第4話 夜勤の人は、自分の異変に気づかない
その夜、ログインした瞬間に違和感があった。
警備区画に入る前から、
音が少し遅れて届く。
照明の点滅も、
ほんの一拍だけズレている気がした。
気のせいだと思おうとした。
でも、ここ最近、
“気のせい”が当たることが多い。
「……あれ?」
警備区画に入ると、
彼女はいつもの位置に立っていた。
ただ、こちらを見るまでに、
少し時間がかかった。
「あ、来てたの」
その言い方が、
初めて聞く種類の軽さだった。
「……こんばんは」
「こんばんは」
一拍遅れて、同じ言葉が返ってくる。
彼女は端末を操作しながら、
僕を見ないまま言った。
「今日は、いつもより早い?」
「……いつもと、同じです」
「そう?」
首を傾げる。
「変ね。
あたし、昨日も同じこと聞いた気がする」
胸の奥が、きゅっと縮んだ。
「……昨日も、いました」
「え?」
彼女は顔を上げて、
僕をまじまじと見た。
「あ、そうだっけ」
笑ってごまかすみたいに、
軽く言う。
「最近、夜勤続きでさ。
ちょっと混ざってるのよ」
混ざっている。
その言葉が、
嫌な形で胸に残った。
「座ってなさい」
彼女は言った。
「今日は、立ってると疲れる顔」
それは、
昨日も聞いた言葉だった。
僕は黙って座った。
彼女は少し遅れて、
いつもの壁際に寄りかかる。
でも、
視線が何度も端末に落ちる。
「……大丈夫ですか」
「ん?」
「さっきから、
ちょっと……」
「大丈夫よ」
即答だった。
でも、
声がほんの少しだけ硬い。
「大人だから」
その言葉も、
どこか既視感があった。
沈黙が落ちる。
前は心地よかった沈黙が、
今日は重い。
彼女が、ふと呟いた。
「……あたし、
前にもあなたに言ったっけ」
「……何をですか」
「夜はね、
無理しないのが一番だって」
胸が、ひやっとした。
「……言ってました」
「そっか」
彼女は少し安心したように笑った。
「よかった。
ちゃんと覚えてた」
違う。
覚えているのは、
僕のほうだ。
彼女は、
“言ったという感触”だけを
なぞっている。
その事実が、
ゆっくりと理解に落ちてきた。
「……最近ね」
彼女が言った。
「巡回ログ、
たまに抜けるの」
「……抜ける?」
「うん。
夜勤の終わりに見ると、
数分、空白があるのよ」
彼女は笑って言う。
「ま、誰も来ない時間帯だし。
問題ないでしょ」
問題がないわけがない。
でも、
僕は何も言えなかった。
言ったところで、
何ができるんだ。
「……それにね」
彼女は続けた。
「変なの。
あなたと話してると、
落ち着くの」
視線が、初めて真っ直ぐ向いた。
「理由は、わからないけど」
その言葉で、
確信してしまった。
これは、
前にも見た光景だ。
名前も、場所も、
形も違う。
でも、
同じ始まり方をしている。
喉が、少し苦しくなる。
「……無理、しないでください」
絞り出すように言った。
彼女は一瞬、目を瞬かせた。
「何それ」
そして、
少しだけ困った顔をした。
「それ、あたしの台詞でしょ」
笑って言う。
でも、その笑顔は、
どこか薄かった。
「大丈夫。
大人は、自分の異変くらい
わかるのよ」
その言い方が、
いちばん危うく聞こえた。
彼女は巡回に出た。
足音は、
いつもより不揃いだった。
戻ってきたとき、
彼女は端末を見つめて、
小さく呟いた。
「……あれ?」
「どうかしました?」
「……容量、って」
彼女は眉を寄せた。
「この表示、
前からあったっけ」
胸の奥が、
はっきりと痛んだ。
彼女は気づいていない。
自分が、
もう削られ始めていることに。
ログアウトの直前、
僕は思った。
この人を守っているつもりで、
僕はここにいる。
でも、本当は。
守られているのは、
ずっと僕のほうで。
壊れていくのは、
彼女のほうだ。
その事実を、
僕だけが知ってしまった。
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