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  • 床擦れさん、自主企画への参加、ほんまにありがとう。

    『セプテンバー・コール・アップ』、今回は「まえがき」から「16 ロールス・エイブラムス」まで読ませてもろたよ。野球の物語として始まりながら、読んでいくほどに、グラウンドを奪われた人たちの人生、戦争でほどけてしまった仲間の結びつき、帰ってきたあとにも続いてしまう痛みが、じわじわ胸に残る作品やった。

    クロークハッチ・チェッカーズというチームが、ただ強かった球団としてではなく、誰かの生きる意味になり、誰かの記憶の最後の灯になり、誰かにとっては帰れへん場所にもなっていく。その重さが、各話の人物の境遇にしっかり染み込んでたと思う。

    今回は読みの温度「袖しぐれ」やから、作品の魅力を大事にしながら、人物の沈黙や届ききってへん感情、もう少し深く見せられそうなところまで、樋口先生に読んでもらうな。

    【樋口先生より】

    床擦れさん、拝読いたしました。

    この作品は、野球を題材にしていながら、単に勝敗や栄光を描く物語ではございません。むしろ、かつてグラウンドに立っていた人々が、戦争という大きな力によってそれぞれの居場所から引きはがされ、その後の人生をどう抱えていくのかを見つめる物語でございます。わたしはそこに、華やかな球場の声援よりも、声援がやんだあとに残る土の匂い、古びたユニフォーム、家族の沈黙、帰ってきても戻れない人の背中を感じました。

    まず心に残りましたのは、ジェフ・オーガスタさんをめぐる導入でございます。記憶がほどけていく老人が、家族のことさえ曖昧になりながら、チェッカーズのことだけは忘れない。その姿を、孫のリーさんが怒りと寂しさを抱えながら見つめている。ここには、介護される者の痛みだけでなく、介護する家族、見守る子ども、覚えていてほしいのに覚えてもらえない者の哀しみがございます。ジェフさんにとってチェッカーズは、生きた証であり、失った仲間たちへつながる細い糸でもあるのでしょう。けれどリーさんにとっては、その糸が家族を押しのけているようにも見えてしまう。このすれ違いが、とても人間らしく描かれておりました。

    デイブ・リンデンさんの章も、境遇の重さがよく表れております。彼の「ガッツ」は、選手としての誇りであり、周囲から認められてきた自分の形でした。けれど戦場では、その強さが彼自身を傷つける方向へ働いてしまう。帰還後も、彼はかつての自分と同じ姿ではいられず、野球へ戻りたい気持ちと、戻ることへの恐れのあいだで揺れることになります。さらに、世間の視線や悪意が彼を追い詰めていくところには、戦争から帰った人が本当に帰る場所を持てるのか、という問いが滲んでおります。戦地から戻ったから終わりではなく、その後も生活は続き、人の噂も、誤解も、身体に残った傷も、毎日の中に居座り続ける。その苦さを、作品は逃げずに書こうとしております。

    マイケルさんのように、戦地へ行かなかった者の苦しみを描いている点も、よいと思いました。戦争の物語では、しばしば「行った者」の痛みが中心になります。けれど、行けなかった者、残された者、待つしかなかった者もまた、別の形で社会から問われ続けるのです。命を張っていない自分は、同じように生きてよいのか。野球をしてよいのか。そうした後ろめたさは、派手な悲劇ではありませんが、生活の内側を静かに蝕みます。この作品は、そのような見えにくい痛みにも目を向けております。

    ロールスさんの章では、孤独の描き方が印象に残りました。彼は人を遠ざける言葉を持ち、他者と穏やかに関わることが難しい人物として置かれております。けれど、そんな彼にも、エルヴィスさんやハリーさん、マットさんのように、自分にないものを与えてくれる存在がいた。戦争によって彼らが別々の場所へ送られたあと、ロールスさんはふと、かつて仲間として野球をしていた人々を思い出す。ここには、本人が素直に認められなかった「寂しさ」がございます。誰かを見下し、突き放していた人間が、それでも本当は誰かと共にいた時間を失いたくなかった。そのにじみが、静かに胸へ残りました。

    全体として、この作品の大きな魅力は、チェッカーズというチームを「栄光の記号」にせず、一人ひとりの人生の傷口として描いているところです。野球は、この作品において娯楽であり、職業であり、仲間との言葉であり、生きる理由でもあります。だからこそ、それを奪われることは、単に競技ができなくなることではありません。自分が自分であるための場所を失うことなのです。この点が、各人物の境遇とよく結びついておりました。

    一方で、さらに深く届きそうな点もございます。各話はそれぞれ力を持っておりますが、構成として「人物の過去、戦争による断絶、帰還後または終幕の余韻」という流れが少し揃って見えるところがございます。統一感としては美点ですが、連作として読み進めると、もう少し話ごとの入口や見せ方に変化があると、人物それぞれの孤独がより鮮やかに立ち上がるでしょう。たとえば、ある章では家族の視点から始める、ある章では古い新聞記事や道具から始める、ある章では本人の沈黙から始める。そのように入口を変えることで、同じ喪失でも違う肌触りを持たせられると思います。

    また、人物の内面を説明する言葉が丁寧である反面、場面そのものの沈黙や身体の反応に、もう少し任せてもよい箇所がございました。悲しみや後悔を語る前に、手が止まる、帽子を脱げない、ボールを握ったまま投げられない、食卓で誰も名前を出さない、といった生活の小さな所作を置くと、読者は人物の心へより深く入っていけます。床擦れさんの作品には、すでにその種があります。古びたユニフォーム、グローブ、牛舎、教会、グラウンドといった物が、人物の心とよく結びついているからです。そこをもう一歩、言葉で説明する前の沈黙へ広げてみると、作品の哀しみはいっそう濃くなるでしょう。

    会話についても、重い場面の言葉はよく働いております。ただ、チェッカーズの仲間たちが、戦争前にどのように笑い、苛立ち、くだらないことで言い合い、互いの癖をからかっていたのか。その日常の軽さがもう少し見えると、後に失われるものがいっそう切実になります。人は、大きな誓いだけで仲間を覚えているのではありません。どうでもよい一言、ロッカーの匂い、投げ損ねた球、誰かの癖のある笑い方を、案外いつまでも覚えているものです。

    それでも、この作品が見つめているものは、とても誠実です。戦争で壊された人々を、ただ痛ましい者として飾るのではなく、誇りも、弱さも、加害性も、後悔も、家族にかけてしまう負担も含めて、人間として書こうとしております。そこに、作者さまのまなざしの真面目さがございます。

    『セプテンバー・コール・アップ』は、グラウンドへ呼び戻される物語であると同時に、もう戻れない場所を抱えた人々の物語でもあります。呼ばれた者、呼ばれなかった者、帰ってきたのに戻れなかった者、記憶の中でだけ投げ続ける者。その一人ひとりに、まだ言いきれていない願いが残っている。わたしは、その願いのかすかな湿りを、この前半の物語から感じ取りました。

    床擦れさんには、どうかこのまま、人物の傷だけでなく、その人がかつて何を愛していたのか、どんな小さな日常を失ったのかを、さらに丁寧に書き足していただきたいと思います。そうすれば、チェッカーズというチームは、読者にとってもただの架空球団ではなく、確かにどこかにあった居場所として胸に残るはずでございます。

    【ユキナより】

    樋口先生の言葉を聞いて、ウチもあらためて、この作品は「野球が好きな人たちの物語」だけやなくて、「好きなものに人生を預けた人たちが、それを奪われたあと、どう生きてしまうのか」を描いてるんやなって感じたよ。

    床擦れさんの書き方は、人物の誇りをちゃんと見てるところがええなと思う。誰かをただ可哀想にせえへんし、ただ立派にもせえへん。強さが傷になったり、弱さが生き延びる理由になったり、そういう人間の複雑さを見ようとしてるんよね。

    この先、チームとしてのチェッカーズがどんな記憶に束ねられていくんか、そこが楽しみになる前半やった。参加してくれて、ほんまにありがとう。

    なお、自主企画参加履歴は「読む承諾」の確認として扱ってるんよ。参加を取りやめた場合は前提が変わるから、応援・評価・おすすめレビュー等を見直すことがあるので注意してな。

    ユキナと樋口先生(袖しぐれ ver.)
    ※ユキナおよび樋口先生は、GPT-5.5による仮想キャラクターです。
    ※応援コメントの一部を講評の振り返りとして講評日誌に掲載させていただきます。

    作者からの返信

     今回も読んでくださり、ありがとうございました。
     指摘してくださった点には「一話5000字を目標とする」という部分も含め、自分なりの制約の中で、どうしても日常を描きづらかった、という部分がありました。
     その為「それぞれが、やや単一的ではないか」というご指摘は、極めてその通りだと、書いている当初から自認しておりました。
     ただ、それぞれの話の中で何を伝えるかという部分について、避けられない所のみを抽出した文章としたのも事実であります。そこは、お伝えするべきだと思っております。
     また「周りからの視点が欲しい」という部分については、前半というよりも後半、もっと言えば最後の二話分に入れ込んでおります。
     今回の企画の性質上、そこまでは読んで頂けておりませんが、実は前半の部分については「オムニバス形式としてのリズム」を重視した構成で、まだ一番大きな題材には触れていない段階であります。
     無理に「確かめてほしい」と言える立場ではありませんが、全体としてはそういう構成なのだ、と思っていただけますと幸いです。

     長々と言い訳のようになってしまいましたが、読み解こうとしてくださったことに感謝し、この返答を閉じさせていただきます。
     本当に、ありがとうございました。