両片想いのまやかし婚~あやかしの頭領は江戸のオタク女を溺愛する~

三咲ゆま@1月後半までお休み

第1話 嫁入り

「ふつつか者ですが、何卒よろしくお願いいたします」


 晩秋の夕刻、三つ指をつき頭を垂れる女の口もとは、柔らかな笑みをたたえている。

 山の奥地に構えられた豪奢な邸宅の一室には多くの来賓が詰めかけている。

 密やかに婚礼の儀が行われているのだ。

 が、その様相は異常なものだった。


「頭が高いぞ」


 嫁入りの挨拶を終え、面を上げようとした女の頭頂を足蹴にして、男が眉をひそめる。

 男の耳は先端が尖っており、頭には二本の角が生えている。異形だ。

 この男こそが亭主となる者。

 足蹴にされ、頭を畳に擦りつけた姿勢で身を固くする女は、その妻となる者だった。


 

 書店の娘として生まれたみつは、両親からの愛情を一身に受けながら、大好きな本に囲まれて幸福な日々を送っていた。

 人生の転機が訪れたのは、十六の時である。

 大店(おおだな)として知られていた実家に、ある夜火付け盗賊が入り、家族共々家を焼かれたのだ。

 間一髪逃げ出すことができたみつは、その足で母方の実家である染物屋へと駆け込んだ。

 染物屋の夫婦は食い扶持が増えることに難色を示したが、働き手として薄汚い物置小屋にみつを置くことに決めた。

 その日からは誰よりも早起きし、働いて働いて、眠るのは町が寝静まった深夜だった。

 粗末な食事で酷使される日々。

 すり減って行く心をあたためる唯一の楽しみといえば、燃えさかる実家から唯一持って逃げることができた数冊の読本(よみほん)に触れる時間だった。


 月日は経ち、みつの齢もいつしか二十三を数えていた。

 この時代では行き遅れと呼ばれる年齢である。

  


 そんな折、お上から日の本全土にお触れが出た。

 曰く「我が国のあやかしを統べる嵬(かい)族の嫡男が、このたび家督を継がれた。よって我々人間の中から嫁をつのる。嵬族に嫁いだ者の家には相応の手当てを与える」とのこと。

 嵬族は、奇怪な容姿の者がほとんどであるあやかしの中にあって、珍しく人間に近い風貌をしている。見た目だけは怖くはない。

 けれど、その内面は冷酷で残虐。生物を殺めることに躊躇がなく、人間のことを見下しているので、嫁いだら地獄を見るといわれている。

 しかし、婚礼に際して幕府から給付される支度金の額は莫大なものであり、庶民にとって富くじにも勝る千載一遇と騒がれた。

 生活に困窮する家から、次々に娘たちが候補として江戸に送られる。

 集まったのは二百人程度。

 その中には、みつの姿もあった。


 あやかしと人間の間に協定が結ばれたのは七百年前のこと。

 人間の血肉を好むあやかし達は、たびたび人里におりて、人間を襲い喰らった。

 対する人間側は事が起こる度に討伐隊を組み、あやかし達の牙城を攻撃した。

 そんないたちごっこの末、停戦協定が結ばれた。双方の生活領域をはっきりと区分し、互いに干渉せぬという内容だ。

 その取り決めの中にあるのが、和を保つため、あやかしの頭領たる嵬族には、人間の嫁を嫁がせるというものだった。


 

「磨徒(まと)様、以上で婚礼の儀は仕舞いにございます」


「ああ」


 磨徒はこのたび嵬族の家督を継いだばかりで、長寿であるあやかしの中では年若かった。

 二本の角、尖った耳に白髪、額には嵬族である証の紋様が浮かんでいる。束帯に似た和装に身を包み、涼やかな目元の端正な顔立ちだ。

 彼が足蹴にしていた女は、先述のみつ。

 質の細い黒髪を編み込んだ晴れやかな結い髪は、無様に乱れていた。

 磨徒が足を下ろし、ふたたび上座に座ってもなお、みつは体勢をくずさなかった。


「お滝、この者を俺の部屋に案内しろ。俺は先に部屋で待つ」


 そう伝えると、磨徒はみつに一瞥もくれることなく部屋を出ていった。

 お滝と呼ばれたのは、白蛇のあやかしだ。

 上半身だけは人の形に近いが、着物の裾からうねうねと伸びる下半身は、蛇そのものだった。


「私の後を」


 そう声をかけてお滝が部屋を出ると、みつもそれに続く。

 歩きながら、そっと乱れた髪を整える。

 此度の婚礼は人間の参列を禁じてあるため、参列者は全員あやかしだ。

 障子の隙間から顔をのぞかせ、廊下を凝視する複数の不気味な視線がみつを包む。

 そんな状況にあっても、彼女は笑顔を絶やさなかった。


「奥方様は、我らが怖くはありませぬか?」


 にこにこと廊下を渡るみつの顔を覗き込みながら、お滝は尋ねた。

 するとその笑顔を崩すことなく、穏やかな声色で返答があった。


「怖くはありません。仲良くしたいです」


「変わったお方でございますねぇ。けれど、そういうところを磨徒様は買われたのだと思います」


「そうなのでしょうか。お嫁さん候補がたくさんいた中で、私を選んでいただけたことが光栄で」


 みつは両手を胸の前で合わせながら、ふわりと笑みを見せた。

 物怖じせず肝の据わった娘である。

 それは他の候補者の誰一人として持ち合わせていなかった、みつの最大の美点であった。

 嵬族の嫁を目指して集められた二百人の候補は、一人ずつ磨徒と顔合わせをし、その人となりを細かに検分された。

 その後、あやかし達による会合で正式に嫁となる者が決定したのだが、今年は異例となる即決だった。


「あやかしの皆さまは、普段はいずこにおられるのですか?」


 お滝について長い廊下を歩きながら、みつは庭先に目をやる。

 池の中には美しい蒼をまとった、尾ひれの長い魚が泳いでいる。

 庭木も美しく手入れされており、細部に至るまで庭師の心配りが感じられる。

 広大な敷地に立つ屋敷は、みつが江戸にいた頃に見た天守つきの城のように高さはないが、横に広く造られている。

 人間の世の建物との違いは、柱から障子の桟まで、至るところに鮮やかな紅が使われていることだ。あやかしの都では、紅が縁起色とされている。


「皆、都の中に住まいを構えておりますね。あやかしの都は、人里から離れた山裾を入り口として、結界の中に広がっております」


「さぞ賑やかなのでしょうね」


「それはそうなのですが……基本的に嵬族に嫁がれた人間の奥方は、屋敷の外へお出でになることはありません。ご実家への道のりも、二度とは歩めぬものとお覚悟ください」


「そうですか……構いません。私は人間の世を捨てて参りましたので」


 どこか諦観したようなみつの佇まいに、お滝は面食らっていた。

 お滝は長寿である白蛇のあやかし。長く嵬族に仕えているため、遡って磨徒より二代前の当主の妻までよく知っているが、いずれも嫁入り当初はおどおどとして、あやかしの姿を直視できなかった。

 それに比べて、みつは……。


 

「さて、こちらが磨徒様の居室にございます。これよりは、お二人で」


 深々と頭を下げ、するすると身をくねらせながら、お滝は廊下の向こうへと姿を消した。

 みつは締め切られた障子に向き合い、深呼吸する。

 そして着物の裾を折り正座すると、障子ごしに頭を下げた。


「旦那様、みつに御座います。ふつつか者ですが、何とぞよろしくお願いいたします」


「入ってくれ」


 氷柱のごとく鋭い声色が、室内から漏れる。一言返事をして、みつは敷居をまたいだ。

 床の間を背にして、磨徒が座している。先ほどは立て膝だったが、今は正座で両膝に掌を乗せている。

 随分雰囲気が違うもので、みつは一瞬目を見開いた。


「俺の前に座ってくれ」


「はい。失礼いたします」


 対峙した磨徒は、憑き物が落ちたように穏やかだ。声を荒げることもなく、静かにみつを見据えている。

 しばしの沈黙のあと、両者同時に口を開いた。


「謝りたいことがございます」

「謝りたい事がある」


 かち合った視線は、双方わずかにおよいでいた。驚きと戸惑いの色を含んでいる。


「何だ、謝りたい事とは」


「いえ、旦那様からどうぞ」


「俺は後で構わん。話してくれ」


 みつは再度譲ろうとするが、磨徒の射るような視線に捉えられ、口をつぐむ。

 そうして一息つくと、意を決したように磨徒を見据えて言葉を吐き出した。


「私は天明春待月(てんめいはるまちづき)という読本に夢中でございまして、家業の手伝いがない時間はいつもそれらを読み、過ごしておりました」


「ふむ……?」


 何を語り出したのか、と磨徒は怪訝な顔で眉根を寄せる。しかし、みつの話は止まらない。


「天明春待月には、あやかしの皆様を模した物の怪が登場致します。その物の怪の頭領が、月鬼(げき)様でございます。気高く、自信に満ち溢れ、時に傲慢に、時に猟奇的に振る舞うそのお姿は、私の理想そのものなのです」


「おいちょっと待」


「私は月鬼様が好きです! 心から愛しております! 四六時中月鬼様のことを考え、実在しない存在だと知りながらも恋い焦がれておりました!!」


「一旦止ま」


「月鬼様以外に嫁ぐつもりはございませんでしたが、この度、あやかしの頭領である旦那様が奥方を募っているとの話を聞き、私の望む婚礼にたどり着く機会はここしかないと、すがりついた次第にございます!」


 矢継ぎ早に語り終えたみつは、息を整えて頭を下げた。


「旦那様に、月鬼様を重ねておりました。大変なご無礼、心よりお詫び致します。ご処断はお任せ致します」


 場に沈黙が走る。長時間におよぶ静寂。

 それを破る口火を切ったのは、磨徒だった。


「つまり、こういうことか? お前には想う相手がおり、その者は存在せぬと……?」


 口に出しながら、やはり何を言っているのか分からなくなり、磨徒は顎に手を当てて首をひねった。

 存外愛らしい仕草をなさると、みつはしばし呆気にとられる。

 しかしながら、相手は人間に対する嗜虐心に満ちたあやかしである。

 己の働いた無礼が死に直結するものであることは覚悟の上。

 ただただその処断を待ち、表情を固くする。


「本の中に、彼は生きております」


 生きる全てであった読本を捨て、人間としての生活までも捨て、みつはあやかしの都に嫁いできた。

 されど、心の奥底に熱く沸き立つ月鬼への気持ちは止められない。


「話をすることも、触れることもできぬ相手を好いているのか」


「構わないんです。お会いしたこともない、お話したこともないお方ですが、私は月鬼様を想うだけで幸せです」


 理解の範疇を超えていた。

 そのような空虚で無意味な懸想に一体何の意味があるのか。

 磨徒は額をおさえ、大きく息を吐いて、目の前にいる不可解な生き物を視界に入れる。

 深々と頭を垂れたまま神妙な面持ちで磨徒の言葉を待つみつは、秒読みの死を待つ罪人のようだった。

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