⑤ 『鷹羽』対イダ

 渡り切ると広い岩棚になっていて、壁にぽっかりと大きな口が開いていた。どうやらこの先の通路は上り坂になっているらしい。


 この先はどれくらいあるのだろう。ここまでどのくらい歩いただろう。時間の感覚は曖昧だった。


「父上から聞いた通りニャら、もう少しで出口。あたしともここでお別れニャ」


 コニーはそう言うと、背負っていた銃に弾を込める。そしてポシェットから椎の実のような弾を取り出して、丁寧に足元に立てて並べた。


「もしもカイが突破されたら、次はあたしがここで足止めするニャ。ここニャらあの橋を通るしかニャい。見晴らしもいいし、銃で狙い撃つにはうってつけニャ」


「コニー、あなたまで……」


 終着は近い。旅は終わる。ヴィクトリアはアストリアに着き、この洞窟は再び閉ざされる。そうすれば、再び戦争を起こそうというイダの思惑は潰える。


 すぐにも行くべきだ。頭では分かっている。それでも――ヴィクトリアはコニーの前にしゃがみ込み、真っ直ぐに彼女を見つめた。そして、思わずその小さな身体を抱きしめた。


 か弱い小さな身体。でも、そこにはより大きなものに抱かれるような安心感がある。


 ――あのお腹、また吸いたいな。なんて思ったら駄目かな……


 感謝と信頼。別れの寂しさ。色々な感情が胸を締め付ける。

 もっと一緒にいたい、これからも。まだついてきて。そんな幼子のような駄々をこねたくなる。


 身体を離すと、コニーがこちらを見返した。マスクで表情は見えずとも伝わる。彼女も同じ気持ちでいてくれているのだと。


「さよならニャ、ヴィッキー」


 コニーは涙まじりの声だ。それでも、ぐっと親指を立てて見せる。


「頃合いを見て火薬でこの橋を落とす。そうすればイダも諦めがつくってもんだニャ」


 再び掘り進めたとしても、今度は溶岩がある、とういわけか。


「でも、そうしたら……私はどうやってあなたたちに報酬を渡せばいいの?」


「はは、まだそんなこと考えてたのかニャ」


 コニーはからからと笑いながら、マスクの鷹の羽を指先で撫でた。


「いくつもの冬を越せるほどの食糧、か。ありがたいけど、いくらヴィッキーが約束してくれても持って帰る手段がニャい。この洞窟は見ての通り輸送には向かないニャ」


「だったら、カイはどうして……」


 住処でのやり取りを思い出す。つい、右手の小指を所在なく弄る。


(俺はお前を向こうへ送り届ける。お前はその見返りに俺たちに食糧を提供する。これで契約成立だ)


 そう言ったくせに、彼は最初から実現しないと思っていたのか。ヴィクトリアを送り届けらればそれでいい、と――


「森の民に知られた。いずれ知られてはことだと前々から思ってたニャ。この洞窟はやっぱりあってはニャらニャい。だからカイもあたしもここを完全に潰すのが旅の目的だったのニャ」


 ただ、とコニーは顔を伏せた。


「ただ……なに?」


 逡巡の間をおいて、コニーがこちらを見上げる。


「……ねえ、ヴィッキー。あんたはこの地を知り、変えたいと思ってくれた。その気持ちをそっちの皆に伝えて欲しいニャ。それがいつかこの地を変えるきっかけに――」


「いつか、だ? 悠長なことを言ってやがる。呑気だねぇ、鷹羽の」


 突然に響く皮肉気な笑い。弾かれたようにコニーとヴィクトリアは身構える。

 この声は――


「イダ!」


 思わず呼びかけると、ぬっと岩棚の下から手が現れた。


「やれやれ、トカゲになった気分だ。よっと……」


 乾いた笑いと共に、イダが姿を現す。


「どうやって? カイがいたのに……」


 それに、橋には身を隠すような遮蔽物はなかった。時折振り返って背後への警戒は怠らなかったはず。姿も見えなかったのに。

 

「はは、そいつはナイショだ。ま、死ぬ覚悟でまいてきた、とだけ言っとくかよ?」


 イダは首を鳴らし、先を続ける。


「で、まいた後は単純さ。走って追いかけ、ここに着いたら、あンたらが橋を渡り始めていた。だから見つからねえようにあの岩橋の下に張り付いて、少し後にくっついてたのさ。めちゃくちゃ疲れたが、甲斐はあったな」


「この距離を? なんて無茶な……!」


 恐るべき腕力と体力。いや、そうまでしてでもヴィクトリアを捕えようという執念。


 岩棚へ登ってきたイダは首を鳴らしながら両肩をぐるりと回す。


「つーわけだ。もう逃がしゃしねえよ、人間」


「そうはいかないニャ!」


 すぐさまコニーは膝立ちで銃を構え、迷うことなく彼女の足に撃ち込む。乾いた銃声と共にイダの右太ももから血しぶきが舞上がり、彼女は膝をついた。


「痛ってぇ……おいおい、『鷹羽』の。ひでぇじゃねえか。問答無用かよ?」


 からかうような口調には余裕が見えるが、傷は一向に治る様子がない。


 ――あれ……再生して、ない?


「どのみち、再生に使える魔力は使い切ったようだニャ!」


 コニーは叫ぶが、イダは不敵な笑みを浮かべたままだ。一向に治らない足を引きずり、ゆっくりと近づいてくる。


 再生には魔力がいるのか――そこでヴィクトリアは合点がいった。カイが洞窟でなら地の利があると言っていたのはそういうことだったのだ。


「ヴィッキー! カイはきっと大丈夫ニャ! 行って!」


「……でも!」


 再生能力が封じられているとはいえ、身を潜める場所もないここでコニーはイダと戦えるのだろうか――一瞬の危惧が、ついヴィクトリアの足を止めた。


 その間にもイダは怯むことなく近づいてくる。


「逃さねえって。忠告するぜ、『鷹羽』の。やめとけ。この距離になった時点であンたの負けだ。次の弾を込める暇なンざ――」


「お優しいことニャ!」


 コニーはくるりと銃を回して手元に銃口を持ってくると、弾を込めて長い棒でそれを押し込む。そして、足で蹴って銃を回転させると、すぐに構えた。その間、五つも数える程度だ。


 ヴィクトリアは手慣れたコニーの動きに見入っていた。

 長い得物を自分の身体の一部のようにしてコニーは扱っている。銃という武器の弱点である、一度放った後で次の弾を込めるまでの時間を、彼女は心得ていた。だから、それを極力無くすための技術を身につけたのだ。


「イダ、これ以上近づくニャ。本当に死んじまうよ?」


 イダはそれでも怯まない。顔にはまだ余裕がある。


「お優しいことだねぇ、『鷹羽』の。この期に及ンであたしの心配かい?」


 再び銃声。今度はイダの左膝に当たった。衝撃でうつぶせに倒れながらも、顔を上げたイダの不敵な笑みな変わらない。


 すぐにコニーは足元の弾を拾い、イダと一定の距離を保ちつつ、次の弾を込める。


「次は頭を撃ち抜くニャ! ヴィッキー、なにしてるニャ、早く――」


「なら……やってみな!」


 イダは細く引き締まった両腕を足の代わりにして高く飛び上がった。ヴィクトリアがそれを見上げた瞬間、コニーが銃を撃つ。

 銃声と共に放たれた弾丸はイダの頭に穴を穿つ――はずだった。


「……ニャんで!?」


 コニーが驚愕によって固まった。イダは紙一重で避けていたのか、少し顔を逸らしただけで着地する。そのまま獣のように両手を使ってこちらに駆けた。


 とっさにヴィクトリアはコニーの前に立つ。剣を抜く間にもイダが間合いを詰めてきた。

 させない、とヴィクトリアが剣を振り上げた瞬間、


「ほれ、返すぜ!」


 イダが口を歪め、ひゅっと風を切る音が耳に届く。すぐに背後からコニーの「ニャッ」という悲鳴と銃の落ちる音が聞こえた。


「コニー!? しっかりして!」


 振り返ると、コニーは仰向けに倒れたまま動かない。見ればマスクの額の部分に穴が空き、傍らに弾が転がっていた。 


「へっ、当たり所がよかったか……気を失ったようだな。いいね、ツイてるぜ」


 イダはもごもごと口の中を動かし、ぺっと地面になにかを吐く。血の塊と共に、出でたのは、折れた前歯だ。


「まさか弾を口の中……歯で受け止めたの?」


 そして、それを口から撃ち出した。それころ、銃のように。


 ああ、と事もなげにイダは細い顎を撫で、にっと笑った。


「さすがに狙いが正確だなぁ、『鷹羽』の。きっちり頭を狙いやがる。もうちょいタイミング外してたら死ぬとこだった」


 死。長い寿命と再生能力を持つ彼らオークには縁遠い言葉に思えるが、不死身ではないくらいはヴィクトリアも知っている。


 頭。脳が彼らの唯一の急所。


「確かにあたしらの再生能力は魔力が源だ。でも、再生するしないはある程度自由にできるし、あたしは貯めとける量が人よりちっとばかり多くてね……ま、ここまで無茶したンで今ので完全に使いきっちまったがな」


 ひょいっと両腕で飛び上がると、イダはしっかりと足で着地した。からんとなにかが落ちる音。彼女の両足の塞がった傷口から落ちたコニーの弾だ。


 再生を済ませたイダは立ち上がり、ヴィクトリアを見下ろす。


「つーわけで。さあ、人間。一緒に来てもらおうか。お喋りをしよう」

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