第11話 はーちゃん先生のプチ課外授業 ―VSファイヤーベアー抜き打ちテスト―

二メートルを超える長身、厚い筋肉に覆われた強靭な肉体。

針金みたいに硬い体毛が光を弾き返し、赤黒い体表で脈打っている。

熱を帯びた息が白煙のように立ちのぼり、

そのたびに、草原の風が焦げたような匂いを運んでくる。


コタロウの下半身を丸呑みした赤毛のクマ――ファイヤーベアーが現れた。


「わう〜ん!」


「はーちゃん、コ、コタロウが!」


私は声が裏返るのも構わず叫んだ。

あの巨大な口の奥に、コタロウの銀色のお尻が消えかけている。

獣の喉がゴリッと鳴り、金属を噛む鈍い音が響く。


「リン、落ち着いて。喉につっかえているうえ、あの口の大きさじゃ、そうそう丸呑みできないから、まだ大丈夫よ」


はーちゃんの冷静な声に、胸の奥で固まっていた呼吸が、ようやくスッと動いた。


「う〜ん、どこかツッコめばいいのやら……とりあえず吐き出させないとかな? 

しかしこのクマ、明らかに場違いな感じするわね。ひょっとしたら、フィールドボスかも?」


「はーちゃん、フィールドボスってなに?」


はーちゃんはエアーメガネをクイッと上げると、先生モードに早変わり。


「では、超特急で教えましょう。まずフィールドっていうのは、この草原一帯のことね。そしてボスは――」


「わうっ!」


ファイヤーベアーが、ゴリッとコタロウを強く噛み、カッチカチなボディーがほんの少し沈んだ。


「ちょ、説明中に食べないで⁉︎」


はーちゃんは咳払いして続けた。


「つまり、フィールドボスとは! そのエリアの秩序をぶち壊す『突発高難度モンスター』のことです。例えるなら……」


「なら?」


「期末テストがいきなり今日になる感じ!」


「最悪だよ!」


「そう、最悪。だからあの熊は完全にそれですね」


「え、じゃあ……コタロウは今、期末テストに……?」


「食べられてます」


「その説明いらないよ⁉︎」


「異議は受け付けません。では授業は終了! 実戦演習に移ります」


「先生、授業から戦闘まで早い!」


「教育とは即行動。人生とは実地試験。よし、行くぞリン君!」


「は、はいっ! 先生!」


「わん!」


――その瞬間、空気が変わった。


授業が終わると同時に、クマは立ち上がる。

全身の毛を逆立て、地を踏み鳴らすたびに、草原が震えていた。


あごを『アングリ』と開き、喉の奥から生ぬるい風が吹き出す。

腐臭を帯びた熱気が頬を舐め、重力が味方してコタロウの体がずるずると沈み始めた。


「わ、わん! わん!」


助けを呼ぶ声。反射的に手を伸ばしたが、届くわけもない。


「は、はーちゃん。コタロウが飲み込まれてくよ!」


「噛めないからって、普通飲み込もうとしないでしょ……。まあ飲み込まれても、生きてそうだけどね。仕方ない、助けてあげるか」


そう言った瞬間、はーちゃんは腰のホルスターからデザートイーグルを抜き、地面を蹴った。

靴底が砂を弾き、空気がビリッと張りつめる。


次の瞬間、クマがこちらに気づき、丸太みたいな腕で薙ぎ払う。

空気が震え、爪の先から風が刃のように飛んできた。


だが、はーちゃんはその下をすり抜けた。

髪が風に流れ、体をコマのようにクルリと一回転させ、銃のグリップが腹部を襲う。


全身のバネと遠心力を加えた銃打が炸裂し――巨体がびくんと跳ねた。

クマの喉から濁った悲鳴が漏れると同時に、びちゃっとした嫌な音……胃の内容物と一緒に、コタロウが吐き出された。


鉄とツンとした匂いが混じり、地面を濡らす。

粘ついた液体が陽光を反射して鈍く光る。

コタロウの体表を伝って流れる液が、土と混ざってぬるりと動いた。


「コタロウ無事だね。よかった」


「わん♪」


飛びついてくる直前、私は思わず半歩よけてしまった。

だって……べったべたなんだもん!


「わ、わう?」


困惑して耳がペタンと倒れる。

私は両手を合わせてぺこり。


「コ、コタロウごめんね。クマのよだれや、その他でベッタリしてて、汚れそうだったから」


「わ、わう〜ん!」


見た目も匂いもカオスだった。

コタロウは肩を落とし、金属の尻尾も情けなく垂れる。


「イヤ、普通に吐瀉物まみれの愛犬に飛びつかれたら避けるからね! そんな思春期の娘に毛嫌いされた父親みたいに、肩を落として哀愁を漂わせないでよ!」


「あとでキレイになったら、なでてあげるからねないで」


「わん」


単純かわいい。返事の良さは世界一だ。


私は視線を戦場に戻す。

地面に倒れたクマが、痛みにバタついている。

その巨体が暴れるたび、土と草が空へ弾け飛ぶ。

焦げた匂いが風に乗り、喉の奥がざらついた。


「い、痛そうだね。大丈夫かな?」


「イヤイヤ、ボスモンスターを心配してどうするの! これから倒すんだからね?」


「ええ、倒せるのコレ? 強そうだよ?」


「イケる、イケる! 私の攻撃が通っているから、れるはず。これを倒して一気にレベルアップよ♪」


やる気満タンのはーちゃんが銃を構えた、その瞬間――クマが跳ね起き、私へ爪が飛ぶ。

空気を裂く金切り音。視界が一瞬、赤く閃いた。


「わっ!」


「リ、リン!」


反応できない。

風圧と重さが一緒に来て、私は数メートル転がった。

草と土が混ざって鼻に入り、世界がぐるぐる回る。


「キャッ!」


止まった時、背中が土の匂いに沈んだ。

けれど、痛みは……ない。

ただ、心臓の鼓動だけが速く響く。


「しまった! まさかこいつ、ヘイト値に関係なく突如ターゲットを変更する、『ランダムターゲット』持ちだったの⁉︎」


「グゥゥゥワン!」


コタロウの唸りが割り込む。

その声は、地鳴りみたいに低く、腹の底に響いた。

ヘイトが私から離れ、クマの視線がまたコタロウへ引きずられていく。

砂が跳ね、コタロウの金属脚が大地を削った。


はーちゃんが駆け寄り、私は土を払って立ち上がる。


「リン、痛いとこはない?」


「だ、大丈夫だよ、はーちゃん。どこも痛くないよ」


「本当に? このゲームの痛覚システムは、完全にダメージをOFFにできないから、攻撃を受けると少なからず痛みがあるのよね。無理はしてない?」


「本当に大丈夫。全然痛くなかったよ? ダメージも1しか入っていないから、平気」


……平気だって言ったけど、正直怖かった。

あの瞬間、心臓がぎゅっと縮んだ。


「え? ボスの攻撃を受けてHPは1しか減ってないの? ちょっとリンのステータスを見せて?」


「うん。いいよ」


私はステータスウィンドウを開いて見せる。

青白い光が浮かび、文字が宙に並んだ。


―――――――――――――――――――

名前:リン

職業:召喚士 LV 2


HP:54/55

MP:25/25


◇基本ステータス

STR:1 VIT:1+250 AGI:1

DEX:1 INT:1 LUK:71


◇戦闘ステータス

攻撃力 : 1+55 防御力 : 251+1

回避 : 1 攻撃速度 : 100

命中 : 1 クリティカル率 : 35%


ステータスポイント残り:0

スキル:機獣召喚【コタロウ】

―――――――――――――――――――


「はあ? リン……なんでVITが+250もあるの?」


「え? はーちゃんやだなぁ、そんな訳……ホントだ!」


「イヤ、リン……自分のステータスなんだからちゃんと確認しようよ」


「あははは、でもどうしてだろう? ……あっ! もしかして、この指輪のおかげかな?」


私ははめている指輪を差し出す。

陽光が反射し、指輪がチラリと光った。


その間も、コタロウはゲロまみれのまま見事にクマを引きつけ続けている。

体に付いた粘つく液が飛び散り、草がべっとり濡れてテカテカしていた。


(コタロウがんばって、あとで絶対洗うから)


「従魔の指輪だっけ? 能力を見てもいい?」


「うん。たしか召喚獣と、ステータスを共有するって説明にあったよ」


はーちゃんが装備欄をタップし、説明文を開く。

半透明のウィンドウが空中に展開し、魔法のように光の文字が浮かぶ。


======================

《従魔の指輪》

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

◆ 分類:ユニークリング(召喚士専用)

◆ レアリティ:ユニーク/譲渡不可

◆ 発動条件:召喚獣が召喚中であること

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

◆ 性能

・召喚獣の能力補正

・全ステータス:×1.2倍

・攻撃力:×1.5倍

◆ 効果:ステータス共有機能

・共に戦う召喚獣の中で最も高いステータス1種をプレイヤーと共有

・共有中はその値がプレイヤーに反映される

・複数召喚時、対象召喚獣を指定可能

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

召喚主と従魔が歩んだ記憶は、やがて力となり指輪に宿る。心が離れぬ限り、二つの鼓動は同じリズムで強くなる

======================



「ふむふむ……前に見た時と同じだけど、実際に数字が反映されてるのを見ると説得力が桁違いね。やっぱりエグい性能だわ」


はーちゃんは軽くうなずく。


「え、そんなに?」


「そうよ。だって、コタロウの一番高いステータスが共有されてるんでしょ?」


はーちゃんが私のステータスウィンドウを指差す。


「……で、見た感じ……コタロウは鋼鉄のボディーで物理防御が化け物級だから、VITが跳ね上がってるのね」


「えっと……つまりコタロウが、めちゃくちゃ頑丈ってこと?」


「語彙力! でも……まあ正解!」


指先で画面をなぞりながら、はーちゃんは続ける。


「しかも『ヘイトコントロール』まで持ってる。敵の注意を自然に引きつけて、攻撃を自分に向けさせる能力よ。完全に盾役タンクね」


「盾役?」


「そう。仲間を守るために、攻撃を全部受け止める役。だからコタロウの高い防御力が、リンにも加算されてるの。これはもう、反則級の能力よ」


「おかげでクマさんの攻撃を受けても、なんともなかったよ〜。コタロウ、ありがとう」


そう言ったけど、本当は――怖かった。

胸がぎゅっとして、足もまだ少し震えてる。


でも、あの時。

コタロウが前に立って、私を守るように吠えた瞬間……


その背中が、とんでもなく頼もしく見えたんだ。


それだけで、不思議と胸の奥にぽっと小さな火が灯った気がした。

震えているくせに、前を向ける気がした。


「大丈夫。これなら……私も、ちゃんと戦える」


そう思えたのは、きっとコタロウのおかげだ。

さっきまで怖くて震えていた足が、そっと前に出る。


「まあなんにしても、リンが無事で良かったわ」


「ワン! ワン! ワン!」


その時、コタロウが鋭く吠え、私たちは同時に顔を上げる。


クマの赤毛がボウッと赤く明滅し、

次の瞬間――空気が焼けるような音とともに、巨大な火球が浮かび上がった。


赤い光が草原を真昼のように照らし、

焦げた匂いが風に乗って押し寄せてくる。


熱が肌を刺し、思わず息をのんだ。


「な、なにあれ⁈」


「火魔法? あのクマ、魔法まで使うの⁈ まずい。コタロウは物理に強くても、魔法には弱いかも……」


「え、魔法に⁈ コタロウ逃げて!」


私の悲鳴と同時に、火球は弾丸のように走った。


コタロウが横跳び……

けれど火球が進路を曲げ、獲物を逃す気ゼロの追尾軌道で迫ってくる。


逃げ場はなかった。


「コ、コタロウー!」


炎柱が立ちのぼり、世界そのものが熱にゆがんだ。金属が熱せられる嫌な匂いが鼻をつく。


炎がすべてを包み込み、視界が赤に染まる。

その奥で――何か、光った気がした。


……To be continued


次回予告

圧倒的な熱量で草原を焼き尽くすファイヤーベアー。

逃げ場を失い、炎に呑み込まれたその瞬間――

リンの心が吠えた!


胸の奥に秘めた微かな火が燃え上がるとき、

鋼鉄の咆哮が、蒼き炎を断ち切る。


次回

『覚醒、銀蒼の騎士! ―アニマドライブ・点火イグニッション!―』


虚構が軋み、心が吠えたとき、世界は書き換わる。

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