第15話 弱っているときほど、手放せない

 秋の終わり、風が急に冷たくなった頃。

 櫻は朝から、なんとなく身体が重かった。


 でもアネモネが心配すると困るから――

 櫻は笑って見せた。


「櫻、顔色悪い」


「大丈夫。ちょっと寝不足で」


「嘘。櫻はすぐ顔に出る」


「そんなこと――」


「ある。櫻のことなら分かる」


 恋人という言葉は使わない。

 けれど、その熱はもっと確かだった。


 


 授業が終わる頃、

 櫻の足元がふらついた。


「櫻!?」


 アネモネが支え、迷いなく腕を回す。


「寮に戻る。ほら、肩貸して」


「ひ、人が見てるよ」


「見せておけばいい。

 櫻は私が守ってるって」


 


「布団敷くから、座って」


「アネモネ、そんな大げさに――」


「大げさじゃない。

 櫻がちょっとでも苦しむの、我慢できない」


 アネモネは櫻の額に手を当てる。


「熱、ある。

 ……もう、無理してたでしょ」


「心配かけたくなくて」


「心配できる相手がいるって、幸せなことなんだよ」


 優しい声音。

 櫻の胸の奥まであたたまる言葉だった。


 


「すぐ戻るから、待ってて」


 アネモネは食堂へ走っていき、

 戻ってきた時には小さな器を持っていた。


「……これ、なに?」


「すりおろしりんご。

 風邪の時、お母さんがよく作ってくれた」


「アネモネのお母さんが?」


「うん。でも……櫻にあげたいって思ったのは、私」


 櫻のために作られた優しさ。

 その湯気だけで涙が溢れそうになる。


「食べさせて」


「えっ、自分で食べるよ」


「甘えて。

 今は弱ってるんだから」


 櫻は赤くなりながら口を開く。

 アネモネはスプーンをそっと運んだ。


「……おいしい」


「良かった」


 その笑顔に救われる。


 


 櫻が布団に横になると、

 アネモネはすっと隣へ滑り込んだ。


「移っちゃうよ……?」


「移ってもいい。

 それだけ、櫻に近いって証拠だから」


 指と指が触れ――

 アネモネが絡めとるように、きゅっと握る。


「離さない」


「……うん」


 


 冷えピタを貼り、髪を撫で、

 呼吸のリズムに熱を寄せる。


「弱ってる櫻、可愛い」


「そんな……」


「櫻は、元気な時も弱い時も全部私の大切」


 櫻の手を強く握ると、

 櫻はその手を握り返した。


「アネモネがいるなら、平気」


「櫻の“平気”は、私が作る」


 


 櫻のまぶたがゆっくり落ちていく。


「寝ていいよ。手は離さないから」


「……アネモネの手、あったかい……」


「櫻をつなぎ止める熱だから」


 櫻の呼吸が穏やかに変わっていく。

 握った手は、眠ったあとも決して緩まない。


 


無理に笑わないでいい

無理に頑張らないでいい

私の前では弱ってていい


 


 アネモネは櫻の手を自分の胸に当てた。


「櫻が苦しまないように。

 全部、私が背負うから」


 眠りの中へ落ちていく櫻を見つめながら

 アネモネはそっと願う。


「櫻の春が、私の隣に来ますように」


 


その夜。

櫻は静かに眠り続け、

アネモネは一睡もしなかった。


ずっと櫻の手を握り、

隣にある未来だけを信じて。

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