第3話 同棲ルールその1『学校では他人のフリをすること』

翌朝。  九条家の朝食は、奇妙な均衡(バランス)の上に成り立っていた。


「……はぁ……リフォーム見積もりが……保険適用外……」


 父は死んだ魚のような目でトーストを齧(かジ)りながら、ブツブツと呪詛(じゅそ)を吐いている。  


母は「あらあら、今日もいい天気ねぇ」と、ニコニコしながら味噌汁をよそっている。


 そして。


「おい湊。おかわりだ。今度はあの『黄金の麺』ではなく、この『白い穀物(米)』をもっと寄越せ」


「……お前なぁ。居候の分際で態度デカすぎない?」


俺の隣には、当然のように銀髪の皇女様が鎮座していた。  


昨晩のカップ麺で陥落したかと思いきや、一夜明ければこの態度だ。  


リュミエは俺のパーカー(まだ着てる)の袖を捲り上げ、茶碗を突き出してくる。


「勘違いするなよ。私は貴様の『管理』をしてやっているのだ。貴様が私に貢ぎ物をし、私がそれを受け取る。この健全な主従関係こそが、地球の平和を維持するのだぞ?」


「平和を人質に飯を食うな」


 俺は溜息をつきつつ、炊飯器からご飯をよそってやる。  


なんだかんだ言いつつ、こいつの尻尾がテーブルの下でパタパタと揺れているのを見てしまうと、無下にはできない。


悔しいが、チョロいのは俺の方かもしれない。


「さて、湊。飯も食ったことだ。出かけるぞ」


「は? 出かけるって……俺は学校だぞ」


「知っている。だから私が同行するのだ」


 リュミエは箸を置き、当然のことのように宣言した。


「貴様は私のつがいだ。目が届かない場所で、他の泥棒猫(メス)共にたぶらかされていないか監視する必要がある」


「過保護なカノジョかよ。……というか、無理だろ。その角と尻尾、どうすんだよ」


 俺は彼女の頭と腰を指差す。  ネオンカラーに発光する角。どう見ても特撮モノの怪人か、最新鋭のゲーミングデバイスだ。


あんなものをぶら下げて歩けば、5分でSNSのトレンド入り、10分で政府の黒服が飛んでくる。


「ふん。愚問だな」


 リュミエは鼻で笑うと、スッと立ち上がった。


「私の本気(擬態モード)を見せてやる。……母上! 例の『戦闘服』を!」


「はーい、ちょっと待ってね~」


 母さんが台所の奥から持ってきたのは、なぜかクリーニングのタグがついた「ウチの高校の制服」だった。  


いつの間に用意したんだ、あの最強の母は。


「着替えてくる。貴様はそこで待機していろ」


 リュミエは制服をひったくり、脱衣所へと消えていった。



※※※※※※※※※※



10分後。  


脱衣所のドアが開き、リュミエが出てきた瞬間。  


俺は玄関で、靴を履くのも忘れて硬直した。



「……どうだ、湊。これなら文句あるまい?」


 そこにいたのは、昨晩の「ジャージ姿の駄竜」ではなかった。    


髪色は、目立たないプラチナブロンドに変化している。  


問題の角と尻尾は、きれいさっぱり消えていた(魔法か?)。  


だが、一番の問題はそこじゃない。


「……サイズ、合ってなくないか?」


 俺は思わず呟いた。  


母さんが用意した制服は、一般的な女子高生サイズのはずだ。  


だが、リュミエの発育は「銀河級」だった。



ブレザーのボタンが、物理法則の限界に挑むように弾け飛びそうだ。  


スカートの丈は膝上だが、彼女の足が長すぎるせいで、スリットから覗く太腿がやけに艶めかしい。


黒のタイツが、その脚線美を強調している。  


同年代のはずなのに、そこから漂うオーラは完全に「年上のお姉さん」のそれだった。


「む……少し胸元が苦しいな。地球の衣服は、なぜこうも窮屈にできているのだ」


 彼女が胸元をパタパタと仰ぐたびに、甘い匂いがふわりと漂う。  


これはいけない。  


こんなのが学校に来たら、別の意味でパニックが起きる。


「おい、湊。鼻の下が伸びているぞ」


「の、伸びてない! ……はぁ、わかったよ。連れて行くけど、条件がある」


 俺は深呼吸をして、彼女に指を立てた。


「学校では、俺たちは『赤の他人』だ。話しかけるなよ。ただでさえ目立つのに、変な噂が立ったら面倒だからな」


「……チッ。まあいいだろう。貴様の平穏な社会生活を守ってやるのも、主人の務めだからな」


 彼女は不満げに舌打ちしたが、しぶしぶ承諾した。



※※※※※※※※※※



そして、通学路。  


俺の予感は、校門をくぐる前に的中した。


「おい、見ろよあれ……」


「誰だ? ウチの制服だよな?」


「すっげぇ美人……モデルか?」


「いや、なんかエロくないか? 大人の色気がヤバいんだけど」


 登校中の男子生徒たちが、吸い寄せられるように道を空けていく。  


その中心を、リュミエが悠然と歩いていた。


 背筋を伸ばし、冷ややかな視線で周囲を一瞥する姿は、まさに「高嶺の花」。  


家でカップ麺の汁を飛ばしていた奴とは思えないカリスマ性だ。


(……頼むから、ボロを出さないでくれよ)



俺は彼女から少し離れて、他人のフリをして歩く。  


だが。  


すれ違いざま、リュミエが俺の方を見ずに、聞こえるか聞こえないかの小声で囁いた。


「……おい、湊」


「(……なんだよ。話しかけるなって言っただろ)」


「あまり離れるな。……エネルギーが、切れる」


 ふと見ると、彼女の指先が微かに震えていた。  


周囲の景色が、ほんの少しだけノイズ混じりに歪んでいる。    


――そうだった。  こいつは俺のそばにいないと、世界を「バグらせて」しまうんだった。


「……ちっ、しょうがねぇな」


俺は溜息をつき、歩く速度を緩めて、彼女との距離を縮める。  


俺が近づくと、リュミエの震えが止まり、世界の歪みがスッと消えた。  


彼女の頬が、ほんの少しだけ朱に染まる。


「……ふん。世話の焼けるつがいだ」


 彼女は俺にだけ聞こえる声で、嬉しそうに言った。  


周囲の男子たちが「あいつ誰だ?」「なんであの美人があんな平凡な奴と……」と殺気立っているのを感じながら、俺の波乱の学園生活が幕を開けた。

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