第2話 緑山善吉郎78歳 地区会長 愛犬バイソンの散歩が日課
オツノ様は異世界人だ。
……いや。
異世界人と呼ぶようになったのは最近で、これは多分にサブカルチャーの影響が強いのだが、かつては“異界からのお客様”や、そのものずばり“妖怪”や“鬼”と呼んでいた。
オツノ様は何者なのか。智子も、そして集落に暮らす住人達も、本当のところはよくわかってはいない。でも地球人ではないとは思っている。オツノ様の容姿は人間のそれとは違っているからだ。
最初にオツノ様が集落に現れたのは、今から千年以上も前、時は平安時代である。名前のオツノ様から連想するように、きっと最初はツノの生えた異世界人が来たのだろう。
集落には当番記録簿なるものが存在するのだが、それには様々なオツノ様が記されている。赤鬼青鬼、一つ目小僧などの和風妖怪もあれば、“エルフが来た”とか、“グレイ型宇宙人だった”との記述もある。
オツノ様は、年に一度、決まった日に来るわけではない。周期は決まっていないのだ。当番記録簿によると、二十年間も音沙汰なしだったこともあれば、年に五回もいらっしゃったこともある。滞在日数も様々で、数時間でお帰りになることもあれば、三か月、あるいは五年間という記録まであった。
昔は集落の権力者がオツノ様の接待を取り仕切って頑張っていたようなのだが、戦後あたりからは、三年間の接待当番を持ち周りで回している。
その接待当番のことを表向きは“神社当番”と呼んでいるのだが、それが去年から三ツ森家に順番が回ってきていた。さらに今回、間の悪いことに、智子の両親は旅行中で不在。帰宅は三日後である。だから智子が三ツ森家を代表して接待当番を務めなくてはならない。
「……これって、やっぱり光ってるんですよね?」
智子は神社に来ていた。神社にはお座敷があり、その床の間に鎮座している水晶をまじまじと見つめる。一緒にいるのは、水晶が光り出したことに気づいた地区会長の
善吉郎は御年七十八歳。早朝と夕方には犬のバイソン(雑種6歳メス)の散歩をしている。その散歩コースに神社があった。雨の日も風の日も台風の日も神社に通い続けているのだが、その理由は窓から覗いて床の間に鎮座している水晶が光り出してはいないか確認するためだ。
なぜなら床の間の水晶が光り出すと、オツノ様がいらっしゃるからである。水晶は大玉スイカくらいのサイズがあり、これがペッカペッカと光り出すと異界に繋がるゲートが出現する。オツノ様はそのゲートを通って地球にやって来るのだ。
水晶チェックは何があろうと欠かしてはいけない。万が一、光ったのに気づかずにいたら、オツノ様が「出迎えがない!」と激怒なさり、集落は地獄と化して地球も割れる。……と、この集落の住民たちは平安時代からそう考え、人類の平和は己たちにかかっていると信じて、オツノ様の逆鱗に触れないよう頑張り続けているのだ。
というわけで、やるしかない。人類のため最上級のおもてなしをし、オツノ様には気分よくお帰り頂く。それがこの集落に生まれ、集落で暮らしている人間の宿命だ。
「光り出して何日くらいでオツノ様って来ます? このまま三日くらい持ちませんか?」
そうすれば旅行中の両親が戻る。当然、三ツ森家が接待当番なのだから、智子も手伝うが、代表者として奮闘するのと、奮闘している両親を支えるのとでは気分的にだいぶ違う。
「そうだなぁ……」
善吉郎は記憶を辿る。彼は自ら“接待師”と名乗るほどオツノ様に対して責任感を持つ集落の重鎮だ。彼がいなくなったら、この秘密の伝統行事はどうなってしまうのか。むしろなくなってほしい伝統行事だが、こっちの都合は関係ない。来るものは来る。水晶が光り出したら最後、オツノ様は嫌でも来ちゃうのだ。
「……長く光り続けても、最長で五日くらいだった気がするな」
「それなら今回も頑張って光ってて欲しいですよ」
しかし願っていても仕方ない。オツノ様を迎える準備をしよう。まずは掃除だ。それから座布団と長机をお座敷にセッティング。早急に飲み物と軽食も用意しなくては。
さて、この水晶が鎮座する神社だが、正式に登録してある神社ではないし、いわゆる神社で想像するような社殿や賽銭箱、鈴のようなものもない。
かろうじて昔の人が建てた石の鳥居は存在するが、境内にあるのは平屋の集会所だ。外観だけならプレハブの物置きに見えるが、室内には八畳のお座敷と、簡単な炊事ができる狭い御勝手がある。電気と水道は通っているため、冷蔵庫と流し台はあるが、煮炊きにはカセットコンロが必要だ。そしてトイレもあるにはあるが、汲み取り式である。
また面倒なことに、境内にいると電波が届かずスマホ類が使えない。連絡を取りたければ鳥居を一歩でも出る必要がある。やはり異世界と繋がるゲートが出現する場所だ。何かしらの普通ではない磁場みたいなものが、この敷地内には出ているのだろう。
そんなわけで、智子は鳥居を出てからスマホで電話をかけた。相手は幼馴染でママ友でパート仲間でもある
『はい、もしもーし』
「あっ、沙織? オツノ様が来るんだけど——」
『知ってるよー。よしくんが自転車で言って回ってたから』
「うん、それでさ。今年、うちが当番なのよ」
『えっ、そうだっけ?』
「しかも両親、旅行中。今、沖縄にいる」
『あらー……。それは、ご愁傷様です』
「だからさ、子どもたちお願いできる?」
そろそろ小学校から帰る時間帯だ。沙織も十歳の息子を持つ母親なので、このあたりは細かい説明は抜きで、『わかったー』で話は進み通話を終える。続いて智子は夫にメッセージアプリで連絡を入れておく。
『今日は早く帰ってきてください。大切なお話があります』
夫の健司は地元住民ではないので、オツノ様文化を知らない。智子たち一家が集落に戻って暮らすようになって、まだ二年しか経っていないのだ。そしてその間、オツノ様は来訪していない。だから健司には、まずは異世界人の説明からしなくてはならない。
「集落全体で、危ない宗教に入ってると思うかもな」
普段は温厚で優しい夫なのだが、これには人が変わったような反応を見せるのではないか、と智子はそれが気にかかる。
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