第8話

 血相けっそうを変えて戻ってきた四人を見て、他のメンバーは驚いた様子だった。


 玲奈れいなが「怖かったあ」と言ったきり、その場にうずくまって泣き出したため、兄である神田かんだ和馬かずまが彼女を少し離れた場所に連れて行ってなだめ始めた。


 それを横目に見ながら、間宮まみや香奈かなが冷静な口調で「何かあったの?」と芽依子に尋ねてきた。香奈の後ろで歩美も真剣な表情で芽依子を見ている。

「うん、ちょっとね……」

 久しぶりに全力で走ったせいで息が切れて肺が痛い。何度か深呼吸を繰り返して、芽依子はやっと話ができるくらいに呼吸を整えることができた。



「そんなことがあったのか」

 神田和馬が車の運転をしながら言った。

 帰り道、芽依子は歩美と一緒に神田和馬の車に乗せてもらっていた。助手席には和馬の妹である玲奈が座り、後部座席には芽依子と歩美、そして櫻田さくらだアルトが乗っている。

 中島誠司は間宮香奈の車に乗せてもらっていたはずだ。あの二人は幼馴染で家が近い。他のメンバーを送ってから帰宅するのだと香奈は言っていた。


「冷静に考えると何でもなかったと思えるんですけど」

 芽依子は恥ずかしさを誤魔化ごまかすために明るく笑った。


 玲奈の兄である神田和馬は理学研究科の大学院生であり、理学部に所属している芽依子から見るとサークルの外でも学業においての先輩であるということになる。芽依子は心霊だのオカルトだのには懐疑かいぎ的であるし、それはきっと神田和馬も同じだろう。


「俺はオカルトは信じていないんだけどね」

 芽依子の予想どおり、和馬はきっぱりとそう言った。

「でも、夜にあんな場所で周囲を大勢に取り囲まれているかもと想像すると確かに怖い。心霊がどうとかじゃなくね。四人全員が聞いたんだから、枝や風の音自体は実際にあったんじゃないか? でも集団心理で実際よりも大げさに聞こえたっていうのはあり得る話だと思う」


「そうですよね。雰囲気に飲まれちゃったと言いますか……」

 話しながら、芽依子は歩美を挟んで座る櫻田の様子を横目で確認する。

 櫻田は工学部の理系学生だ。普段の彼の態度からして、お化けなど鼻で笑いそうなものだ。

 しかし、櫻田はずっと顔を斜めにして窓の外を眺めており、芽依子の位置からは彼の表情がわからなかった。

 そう言えば、肝試しのスタート地点に戻ってから彼の声を聞いていない気がする。元々饒舌じょうぜつなタイプではないので気にならなかったが、もしかしたら疲れてしまっているのだろうか。


「櫻田君、あの時落ち着いてたよねえ。ちょっとかっこよかったかも」

 助手席の玲奈が猫撫で声を出したが、櫻田は沈黙したままだった。

「それに比べて誠司君は、なんか情けなくてがっかり」

「ちょっと」

「こら玲奈、そういう言い方はないだろう」

 歩美の声と神田和馬の声が重なった。

 玲奈は「はあい、ごめんなさい」と首をすくめたが、それは和馬に対してだけだと芽依子は思う。玲奈がそういう子だと、一年以上の付き合いを通して理解していたつもりだが、こういう時は少々うんざりする。そもそも、あの場で櫻田に反発していたのも玲奈だと言うのに。


 神田和馬は大学近くの大通りに面したコンビニエンスストアの駐車場に後部座席の三人を降ろした。

 手を振る神田兄妹に頭を下げ、車が交差点を曲がったのを見届けて芽依子は伸びをした。

「ふう、何か疲れちゃったねー」

「うん、でも無事に終わってよかった。二人ともお疲れ様。今日はありがとう」

 歩実は芽依子と櫻田に礼を言った。


 ここから芽依子と歩美、それぞれのアパートは同じ方向にある。

「私達はあっちに歩いて帰るけど、櫻田君はどっち?」

 そう声をかけた芽依子は、櫻田の様子がおかしいことに気付いた。ひどく顔色が悪く、体調が悪そうだ。よく見れば額には汗がにじんでおり、何かをこらえるかのように眉間には皺が寄っている。


「櫻田君? 大丈夫?」

 歩美も彼の様子に気付いて驚いた顔をした。

「……別にどうともねえ」

「全然どうともなくなさそうだよ。もしかして体調悪かったの? 無理して付き合ってくれてたんだったら――」

 櫻田の顔を覗き込む芽依子の後ろで、軽快なチャイムが鳴り、コンビニの自動ドアが開く。

「あら」

 涼やかな、しかし落ち着いた上品な声がした。 


「こんばんは。今お帰りですか?」


 芽依子が聞き覚えのある声の方に振り返ると、左手に白いビニール袋をげて微笑む蜘蛛塚くもづか百合ゆりが、コンビニの入り口の光を背負って立っていた。


「蜘蛛塚……、ちょうどいい。助かった」

 もはやしゃべるのも億劫おっくうそうなかすれ声で櫻田が言うと、蜘蛛塚百合は満足そうに目を細め、ニイッと口角を上げた。


「相変わらずですね、アルトさん」

 蜘蛛塚は芽依子と歩美には一瞥いちべつもくれず、ピンヒールをこつこつと鳴らして櫻田に近付き、彼の肩甲骨あたりをポンと払った。

 それだけだった。

 数秒、櫻田は何かを確かめるように自分の体を見下ろして、ふうっと息を吐き、「助かった……」と首のりをほぐす時のように首を回した。

「それは御座ございました。あら……?」

 何かに気付いたような蜘蛛塚の灰色の瞳と目が合い、芽依子はどきりとした。

 蜘蛛塚は長い睫毛の下から、じっと芽依子を見つめている。

「あの……?」

 蜘蛛塚に見つめられ、だんだんと気まずくなった芽依子は自分から声を出した。

 しかし、蜘蛛塚は薄く形の良い唇は口角を上げた笑みの形に結んだまま、すぐに櫻田に視線を戻した。

「ハーゲンダッツの新作を買ったのです。溶けてしまってはいけませんから、これで失礼いたします。さ、アルトさんもまいりましょう」

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