幻能使いはファミレスに集う
瘴気領域
第一章 魔神襲来
第1話 魔神襲来
渋谷スクランブル交差点の中心で、魔法陣が光った。
大きさはマンホールほど。
だが、それに気がつく者はいない。
三千の雑踏に踏み消され、瞬く間に見えなくなる。
魔法陣と共に現れた少年もまた、誰ひとり気に止めなかった。
ここは人が多すぎる。
異物がひとつ増えたところで、違和感などすぐに希釈され、掻き消える。
少年――
いや、体格や容貌は月並みなものだ。
中肉中背、短めの黒髪、やや陰気だがこれといって特徴のない顔つき。
だが、服装は普通ではなかった。
金属の額当て、肩当て、使い込んだ革鎧にマント。それらは血と泥にまみれ、ところどころが破れ、焼け焦げ、斬りつけられたような跡がある。
それでも人々は気にしない。
この都会には風変わりな人間などいくらでもいるのだ。
ハロウィンも過ぎた昼日中からコスプレをする痛い少年――せいぜい、その程度にしか思われない。
その汚れた手で顔を覆い、肩を震わせた。
「帰って……きた……?」
間人の周囲に広がる光景は、確かに懐かしい現世のものだった。
遡ること6年前、10歳の間人は異世界ナローヘイムに召喚され、そして勇者として戦った。
ナローヘイムを滅ぼさんとする7柱の魔神と戦い、6柱を打ち破り、最後の1柱と壮絶な相打ちを遂げた――はずだった。
「生きてる……のか……」
顔の前で手を握っては開くことを繰り返す。
剣だこで硬くなった手のひらが、あの世界での戦いが夢や幻でなかったことを実感させる。
「ねえ、きみ、だいじょーぶ?」
不意に声をかけられた。
金髪の少女だ。白いワイシャツに青いウィンドブレーカーを羽織り、臙脂のネクタイの首元は細い鎖骨が覗きそうなほど大胆に緩められていた。
「きみだって、きみ。ぼーっとしてるけどだいじょーぶ? もうすぐ信号変わっちゃいますよー?」
鼻先がくっつきそうなほど顔を寄せられて、間人はたじろいだ。
他人とこんなに近づくのはひさしぶりのことだったからだ。
果物の甘酸っぱい香りがする吐息に鼻がくすぐられる。
今更になって、少女が棒キャンディーを加えていることに気がついた。
「えっ、あの、大丈夫、です。……えっと、ここ、日本……ですよね?」
「あー、そーゆー系。今日はオフなんだけどなー。はいはい、日本ですよー。日本国東京都渋谷区の……どこなんだろうね? あれ、渋谷駅ってそもそも渋谷区? じつはちがうってトリビアを聞いた気がするんだけど、別の駅だったっけ?」
少女が早口で話すが、その内容はほとんど頭に入っていなかった。
日本、ここは本当に日本なんだ。
胸の奥が熱くなり、その熱は涙となって瞳から零れた。
「ちょちょ、マジでだいじょーぶ? ってぜんっぜん、だいじょばないっぽいね。どしたん? 話聞こか?」
少女が優しい手つきで間人の髪に触れようとしたときだった。
全身を強烈な悪寒が襲う。
間人は咄嗟に少女を掻き抱き、地面に伏せた。
どちゃ、どちゃ、どちゃ、どちゃ。
濡れた土嚢が次々と地面に落ちるような音がした。
一瞬の静寂、血の匂い、そして悲鳴。
間人の周囲にいた数十人の通行人が、腰のあたりから両断されて血飛沫を上げていた。
どちゃどちゃという音は上半身が落ちた音だった。
何が起きたのかもわからなかったのだろう。
下半身を失った老若男女の上半身が、驚愕の表情のまま息絶えている。
『フハハハハハ! 人間よ、今の一撃をかわすとはな』
耳覚えのある声が響き渡った。
声の主は上空だ。
真っ黒で、巨大な不定形が空中でわだかまっている。
黒い無数の羽虫が群れているかのよう。
それは徐々に高度を下げながら、形をなしていく。
蝙蝠の如き皮膜の翼。
裸婦像の如き豊満な上半身。
腰から下には無数の大蛇が絡み合っている。
右肩にはねじくれた角をもつ山羊の頭。
左肩には青銅の鱗をもつ竜の頭。
そして中央。両肩の間。
本来頭部があるべきその位置には、黄土色の粘液にまみれた人の左掌が在った。
「魔神!? なんで、お前がここに……!」
間人の叫びに、魔神は五指を蠢かせて応える。
『忘れたか。余は魔神〈罪の手〉なるぞ。掴むのは得意でな。あの世界はどうも窮屈になった。故に、貴様の
「お前は、俺のあとを追って……!?」
『フハハハハハ! 奢るなよ人間。貴様は余がこの世界に臨む梯子代わりにしてやったまで。余の力なくして、どうして人間如きが次元の扉を押し開けよう』
間人は拳を握りしめる。
自分が、自分の存在が、この災禍としか呼びようのない邪悪を故郷の世界に連れ帰ってしまったというのか。
『とはいえ、いきなり殺そうとしたのはいささか性急であったか。貴様には余の道具として役立った功がある。故に、余の饗宴の
――
左肩の山羊が吼えた。
悲鳴を上げて逃げ惑っていた人々の顔が歪み、狂気が宿る。
中年のサラリーマンが己の目に指を突っ込んで眼球を引きずり出す。
若い女が老人に飛びかかり、その喉笛を噛み破って生き血を啜る。
若い男がその女を蹴り飛ばし、女の首があらぬ方向へと曲がり、その男もまた他の男に組み伏せられ、アスファルトに脳漿を散らす。
群衆は自他の区別すらなく殺戮に狂っていた。
魔神〈罪の手〉の呪詛の効果だ。
山羊の鳴き声に乗せられた呪詛は、あらぬ殺意を植え付けられ、暴走する。
『フハハハハハ! 絶景ではないか! どうやらこの世界の人間どもは魔への耐性がないらしい。そのうえ肉は柔らかく美味い。フハハハハハ! 気に入ったぞ! よき世界を
ぐちゃぐちゃと肉を喰む音がする。
ぼきぼきと骨が砕かれる音がする。
竜の右肩が、何人もの人間を一度に喰らっていた。
下半身の大蛇の群れが際限なく伸びて、スクランブル交差点を縦横無尽に奔り、人々を捕らえ、竜の口へと運んでいたのだ。
「やめろーーーー!!」
間人は叫びとともに右手を魔神に伸ばす。
手のひらからボウリングほどの炎弾が幾つも生まれ、魔神に殺到する。
それらは着弾と同時に膨れ上がり、爆発し、大気を震わせた。
『フハハハハハ! 温い、温いぞ。この程度の魔術が余に通用すると思うたか』
だが、魔神の身体には焼け焦げのひとつすらついていなかった。
爆煙を伴いながら哄笑を轟かせる。
魔神の五指が愉快げに踊る。
『さしもの勇者も聖剣なしでは余にかすり傷ひとつもつけられんようだな』
五指が嘲るように踊る。
そうだ、聖剣――間人は半ば反射的に腰に手を伸ばすが、在るべき柄がそこにない。
納めるべきものを失った鞘が虚しく軽い音を立てた。
「なんで、聖剣が……」
『何を不思議に思う、人間よ。当然のことではないか。聖剣はナローヘイムの根源、世界そのものが形を成したものだ。別世界に存在できるわけがなかろう』
五指がまたしても踊る。
愉快で愉快でたまらない――という風に。
『さて、前菜にも飽いてきた。人間、貴様はどう料理してやろうか』
気がつけば無数の蛇頭が間人を囲み、感情のない冷たい視線を向けていた。
人々の阿鼻叫喚も止んではいない。
蛇の殺戮が止んだとて、山羊の呪詛は続いているのだ。
『ほう、女を守っているのか』
蛇の視線が、間人が掻き抱く少女に向いた。
『必死に守った女が喰われる無力さに打ちひしがれる勇者を食らう。ふむ、月並みだが午餐の趣向には充分か』
左掌が指を弾いた瞬間、無数の大蛇が殺到した。
その標的は金髪の少女!
「くそっ、やめろっ!!」
間人は〈堅固〉の魔術を己の身体にかけ、四肢を振るって襲い来る大蛇を弾き飛ばす。
重い。
防ぐたび、戦鎚で殴られたような衝撃が走る。
当然だ。
大蛇は一匹一匹が大樹の如き太さと、矢の如き疾さを伴っていた。
『フハハハハ! いつまで保つか
間人の身体が傷ついていく。
大蛇の一撃を受けるたび、骨がきしみ、皮膚が裂け、血が噴き出す。
額当てが弾き飛び、鎧が壊れ、マントはすでに跡形もない。
『
なかなか少女を奪えぬことに苛立った魔神は矛先を間人に変えた。
突如として軌道を変えた攻撃に、間人の反応が間に合わない。
大蛇の牙が間人の腹を食い破る。
熱い。
まず感じたのは痛みではなく、熱。
焼きごてをねじ込まれたような熱さ。
ずるり。
重い何かが腹から零れ落ちそうになる。
熱く、ぬるつく内臓を手で押し込む。
癒やしの魔術を使うが、あまりの深手に回復が追いつかない。
『フハハハハ! 腹が破れただけで死ぬ! 人間とはままならぬな!』
蛇頭が再び狙いを変え、少女に殺到する。
(くそっ、せめてこの娘だけでも……!)
間人が身を盾にして少女を守ろうとした、その時だった。
「待たせたなっ! ヒーローの登場だっっ!!」
場違いに明るい声が響いた。
閃光が走り、熱波が肌を打ち、思わず目をつぶる。
「安心しろっ! ボクが来たからにはもう悪の好きにはさせないっ!」
それは赤髪のポニーテールをたなびかせる少女の背中だった。
身体にぴったりと沿うスーツを身にまとい、全身から炎を発しながら間人の眼前に仁王立ちしている。
「えいっ! やあっ! とおっ!」
そして、群がる大蛇の攻撃を炎をまとう拳と蹴りで弾き飛ばしていく。
その動きはいちいち大げさで、戦いというよりも特撮の殺陣を見ているようだった。
『な、なんだ貴様は……!』
魔神が再び蛇の動きを変える。
炎の少女を正面から攻めつつ、背後から大蛇を這わせた。
前方に注意を引き、背中から討とうという算段である。
大蛇の群れが一斉に少女の背中に飛びかかり――
ずん
――大蛇の群れが、重い音を立ててアスファルトにめり込んだ。
「おーほほほほほ!
「むむむっ!
続いて現れたのは黒いドレスを身にまとった少女だった。
ひらひらのフリースをふんだんにあしらったゴシックロリータに身を包み、柄の細い日傘をさして、数え切れない死体が転がる阿鼻叫喚の巷を悠々と歩んでいる。
ゴスロリ少女は、ピンクの巻き髪を揺らしながら言う。
「わたくしの幻能〈
『ぐおおおおっ!?』
ゴスロリ少女が手をかざすと、魔神は大地に落ち、地響きを立てた。
直径数十メートルに及ぶクレーターの中心に、傲岸不遜な五指の魔神がトラックに轢かれた蛙のように潰れていた。
『な、なんだこの力は!? こんな魔術は聞いたことも……』
「おーほほほほ! 下賤な田舎神には希少が過ぎましたわね。最期の記念にもうひとつお見せして差し上げましょう。さあ、緋色さん、汚物を消毒なさって」
「りょーかい!
緋色と呼ばれた少女の両手が真っ赤に光る。
赤から青になり、そして白光になる。
少女の正体はわからない。
だが、やろうとしようとしていることは直感する。
だから間人は叫んだ。叫ぼうとした。
魔神に炎弾の魔術は一切の効果がなかったのだ。
「ダメだ! そいつに炎は効かな――」
「いっけぇぇぇえええ! 〈
閃光。
世界が白く染め上げられる。
少女の――緋色の両手から放たれた二条の光線が魔神を灼いていた。
間人の炎弾とは比べ物にならない圧倒的な熱量。
坩堝で溶かされる金属のように、赤熱するクレーターの底で炙られ、のたうち、縮み、やがて一つの点となって消滅する。
「正義は勝ーつ! よーし、一件落着だっ!」炎の少女が両の拳を打ち付ける。
「神を名乗る者にしてはつまらない終幕でしたわ」ゴスロリ少女がスカートの埃を払う。
「えーと、お兄さん、重いんだけど」そして、必死に守った少女が間人を押しのけて立ち上がる。
間人は金髪少女の細腕に押されるまま仰向けに倒れる。
出血が多い。
空が青い。
太陽がひとつだ。
これだけで、現世に帰ってきたことがわかる。
目が霞む。
きっとそろそろ死ぬんだろう。
わけのわからない状況だったけれど、それは異世界に行った6年前から変わらない。
誰かのために戦って、戦って、戦って――そして、あっけなく死ぬ。
魔王軍との戦いに散った仲間たちと同じ末路を辿るだけの話だ。
間人は、ゆっくりと瞼を閉じようとする。
その瞼を、強引に押し広げる者がいた。
そこに映っていたのは金髪の少女の顔。
長い睫毛に縁取られた薄い緑の瞳が、呆れたように間人を見下ろしている。
「しんみりしてるとこ、悪いんだけどさー」
口の中に何かが押し込まれた。
血だらけで鉄臭かった口中に、甘い味が広がる。
そしてそれが、金髪の少女が舐めていた棒キャンディーだと気がつく。
「〈
わけがわからない。
それが間人の率直な気持ちだった。
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◯研修レポート:IS-001
【罪の手(つみのて)】異世界/魔神(仮)/幻想深度:32
【概要】
【所感】言動から人肉・
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