第7話 紙のカエル


 ここが記憶の中の自分、千鶴がいた世界だったら自分の頭がおかしくなってしまったと疑っただろう。

 でも、ここは神が直接人々に加護を与える世界。

 時に高位の神官に直接信託を与える神々もいるという。

 もちろん信託を授けられるのは、信者が多く、強い力を持っている神々だけと言われている。

 信者が少なく不人気の紙の神では、信託など到底無理だ。

 でも――オリトの声に、ピョッコンっとどこか嬉しそうに跳ねるカエルは、明らかに紙の神が動かしているとしか思えない。


「……なるほど。折り紙が気に入りました?」


 ピョッコ、ピョッコン!


「良かったです。今日は残りも折るんです。何がいいかな。動物は好きですか?」


 ピョン!


 白のそっけないカエルなのに、とても可愛らしい。

 無表情鉄仮面のオリトの口元がわずかに緩み、目が子供らしい輝きを放つ。

 オリトはその表情のまま、手元の紙の位置を直しながら折るべき生き物を考える。


 この世界の生き物と地球の生き物は同じだろうか。

 あの世界には乗り物や恐竜など、ここには明らかにないものもある。でもそれはそれで空想上のものとして作れば、神様は面白がってくれるかもしれない。


(どんな反応するのかな)


 とりあえず今日は初日だから、この世界で見たことのある生物を。

 そう考えて真っ先に浮かんだのは、今日も近くで見た大きな生き物。

 折り紙の端と端を合わせ、長い長方形を作る。そしてさらに半分にして正方形に。

 手順は途中まで折り鶴と変わらない。

 サッサッと手際よく紙を折っていき、途中でオリトは手を止める。そして先ほどペーパーナイフを取り出した引出しを開けた。


 ピョン!


 カエルが机の端に来て、まるで「何をしてるの?」というように引出しを覗き込もうとする。

 やたら仕草が可愛らしい神様だ。


「ハサミで、ここを切るんだ」


 オリトはハサミを手にして、慎重に折り紙の途中まで刃を差し込む。

 子供用のハサミではなく、普通の大人も使うハサミは重くて位置を間違えたらA4の薄い紙など一気に切れてしまう。

 シャキンと軽い手ごたえと共に、狙った位置まで切り込みが入った。

 そして切れ目から手早く紙を広げて、残りの手順を進めていく。


 広げてはくるりと前後を変えて、折って曲げて。

 オリトの指ギリギリまで近寄って来たカエルは、興味津々にオリトの作業を見つめている。

 実際の神様の目はここじゃなくて別のどこかから見ているんだろうけど、なんとなく好奇心の強い猫みたいで可愛い。


(次は、猫かな)


 折り紙の最後の仕上げをしながら、次に折る動物を思いつく。

 出来上がった作品をそっと机の上に置く。カエルがぴょこぴょこと跳ねて、折り紙の周りを一周した。

 最後にピョッコンと飛んでからオリトを見上げる。「これ、何?」と言う声が聞こえてくるようだ。


「これは、馬だよ……馬です」


 猫にしか見えなくなっていて崩れた言葉を慌てて直す。

 それから指を伸ばして、折り紙で折った馬の尻尾に当てた。


「そこ、危ないから少しどいていてください」


 そういうと、カエルがピョコピョコと慌ててピトッとオリトのすぐ近くに身を寄せる。ここなら安全だという確証でもあるのか。

 しかし一柱の神がただの折り紙の馬に怯えるだなんて、なんとなく間抜けで愛らしい。


「いきますよ」


 そう告げ、オリトは馬の尻尾を下から跳ね上げる。


 ポン!

 ピョコ!


 馬が一回転すると同時、カエルがその場で大きく跳ねた。


「これは、暴れ馬っていう作品です」


 宙がえり馬とも呼ばれる折り方で、回転しながら前方に飛んでいく馬だ。


 ピョッコピョッコ!


 楽しそうにカエルがその場で跳ねる。

「もう一回、もう一回!」、そんな声が聞こえるようでオリトは口元を緩めて再び馬を跳ね上げる。


 ピョコ!! ピョコ!


 激しく飛び回るカエル。

 猫じゃなくて幼い子供にしか見えなくなってきた、と本物の十歳の子供であるオリトは感想を頭に浮かべた。

 そこでふと気づく。


(あれ? 祝詞って頭の中で言ったら伝わるってことは、今考えていることも伝わるとか?)


 猫とか子供だとか、もしかして失礼なことを考えていたのが伝わってしまったかもしれない。

 手を止めたオリトのそばに、ピョコピョコと寄って来たカエルが「もうやらないの?」とでもいうように体を揺らす。

 なんとなくではあるが、今の状態ではオリトの声は聞こえてないように見える。


(もしかしたら、力が弱いからこっちに顕現? してる時は心を読めないのかも)


 カエルを動かすことに集中しすぎて、能力を同時に仕えない可能性がある。

 力の弱い神が大きな奇跡を起こすこと自体、珍しいのだから。

 ちょっとだけ緊張を解きつつ、なるべく余計なことは考えないことにしてオリトは二度、三度と馬を動かす。

 だが同時に、徐々に体に広がっていく疲労感にも気づいた。

 オリトが家に戻ってからだいぶ経つ。もう寝ないと十歳の体は限界が来ている。

 残りの折り紙は五枚。それを全て折ってすっきりと今日を終えたい。


「神様。残り、折っていきますね。僕、そろそろ寝ないといけないので」


 そういったオリトに、答えるようにピョコンとカエルが跳ねる。

 これは了承と判断していいのかいささか不安が残るものの、オリトは次の紙を手に取る。

 次は先ほど決めた猫。

 猫は何種類も折り方があり、胴体と頭が別々のもの、子供でも折れる平面的なもの、技巧を駆使した立体的なものなど様々だ。

 どうせならジャンプして遊べる猫がいい。

 出来あがって猫を動かしたら、きっとまた神様はピョコピョコ跳ねて喜んでくれるだろう。

 その姿を想像しながら、オリトは手を動かし始めた。




 出来上がった作品を並べ、オリトは満足の息を吐いた。

 暴れ馬、ジャンプする猫、立体的な猫と、小さなネズミ、もう一回り小さな紙で作ったカエル、そしてバラの花。


 ピョッコピョッコと嬉しそうに跳ね回るカエルは、オリトが折り紙を折っている間も、折り終わってからもずっと上機嫌だ。

 これほどまでに喜んでもらえるのならば感無量。

 千鶴だった頃に手を叩いて喜んでくれた母親の姿がうっすらとよぎり、オリトは眠気にしょぼしょぼし始めた目元をコシコシと拭う。


「これは全部、今日紙の神様にいただいた力で初めて出した紙で作りました。これからも出した紙を一部、折り紙にして神様の元にお届けしてもいいですか?」


 カエルを上から覗き込むようにして尋ねると、カエルはオリトと顔を合わせるようにくるりと向きを変えてからピョンっと揺れた。

 これで神様の了承も得たし、オリトは好きなように折り紙を折れる。神様も喜んでもらえるなら、貰える祝福も増えるかもしれない。

 全方向でハッピーだ。

 オリトは表情を変えないまま、心の中でニシシと黒い笑みを浮かべた。

 そんなオリトの前でカエルがピョッコンと跳ねる。


「どうされました?」


 声を聞くことはできないと知りつつも尋ねる。

 するとカエルはその場で一度ジャンプし、それから――突如、宙に消えた。


「え?」


 一拍の間の後、オリトはきょろきょろとあたりを見回す。

 今の一瞬で、どこかに落ちてしまったのか。

 慌てて床や周囲に視線を走らせたオリトの体が、ピタリと固まる。

 机の上、さっきまで六つの折り紙作品が並んでいたその場所から、全ての折り紙が消えていた。


「……なるほど」


 きっと満足した神様が連れていたのだろう。

 少しだけ寂しい気持ちと、喜んでもらえたはずという満足感が胸に広がる。


「ふわぁぁ……ねむ」


 そして一気に襲ってくる睡魔。

 オリトは突如重く感じ始めた体を引きずり、ベッドにダイブしたのだった。



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