第20話 槍の稽古が始まりました。
マイス僧院の朝は早い。
今生の父ジュノーへのひと祟りを追えたルルスファルドが戻ると間もなく、朝の鐘が鳴った。
<四時前ではないか。よくやるのう>
あきれ顔で呟くルルスファルドをよそに、くるまっていた布団を慌ただしく片付け、朝の修行の支度をする。
大急ぎでぞうきんがけをした僧堂の床に他の僧侶達と並んで
副僧院長のシン、ベリスの二人が木槍を携えてやってきた。
三十分ほどのシンの説教のあとは、木槍を使って槍術の修練をする。
僧侶といえど、賊や魔物から身を守る力、マールゥト侯爵領の為に戦う力は必要、ということで、槍術が修行の一環に組み入れられている。
僧堂の縁側に立ったシンの手本に合わせ、百人の僧侶が「セイ! セイ! ハッ! ハッ!」と木槍を繰り出す。
突きや払い、受けなどの素振りを千本繰り返したあとは、ふたり一組での稽古となる。
「リィフ、来い!」
怒鳴りつけるような声で呼びつけられて、リィフは副僧院長シンの前に出た。
「約束通り、最後の稽古をつけてやる」
「はい」
リィフは一礼、合掌し、木槍を構える。
その瞬間、
「セイ!」
裂帛の声と共に、シンは木槍を繰り出した。
不意打ち気味のタイミング。
肩口へ襲いかかったその穂先を、リィフはひょいと打ち払う。
――あれ?
『神槍紋』は封じているはずなのに、簡単に対応できた。
一度打ち合えば手がしびれるはずのシンの槍が、草の穂か何かのように軽く払えた。
――封じ切れてない?
<いや、それが叔父御殿の素の実力じゃ>
くっついてきているルルスファルドが告げた。
<おかしな封印のせいで体力が落ちておったのじゃ>
『神槍紋』の力は使っていないものの、封印が外れた結果基礎体力が上がっているということだろうか。
言われてみると、『神槍紋』が発現したときのような魔力と体力が無尽蔵に湧き上がるような感覚とは微妙に違う。
初撃をいなされたシンは、そこから更に二段、三段と突きを繰り出す。
電光石火の三段突き。
リィフは軽やかな動きでかわし、打ち払う。
――どうしよう。
『神槍紋』の力は働いていないようだが、シンの動きが完全に見えてしまっている。
実をいうと、前から見えてはいた。
以前は体力が足りず、見えていてもかわしきれなかったり、最初はしのげても息切れをしてたたきのめされたりしていたのだが、今ならばいくらでもよけられそうだ。
ただ、それだと稽古が終わらない。
こちらから撃ち込んで倒してしまうことはできない。
指導役の僧侶が格下の僧侶に撃ち込むことは指導として赦されるが、逆は暴力行為として制裁の対象になる。
一応、木槍と木槍で一二回打ち合えば終わりという目安はあるが、あくまで目安であり、指導役の気分次第で伸び縮みする。
既に二十回を超えていた。
シンの表情を見る限り、ムキになっている。
リィフを打ちのめすまでは終わりそうにない。
くふふ、と、ルルスファルドは悪い笑みをこぼした。
<怯えておるではないか、楽にしてやるがよい>
――怯えてる?
リィフはシンの顔を見たが、普段との違いがわからなかった。
――前からこんな感じだけど。
<前から怯えておったんじゃろう>
――それは、さすがにないと思う。
怯えられる理由が思いつかない。
『神槍紋』の魔力が少し漏れていたというなら別だが。
<やれやれじゃな>
ルルスファルドは鼻でため息をつく。
<叔父御殿も、人生の修行はまだ中途か>
この間もシンの攻撃は続いているが、最小限の動きでかわし、打ち払い続けている。
異常な長さの攻防になってきた。
様子がおかしいことに気付いた僧侶達が稽古の手を止め、その様子を注視しはじめた。
<こやつを直接打ってはいかんのなら、木槍をへし折ってやるが良い>
――うん。
それが無難かも知れない。
木槍が折れてしまえば、シンも手を止めざるを得ないだろう。
一発食らってやられたふりをすることも考えたが、シンはひどく興奮している。やられたふりなどしようものなら、そのまま滅多打ちにされそうな気がする。
警鞭を防いでくれた『神槍紋』は今は機能が止まっている。
やめたほうがいいだろう。
大けがでもさせられたら、色々な面で面倒なことになる。
「きえええーーいっ!」
目を血走らせ、息を弾ませながら、シンは木槍を繰り出した。
その
振るわれる木槍の木目の具合さえ、今のリィフには見えていた。
ぱんっ。
乾いた音がして、シンの木槍は破裂するように二つに折れた。
愕然と目を見開き、シンはその場に立ち尽くす。
木槍を構え直しつつ、リィフは間合いを取り直した。
木槍をおろしても危険はないだろうが、おろせば「貴方の負けです」と宣言することになる。
余計な挑発と取られる動きは避けるべきだろう。
どうしていいかわからないようだ、折れた槍を手にしたまま、シンはその場に立ち尽くしていた。
そして、怒声が響いた。
「貴様! 副僧院長を打ったな! なんということを!」
昨日僧院長ノインの部屋にいた青年僧の声だ。
他にも四人ほどの青年僧を連れて、シンの元に集まっていき「おいたわしい」と「なんとあさましい」と言い立てた。
<あやつの
念友とは、男色相手のことである。
――そういうのとは、違うみたいだけど。
副僧院長であるシンに許可なく口をきくことを許された取り巻きたちである。
男色関係というよりは、処世関係だろう。
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