敵方(四)

「貴女にもう縁談を持ってくるとは、左相も困った方ですね」


「……」


 理那は何と答えてよいやらわからない。


「うまく断れなかったようですね」


「……ええ」


「わかりました。私からも、口添えして差し上げましょう」


 にっと笑う耶津。理那は返答に窮した。


 耶津はそれを横目に見ながら、ふと大空を見上げて、


「そういえば」


と、急に思い出したような口調を繕った。


「心海が中正台に務めることになったそうですよ。理那殿はご存知ですか?」


 一瞬、理那は凍り付いた。しかし、耶津の小馬鹿にしたような視線が、空からこちらへ向けられたことを感じると、彼女は笑みを繕って、


「え、ええ。存じております」


 耶津は心からそう思ったのか、作ったか、いかにも意外という表情になった。


「なんと、ご存知でしたか。お耳の早い」


 目を見開いている。


「教えて差し上げようと思ったのだが、その必要はなかったようだ。もしや、心海自らが、貴女に報告に来たので?」


「まさか!そんなことあるわけが……」


 理那は胸が冷え冷えするのを感じた。いつ会っても、この人には冷や汗をかかされる。しかし、今ほど心を冷やしたことが、これまでにあっただろうか。


「まあ、そうですよね」


 耶津は構わずからから笑っている。


「で、理那殿は、心海が中正台に任官することになった理由をご存知ですか?奴は何をしようとしているのでしょう?」


「さあ」


「そうですか?」


 耶津が理那の目をじっと見つめてきた。理那は逸らしたい気持ちを耐えて、真っ直ぐ彼の顔を見上げる。


「では、貴女は奴が何をしようとしていると思われますか?貴女のお考えをお聞かせ願いたい」


「耶津様は?どのようにお考えです?」


 目を逸らさず、逆に問い返した。


 耶津は不意にくすりと笑った。そして、臆しも惜しみもせずに。


「具体的にはわかりませんが、大内相をはじめ、朝臣達のほとんどを追い出そうと、画策しているのでしょう。大内相の周辺は、汚職の臭いがぷんぷんする。大内相を追い出すには、汚職を明らかにするのが手っ取り早い。おそらく心海は、汚職の調査をしているのでしょう」


 あははと笑う。ひどく自信に満ち溢れているように見えた。


「耶津様は大内相の派閥の重鎮でいらっしゃるのに、随分と余裕がおありですのね。心海様が汚職を明らかになされば、貴方も朝廷を追われる身となりましょうに」


 それでも耶津は余裕の表情で笑っている。


「耶津様は、心海様の調査は失敗すると思っていらっしゃるのですか?それとも……」


「理那殿!貴女は成功して、奴が朝臣のほとんどを追い出してしまうと思っているのですね。だから、左相と手を切ろうと、縁談を断りにやって来たわけだ」


「心海様なら、やり遂げてしまわれると思いますが……」


「確かに、あんな男は見たことがない。一人で百人分の能力を発揮しますからね、奴は」


 そう言いつつも、かなりの余裕。


 耶津もかなりの切れ者だ。心海でも、耶津には勝てないこともあるかもしれない。


 耶津が心海の汚職の調査を妨害すれば、多分、心海の調査は失敗するだろう。耶津がやろうとすれば。耶津ならば。可能に違いない。


 しかし、耶津のこの表情は違う。理那はそう直感した。耶津の企みは、心海の調査の妨害ではない。では、いったい何か?


「理那殿は心海を高く評価しておいでだ。皆、奴をわかっていない。奴への正当な評価を下せるのは、貴女と私だけ。だが、私は奴に嫌われている。私は味方になりたいのになあ」


「味方、ですか?」


「ええ」


 理那は何となく、耶津のことが見えてきた気がした。


「心海は大した偉大な奴です。考えることが壮大だ。朝廷の臣下のほとんどを一掃してしまおうというのですから。確かに、今のままでは、国は近々契丹(遼)に攻め滅ぼされるでしょう。今、朝廷にいる重臣達は、何の対策も立てていない。この国を思うなら、私利私欲は後回しにして、今は国益に奔走しなければならない時なのに。心海のような憂国の士には、朝臣達は塵でしょう」


「耶津様はそこまで見えていながら、何故、その塵とまで仰有る方々とご一緒にいらっしゃるのですか?」


「理那殿。司賓卿をどう思われますか?貴女も逆賊と思っていらっしゃる?」


 その言葉を聞いて、理那はようやく察することができた。


「この国の末路を考えれば、大内相達のしでかしたことは、結果的には司賓卿と同じことですよ。いや、人の心はわからない。もしかしたら、大内相の一派の中にも、心は司賓卿と同じ人もいるのかも。わざと……」


「昔耶津様」


 理那は遮った。確信した。耶津を。


「貴方様ほど賢い方はいませんわ。心海様は貴方には劣ります」


「ほう?どうしてそう思うのですか?」


 耶津は興味深そうな目をして、理那を見やった。


「どうして、心海様が貴方の味方にならないのか、貴方はよくご存知なのですね。ええ、でも、私もこの国に逆賊が多いのは、仕方のないことだと思っています。この国は烈氏の国。大氏の国ではない」


「ん?」


「心海様は敵を追い出すためならば、手段なぞ何でも構わないという御方。本来議論すべきことを議論せず、汚職で手っ取り早く片を付けようだなんて、いかにも清廉の士からかけ離れていますわ。でも、あれで実は、他の誰よりも清廉潔白な方なのです。国を、王朝を守ることに徹している方。国一番の忠臣です。堕落した朝臣達を追い出し、この国の舵取りをしようとしている。そして、国を正しい方に導き、外敵から守ろうとしているのです。心海様はこの烈氏国の忠臣。でも、耶津様は違っていましたのね。てっきり、貴方もこの国の忠臣だと思っていましたが」


「私がこの国の逆賊だと?だったらどうして、司賓卿に与しないので?」


 耶津は司賓卿と内通しているが、わざとそう言った。


「司賓卿は逆賊。でも、司賓卿はこの国自体が逆賊なのだと思っていらっしゃる。それもわかることではあるのです。烈氏から、大氏の王朝を取り戻そうという、司賓卿の考えも理解できます。司賓卿も、大氏から見たら忠臣ですね。でも、貴方は司賓卿とも違う考え。どうして大内相の派閥にいらっしゃるのか、その中の有力者であるのか、よくわかりました」


「ほう?」


「貴方は、烈氏王統から見ても逆賊だし、大氏王統から見ても逆賊なのでしょう?」


 ふふと面白そうに耶津は笑う。


「滅ぼしたかったら、その中に入ることですわ。心海様のように、たった一人で、真っ正面から何百もの強敵と戦うやり方は、潔いけれど、決して賢くはない。耶津様の方法の方が、賢いのでしょう。心海様の目的はこの国を守ること。貴方とは根本から違っている。貴方の目的は、この王朝を滅ぼすことですもの」


 耶津はいよいよ破顔した。


「理那殿は面白い」


「この国の最大派閥に入って派閥を操り、国を弱体化させ、王朝を滅ぼすのが目的ですね。けれど、外は強敵だらけ。大掛かりな戦で、この国を滅ぼすべきではなく、余り兵を使わずに、易姓革命を進めたい。その為には、頭をすり替えるだけがよい。貴方は自らが王となった時、今いる朝臣達を、そのまま使うおつもりなのでしょう。その時、彼等をうまく操れるように、誰も貴方に反発できないように、今のうちから、最大派閥を牛耳っておこうということなのでしょう?」


「あははは!理那殿!貴女、私を極悪人だと思いますか?」


 理那は首を横に振った。


「耶津様も心海様と志は同じでしょう?この定安国の政治を正し、民を守り、この国土を外敵の侵攻から守りたいと思っていらっしゃる。国を正しく導くためには、権力が要る。貴方は王への忠義がないから、自らが王になって民を守り、正しい政治をしようと思っていらっしゃる。心海様は王への忠義があるので、重臣となって、国を牛耳ろうとしている」


「王への忠義があるかないかの違い、か」


 耶津は笑いをおさめて呟いた。


 耶津の心中を理那は見事に言い当てていた。


 彼は王となり、この腐敗した国を改めたかった。


 理那の言う通り、戦なく、王位を禅譲されたかった。そのために、最大派閥の重鎮となった。彼等を従え、王に禅譲を迫るために。


 しかし、それがうまくいかないことも考えられる。その場合は兵が必要だし、今の王統を滅ぼそうとしている司賓卿を利用しようと考えていた。


 司賓卿は烈氏を追い出し、大氏を王に迎えようとしている。司賓卿が烈氏を追い出したら、司賓卿を殺して、どさくさに耶津が自ら王となる。


 耶津は王となるため、幾つもの手を打っていたのだ。


「心海と私の志は同じと思いますか?だったら、心海は私に協力してくれてもよい筈なのに、奴は私を敵視している。何故だかわかりますか、理那殿?」


「え?」


「理那殿。私は、貴女が女人であることが本当に惜しい。貴女が男であったら、貴女を味方にしたい。貴女が味方になってくれれば、心海など、味方でなくてもよい。しかし」


 極めて真面目な顔で、耶津は理那を見つめた。


「残念ながら、貴女は心海をわかっていない」


「……?」


「心海が私を敵視するのは、心海が私と同じだからですよ」


 心海に王への忠義があるから、逆賊の耶津を敵視している──理那はそう思っているが、違う。


「目的のためなら手段は選ばない奴ですよ、お忘れなく。忠義なんて、一番似合わない男だ」


「昔耶津様……」


「私の祖母は日本から贈られた舞姫の娘。それに、本当かどうか知りませんが、言い伝えによれば、遠い遠い祖先は、千年以上も昔の祖先は、倭人の王であったそうです。心海はそのことで私を誤解している。奴は私の野望だけを見ている。私が、自分の王国を作りたいだけなのだと、そう思っているのですよ。でも、理那殿は私の志を見抜いた」


 その時、向こうから、執事を従えた左相が出迎えに歩いてきた。


 近づいてきた左相は、まだ帰らずにいた理那を、


「おや」


と、目の隅で見やったが、耶津が藪から棒に、


「左相。理那殿の縁談はなかったことにして下さい。理那殿は私が娶りたい」


と言ったので、左相は目を剥き、理那も仰天した。

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