いくら丼まいっ❣ ~もやしくわえてエアギタる最強不可解少女の煌めきに巻き込まれて~ by 琴芽

月日音

第1話 最強不可解少女

 寝耳にいくらどんだった。


 朝からむわっとする夏が充満し、陽光の強さが恨めしい。そんな気持ちにとろけつつも、ぼんやりとスマホで級友たちのメッセージに反応していた時。


 一つ前の席に座っていた女子生徒が立ち上がり、

「いくら丼まいっ!」

 と、声を上げたのだ。突然だった。


 六月初旬なのにひどく暑い日が続き、夏休み間近まぢかだと勘違いしていそうな緩んだ空気の漂う教室でのことだ。周囲にピシッと静電気のような緊張感が走っていく。

 けれど、立ち上がった女子生徒が「あっ……ごめんなさい」と頭を下げて座ると、周囲の皆は何事もなかったかのように緩んだ空気へと戻っていった。

 なんだったのかと思いつつも、寝言か何かだろうと当て推量して流せるくらいには皆も大人ということだろう。彼らはこの春に高校生となったのだ。


 しかし、琴芽ことめは違った。じっと女子生徒の後ろ姿を見つめ続けてしまう。


 ――え、なんで? いくら丼まいって言ったよね?


 声を上げた女子生徒の真後ろに座っていた琴芽には、という言葉が確かに放たれたのだと聴き取れた。言葉を認識するだけではない。映像までをも連想してしまう。

 当然、理由がある。

 昨晩に見た動画のせいだ。


 ちゃぶ台に置かれた一杯のいくら丼、そして黒髪で制服姿の少女。いくら丼を少女が顔の高さくらいまで両手で三度にわたって持ち上げる動画だった。


「いくら、どんまい!」

 掛け声とともにいくら丼を右肩の前あたりへと待ち上げる。

「いくら、どんまい!」

 今度は逆で左肩の前あたりへと。

「いくらぁ、ど~~んっ!!」

 最後に顔のとこまで持ち上げ、視聴者へいくら丼を見せるようにして前へと差し出す。


 たったそれだけの動画。補足字幕テロップなしで、始まりも終わりもぶつ切りで、明らかに動画投稿慣れしていない一般人の投稿だった。なのに、だ。照れや感動の入り混じったような赤い曖昧あいまいさの色づく笑顔で、少女が高い高いと赤ん坊をあやすようにして、あるいはあがめるようにして、どんぶりを持ち上げる姿は、琴芽の胸へじわりと何か生温かいものを広げていくようだった。


〈わけわかんなすぎてバフンウニ〉


 これが動画へ最初に残したコメントだ。何度か繰り返し眺めた後、なぜだか胸をしめつけられる感覚に襲われ、そんな言葉がおなかあたりからき上がってきた。

 そのコメントだけでやめようと思っていたはずなのに、なんだか物足りないし、意味のない悪態をついたようにも思えてきたので、コメントを書き換えてみた。


〈何これ、わけわかんなすぎてバフンウニ。いくらどんまいって何? どんまいって言葉をいくら丼と組み合わせてる? 何やりたいのか意味不明。あ、もしかして、いくら丼かかげて舞を踊ってるとか? どんまいって、ひょっとして丼舞って書くの? ほんと、最強に不可解すぎ。頭ん中、いくらでもつまってんのかな〉


 誰とも知れぬ相手とはいえ、シャツのえりや胸元のリボンを見たところ琴芽の着ているものと同じで、ということは新鮭にいざけ高校の制服なので身近にいる可能性は高かった。けれど、それでも好き勝手な言葉をぶつけるのはやめられなかった。どうせ匿名なのだから、と。


 琴芽の書き込んだコメントへ動画の投稿者本人から〈コメントありがとうございます。嬉しいです。私、いくら丼の煌めきを伝えたいんです!〉と返信があったのが今朝早く。あんなコメントにわざわざ返事を入れてくるなんて、どんな奴なのだろうか。とりあえず最強不可解少女と呼ぶことにした。


 動画で顔を出しているのだから、最強不可解少女を見つけるのはとても簡単そうだ。事情を知っていそうな友達に尋ねてみるのもいいかもしれない、なんてことも思いながらバスに揺られた。けれど、あのコメントをしたのが琴芽だと誰かにバレかねない。

 最強不可解少女を探すのはやめておこう、と結論づけたのが学校に着いた時くらいで。

 結論が出たなら頭に残す必要なんてないから、最強不可解少女へ徒然つれづれに思っちゃうことを、ひどい暑さへの恨めしい気持ちにとろかした。


 なのに、だった。いつも通りスマホでの話題へ適当な共感を示していたら、「いくら丼まいっ!」という声が目の前から降ってきたのだ。


 ――なんでなの?


 再び琴芽は疑問を繰り返してしまう。なぜ、「いくら丼まいっ!」という言葉を耳にしたのか、わけが分からなかったのだ。稲妻に打たれたような衝撃で混乱していた、とも言える。

 しばらくしてから思い至った。目の前に座る女子生徒があの動画の最強不可解少女と同一人物なのではないだろうか。気づいてしまえば、単純なことだった。

 声は確かに同じように思えるけれど、見た目はどうだろう。あの動画のような顔をしていただろうか。できれば女子生徒の顔をちらりと確認してみたい。


 ――って、そんなのよりまずいよね。コメント、早く消さないと。


 身近にいるとは思っていたけれど、ここまで近くにいるだなんて全く思ってもみなかった。あのコメントが琴芽によるものだと何かの拍子に知られてしまってもおかしくない。


 あわててスマホを操作し、動画の再生画面へ飛んでしまい、「あっ」と声を上げそうになる。動画が再生されそうになったのだ。すぐさま停止し、どうにか事なきを得る。

 あとはコメントのとこで、投稿したのを削除するだけ――前の席に座る女子生徒が再び立ち上がった。

 今度は何も言葉を口走らず、けれど、それでも琴芽を驚かせるには効果てきめんで、思わずスマホを手からすべらせてしまう。

 しかも、机の上に落ちて弾んだのをつかもうとして、なぜか指をぶつけて飛ばしてしまった。


「落ちないで!」


 机のはしで止まってくれそうにも思えたのに、すんでのところでバランスを崩したスマホはそのまま床へと落下していく。

 高校入学祝いに欲しいものをかれ、共働きの両親それぞれにお金を出してもらい、ようやく手にした新品のスマホだ。それまでの中古やお下がりのとは全く違う新品のスマホ。なのに、もう傷ついてしまうのか。あまりにも悲しい想像が頭をよぎる。


 しかし、どこも傷つかずに済んだようだった。

 例の立ち上がった女子生徒が床へ激突してしまう前につかみ取ってくれたのだ。


「あの、これ……」


 そっと差し出されたスマホを受け取り、感謝の言葉を伝えようとした、その時のこと。

 受け取った琴芽の手ごと女子生徒はスマホをつかみ、もう片方の手でスマホの画面を指さしてくる。


「これ、あなた、なの?」

「え?」


 指がさされているのは、琴芽が書いたコメントだった。削除しようとした画面のまま、コメントが表示されていた。女子生徒がどんな動画に対するコメント欄なのかを琴芽の目の前で操作して確認している。出てきたのは当然ながら最強不可解少女の動画だ。

 この状況で違うと言ったなら、信じてもらえるのだろうか。


「お話し、できません、か?」


 おでこがぶつかりそうなくらいに身を乗り出して、女子生徒は尋ねてきた。見れば、顔がタコをゆでてるみたいに赤くなっていく。

 ぎこちない言葉は少し震えていた気がする。怒りを抑えるのに必死なのだろう。顔を紅潮させた彼女が琴芽を見つめてくる黒い瞳は揺らいでいる。悔し涙でもこぼれ落ちてきそうだ。表情だって不気味すぎる。口の端が上がっていたが、と呼ぶにはあまりにゆがんでいて、の成分なんて打ち消して「」と肉食獣のようにいつ噛みついてきてもおかしくない気迫があった。


「……お昼、なら」


 のどがしびれたようにひりつく感じもしたが、琴芽はどうにか声をしぼりだして答え、改めて女子生徒の顔を意識的に見つめ返してみる。というのも、彼女は小さく一度だけうなずいて黙り込んだものの、何か言いたげに唇を震わせながら見つめてきていた。まばたきはできても、どうにも目をそらすことができない。

 どうせなら顔をしっかり見ておこう、と開き直ったふりして自分をごまかすことにした。


 黒いと感じた瞳はわずかに青みを帯びているようにも見え、うるんでいる。目鼻立ちはすっきり整っているけれど、これといった特徴がないのが特徴ともいえそうな感じで、あえて言えば少し目が大きいような印象を受けるくらいだ。でも、目が少し大きく思えるのはあまりに近い距離で見つめ合っているせいかもしれない。

 ただ、一つ分かったことがある。

 こうして感情を向けられ、見つめられるまで確信がなかったけれど、まぎれもなく、あの動画の最強不可解少女と同じ顔だった。


 やがて「おはようございます~」と先生の声がした。朝の会ホームルームが始まるのだ。

 最強不可解少女も席に座り、ようやく謎の見つめ合いから解放された。思わず、深いめ息をついてしまう。


「その……ごめんなさい。コメント、消しておくね」

 朝の会が終わった時、目の前の背中へ小声でつぶやくと、すぐさま振り向いてきた。

「消しちゃ絶対ダメ! ダメ、です」

 怒りをこらえているのか、ひそませた熱まで感じさせる表情と声音だ。

「う、うん」

 もしコメントを消してしまったなら、噛みつかれるかもしれない。


***


 ――なんでこんなことになったんだろ?


 昼休み、前を歩く最強不可解少女の後頭部に注目しながら溜め息をつきそうになる。背の高さは同じくらいで微妙に琴芽の方が高いのかもしれない。髪の長さは肩に少しかかるくらいで、琴芽より指の長さ二つ分くらい短い感じだろうか。残念なことに、ぼさぼさ気味で寝ぐせみたいに飛び跳ねているところがいくつもあって、もう少しちゃんとすればいいのに、と思ってしまう。

 この後頭部を授業中に以前から見つめていて、髪がぼさぼさでパッとしない印象の子と記憶していた。朝は「いくら丼まい」の衝撃が強すぎたせいか即座に思い出せなかったけれど、名前は鯉倉こいくら兎渚うなぎだ。

 鯉とうさぎうなぎが混ざっていて変な名前だと思ったので、漢字までしっかりと覚えている。顔の印象がなく、髪の毛と名前の印象が強かったため、このぼさぼさした彼女の髪型をウナギヘアーと琴芽は秘かに呼んでいた。


 ――だから、か。鯉倉の顔をちゃんと見たのって今日が初めてなのね。


 鯉倉のことを今日まで顔で認識したことが一度もなかったせいで、あの動画に出てくる最強不可解少女が鯉倉だとは全く気づけなかったというわけだ。


 鯉倉が向かうのは、校舎や体育館に囲まれた中庭らしく、ガラス扉を開いて校舎の外へ出ていく。


 ――あぁ、逃げ出したいなぁ。


 琴芽は鯉倉に続いて外へ出ていき、ガラス扉を静かに閉めた。そして、扉のガラス部分に映った半透明でおぼろげな自分自身の顔を見つめる。


 中学生の時のことを思い出す。そんなに仲の良くない女の子から「御石おいしってさ、ウサギに似てるよね」と言われたことがある。「どこが私に似てるの?」と尋ねてみたら「顔もだけど、小動物っぽくて空気読みすぎるとこ」と言われた。さらに別の時には「アルパカに似てるよね、おっとりしてるとこ」などとも同じ女の子から言われたので正直よく分からないし、当てにならないと思う。髪を染めている今だと「ラクダに似てる」とでも言われそうだ。


 容姿で特別に何か変なことを言われたのはそのくらいで、お世辞なのか仲間作りなのかは分からないけれど、可愛いと言われたことならば結構ある。ブスと言われたことだって陰口も含めればそれなりにある。でも、美しいと言われたことはどのくらいあっただろうか。


「あの……」


 遠慮がちな声に振り返ると、鯉倉が「どうしたの?」とでも問うような視線を向けてきていた。


「なんでもないよ、鯉倉さん」


 鯉倉の元へと歩み寄る。これからどんな話をすることになるのか。

 あの挑発するようなコメントが琴芽によるものだとバレたがゆえの「お話しできませんか?」なのだ。学校にいる時ならば絶対に使わない言葉ばかり。後悔しても既に遅い。

 ろくなことにならないのは分かっている。


 鯉倉のおかげでスマホには傷の一つすらなくて、画面も全く割れていなかった。けれど、その代わりにこれまで琴芽の大切にしてきたガラスみたいな何かが砕け散って壊れてしまう予感が確かにある。


 痛いほどにざわめく気持ちを落ち着かせるように、琴芽は左手首のヘアゴムに縫いつけられた白いぬいぐるみを胸に押しつけた。


 ――いっそのこと、鼓動こどう打つのやめてくれれば逃げれるんじゃないかな。


 心臓があまりに激しく脈打っていて、そんなことまで思ってしまう。




----あとがきコメント----


 お読み頂きまして、ありがとうございます。御石琴芽おいしことめです。


 この読み物は、私の回顧録も兼ねた音楽グループ《いくら丼まいっ❣》の活動記録です。私の日記を読み返して思い出しながら書いていますし、なんでも書いていいってわけでもないので、脚色が入ってしまったり事実と食い違ったりするところもあるでしょう。でも、なるべく私、ううん、あたしの気持ち、あたしが見て感じてきたことを素直に伝えるよう心がけています。なので、色々な思いを感じ取って頂けたなら、とっても嬉しく、感謝感激、飴おいしです🍬


 応援やフォローを頂けますと書き続けていくのを頑張れそうなので、ぜひお願いします! (by 琴芽)

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