鉄血の無限軌道(デッド・ヒート・レール)

kirillovlov

第1話 |赤字《レッド・インク》だらけの無限軌道

世界が悲鳴を上げていた。比喩ではない。実際に、鼓膜を突き破るほどの金属疲労音きんぞくひろうおんが、この閉鎖空間を支配しているのだ。


「総員傾注。現在のレール循環効率は98%。……致命的な『赤字レッド・インク』だ」


 轟音と振動が思考をシェイカーのように揺さぶる艦橋で、レン・アッシュフォードは無感情に告げた。彼の指先は、油汚れとすすにまみれた計算尺を弾いている。


 ここは大地のことわりが死滅した場所、神域しんいき「竜の顎」。窓の外には、毒々しい極彩色の空と、ドロドロに溶解した泥の海が広がっている。魔力濃度が高すぎて、通常の生物なら肺が焼け爛れる死の世界だ。その地獄の只中を、全長わずか三両編成の鉄塊が、黒煙を吐き出して疾走していた。


 城塞列車『グランド・スラム号』。この列車には、補給基地もなければ、前へと続く線路も存在しない。あるのは、狂気じみた「自転車操業」のシステムだけだ。


 ガコンッ、ギィィィィィン!!


 最後尾車両から伸びた巨大な油圧アーム――「捕食顎グラトニー・ジョー」が、たった今列車が通過し終えたばかりの後方のレールを、暴力的に引き剥がす。ねじ切られた鉄の道はそのまま車内の粉砕機へ放り込まれ、炉心でドロドロの溶鉄となる。それを先頭車両の「鍛造射出機ヴァルカン・アーム」へと圧送し、新たなレールとして前方へ射出、敷設プリントする。


 食って、走って、出して、また食う。自分の排泄物を踏みつけにして進む、無限のウロボロス。


「98%……クソッ、また落ちたか!」


 操舵席でハンドルを握る航空技師、レオンが悪態をつく。彼は元々、最新鋭の空挺部隊にいたエリートだ。こんな泥臭い鉄屑列車に乗り合わせることになった不運を、今でも呪っている。


「当たり前だ! 剥がして溶かしてまた固めて……そんな乱暴な工程を秒速30メートルで繰り返してるんだぞ! 酸化サビ切削屑キリコで、1サイクルごとに鉄の総量が2%ずつ消えていく!」


 そう、2%の消失。数字にすれば僅かだが、それは確実な「死へのカウントダウン」だった。レールはサイクルを重ねるごとに細く、薄くなっていく。いずれは自重を支えきれずに破断し、この列車は泥の海へ沈むだろう。後ろから迫る「空間崩壊」の波に飲み込まれて。


「わめくなレオン、計算の邪魔だ」レンは眉一つ動かさずに言った。 「鉄の減少分は、現地調達で補填オフセットする。……3時方向、反応あり」


 レンの視線の先。泥の海を割って、巨大な影が隆起した。全長10メートルを超える『重甲鉄亀アイアン・タートル』。神域の魔素を喰らって異常進化した、生ける鉱山だ。


「出たわね、歩く鉄塊!」砲手席のエリスが、嗜虐的な笑みと共に照準器を覗き込む。 「レン、撃っていい? 撃っていいわよね!?」 「許可する。ただし爆散させるな。甲羅の『資源回収率』を優先しろ。狙いは頭部一点のみ」 「注文が多いわね、このケチんぼ会計士!」


 ドォォォォン!!


 エリスが放った徹甲弾が、正確に亀の頭部を吹き飛ばした。巨体が地響きを立てて沈黙する。通常のハンターなら、ここで停止して素材を剥ぎ取るだろう。だが、レンの辞書に「停車」の文字はない。止まれば死ぬからだ。


衝撃インパクトに備えろ。轢き殺して回収する」


 レンの合図と共に、列車は速度を緩めず、その死骸へと突っ込んだ。車体前面の回転鋸グラインダーが火花を散らし、亀の甲羅をガリガリと削り取る。肉片と鉄片が混ざり合ったスクラップが、ホッパーへと吸い込まれていく。


「よし! 鉄分補給完了! これでレールは太くなるわよ!」


 エリスが歓声を上げる。タンクの容量計ゲージが満タンを示した。だが、レンの表情は晴れない。むしろ、計算尺を持つ手が止まり、眉間の皺が深くなっていた。


「……違う。問題は『量』じゃない。『質』だ」


 レンは伝声管を掴むと、機関室へと怒鳴った。 「ユナ、炉の状態はどうだ」 『レン君……だめ。温度は上げられるけど、粘度が下がらないの』少女の悲痛な声が返ってくる。 『鉄が……柔らかすぎるよ』


「くそっ、やっぱりか」レンは舌打ちし、壁に掛けられた成分分析表を睨みつけた。回収した亀の甲羅は、純度の高い鉄だ。だが、それだけでは意味がない。鉄は、炭素と結びついて初めて強靭な「鋼」になる。純粋すぎる鉄は、柔らかすぎて構造材には向かないのだ。度重なる戦闘と再精錬で、車内に備蓄していた添加剤――「石炭コークス」が完全に底をついていた。


 ガガガガッ……!車体が不吉な振動を始める。


「おいレン! レールがひしゃげてるぞ! このままじゃ脱線する!」レオンが叫ぶ。モニターに映る前方のレールは、敷設された直後から数十トンの自重に耐えきれず、飴のように歪み始めていた。


「わかっている。炭素が必要だ。今すぐに」 「炭素だと!? こんな泥の海で、どこから石炭を掘り出すつもりだ!」 「掘り出す時間はない。だが、ここにある」


 レンは席を立ち、艦橋を見渡した。そして、その冷徹な視線を、部屋の片隅にある「船長室」へと向けた。そこには、かつてこの列車が王族の避難用だった頃の名残である、豪奢なマホガニー製の執務机や、革張りのソファ、そして壁一面の歴史ある本棚が残されていた。


「……あるじゃないか。良質な『有機物』が」


 レンは無造作に工具箱から消防斧を取り出すと、高級な執務机へと歩み寄った。レオンが目を見開く。


「おい、まさか」 「乾燥重量約40キロ。炭素含有率は悪くない」


 ガアンッ!!


 レンは躊躇なく斧を振り下ろした。美しい彫刻が施され、数百年の歴史を持つ王家の机が、無惨な木片へと変わる。


「やめろ! それは文化遺産クラスの……!」 「知ったことか。燃やせばただのカーボンだ」


 レンは手当たり次第に家具を破壊し、革張りの椅子を引き裂き、書架から学術書を鷲掴みにした。人類の叡智、芸術、歴史。それら全てが、彼にとっては「鋼を作るための不純物添加剤」でしかない。


「ユナ、ハッチを開けろ! 添加剤を投入する!」


 レンは瓦礫の山となった「かつての文明」を抱え、機関室へと続くダクトへ投げ込んだ。炉の中で炎が爆ぜる。有機物が瞬時に炭化し、炭素原子となって、ドロドロの鉄の中へと溶け込んでいく。


『……成分変化を確認! 炭素量1.5%……高炭素鋼になったよ! これならいける!』


 先頭のアームから吐き出されるレールが、頼りない銀色から、黒光りする強靭な鋼の色を取り戻した。車輪がそれをガッチリと踏みしめ、列車は加速する。危機は去った。だが、艦橋には殺伐とした空気が残された。


「……とんだ野蛮人だな、お前は」レオンが呆れたように呟く。散乱した本のページを拾い上げながら、彼は深いため息をついた。「俺たちは生き延びるために、生きる意味を燃やしているようなもんだ」


 だがレンは、空になった船長室を一瞥もしない。彼の視線は、再び手元の計算書(帳簿)へと戻っていた。


「家具は使い切った。次は衣服、その次は寝具だ」


 レンは自身の左腕を――まだ温かい血が通り、肉と骨がついているその腕を、じっと見つめた。人間の体もまた、水分を飛ばせば良質な炭素の塊だ。計算尺がカチリと鳴る。


「……俺の腕一本で、高張力鋼ハイテンのレールが何メートル作れると思う?」 「冗談だよな?」 「さあな。だが、赤字エラーは許さん。絶対にだ」


 鉄の会計士は、薄く笑ったように見えた。その瞳の奥には、神域の闇よりも深い、合理という名の狂気が静かに燃えていた。

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