015 学園見学会 その5 奮闘するリクセリア 前編

「ううっ……」


 ナオに抱かれたまま床に叩きつけられたリクセリア。

 背中から落ちたナオが大半の衝撃を吸収したとはいえ、リクセリアの体にも相応の衝撃が伝わった。

 衝撃に耐えられなかったナオの腕は力を失い、結果リクセリアを手離すことになり……反動で浮き上がった彼女の体は再び床に落ち、小さくうめき声をあげたのだ。


「いき……てる」


 体に痛みが走ったとはいえ、行動不能になるほどではなかった。しっかりとナオが彼女を守った功績だ。


「先生……クランク先生!」


 直前の光景が頭にフラッシュバックし、何が起こったかを瞬時に思い出すと、自らを守ってくれた恩人へと駆け寄る。


「……息は……している。だけど……」


 話しかけても返事はない。だが息はしている。それも僅かなものだ。

 血を流しているわけではない。つまり大きな外傷はないということだが、あれほどの衝撃を一身に受けたのだ。内臓へのダメージは計り知れないだろう。

 すぐに治療を行わなければならない。だがリクセリア自身にその技量もスキルもない。つまりは急いで医者に見せなければならない。


 ――ザァァァァァァ


 音が聞こえたため反射的に上を見上げたリクセリア。


「なっ!」


 頭上から聞こえてきた音の正体は水。

 壁に開いた大きな配管から大量の水が放出されたのだ。


「せ、先生っ!」


 周囲を石壁で密閉された場所。そこに大量の水が降り注ぎ、僅かな時間で部屋の中の水位が上がる。

 倒れたナオの体も水に浸かり始める。


 (もしかしてこれで上まで戻れるのでは)


 ナオの体が水に浮いたのを見て、ふとそう思ったが、次の瞬間、それが甘い考えだったことをリクセリアは分らされた。


「天井が閉まっていく!?」


 音と共に頭上に現れた石材が左右からせり出していく。

 それはまるで彼女たちの頭上を塞ぐ天井の様でもある。


 (トラップ! ここは侵入者を自動で葬るための罠!)


 天井が完全に閉まる。

 上下左右密閉された空間が出来上がり、そこに水が注ぎこまれていく。

 今は水の上に顔を出して息をしていられるが、やがて天井まで水位はあがり、息ができなくなるだろう。


 床から天井まではおおよそ10m。

 すでに水位はその半分まで来ており、リクセリアは足をばたつかせながら立ち泳ぎをし、ともすれば水中に沈んでいこうとするナオの体を支えている。

 チャリ、という音を立てる自らが身に着けているレッドミスリルの鎖の存在を疎ましく思うが、婚約者である第一王子からの贈り物であるこの鎖を捨て去るわけにはいかない。


 (残された時間は少ない。冷静にならなくてはいけないわ。焦りは何も生み出さない)


 常人ならパニックを起こして、そのまま何もできずに窒息死しているだろう。

 だがリクセリアは強い意志で己を律し、打開策を考える。


 一人だったら挫けて諦めていたかもしれない。でも、ここにはナオがいる。

 取るに足らない存在で、これまでの教師と同様に意に介すほどでもない人間だったはずだ。

 だが、自らの危険を顧みず穴へと飛び込んできた変わり者だ。そんな彼に助けられたことは事実。


 (クランク先生をここで死なせるなどあってはラインバート家の名折れ!)


 貴族としての矜持がリクセリアの心を一層強くする。


 天井を見上げる。継ぎ目が無いことが目視できるほどの高さにすでに水位は上がっている。そこからの脱出は無理そうだ。

 大量の水を排出している配管からの脱出はどうだろうかと考えたが、勢いよく水が吹き出している上に、人が通れるほどの大きさではないから、これも不可能だ。


 (これほどの大量の水を使う大掛かりな罠。一度きりの使い捨てであるはずがないわ)


 揺れる水の底を見回す。どこかに排水するための部分があるはずだと考えたが、それは見当たらない。

 すでに頭は天井に当たっている。残された空気も僅か。ナオの顔も天井と口づけする程になっている。


 (あれは……)


 よく見ると、真ん中辺りの壁から小さな泡が吹き上がっている。


 (あそこは外に通じているのかもしれないわ!)


 ちらりとナオの顔を見る。


 (クランク先生、ちょっとだけ苦しいですが我慢してくださいまし)


 ナオの体を抱きかかえると、意を決して水の中へと潜った。


 (先生の体が大きいから、水の抵抗が!)


 ナオの体は沈むのは沈むのだが、横移動をしようとするとその体は水を一身に受けることになる。だけど文句を言っている時間も力もない。


 数m下までなんとか潜って、泡の出ている壁を思いっきり腕で押す。

 すると、水圧がかかっていたこともあって壁が崩壊し……その先へと水が流れ込む勢いで二人も中へと押しやられる。


「はあぁぁっ」


 リクセリアは一回だけ大きな呼吸をした。

 1回だけなのには訳があった。


 壁を割って入った先は小部屋。

 そのため背後から流れ込む大量の水によって、小部屋に残っていた空気はすぐになくなって、あっという間に水で満たされてしまうだろう。


 僅かな息継ぎを済ませたリクセリアは、入り込んできた水で満たされた小部屋内を進み、出入り口と思われるドアにたどり着く。

 重厚な金属製の扉。蹴り破ることは到底できそうにない。だがそこは扉。ドアノブがあるので、手を伸ばして開ければいい。


 だが――


 (開かない!)


 この扉は内側に開くタイプ。力を入れてドアノブを引っ張るも、水圧で内側に開かないのだ。

 一度二度三度と引っ張るがびくともしない。


 これ以上ここで粘っても力尽きて水死体になる。頭を切り替えて再び頭を回す。

 他の部屋があるのではないかとか、この壁も壊れたりしないのか、とか考えながら辺りを見回す。


 ふと、部屋の中にレバーを見つけた。


 (何か起こって!)


 すがる思いでそのレバーを動かす。


 だが――

 

 (何も……おこらない……。そんな……いえ……音が……する)


 水中のために聞き取りにくいが、音は罠部屋から聞こえているようだ。

 急いでナオの体を掴んで音の元へと向かう。


 (あれは排水口!)


 床の端に先ほどまでは無かった穴が開いており、そこから水が外へと排出されているようだ。

 だが、排水されるといっても瞬時に水がなくなるわけではない上、上部の配管からはずっと水が出続けていて、水位が下がる様子が見えない。

 排水設備なのだとしたらいつかは終わるのだろうが、リクセリアの息が限界を迎えるほうが先にやってくることは明白で、意識のないナオはすでに呼吸を止めている。


 (行くしかないですわ)


 残った力を振り絞って、水の底の穴へと向かい……吸い込まれるようにその穴へと飛び込んだ。


 リクセリアの息はもう限界だった。

 なのに、排水口の途中には鉄の柵があった。


 流れる水はそこを通れるが、二人の体はその柵を通れない。


 絶望するリクセリア。

 その目にナオの姿が映る。

 最後の最後。もう駄目だというときに浮かんできたのは、ナオを助けることができないことへの申し訳なさやラインバート家の矜持ではなかった。


 リクセリアの脳裏に浮かんだのは、つい先ほどナオに授業で打ち負かされた場面だったのだ。


 (はぁ!? こんな鉄格子なんてわけないですし!?)


 脳内のナオに煽られた。その途端に力が湧いてきた。

 鉄格子と言えど、女の子の力で壊せるようなものではない。


 そんなことはお構いなだと言わんばかりに、リクセリアは怒りに任せて思いっきり鉄格子を蹴りつけた。


 幸運なことに年季が入っていて経年劣化していた鉄格子は、ガコンという音とともに外れて――二人の体は水と一緒に外へと排出された。

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