魔法使いをつかまえて《Der Fänger von der Zauberin》

鴻山みね

一章(Das erste Kapitel.)・彼女はちょっとおかしい(sie ist Kaputt.)

第1話

 一章(Das erste Kapitel.)・彼女はちょっとおかしい(sie ist Kaputt.)




 魔法使いになりたい――。

 わたし、アイエンテ・ヘッセはただそれだけのために魔法学校に入学した。


 偉大になりたいとか、人のためにとか、研究のためとかさ――そういう頭でっかちなことはどうでもいいんだよ。

 だって、ステキだと思わない? 杖を振るえば物を動かしたり、ロウソクに火をつけたりできるんだから。単純な魔法でもこんなことができちゃうんだからさ、高度な魔法を覚えたらきっと楽しいんだろうなあ。


 いままさに目の前に割れた壺があるんだけどさ、千年ぐらい前の貴重な壺らしいんだよね。


 この国――ドイツ帝国の原点になる東フランク王国時代に作られたものらしい。

 校長先生はわたしたち生徒の文化的価値観を向上させるためにっていう理由で廊下に置いてて、わたしにはどうでもいい物だから視界には入ってたけど全然気にしてなかったんだよね。ほんとの話。


 ここ、リーベ・ウント・ヴァイスハイト校って入学も進級も楽じゃないんだよ。

 お嬢様学校で五年生から入学してる子もいて(校舎はまったくの別)、十一年生からの入学もあるんだけどかなりの人数が落ちる。

 どうにかわたしは入学できた――その日は一日眠れなかったね。ついでに留年することなく入学して一年、一八九二年の春学期が無事に終わった。


 それで、十一年生も終わりで十二年生になるからってのもあってさ、気分が高揚して寮で相部屋のアケボノと一緒に廊下でふざけて遊んでたら――まあ、割れたんだよ。

 それからひと月程度の休みが学校にはあるんだけど、その途中で呼び出されたってわけ。

 壺を割った件で、わたしの処罰が決まったらしい。そんな経緯もあり、校長室では校長のサシャ先生と割れた壺がわたしの視界にいる。



「それで、わたしの処罰は……」



 わたしはしっかり制服を着てきた。休みとはいえ、私服できたら余計に罰が重くなりそうだと思ったから。ちょっと重いけどかわいい制服。案外これ目当てで入学しそうな人もいそうなぐらいだね。

 黒い森みたいに深い緑色のジャケットにはボタンが縦に四つきれいに並んでて、立ち襟。首元までかっちり詰まっている、正直暑いよ――ほんとにさ。

 あと質感のいい同色のひざ丈のスカートにソックスはイエロー。ジャケットの襟元からはブラウスの白のボウタイが伸びてる。

 人によってリボン結びしたり、ネクタイみたいに結んだり、そのまま垂らしたりと結構自由にしてるね。普段垂らしてるけど、さすがに今日はリボン結びにしてきた。



「処罰なんて、罰を受けることをしたと自覚があって?」



 サシャ先生がわたしに目線を向けると、彼女の左目につけているモノクルがぴかっと日差しで反射した。落ち着きながらも威厳がある、八十歳を越えてるらしいけど、そうは見えないね。

 十七歳のわたしが襲い掛かっても返り討ちに合いそうなぐらい強そうだよ。不意を突いたらいけたりしてね……冗談だよ。



「どうかしましたか、アイエンテさん」

「いえ、不意を突いてサシャ先生に襲い掛かったら勝てるかなあ、と――うっ!」


 とっさにわたしは開いた口を手で閉じた。サシャ先生は短く整えた髪を触り、言う。


「試してみましょうか? 目はつぶってあげますよ」

「冗談ですって。わたしごときが勝てるお人じゃありませんよ。生きている時間が違うじゃないですか、百年ぐらい」

「私があなたと同じ歳のときは、リーベ・ウント・ヴァイスハイト校の才女と称されていましたよ。あなたとは真逆の成績トップ。それで――成績最下位のアイエンテさんはどう勝つつもりで?」



 サシャ先生の言うことは正しいよ。成績最下位のわたしなんて、勉強も魔法もまともにできちゃいない。

 物を動かすこともロウソクに火をつけることも未だにできない――単純で基礎的な魔法なのにさ。正直な話、なんで進級できたかもよくわかってないんだよ。

 だって、わたしより成績よくて進級できない子がいたのに、わたしはできた。隠された才能が実はあって、先生たちがそれに気づいてるのかな、なんて思ってたりしてる。


 まあ、もしそうならさっさと処罰を聞いて寮に帰りたいね。

 校長室って、何かと松脂の臭いがして苦手なんだよね。いかにもこの地域――ミュンヘンらしい。北部出身のわたしにとってはエルベ川と鉄が恋しいよ。ほんとにさ。



「アイエンテさん、いま何を考えてるかおっしゃって」

「松脂に臭くて、もう出ていきたいね。だって、テーブルとかテカテカじゃないですか。樹液に集まる虫じゃないんですから――うっ!」


 口を閉じたが、サシャ先生は呆れた顔をしている。またやってしまった。サシャ先生はわたしに言う。


「あなたの素直なところはとても良いことだと思います。悪い言い方をすれば軽率と言えるでしょうけどね」サシャ先生は咳払いをして声を整えた「さて、アイエンテ・ヘッセ。あなたの処遇について先生方と話をしました」

「処遇――罰じゃないんですね!」とわたしは聞いた。ちょっと嬉しいね。ほんとうにちょっとだけど。

「いつから罰すると言いました?」



 わたしは胸を撫で下ろした。罰がないなら、わざわざこんな暑い日に制服なんて着てこなきゃよかった。

 首筋に熱がこもってちょっとかゆい。安心しきったせいで、余計にかゆくなってきた。処遇ってことは寮から追い出されるとか、別クラス行きとかそんなところだと思うよ。やっぱり、かゆいからブラウスの襟に手を突っ込んで首を掻きだした。



「処遇を言い渡します」サシャ先生は言う「アイエンテ・ヘッセ――八月三十一日までに、この割れた壺をあなたの魔法で修復できない場合、リーベ・ウント・ヴァイスハイト校からの退学を命じます」



 ――痛かった。首を掻くときに力が入ってしまったせい。まともに魔法使えないながらも、せっかく進級できたのに、これから一生懸命に覚えようとしてたのに、ちょっとその言葉は痛かったかな。

 掻いていた手を見たらさ、血がついてた。

 ブラウスを冷水で洗わないと――そんなことの方に頭がいっていた。

 ぼうっとしてたわたしに、サシャ先生は慰めでもしてくれるのかなってタイミングで話し出した。



「修復魔法はこの学校においては必須ではありません。ですから、できずに卒業する人もそれなりにいます」

「……で、ですよね。わたしになんてできませんよね? しかも猶予ゆうよは一か月。ロウソクに火すらつけれないんですよ。よかったー、サシャ先生もわかってるじゃないですか。それで、退学しないにはどうすればいいんですかね?」

「言いました。この壺をあなたの魔法――あなた自身の力で修復するのですよ」


 そんなのムリです、と言おうとしたらサシャ先生は「ですが――」と言葉を足して続けた。


「当然このままではムリでしょうね。成績最下位のあなたでは」

 わたしは首を縦に振ったよ。もげ落ちるぐらいに早く。サシャ先生は続けて言う。

「あなたには新しい『クンペル』をつけます。あなたとは真逆なとても成績優秀な子ですよ」

「リーツェ……リーツェーニエとクンペルですけど、それは解消?」

「ええもちろん」



 退学どうこうはショックだったけど、これは心が躍ったね。

 クンペルってともに行動する相手なわけだけど、面白い仕組みでさ、相反そうはんする相手と組まされるんだよ――つまり、成績優秀な子は最低な子と組まされる。

 それ以外にも、背が高い子は低い子と組まされたり、せっかちな子とおっとりした子が組んだりと様々。サシャ先生の方針なんだってさ。


 魔法と同じ『相反する感情』が重要だって。だから、わたしは同じクラスのリーツェとクンペルだった。なんていったって、リーツェは成績優秀だからね。


 けど、ろくでもない性格しててさ、エンツェンスベルガー家のお嬢様だなんだいうわけ。「その程度の魔法も使えないならやめてくださる?」なんてこと言われたり「いつか退学させられますわね。そのときには鳩時計でも差し上げますわ。フライパン作りに勤しむには朝の目覚めは必要でしょ?」こういうくだらないこと言うんだよ。


 いま考えれば事実かもしれないけど、やっぱ気に入らないのは間違いない。

 修復魔法なんてできるかわからないけど、リーツェと一緒に行動をともにすることがないだけで、やっていけそうな気はするね。とりあえず、わたしの相手は誰か尋ねた。



「あなたの相手はシュペルフェック・リーゼロッテ・ベルです」とサシャ先生。

「誰ですそれ?」

「八月から十一年生になる子です」

「へえ……え? 十一年生? わたし十二年生になるんですけど」

「珍しいことではないはず。同学年だけではないのは知ってのとおり」

「でも、わたしがココーン・フューレンなんてそんなあ。後輩を導くなんてできませんよわたし」

「何を言ってるのですか、アイエンテさんあなたはココーン・ゲホルヒェン。ココーン・フューレンはシュペルフェックさんです」



 ほんと困った。クンペルって対等な関係じゃないんだよ。リーツェのときも、わたしがココーン・ゲホルヒェンだったんだけど、基本的にココーン・フューレンに従わないといけない。

 そりゃ、あまりに度が過ぎたことは従う必要も聞く必要もないんだけどさ、上下関係がはっきりとここで示されるんだよ。


 わたしの実力ならココーン・ゲホルヒェンになることはしょうがないと思うけど、一年下とクンペル組んで、わたしがココーン・フューレンじゃないってのはかなりの恥が存在するね。



「では、休みが終わり次第。シュペルフェックさんとクンペルとして行動してください」とサシャ先生は言った。

「……はい」



 ただでさえ人から見下されてたのに、これからはより見下されそうだよ。なんだか気が重くなってきた。気に入らないけど、リーツェとクンペルしてた方がまだ自尊心保てたね。



「アイエンテさん、私はあなたに期待しているんですよ」

「じゃあなんで、退学なんて……」

「魔法使いなのに、魔法がまともに使えないのは存在価値あると言えますか?」

 これは冷酷な発言だと思ったね。

「……ないです」とわたしは素直に言った。

「シュペルフェックさんはあなたとは対極に位置する方ですから。相反するあなたたちは、きっと面白い結果になると思いますよ」



 サシャ先生はそう言って、わたしを校長室から出した。なんだか面白がってる表情をしてたね。わたしをもてあそんで楽しんでるだよ――きっと。

 木製のドアに背中を向けて、ウォールナットでできたパーケット柄の廊下の床を歩こうとしたら「なにを思ってるか言ってちょうだい」と曇った音が聞こえた。



「サシャ先生はサディスト! か弱いわたしをいじって楽しんでるんだよ。校長の地位だって、人をいじめるために――うっ!」



 口に手を回し、後ろを振り向くと、サシャ先生は僅かに開けた扉の隙間からニコニコとこちらを見ていた。やっぱり、サディストだよ――この人は。

 わたしは「失礼しましたー」と大声で叫びながら、生徒がほとんどいない校舎を駆けた。

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