ざこてん〜初期雑魚モンスターに転生した俺は、勇者にテイムしてもらう〜

キノア9g

第1話 採用面接は命がけ


 モグ、モグ、モグ。

 うん、今日の草も美味い。


 木漏れ日が降り注ぐ平和な森の中。俺は一心不乱に地面に生えた草を食んでいた。

 前世の記憶がおぼろげにある身としては、「道端の草を食う」という行為に多少の抵抗がないわけではない。だが、抗えないのだ。この本能には。

 なにせ俺は今、ウサギだからである。


 正確に言えば、ただのウサギではない。

 全身を覆う漆黒の毛並み。額から突き出た一本のねじれた角。赤い瞳。

 この世界において、俺は『ダーク・ラビット』と呼ばれる魔物の一種だった。


(……平和だなぁ)


 鼻をヒクヒクと動かしながら、俺はのん気に空を見上げた。

 ブラック企業で営業職として馬車馬のように働いていた前世を思えば、食う寝る遊ぶだけのこの生活は、まさにスローライフ。天国と言っていい。

 たまに狐っぽい肉食獣に追いかけられることもあるが、俺の自慢の脚力(逃走特化)があれば撒くのは容易い。

 今日もこのまま腹を満たして、巣穴で丸くなって昼寝をする予定だった。


 ――ゾクリ。


 背筋の毛が、一斉に逆立った。

 本能が警鐘を鳴らす。逃げろ、と脳内でサイレンが響き渡る。

 狐? いや、違う。そんなレベルじゃない。

 もっと鋭利で、冷たくて、圧倒的な質量を持った『死』の気配。


 俺が弾かれたように顔を上げた、その瞬間だった。


「――『断罪』」


 低い、男の声が聞こえた。

 同時に、視界が銀色に染まる。


 ドォォォォォン!!


 轟音と共に、俺がさっきまで草を食んでいた地面が爆ぜた。

 土塊が飛び散り、爆風が小さな俺の体を枯れ葉のように吹き飛ばす。


「ぶきゅっ!?」


 数メートル飛ばされ、木の幹に激突して地面に転がる。

 痛い。全身の骨が軋むようだ。

 何が起きた? 隕石でも落ちてきたのか?

 霞む視界で、俺は爆心地に立つ『それ』を見た。


 土煙の中から現れたのは、一人の青年だった。

 太陽の光を溶かしたような黄金の髪。宝石のように冷徹な碧眼。

 身に纏っているのは、見るからに高価そうな白銀のフルプレートアーマーだ。その手には、身の丈ほどもある大剣が握られている。


 美しい男だった。

 だが、その目は俺を見ていなかった。俺という『生命』ではなく、処理すべき『ゴミ』を見る目だ。


「……チッ。浅かったか。すばしっこい害獣め」


 男は無造作に大剣を担ぎ直すと、ゆらりと俺に向かって歩き出した。

 その姿を見た瞬間、俺の脳裏に電流が走った。


 見覚えがある。

 あの特徴的な鎧の紋章。異常なまでの美形ぶり。そして、容赦のない初手ぶっぱなしスタイル。


(嘘だろ……あいつ、アレクセイか!?)


 前世で俺が唯一の趣味としてやり込んでいた鬼畜難易度RPG『エターナル・ファンタジア』。

 その主人公にして、作中最強のチートキャラ。

 剣聖アレクセイ・フォン・ラインハルト。


 なぜここに勇者がいる?

 いや、そんなことより、まずい。非常にまずい。

 俺は自分のステータスを思い出す。

 種族:ダーク・ラビット。

 このゲームにおける、最初期の雑魚モンスターだ。

 経験値はたったの「2」。ドロップアイテムは「汚れた毛皮」か、レアで「魔石(極小)」。


 つまり、今の俺は彼にとって、ただの『歩く経験値』であり『素材』なのだ。


「動くなよ。すぐに楽にしてやる」


 アレクセイが冷たく言い放ち、大剣を振り上げる。

 殺気だけで金縛りにあいそうだ。

 逃げられない。さっきの一撃をかわすので精一杯だった。次は確実に殺される。

 せっかく過労死から解放されて、のんびり暮らしていたのに。また死ぬのか?

 今度は魔石と肉片になって?


(嫌だ……死にたくない!!)


 俺の中の元・社畜根性が叫んだ。

 生き残る道を考えろ。今の俺に何ができる? 戦う? 無理だ、レベル差が百はある。逃げる? あの俊足スキル相手じゃ秒で追いつかれる。

 じゃあ、交渉か? 言葉は通じない。


 いや、待て。

 このゲームには、一つだけ特殊なシステムがあったはずだ。

 魔物が、強者に絶対服従を誓うことで、その命を繋ぐ禁断の契約システム――『従魔契約』。


 通常は、プレイヤーが弱らせた魔物をテイムスキルで屈服させるものだ。

 だが、裏技的な発生条件が一つだけある。

 魔物側から、主となる者の『血液』を体内に取り込み、魂の隷属を願い出ること。


 俺は必死にアレクセイの体を見回した。

 無傷だ。当然だ、俺ごときが傷つけられる相手じゃない。

 だが、よく見ろ。顔だ。頬に一筋、赤い線が入っている。

 さっきの森への侵入時に、イバラか何かで切ったのか? 玉のような血の雫が、つぅと顎のラインを伝って落ちようとしている。


(あれだ……!!)


 ここからの俺の動きは、まさに火事場の馬鹿力だった。

 大剣が振り下ろされる直前。

 俺は残った体力を全て使い、地面を蹴った。


「――ッ!?」


 アレクセイが目を見開く。

 俺は黒い弾丸となって、彼の懐へと飛び込んだ。

 狙うは首元ではない。顎の下、今まさに滴り落ちようとしている、その血だ!


(採用してくれぇぇぇぇぇっ!!)


 俺は必死の形相で飛びつき、勇者の頬の傷口を、ザラついた舌で舐め取った。


 その瞬間。

 カッ! と、視界が真っ白に染まった。

 口の中に鉄錆のような味が広がり、同時に体中に灼熱の何かが流れ込んでくる。


『――契約、成立』


 脳内にシステム音声のようなものが響く。

 体が重い。魂に鎖を巻き付けられたような感覚。

 だが、生きている。

 俺はへたりと地面に着地し、荒い息を吐いた。


「……な」


 頭上から、呆然とした声が降ってきた。

 恐る恐る見上げると、アレクセイが剣を中段に構えたまま、片手で自分の頬を押さえて固まっている。

 その美しい顔は、驚愕に染まっていた。


「魔物が……自ら、契約を?」


 彼は信じられないものを見る目で俺を見下ろした。

 無理もない。本来、プライドの高い魔物が人間に、それも自ら隷属を願い出ることなどあり得ないのだ。

 アレクセイの碧眼が、まじまじと俺を観察する。

 俺は地面に平伏し、震えながら上目遣いで彼を見た。

 耳をぺたりと伏せ、最大限に「無害です」「従順です」「靴でも舐めます」というオーラを出す。

 これは媚びだ。営業マン時代に培った、生き残るための処世術だ。


 沈黙が痛い。

 殺されるか? 契約したとはいえ、主人が「いらない」と判断して契約破棄(=死)すれば終わりだ。

 アレクセイがゆっくりとしゃがみ込んだ。

 大きな手が伸びてくる。俺は思わず目を瞑った。


 だが、予想された衝撃は来なかった。

 代わりに、武骨な指先が、俺の眉間をそっと撫でた。


「……俺の血を啜るとは」


 アレクセイの声色が、先ほどの氷のような冷たさから、どこか熱を帯びたものに変わっていた。


「それほどまでに、俺を求めたか」


(……はい?)


 俺は片目を開けた。

 アレクセイは、なぜか少し頬を染め、妙に優しい目つきで俺を見つめていた。


「魔物の分際で、殺されるリスクを冒してまで俺の一部を取り込むとは……。よほど俺の力に惹かれたと見える」


 いや、違います。

 惹かれたのはあなたの「不殺の保護権」であって、決してあなた個人へのラブロマンス的な何かでは……。


「ふっ……面白い。人間にすら恐れられるこの俺に、これほど情熱的に求愛してくるのが、まさか魔物だとはな」


 求愛。

 その単語が出た瞬間、俺は「あ、終わった」と悟った。

 この人、天然だ。しかも重度の。

 血の契約=身も心も捧げる愛の告白、と解釈してやがる!


「いいだろう。その覚悟、受け入れた」


 アレクセイは満足げに頷くと、俺の首根っこをひょいと掴み上げた。

 そのまま宙ぶらりんになった俺を、あろうことか自分の顔の高さまで持ち上げる。


「名前がいるな。……黒いから、『ノワール』だ。どうだ?」


 ネーミングセンスが安直すぎる。

 だが、俺に拒否権はない。

 俺は精一杯の愛想笑い(ウサギの顔でできる限界)を作り、鼻を鳴らした。


「キュウ!(素晴らしいお名前ですね社長!)」


「そうか、嬉しいか。愛いやつめ」


 アレクセイはフッと口元を緩めた。

 その笑顔は破壊的なまでに美しかったが、俺の背筋には別の意味で冷や汗が流れていた。

 勘違いされている。

 完全に、「自分のことが好きで好きでたまらない健気なペット」として認識された。

 もし、「生きるために仕方なくやりました」なんてバレたら……?

 

(……墓場まで持って行こう。この真実は)


 俺は固く決意した。



 ◇◇◇


「行くぞ、ノワール」


 契約が済むと、アレクセイは即座に行動を開始した。

 俺は彼の背負っている大きな背嚢の上に、ちょこんと乗せられた。

 特等席……に見えるかもしれない。

 だが、現実は甘くなかった。


「ッ!!??」


 ドォォォン! という踏切音と共に、景色が歪んだ。

 速い。速すぎる。

 レベル99の勇者の移動速度は、音速に近い。

 木々が緑色の線になって後方へすっ飛んでいく。

 一歩踏み出すごとの衝撃が、震度5の地震並みに俺の小さな体を揺さぶった。


「キュ、キュゥゥゥゥッ!!(酔う! 吐く! 振り落とされるぅぅぅ!)」


 俺は爪を立て、必死に背嚢の革にしがみついた。

 風圧で顔の肉が波打ち、自慢の長い耳が千切れそうだ。

 これ、徒歩じゃない。ジェットコースターの屋根にしがみついているのと同じだ。


「ん? どうした、震えているのか?」


 背中越しに、アレクセイの呑気な声が聞こえる。

 彼は俺が恐怖とG(重力加速度)で震えていることに気づかず、あろうことか嬉しそうに解釈した。


「そうか、俺の背中に張り付いていられるのが嬉しいか。離れたくないか。……まったく、甘えん坊なウサギだ」


 ちがう!!

 物理的に離れたら死ぬからだよ!!


 俺の心の叫びは、暴風にかき消された。

 この時、俺は理解した。

 とんでもないブラック企業(勇者パーティー)に就職してしまったのだと。


 これから始まるのは、甘いスローライフではない。

 初期ステータスの雑魚モンスターが、最強勇者の過酷な遠征に付き合わされる、地獄のデスマーチだということを。


(誰か……労災を……っ!)


 遠のく意識の中で、俺は前世の残業帰りと同じ願いを虚空に呟いたのだった。

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