3. かかって こいよ

 菜美なみは家に帰るまで俺の手を離すことはなかった。

「一人で出かけたら叱られるだろ」

「ゆいちゃんち、いくって、いったらへいき」

「嘘つくのもだめなんだが。もしかしてドーナツ買いに?」

「うん……パパに……」

「パパ……なるほど、もうすぐ誕生日か」

「でも、お金、なくて」

「そうか、残念だったな」

 歩きながらぽつりぽつりとそんな会話をしていると、家に着いた。きっと姉はいるだろう、これで安心だ。でも、一つ言っておかなければならないことがある。

「菜美、よく聞いてほしい」

 俺は到着した姉の家の前で菜美の手を離し、語りかけた。

「知らない人には絶対についていくな。もし連れていかれそうになったら、大声で叫ぶんだ」

「えっ……、で、でも……」

「何だ?」

「さわいじゃだめって……」

「いや、騒いだ方がいい。絶対に騒げ」

「でも……」

「でも、何だよ」

 菜美の目にうっすら涙が溜まり始めた。

「さわいだら、こ、こわくなっちゃう……」

「……え? あ、ああ……」

 俺のせいで菜美は騒いだら優しい人も怖くなってしまうと学習してしまったんだ。どうしたものかとがしがし頭を掻きむしっていると、菜美の目から涙がこぼれた。

「ごめ、なさ……」

「俺が悪かった。謝るな、これやるから」

 俺は菜美のポシェットに千円札をねじ込んだ。知らない男に話しかけられて、誰か来たと思ったら怖い叔父だったなんて、きっと嫌だっただろう。菜美はえぐえぐ泣いている。俺のせいだ。ごめん、ごめんな。

「これでドーナツ買えるぞ。今度はママと一緒に行くんだ。あとな、安心しろ、俺はもうすぐいなくなる」

「え……、い、いなくなる、の?」

 そうだ、俺は引っ越しするんだ。自炊のことで思考停止なんかしていないで、きちんと考えないと。

「……とにかく、知らない奴に連れていかれそうになったら大声を出すんだ。で、俺のことは忘れろ。いいな?」

 俺がそこまで言うと、玄関扉が開いて潤也じゅんやが出てきた。遠くから「ちょっと待ってて!」という姉の声。どこかに遊びに行くところなのか、手にはアルティメット・インフェルノブレードを持っている。そんな潤也の目が、俺と菜美を捉えた。

「……ねえちゃん? ないてる……?」

「ああ、潤也、ママを……」

「なんで! なんで、ねえちゃん、ないてっ……!」

「潤也、あのな」

「ぜったいぜつめいは、おれがたすける!」

「待て、菜美は……」

「おれはっ、ゆるさない! あるてめっ、ふれい、らっしゅ!」

 お、まだきちんと言えていないが『アルティメット・フレイムスラッシュ』に少し近くなったな。などと悠長に考えている場合じゃない。俺は潤也に激しく誤解されているようだ。菜美はびっくりしてどうしたらいいかわからないようだし、ここはやはりあれしかないだろう。

「……かかってこいよ」

 更に嫌われるよう、挑発的なセリフを吐く。潤也は胸の前でアルティメット・インフェルノブレードを構えた。

「どうした、震えてるぞ。菜美を守るんじゃないのか、腰抜けめ」

 俺は負けるつもりだというのに、潤也はなかなか攻撃してこない。

「ち、ちがう! おれは! ねえちゃん、ぜっ、ぜつめいっ、まもるんだっ!」

 潤也は意を決したかのようにそう叫ぶと、俺に向かって突進してきた。そうだ、そのまま俺にアルティメット・インフェルノブレードを突き刺せばいい。

 ガツッ、とプラスチックらしからぬ衝撃を右腿に受け、俺は「いてえっ!」と声を上げた。本当に痛かったからだが、我ながらいいセリフだと思った。

「くっ、やられた……!」

 潤也は肩で息をしながら、まだ緊張した面持ちでこちらを見ている。

「俺のことは忘れろ」

 それだけ言うと、俺は早足でそこを離れた。正直、アルティメット・インフェルノブレードで叩かれたところが痛かったが、我慢しながら。


 その後、俺はさっさと引っ越し先を決め、菜美と潤也に会うこともなく実家を去った。

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