新宿ダンジョン:新宿区内特異空間事象探訪記

宮塚恵一

第1章 内閣府特異空間対策局特殊介入第一分遣隊

第1話 特異環境適応資質者〈ダンジョン攻略者〉

 新宿区内特異空間事象。

 新宿東方ビル周辺のコンクリートを抉るように出現した異常な地下空間。俗に新宿ダンジョンと呼ばれるようになったこの場所で、矢実浩彦やざねひろひこは、小型無線機インカムから聞こえてくる声に、耳を澄ませていた。


『あーあー、聞こえるか。ヤミくん』


 無線機の向こうから、リリー池澤の気怠げな声が聞こえてきた。浩彦はリリー池澤のやる気のない声に感じる苛つきを抑えながら、応答する。


「聞こえる。後、ヤミくんはやめろと言ったはずだが」

『やざねは呼びにくい』


 浩彦が何度訂正を試みても、リリー池澤はずっとそう言って憚らない。浩彦は溜息をつき、遂に名前の訂正は諦めた。


「好きにしてくれ」


 とりあえず、無線機は問題ない。だが、ダンジョン内部に踏み入れるなり、辺りが真っ暗になった。前が、何も見えない。


『ふむ。聞こえているならば問題ない。ヤミくん、ダンジョンに足を踏み入れることができたというのであれば、改めて私らのミッションについて確認しよう』

「わかった」


 浩彦はリリー池澤の言葉を聴きながら、赤外線サーマルゴーグルを掛けた。


『新宿区内特異空間の入り口先、つまり特定非人為境界扉の先に我々のような行政機関が公的にをするのは今回が初めてだ。ヤミくん、君達の隊に国益の全てがかかっていると言って過言ではない』

「我々のような行政機関、ね」


 よく言う、とリリー池澤の言葉を、浩彦は鼻で笑った。


「境界扉、インターネットじゃ〈試しの門〉なんて呼ばれてたか? そこは問題なく通過できた」


 浩彦もリリー池澤に合わせて、現状確認をする。東方ビルがあった場所が崩れてできた大穴の先、政府からは特定非人為境界扉と呼ばれるダンジョンの入り口から中に入ったのは浩彦も初めての経験だ。


「この度の新宿区異常空間第一次“攻略”事案の目的は、民間調査によって実在が確認されている第五層までの到達と帰還です」


 浩彦と同様に無線機でリリー池澤の声を拾っていた天野燕次あまのえんじが言った。燕次は元陸上自衛隊員で、情報科に所属していた経歴を買われて、今回の作戦に参加した。


「現地での作戦行動は特異環境適応資質を持つ第一号要員の矢実浩彦を含む、計四名で行います」

『うむ』


 燕次の言葉に、無線機の向こうでリリー池澤が満足げに頷いた。


『今回の作戦が成功すれば、ダンジョン攻略の実績を政府が持てる。よろしく頼む』

「了解」


 リリー池澤に対して、浩彦たちが応答する。寄せ集めの部隊だ。形だけでも正規の部隊のように振る舞うように、訓練は重ねている。


「ダンジョンと聞いて尻込みしていましたが、普通の洞窟と変わりませんね」


 四人で赤外線サーマルゴーグルを頼りにダンジョンを進む中、隊唯一の民間志願者である山本愛佳やまもとあいかが言った。


「気を抜くなよ」


 浩彦が愛佳に注意を促した。


「分かりました、隊長」


 愛佳は緊張した声音で応えた。愛佳以外の三人は20式5.56mm小銃アサルトライフルを装備しているが、彼女だけ銃火器の類を所持していない。部隊の一員として、彼女も一通りの軍事訓練を潜り抜けてきてはいる。だが、隊の中では最も警戒を怠りやすいことは間違いない。

 新宿ダンジョン入り口とされる特定非人為境界扉──通称〈試しの門〉は、門に選ばれた人間しか通過することができない。リリー池澤曰く「勇者の資格あるもののみが、ダンジョン攻略を許されるというわけだな」ということだが、実際にどういう基準なのかは目下調査中とのことだ。

 通過適正がない人間が〈試しの門〉を通った場合の実験はするまでもない。まだ、政府による新宿ダンジョン周辺の封じ込めが充分でなかった頃、我こそはとダンジョンに突入しようとした民間人の多くが、開けっぱなしの〈試しの門〉を潜った瞬間、してその血肉を門の周りにぶち撒けている。


「……ゴーグルを外せ」


 浩彦が三人に指示を飛ばす。真っ暗な洞窟を進んだ先、開けた空間に到着した。市民体育館ほどの広さのあるこの空間には光源があり、ゴーグルなしでの目視の方が幾分マシだ。浩彦だけがゴーグルを装着したまま、辺りを確認する。


 ──いる。


「池澤」

『リリーだ』


 どっちでも良い、と浩彦は言葉を続けた。


「早速だが戦闘態勢に移る。全員、構えろ」


 浩彦の指示で、燕次ともう一人の隊員が小銃ライフルを、愛佳がを構える。


「小手調べだ。無駄に動くな。自分の命だけ、優先しろ」


 浩彦は赤外線サーマルゴーグル越しに見つけた熱源に向けて、銃弾を撃ち込む。ぶしゅう、という音と共に、そこにいた生物の体液が飛び散った。


「──来る」


 浩彦の視界が熱源で埋まる。壁の四方、天井も。こうなってはゴーグルももう意味をなさない。浩彦は赤外線サーマルを脱ぎ捨てて、小銃ライフルを構えた。


『──ッ! 粘性特異生体!』


 こちらの様子をカメラで伺っていたリリー池澤が興奮した様子で言った。


だッ! 訓練通りいけ!」


 洞窟の開けた空間、その辺り一面からスライムが雨のように、次々と部隊に突撃した。

 だが、部隊の全員、それに怯むこともなく、すぐさまスライムの迎撃態勢に移った。銃火器を所持する燕次達二人が背中合わせに小銃ライフルを構え、スライムが近付く前にコアを撃ち抜く。撃ちもらした個体を、愛佳がなぎなたで払う。浩彦も三人から離れたところから、スライムを撃ち抜いていった。スライムの猛攻中、誰にも油断はなかった。平和な現代日本、そこに現れたダンジョン内という特異環境下で誰も彼も、自分たちが死と隣り合わせの決死部隊スーサイドスクワッドであることを理解していた。


「隊長ッ!」


 スライムの雨に銃弾の雨で対抗し、掃討を続ける燕次が叫んだ。


「集中しろッ!」


 浩彦はそう叫び返す。浩彦も燕次が叫んだ理由は分かっている。開けた空間の向かい側、先に進む暗い道の方から、ドシリドシリと重い足音と共に何かが近付いてくる。


「池澤、見えるな」

『リリーだ。ああ、見えるとも』


 リリー池澤は相変わらず興奮した声音で応えた。

 浩彦は背後にいる部隊三人の様子を見る。三人とも指示に従い、降りかかるスライムを掃討し続けている。スライムの雨はまだ止みそうにない。こちらは三人に任せようと、浩彦は自分を襲うスライムを小銃ライフルで撃ち抜きながら、重い足音の主の前に躍り出た。


『何とまあ』


 無線機インカムの向こうでは、リリー池澤が嘆息している。命の危険がない奴は優雅なものだ、と浩彦は舌打ちするが、今は目の前のだ。


 巨躯人型特異生体トロール。目測で全長十メートルの巨体に、人間以上の大きさの棍棒を握っている。皮膚の質感はゾウに近い。ボロボロの腰布をまとって、歩きながら退屈そうにあくびをしていた。


「余裕ぶりやがって」


 浩彦は小銃ライフルを構え、トロールの

心臓部目掛けて銃弾を撃ち込んだ。だが、トロールの硬い皮膚に銃弾が弾かれた。


『銃火器はやはり、無理ですか』

「だろうな。分かっちゃいた」


 浩彦はゴーグルに続いて、小銃ライフルも投げ捨てる。


『それでは──』

「ああ、分かってる」


 浩彦は短剣を取り出した。赤外線サーマルゴーグルや小銃ライフルとは違う。原始的な武器だ。だが、浩彦が短刀をひと薙ぎ振るうとその刀身が光り輝く。


「ぐ、わぁッ」


 トロールが浩彦の持つ短刀の光に気付いたのか、それまで見向きもしなかった浩彦を見下ろした。


「ぐ、おぉぉッ!」


 己より何倍も矮小な生き物を見て、トロールは何を思ったのか。棍棒を持つ大きく腕を振り上げた。浩彦はそれに合わせて、短刀を構えた。短刀の周りに、炎がまとう。

 この短刀は近現代の兵器ではない。特異遺物第十一号。


 ──正真正銘、ダンジョンの武器。


「ぐ、わぁぁ!」


 トロールが棍棒を振り下ろす。浩彦は物ともせず棍棒を避けると、その上に飛び乗った。


「ノロマが」


 浩彦の目には、心なしかトロールが驚いたように見えたが、特異生体モンスターの反応はよく分からない。ただ、こいつの弱点は分かる。赤外線サーマルゴーグルをしているよりも余程はっきりと、トロールの右肩が赤く輝いている様が、浩彦の目には見える。


「……ゴーグル、邪魔だったな」


 リリー池澤、というかその上の強い勧めで赤外線サーマルゴーグルを装備したが、少なくとも浩彦には必要のない装備品だった。


 浩彦には特異生体モンスターの弱点が、える。


「どらあ!」


 浩彦は棍棒からトロールの腕を伝い、トロールの肩まで到達した。そのまま燃える短剣を振るう。炎が舞い、トロールの右肩を刃で削ると共に、トロールの両眼を炎が燃やした。


「ぐ、ぎゃごおおおお!」


 トロールは大きく叫び声をあげた。その声の凄まじさにビリビリとした全身の痺れを感じる。背後でボトボトと何かが落ちていく音がしたが、確認している暇はない。肩を蹴り、次の弱点を狙う。トロールの背中に、人間の大人一人程のコブがあった。その部分が、浩彦には光り輝いて視える。浩彦は短剣をもう一度振るった。炎が鞭のような形を取る。空中に飛び出して、炎の鞭でトロールのコブを叩いた。


「ぐ、おおおおお!」


 血飛沫が舞い、再びトロールが叫ぶ。大きく開いた口の先、喉と脳天が光り輝いていた。浩彦は地面に降り立ち、さっき投げ捨てたばかりの小銃ライフルを拾った。チラと背後を見ると、スライムたちが床一面に落ちて痙攣している。さっきの落下音はこれか。部隊の皆が、焦る様子もなく、怯んだスライム達を撃ち抜き、討伐しているのを見て、浩彦は満足げに頷いた。

 ──後はこちらだけ。


「悪いな」


 浩彦は小銃ライフルを構える。トロールの口の中で、変わらず弱点が光り輝く。浩彦は引き金を握り、銃弾をトロールの口元目掛けて撃ち込んだ。


「ぐ、わあ……」


 ドシィッと大きな音と共に、トロールが倒れた。浩彦の後ろに、スライムの掃討を終えた部隊の皆が駆け寄ってきた。


「流石です! 隊長!」

「まだ油断するな」


 燕次が崇敬の眼差しで浩彦を見たのに対し、浩彦が叱責する。燕次はすぐに姿勢を正し、敬礼した。


『いやあ、感服した。畏敬の至りだよ、ヤミ隊長』


 無線機インカムから、リリー池澤の感心した声と拍手が聞こえてきた。


「黙ってろ、クソ」


 浩彦は今度こそ苛つきを隠さずにそう言ってから、息を整えた。流石にトロール相手の戦闘は、さしもの浩彦にもこたえた。


『流石はヤミ──いや、矢実浩彦。世界で五人だけの特異環境適応資質者であり、特異遺物所持者。ふふ、の呼び名は伊達じゃない、か。ダンジョン攻略者とは、かくあるものというのを見せられたよ』

「黙ってろと言ったはずだが? そちらはサポートに徹してろ。減らず口を挟むな」

『はいはい』


 何故かリリー池澤の方が呆れたように嘆息する。溜息をつきたいのはこちらだ、と浩彦は毒付き、ダンジョンの奥部を見据えた。



「行くぞ」

了解ラジャー!」


 浩彦の呼びかけに、部隊の皆が応答する。


 矢実浩彦。リリー池澤の言う通り、公に記録されている中で、有数のである彼は、自分に続いてこの不可思議な新宿ダンジョンを踏破するべく組織された部隊の皆を引き連れて、ダンジョン深奥へと足を進めた。

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