第3話 月のもののババロア①

 半信半疑なのは苦手でいたはずなのに、沙希の前にあるお菓子は添えられたスプーンに手を伸ばしたいくらいに素敵過ぎて。


 そのお菓子の代金が『自分の痛み』というのがよくわからないのに、向い側にいる店長らしき男はにこやかに沙希が食べるのを待ってくれている。


 季節のベリーが刻んだりそのままで器にちりばめられていて、メインはムースよりも固めのヨーグルトババロア。ババロアだなんて、洋菓子店でも最近なかなかお目にかからない。沙希の持つイメージでも少しやわらかいプリンに似たムースと思っていたが。


 耳に心地よいバリトンボイスに騙されないぞと思うも、自分にない『男らしさ』に宥められた感じがしてしまい……つい、スプーンを持ってしまった。




 *・*・*





 自分は他人と違う。それくらいは全然普通のこと、十人十色以上に同じ人間だなんて誰もいたりしない。


 だけど、沙希は自分の名前以外も嫌いで仕方がなかった。思春期とかコンプレックスとかそんな単純なものではない。


『女』で生きていること自体が嫌でたまらないのだ。昔から父に似て、少し肩幅が広くて手足も長く、靴のサイズも大きい。必然的に、フリーサイズしか服が着れないくらいまではよかった。だけど、声変わりがハスキーな高さに転じたことが『嫌』のはじまりに。


 特に中学に上がっても来ないでいた月経がまた遅くなっていて、そのホルモンバランスの崩れもあり、ようやく来た頃にはこじれにこじれて男の格好をしていた二年生も終わりの頃だった。


 男子生徒に紛れ、口調も真似て態度も同じようにしていた沙希だったが。変な激痛に襲われたことでクラスメイトに保健室へ連れて行ってもらい。その生徒を教室へ帰したあとに、保健医が言い放ったのは。



「生理ね。しかもその様子だとストレスとかでそこそこ遅れていたみたいね?」

「……せ、り?」



 沙希は保健医が口にした言葉を反芻したが、頭ではうまく受け止められないでいた。腰とお腹にかかるキリキリとした痛みは、女の証拠。格好や態度をいくら変えていたって、それはただの見栄に過ぎない。


 保健医からコットンなどを渡されたら、トイレへ行く前に見た股の間はたしかに血で汚れていた。授業で適当に聞き流していたが、女の構造通りなのだと思い知ることに愕然とした気持ちになったのだ。



(あいつら知ったら……もう、いつもといられない)



 女であるようなないような、中途半端な沙希を気遣ってくれていたところはあった。だけど、これでは。


 完全に、『女』であることを自覚するしかなかった。性別を変えたいとかそこまで願っていないと言えばウソにはなるが……半端なガタイとかで『女の服装』がしにくいと思うことが嫌だった。それでは、ただの逃避行の一部でしかない。


 下校時間まで保健室に休んだあと。教室に荷物を取りに行けばひとりだけ残ってた。さっきのクラスメイトだったが。



「沙希。大丈夫だったか? ケガじゃねぇんだろ?」



 気を遣われていることにはうれしかったが、やっぱり知られた内容については恥ずかしいと思ってしまう。これまでのやり取りがもう出来ないと察した沙希は、『ありがと』だけ言い残して鞄だけひっつかんで帰ることにした。


 けど、保健医に言われた生理用品などについて……学ランのままで買いにいくのは流石に恥ずかしいよりもいけない気持ちになってきた。いくら性別が嫌いだからって、他人に迷惑をかけたくない気持ちくらいは持ち合わせていた。


 一旦帰宅して、適当な服を着てから母親には正直に話そうと思うも、この格好をするようになってろくに話しもしていない両親は呆れたりしないだろうかと、今更不安になってきた。



 チリン……リン。




 夏もまだ遠いのに、鈴に近い風鈴の音が耳に。


 角を曲がれば、文字は読みにくいが洋菓子店の看板がひとつ。ドアにベルがぶら下がっていたのでそれが鳴り響いたのかもしれない。沙希は考えるより先に、そこのドアを開けてしまっていた。



「いらっしゃいませ」



 姿がないのに、可愛らしい女性の声と思ったが。よく見れば、ショーケースの裏で動いている人影が小さかったのだ。自分にはない身長と可愛らしさ。少し、胸の奥がもやっとしたけれど入ってしまったからには無視しない方が面倒が少ない。


 冷やかしでもいいから、少し覗くかとショーケースを見てみたのだが。



「……可愛い」



 素直に、その言葉が出てしまうくらい沙希の枯れた心に潤いを与えてくれるような……そんな色とりどりの菓子たちが棚に並んでいた。一部だけ和菓子も見えた気がしたけれど、ほとんどが洋菓子のようだ。どっちも嫌いではないが、可愛いものを意識的に避けていた沙希にとって……これはまるで宝石箱の中身を覗いている気分になった。



「おや、いらっしゃい。珍しいお客様だ」



 裏口から出てきたのか、心地よい低温の男の声に沙希は顔を上げる。作ったのがこの当人と言わんばかりに、コックスーツを着こなした爽やかタイプ。沙希の父よりも少し若い感じから、三十代くらいと見た。男を見慣れてきた沙希だから、だいたい言い当てられるだけだが……彼の言い方には少しむっとした。やはり、わかる相手にはわかってしまうことなのだろう。



「……悪かったな。女なのに、学ラン着て」



 身に沁みついた口調も、生理が来たからってすぐには戻せない。数年は矯正したものだからどうしようもないのだ。



「いやいや? 珍しいのは、君の匂いだよ。その服装は二の次。女になりたての身体をしているのに、しんどくないかい?」

「……しんどい?」

「腰とかお腹ですよ。店長は男性だから、少し遠回しに言っているだけです。店長はブランケットを持って来てください」



 初対面の相手に、ここまで良くしてもらう理由がわからない。むしろ、ぽけっとした顔になってしまったと思う。店員の女性に窓側の席に座るように言われ、店長だという男は本当にブランケットを沙希の膝にかけてくれた。



「君は『痛み』を抱えてこの店に来てくれたんだ。注文はもう受けているから、少しお待ちを」

「は? お……わ、たし、お金は」

「大丈夫。今代金の説明をしよう」



 と言って、店員とともに用意してくれたのが。



「『血洗いベリーのババロア』です。お飲み物はホットのルイボス」

「ネーミングはあれだけど、召し上がれ?」

「いや、だから。お金は」

「もらっているとも。今現在、君自身が『痛い』と感じているもの……生理痛以外も全部ね?」

「……胡散臭い」

「けど、痛くないだろう? いろいろ」

「……そう、だけど」



 あれだけの鈍痛以外に、声も抱えていたシコリのようなものも軽かったのは本当。


 だから、つい、手を伸ばしてしまったのだ。皿に添えられていたスプーンに。


 ババロアだというムースのような洋菓子をすくうと、固めのプリンに近い重さを感じ……そっと、口に運んでみた。

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