幕間 首と処刑人の夜更かし
その夜、森はやけに静かだった。
王都から外れた街道脇の小さな林。
人目を避けるには都合がいいが、風の音さえ遠く感じる。
カイは拾い集めた枯れ枝に火を点け、焚き火を作った。
ぱち、ぱち、と爆ぜる音だけが、暗闇の中で生きている。
足元には、古い籠。
中から、たいくつそうなため息がひとつ洩れた。
「……退屈ね」
白い布の向こうから、女の声がした。
「首を三つも落とした夜よ? もっと劇的なことが起きてもよさそうなのに」
「劇的な夜って、なんですか」
カイは薪を一本くべながら眉をひそめる。
「首が空から降ってくるとか、森じゅうの木が拍手するとか、そんな感じですか」
「そうねえ。たとえば“斬られたはずの首”が、処刑人と焚き火を囲んでおしゃべりするとか」
「……それは十分劇的ですよ」
自分で言っておいて、カイは苦笑した。
「というか、姫様が退屈じゃなかった夜ってあるんですか」
「今夜よ」
布の中で、くすりと笑い声がした。
「だって今日は、私の首を抱えて逃げてきた処刑人と、はじめて夜更かししているもの」
「人聞きの悪い言い方やめてもらっていいですか」
「事実でしょう?」
理屈は、いつだって彼女の方に分がある。
「ねえカイ。そろそろ布を取って。世界が布一枚なの、気づいてる?」
「贅沢な首ですね」
そう言いながらも、カイは籠を少し手元に引き寄せた。
焚き火の光が届く位置まで。
「……どうぞ、姫様」
「殿下はもう要らないって言ったでしょう?」
「……リリエラ」
「よろしい」
カイが布をめくると、白銀の髪と青白い顔がひょいと現れた。
切断面からにじんだ血は、すでに黒く乾きつつある。
首だけの姫が、焚き火の光を受けて瞬きをした。
「やっぱり、さっきよりはマシね」
「さっきと半歩しか違いませんけど」
「その半歩が、首にとっては大問題なのよ」
リリエラは、かごの縁に顎をのせて、夜の森を見回した。
「星も見えるし、あなたの顔も見える。――いいわ。合格」
「何の試験ですか」
「“首の置き方”の」
さらりと言ってから、いたずらっぽく目を細める。
「ねえカイ。あなた、自分がどれだけ乱暴なことをしているか、ちゃんと自覚してる?」
「……斧を振り下ろしてる時点で、自覚してますけど」
「違うわ。そうじゃなくて」
リリエラは、わずかに顎を傾けた。
それだけで髪がさらりと揺れるのが、妙に生々しい。
「首ってね、“どこに置くか”で意味が変わるの」
「意味?」
「ええ」
姫は一本一本、焚き火の火を数えるみたいに穏やかな声で続ける。
「断頭台の上なら、“見世物”。
礼拝堂の台座なら、“聖遺物”。
王の食卓に飾れば、“権力の飾り”。」
そこで少し間を置いて、彼女はくすりと笑った。
「じゃあ、処刑人の膝の上なら?」
「……生首を膝に乗せる予定はないんですが」
「言葉遊びくらい付き合ってちょうだい」
じっと見上げられ、カイは観念したように息を吐いた。
「……守る、ですかね」
「そう。ちゃんとわかってるじゃない」
リリエラは、満足げに目を細めた。
「首を持って歩くってね、“今この首を誰のものにしているか”って宣言なの。
断頭台の上では王のもの。
礼拝堂では神のもの。
処刑祭の広場では、笑っている観客のもの。」
そして今――と、姫はカイを見る。
「今は、あなたの首よ。カイ」
「物騒な表現やめてください」
「嬉しくない?」
「全然」
即答すると、リリエラは声を立てて笑った。
焚き火の火の粉が、夜空へはねる。
◇
「……カイ」
「なんですか」
「いまので、ため息二回目」
「数えてたんですか」
「処刑人の呼吸を数えるの、得意なの。首の数を数えるより簡単だわ」
「やな特技ですね」
そう言いながらも、カイは自分でも気づかないうちに息を吐いていたことを自覚する。
「そんなにため息ついてましたか」
「大司祭の首を片づけてる間に七回。
あの貴族夫人の屋敷を出るまでに三回。
森に入ってきてから、さっきので五回目」
「……俺の呼吸観察しすぎじゃないですか」
「処刑人の呼吸は大事よ。斧を振るう時のリズムで、首の落ち方が変わるもの」
リリエラは、焚き火の光を映した瞳でカイを見つめる。
「ねえカイ。あなた、自分が何にため息をついているか、わかってる?」
「……俺の腕前、ですかね。まだ迷いが多いので」
「違うわ」
ぴしゃりと言われて、カイは口をつぐんだ。
「あなたは、自分が“人を殺したこと”にため息をついてると思ってる。
でも本当は――」
姫は、言葉を選ぶようにゆっくり続ける。
「“見てしまったこと”にため息をついてるのよ」
「見て、しまったこと」
「ええ」
リリエラの瞳が、ふと遠くを見た。
「大司祭の首がどんな顔で落ちたか。
あの夫人が、自分は被害者だと信じたまま首を切られた瞬間、どんな目をしていたか。
あなたは、ちゃんと見てしまった」
昼間の光景が、鮮明によみがえる。
見えない刃。血の噴水。転がる首。
「普通の人はね、“見なかったことにして”生きていくの。
目をそらして、耳を塞いで。
『自分は何もしていない』って言い訳と一緒に眠るのよ」
「……それが、この国の“見ているだけの人たち”ですか」
「そう。処刑台の下にいた、無数の顔」
焚き火がはぜる音に混じって、昼のざわめきが戻ってくる気がした。
「だから、処刑人の役目って、“斬ること”だけじゃないの」
リリエラは、静かに言う。
「“見続けること”。
首が落ちる瞬間に、ちゃんと目を開けていること。
誰の命が、誰の都合で切り捨てられたのか、忘れないこと。」
青い瞳が、まっすぐカイを射抜いた。
「それをやめた処刑人から、首は濁っていくわ。
斬ることが仕事じゃなくて、ただの習慣になる」
「……そんな処刑人、見たことあるんですか」
「城には、たくさんいたわ」
リリエラは、顎をわずかに動かして肩をすくめる真似をする。
「だから、あなたを選んだの。処刑台の上で震えていた、珍しい処刑人見習いさん」
「……褒めてます?」
「もちろん。本気で」
くすりと笑ったあと、姫は一拍置いて続ける。
「ねえカイ。
人を殺した手で、誰かを撫でてくれる人って、世界でいちばん優しいと思わない?」
胸の奥が、不意に強く締めつけられた。
「…………どういう理屈ですか」
「とても単純な理屈よ」
リリエラは、焚き火越しに目を細めた。
「自分の手が何をしたか、ちゃんと知っていて。
それでも誰かに触ろうとする人は、
“許されたい”んじゃなくて、“許したい”人だから」
その一言が、ずしんと落ちた。
うまく言葉にできない。
けれど、否定もできなかった。
「……俺は、そんな大層な人間じゃないですよ」
「じゃあ今は、“なりかけ”ね」
彼女は、さらりと言う。
「大丈夫。私がちゃんと、あなたを“綺麗な処刑人”にしてあげる」
「その約束、怖いんですけど」
「怖がっていていいのよ」
リリエラは、どこか優しく微笑んだ。
「怖がる首は、まだ落とす価値があるもの」
◇
「ねえカイ。ひとつお願いがあるの」
「……まだあるんですか」
「今日くらい、付き合ってちょうだい」
妙に説得力のある言い方に、カイは肩を落とした。
「……どんなお願いですか」
「私を、もう一度抱いて」
カイは思わず、手にしていた枝を落とした。
「いや、今も抱いてますけど。籠ごと」
「違うわ。そうじゃなくて」
リリエラは、自分の切断面をちょん、と顎で示す。
「首としてじゃなく、“人間として”抱いて。
さっき処刑台の上にいた私みたいに」
「意味がわかりません」
「いいから。一度やってみて。
それで、何を感じるか教えて」
押し問答に疲れ、カイは立ち上がった。
慎重に籠から両手で首を抱え上げる。
冷たい重みが腕に乗る。その感触に、少しずつ慣れてきてしまっている自分がいて、嫌になる。
「……こう、ですか」
「もう少し胸の近くに」
「注文が多いですね、姫……リリエラ」
「首はわがままなの」
胸元まで持ち上げられると、リリエラはじっとカイの顔を見た。
焚き火の光が、二人の影を地面に長く伸ばす。
「どう? 気持ちは」
「……正直に言っていいですか」
「嘘をつくような首に見える?」
「気持ち悪いです。
怖いし、重いし、罪悪感もあるし……」
そこまで言って、言葉が途切れた。
リリエラが、ほんの少しだけ目を細めたからだ。
「それでいいのよ」
静かな声だった。
「“気持ち悪い”ってちゃんと思えるあいだは、あなたの首はまだ大丈夫」
「……大丈夫じゃなくなったら?」
「そのときは、あなたの首にも線が入るわね」
冗談めかした口調なのに、どこか本気の冷たさが混じる。
「でも、安心して」
リリエラは、わずかに微笑んだ。
「あなたがいつか、“自分のために斧を振るう日”が来たら──
そのときは、私が止めてあげる」
「……止める、って」
「あなたの首を斬るのは、私の役目だから」
あまりにさらっと言われて、カイは思わず笑ってしまった。
「全然安心できないですね、それ」
「安心なんてしなくていいの。覚えておいてくれれば」
彼女は満足げに目を細めると、「そろそろ降ろして」と顎で合図した。
カイは首を岩の上にそっと戻し、籠をその下に置く。
焚き火の光が揺れて、二人の影も揺れた。
◇
しばし沈黙が降りた。
火の爆ぜる音と、夜風が草を撫でる音だけが耳に届く。
「……カイ」
「なんですか」
「ひとつだけ、約束してくれる?」
「さっきからお願いだらけですよ」
「これで最後」
リリエラは、星を見上げるように目を細めた。
「どれだけ首を落としても、あなたは“見続ける人”でいて。
目をそらさない処刑人でいてちょうだい」
「……見続けるだけでいいんですか」
「ええ。裁くのは首の役目。
ただ見て、覚えていてくれる人がひとりでもいれば――」
姫は、焚き火の向こうで、ほんの少しだけ寂しそうに微笑んだ。
「首を落とされた人たちも、きっと救われるから」
その言葉が、妙に胸に残った。
「……わかりました」
カイは、焚き火に新しい薪をくべながら、小さく頷いた。
「約束します」
「いい子ね、カイ」
その瞬間――
――カチリ。
耳の奥で、小さな音がした。
歯車が噛み合うような、高くて乾いた音。
焚き火のはぜる音と重なって、一瞬、現実かどうか判断がつかない。
「……今の、聞こえました?」
「なにが?」
リリエラは、無邪気そうに首を傾ける。
「焚き火の音じゃない?」
「……なら、そういうことにしておきます」
カイは首筋に思わず手を当てた。
皮膚は冷えているだけで、傷はない。赤い線も、まだない。
気のせいだ、と自分に言い聞かせて、焚き火のそばに腰を下ろす。
首だけの姫は、ゆっくりとまぶたを閉じた。
「おやすみ、カイ」
「首が寝るんですか」
「寝たふりくらいはするわよ。
処刑人の寝顔、ちゃんと見ておきたいもの」
「……それは、あまり見られたくないですね」
「大丈夫。気に入らなかったら、そのときは――」
彼女は目を閉じたまま、楽しそうに笑った。
「首ごと、優しく斬ってあげる」
「おやすみなさい」
それ以上何も聞かず、カイも目を閉じた。
燃え尽きかけた薪が、かすかに音を立てる。
――この夜の会話が、のちに
「首と処刑人の夜更かし」として語り草になることを、
まだ誰も知らない。
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