を手に入れたか、全部見てこい」


 カイは、勢いよく頷く。


「了解です、殿下!」


 ――カチリ、カチリ。


 王城の上から、再び音が降ってきた。


 それは、鉄箱の悲鳴ではなく、

 外の世界で紙が拾われる音のように聞こえた。


「……始まったな」


 レオンは、小さく呟く。


「王城の首が揺れる。

 祭の観客の首も揺れる。


 その揺れの中で――

 俺たちが、どの首を守り、どの首を落とすかを決める」


 処刑祭の朝。


 王都はもう、

 “決まっていたはずの首の順番”から外れ始めていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る