⑩ 明かされざる一幕

 やや時は遡り、ヴィクトリアが己の限界を超えて魔力を取り込んでいる最中。

 カイはコニーにだけ自分の決意を告げ、一人その場を離れた。

 

 ――つくづく無茶苦茶な女だ。


 この火山を止める。ヴィクトリアはそう望んだ。そうせずにはおれぬと言った。


 彼女は目の前にある誰かの危機を見過ごせないのだろう。打算も計算もなく、感情の赴くまま手を伸ばさずにはいられない。


 それは善良かもしれないが、危険だ。穴蔵の民の考え方とは、似ているようで明らかに違う。


 だから、放ってはおけない。助けが要る。そのためには、そう、モルガンの森で使うはずだった切り札を使わねば――


 岩陰で周囲に誰もいないことを確認すると、よし、と意を決して嘆息。息を止め、カイはおもむろにマスクの紐を解く。


 冷たい空気にさらされ、素顔が露わになった。つるりとした白い肌。整った鼻筋と、薄い唇。切れ長の、海のように深い青と新緑の森を思わせる緑色をした色違いの左右の瞳は、ヴィクトリアのそれとはまるで鏡合わせだ。


 彼の顔は、人間のそれだった。


 胸が緊張で早鐘を打つ。ちらりとポシェットに視線を落とし、すうっと一つ息を吸い込む。


 どくん、と全身が燃えるように熱くなった。胸の奥がきりきりと痛む。息を吐くと、口から魔力が氷の結晶になって溢れ出し、それらがカイの足元に落ちる。


 カイの放った『魔法』だ。


 ――違う。身の内に留めなくては。


 周囲の寒さがカイの頭に冷気を想起させ、抑えようとしても吐息が魔力を帯びて、意思を超えて魔法が発動する。一つ魔法を放つ度に全身の倦怠感が増す。


 ――くそっ、何度もはもたん……


 カイは魔力を取り込まない普通の呼吸を知らない。取り入れた魔力を内に留める術も知らないから、呼吸のたびに魔法を放ってしまう。本来なら知らねばならぬはずの『理』は、どうやら感覚的に知っているようだった。


 だから、自分ならヴィクトリアの無茶を助けられるのではと、そう思ったのだが、


 ――やはり、一朝一夕では無理か……いや、あいつは、確かこうして……


 ヴィクトリアが呼吸をする姿を思い浮かべる。すると、すうっと身体の内に魔力が駆け巡り、全身が熱くなった。


 ひとつ――ふたつ――


 姿は見えずともまるでそこにヴィクトリアがいるような、いや、彼女と感覚を共有しているような。


 ――お前も今、こんな感覚なのか。


 答えはない。ただ、同調している。二人の呼吸が重なる。カイにはそれが見えずとも分かった。


 魔力は肺に留まり、そこから全身へ駆け巡る。慣れてみると意外と心地よい。初めての感覚に戸惑いつつ、みっつ、よっつと呼吸は続く。


  ――父上……


 そこでふとカイは父、アトリを想った。


 父は穴蔵の民の住処に連れてきてすぐに赤ん坊が人間であることに気付いた。赤ん坊を託して死んだ方もおそらくはそうだったのだろう。


 遥か昔に刃を交え、東側に住まうという人間の子。未知の存在。とんだものを拾い託されてしまったと頭を抱えたはずだ。


 それでも、父は育てた。カイと名付け、ひときわ成長の遅い子であることを周囲に訝られながら、コニーと共に懸命に。


(君がマスクを被っていたのは、その体質のせいなんだろうね。僕たちとは別の意味で君もマスクが欠かせないんだろう)


(だったら、穴蔵の民と変わらニャいよ)


 父とコニーは、成長するにつれ自分たちとどんどんかけ離れていくカイを見ても尚、そう言っていた。


 無論、疑問は常に頭をもたげたろう。

 結局、カイとそれを託した者は何者だったのか。なぜ、同じ人間に追われていたのか。マスクはどこで入手したのか。


 それを知るべく、アトリは折を見て再び洞窟を開くべく作業を続けた。

 答えは向こうにある。必要とあらば将来、向こうに渡って調べよう。そう考えたから。


 だが、カイははっきり言って、そんなことはどうでもよかった。興味もない。自分が人間だと思ったことはないから。


 ――俺は穴蔵の民、アトリとギュリズの子、七番目のカイだ。


 だからこの洞窟は要らない。イダたちが戦を望むなら、塞がなくてはならない。

 しかし、その前に。

 

 ――あいつをいるべきところに帰す!


 カイは膝を付き大地に両手をかざす。そして頭に思い浮かべる。


 ヴィクトリアと過ごした、短いながらも色濃く、忘れ得ぬであろうこの旅路を。

 彼女をイダから助けたことで始まった旅。面倒事ではあったが、今こうして思い返せば……そうとも、楽しかった。


 苦笑しつつ、ヴィクトリアの顔、口元、動きを想う。意識が繋がっているような気がしたまま、吸って、吐く。吸って、また吐く。呼吸を重ねるごとに、肺の中に温かさが満ちる。


 二人の同調した呼吸は続く。 


 十――十一――


 だんだんと心地よさは消え、全身が痛むようになった。が、耐えきれぬほどではない。もう少しいけるか。


 ふと、大地の奥深くまで手の感覚が伸びていく画が頭に浮かぶ。


 深く、深く、そして届いた。

 両手の中で炎塊が脈動し、暴れる。それはまるで長い時を経て霊峰と化した龍の心臓の如く。


 ――これを止めれば……できるか、俺に?


 心の臓を一掴みにするように。だが、そうはさせじとばかりに炎塊は激しく燃えている。

 

 ――十二――十三――


 カイは魔力を貯め続ける。全身の熱はもう耐え難い痛みへと変わっている。なるほど、どうやら自分が取り込める魔力の際は近い。


 ――十五――あと少し―― 


「永遠のアエテルナ・ニクス!」


 ヴィクトリアの声が聞こえ、その刹那、すさまじい冷気が周囲になだれ込んできた。


 カイの眼前、文字通り山が凍りついていく。雪がうねりを上げて一つのところへ集まり、その氷は一瞬で広がっていった。


 ――これが……あいつの魔法……


 カイは驚嘆した。尋常な威力ではない。一体何拍の、どれほどの魔力を身の内に取り込んだのか。人の身ができる範囲を超えているのではないか。これこそまさしく、あの逸話に出てきた魔女サブリナが放った封印の再現か。


 だが、それでも地鳴りが収まらない。変わらず揺れる大地。降りしきる雪には、雲と同じく黒い火山灰が混じっている。


 ――駄目か……? いや……!


 カイはいよいよ魔力を解放すると決める。


 ――二十……限界だ。だが、届かせる!


 息を吐く。カイの吐息が、ヴィクトリアが凍てつかせた大地に伝わる。


 カイは再び、地の底へ意識を伸ばす。ヴィクトリアが作り出した分厚い氷を操作し、炎塊にぶつけ、鼓動が弱まると、そのまま周りに上塗りしていく。


 ――凍りつけ!


 氷が細く、鋭い一本の槍となって、深層に届き、貫く。炎塊は凍てつき、同時に地鳴りが収まった。


 それは二人の魔法であり、二人で起こした奇跡だった。


「はあ……はあ……うまく、いったか?」


 カイは矢も盾もたまらず立ち上がり、走り出した。震える手でたどたどしくマスクを被りつつ。

 足が重かった。なるほど、ヴィクトリアが前に言っていた通り、魔法はひどく疲れる。

 

 それでも、カイは駆けた。行かなければ。彼女が助けを求めている、そんな気がした。


 カイはすぐに元の場所にたどり着いた。

 ヴィクトリアの周りには、放たれた魔力がうねるような吹雪を作り上げていた。が、それも間もなく消えると感覚で分かる。


「ヴィクトリア!」


 カイは風に煽られてふらつくヴィクトリアに駆け寄ると、背後から抱き締めて支えた。


「……この猪女が。少しは自分の身を優先してものを考えろ」


 微かに唇を震わせるヴィクトリアの身体から力が抜けた。

 一瞬ひやりとしてその身体をそっと横たえると、すぐに口元から白い息が出るのが見え、カイは安堵する。


 ヴィクトリアの寝顔はどこか満足げだ。なんだか無性に腹が立って、カイはふんと鼻を鳴らした。

 最後くらいは素直に言ってやる――そんな気になった。


「本当に……大した女だよ、お前は」

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