第二話:三歳児の手により、第六天魔王爆誕

 翌朝。

 

 私は尾張の清々しい空気を吸いながら、渡り廊下を歩いていた。

 ふと、昨日の小谷城での出来事が脳裏をよぎる。


(……あの天下人、思ったより話が通じる)

(でも油断はできない。まだ様子見だ)


 燃え落ちる城から母上と共に救い出された、私たち浅井三姉妹。

 あの極限の混乱の中で、織田信長は「全員幸せにする」と言い切った。

 

 その言葉に嘘はないように見えた。


 だが、その信長がいま──


「ぬう……この茶、苦いな……苦いのだが……かっこいい……!」


 庭園の真ん中で茶碗を片手に、眉間にしわを寄せている。

 どうやら「朝日に照らされながら渋く茶をすする俺」を演出しているらしい。


(……かっこつけたい欲、強すぎない?)


 呆れていると、次女の初が私の袖をくいくいと引いた。


「茶々姉、叔父上の魂が……今日は特に“承認欲求”の波形が強い……」


「言い方」


 三歳児のボキャブラリーではない。


 抱っこされている江も、ぽやっとした顔で頷いた。


「おじちゃん、“見て見て”って顔してる〜」


「一歳児マジか」


 こちらの気配に気づいたのか、信長がバッと振り返り、わざとらしく喉を鳴らして低い声を出した。


「……居たのか、三姉妹よ」


 ……なるほど。


 私は口元を緩めた。

 この男、強烈な「見られたがり」だ。


 よし。

 ならば見せてやろう。

 天下を取るための“もうひとつの戦い方”を。


 私は信長の前にすっと立った。


「ねぇ信長」


「なんだ茶々よ」


「天下取りたいなら──もっと"かぶけ"」


 その瞬間、信長の目がギラッと光った。

 獲物を見つけた猛獣の目だ。


「……かぶけ……?」


「食いついた!?」

 家臣のツッコミが虚しく響く。


 私は腕組みをして、仁王立ちで言い放った。


「そう。

 戦国の世を制するのはね──前髪の角度だよ」


「か、角度……?」


「そう。それは……“魂の角度”……魂の刃……」

 すかさず初が追撃する。


「むぅ?」


「初の言ってることが正解」


 信長がぐっと身を乗り出した。


「茶々……続けよ」


(……めっちゃ食いついてきた)


 私はビシッと信長の前髪を指さした。


「その髪型、ただの威圧なの。

 怖いだけ。

 そんなんじゃ、民はついてこないよ」


「む……むぅ……」


「いやいやいや姫様、怖さ“だけ”でも十分では──」

 横やりを入れてきた家臣を、私は手で制した。


「あんたじゃない、信長に言ってるの」


「申し訳ございません!!」


 私は信長の目をまっすぐ見て続けた。


「欲しいのは“魅せる強さ”だよ。

 天下人なら、もっと角度が必要」


「角度……」


 初が信長を見上げ、小さく息を吸った。

「叔父上……その前髪、天へ衝き立てば天下は転がり落ちる……!」


 私は眉をひそめた。

「初……誰に教わったの、その理論」


「……風が言ってた」


「お姉ちゃん、初の将来が心配」


「初。その“立てる”とはどういう──」

 信長は気になって仕方ないようだ。


 初はためらいなく信長に近づき、ちょんまげには収まりきらない前髪をつまんで──


 ひゅっ。


 初が前髪を引き上げる。


 ──その瞬間。


 重力に逆らい、鋭角に天を突く前髪が現れた。


 庭の空気が、死んだ。


 風が止まる。

 鳥の声が消える。

 家臣たちの呼吸すら聞こえない。


「……!」


 信長の目が、見開かれる。


 家臣たちも、固まった。


 誰も、声を出せない。


 その沈黙を破ったのは──初だった。


「叔父上……その髪、名を"麗前怒 (リーゼント)"という……」

 初が信長を見てニヤリと笑った。


(時が……固まった……風が「え?」って言った。)


「わしの髪に名が……!? かっこいい……ッ!!」


 懐から鏡を取り出す動きが、めちゃくちゃスローに見える。

 

「麗前怒!? 漢字の暴力!!」

「殿の髪型が未来ァァァ!!!」

 家臣が絶叫する。こいつらうるさいな。


「立つべきものが……立っただけ……」

 初が言霊のように呟く。


「信長。鏡でよく見て」

 騒然とする庭で、私は腕を組んだまま静かに言った。


「こ、これは……」

 信長は震える手で自分の前髪に触れた。


「そう。戦とは、魂の炎。すなわち“前髪の角度”に宿る」

 初がつぶやく。


 ──沈黙が落ちた。


 信長は鏡を、右、左、斜めから覗き込み──

 震える声で唸った。


「……これは……その……」


 少しだけ顔を近づけて、もう一度角度を確認する。


「か……かっこいいのか、これは……?」


「うん。世界最強の髪型だよ」


「かっ……かっこいいッッ!!!!」

 信長は満面の笑みを浮かべた。

 

 さっきまでの渋い演技はどこへやら、少年のように目を輝かせている。


(……チョロいわこの人)


「ちょ!織田家どうなるの?」

 家臣が頭を抱えている。


「茶々!!! この髪型……気に入ったぞ!!

 矢でも鉄砲でも、この角度なら弾ける気がする!!」


「気のせいだよ」


「気のせいなのか!?」


「でも似合ってる」


「ならよしッ!!」


 単純。

 ほんま単純な男だ。


「てかその派手な陣羽織もさ……ほぼ特攻服だからね?」

 私は信長の陣羽織を顎で指した。


「とっこう……ふく……?」

 信長が怪訝そうに繰り返す。


「うん。

 “俺が世界の中心です”って服のこと」


「それは……よい服ではないか!!」


「そうだよ。だから、それ着て角度キメたら最強」


「最強……!!」

 信長の目がギラついた瞬間──


 初が、ゆらりと一歩前に出た。

「最強とは……背中で語るもの……」


「初!? また中二病モード入った!?」


 初は信長の背中を見据え、静かに続けた。

「叔父上……意思が足りぬ……」


「い、意思……?」

 信長の息が止まる。

 

「背中に……宿さねば……」

 初が続ける。


「よし!書け!!」

 信長が叫ぶ。


「殿が三歳児の言葉で即決!!?」

 家臣が絶叫した。


「ふむ。これは……見えた」

 初は信長の“特攻服 (陣羽織)”の背中に向けて筆を構えた。


「見えた?なにが?」


「叔父上の"本当の名"」


「初?今度お祓い行かない? 神社とか」


「姉上、儀式の邪魔」


「本当の名ぃッ!!?」

 家臣の声が裏返る。


「おい初……。

 わしの名は“信長”だぞ……?」

 信長が怪訝そうに眉をひそめた。


「違うよ。叔父上にはもうひとつ名前が必要。

 もっと……こう……魂が黒くて……禍々しい名前」


「語彙力凄いな初?どこで覚えた」


「静かに!姉上!」


 初は筆を持ち、信長の背中に手を近づけ──

 一度、空を見上げた。


「……来た。文字の気配」

 

 その瞳は、いつもの中二病タイム特有の怪しい輝きを放っている。


「叔父上の背に宿るもの……それは──」


 ス……ッ。


 一筆で、迷いなく『第』という字。


「叔父上は、この世の六つの天を支配し──」


 二筆目。『六』。


「魔の道すら従える──」


 三筆目。『天』。


「……そんな魂を持つ者」


 そして最後に、ドン。


『第六天魔王』


 完成した文字を見て、信長の背中がザワッと震えたのが分かった。


「だっ……第六……天……魔王……?」


「姫様!? 姫様それは縁起がッ!!?」

「殿の背に“魔”の字ァァァ!!?」

 家臣たちが阿鼻叫喚の地獄絵図だ。


 初が満足げに鼻を鳴らし、江がぱちぱち拍手した。

 私は堪えるので精一杯だった。


「しかも第“六”天っていう数字がまた良いよね。

 五じゃ足りない、七じゃ多い。六が絶妙」

 

 私はまじまじと特攻服を見て言った。


「そうだろう!! わしもそう思っていた!!」

 誇らしげな信長。


「殿チョロォォォ!!!」

 家臣の喉が限界を迎えそうだ。


 信長は特攻服に袖を通し、鏡と睨めっこを始めた。

 しばし沈黙し──噛み締めるように言った。


「……かっ……かっこいい……ッ!!!!!」


「おじうえ……“まおう”が似合うー」

 江が聖母のように、ふんわりと微笑んだ。


「似合うのか!? わ、わしは魔王なのか!?」


「魂がそう言ってる」

 ニヤリとする初。


「うぉおおおおおお!!」

 信長は拳を震わせ、高らかに宣言した。


「よし! わしは今日から“第六天魔王・織田信長”!!

 これで行く!! 天下はわしのものだ!!」


「殿の二つ名が……三歳児の言葉に……」

 家臣が膝から崩れ落ちる。


「信長、最高だよ。そのまま行こう」


「行く!! わしは魔王として生きる!!

 前髪の角度も魔王仕様だ!!」


「……儀式、成功」

 初は満足げに頷いた。


「お……おお……強い……強い気がする……!!」

 信長は鏡に写る自分の姿に陶酔している。


「それは気のせいじゃない。似合ってるからだよ」


「茶々!! わしは天下を取るぞ!! 前髪とこの特攻服で!!」


「かぶきなよ。天下人なんだから」


「分かった!! 全力でかぶく!!」


「ど、どうなるんだこの国……」

 家臣の嘆きが風に消える。


「おじの魂が尖ったな」

 初がぽそっと呟く。


「良い角度だよ。初」


 魔王ははしゃぎ、前髪は天を刺し続けている。


 私は、その光景を眺めながら、冷静に思考を巡らせた。


(……いい。信長がかぶけばかぶくほど、“織田家の見え方”は変わる)


(見え方が変われば、民が動く。民が動けば、“歴史”が動く)


「見た目が派手だと、民は喜ぶんだよ」


 私は誰に言うともなく呟いた。


(民が喜べば、噂が広がる。噂が広がれば、織田家の評判が上がる)


(そして──評判が高い家に仕える方が、家臣も誇らしい)


(これが、天下を取る“もうひとつの方法”。

 ブランディングという名の戦略だ)


 江が「おじちゃんかっこいい!」とはしゃぎ、

 初が「魂の因果が……逆流……」と中二病全開で呟く横で、

 私はこっそりと拳を握った。


(浅井家、再建の一歩目……。

 叔父上の見た目いじりから始めるとか、ちょっと笑えるけど)


(ここからだ。浅井の未来を、うちが作る)


 リーゼントの魔王が、尾張の空に咆哮を上げた。

 

 私の戦いは、まだ始まったばかりだ。


 *


「姉上、刺繍が完成した」

 三日後、初が満面の笑みで特攻服を持ってきた。


 背中には──


『第六天魔王』

『鳴かない鶯 上等』

『尾張連合初代総長』

『暴走天使』

『愛羅武勇』


「……初、やりすぎ」


「いや、これで完璧」


 信長はこれを見て、三日三晩泣いて喜んだという。


 ──やっぱり、チョロい。



(つづく)

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る