第15話 拒絶

 柊木ひいらぎハルカ。それが、私の妹の名前。


 手芸が大好きで、物心ついた頃から母に教わっていろんなものを作っていた。

 その腕前は凄まじいもので、幼少期から靴下や手袋を手編みで作ってみせるくらい才能があった。


 手先が器用で頭も賢い。笑顔が可愛くて、天使みたいな子。

 三年前に事故で亡くなってしまったはずの、最愛の妹。


 その妹が今、私の目の前にいる。


 私は夢を見ているんだろうか。だってこんなこと、ありえない。


「ハルちゃん、なの?」


 私は病室に一歩踏み入って、震える声で尋ねた。

 ベッドの上にいる、妹と同じ目、同じ髪、同じ顔をした少女と向き合い、見つめ合う。


 少女は目に動揺を浮かべながら、やがて小さな口を開いた。


「おねぇ……ちゃん?」


 その声は、私の知っている妹の声とそっくりだった。

 間違いない、この子は柊木ハルカだ。私の、最愛の妹だ。


「ハルちゃん、ハルちゃんだ。ハルちゃんが、生きてる……っ!」


 私は病室内を駆けて、ハルちゃんの体に抱き付いた。

 その体は三年前よりも大きくなっていたけれど、酷く痩せ細っていた。


 強く抱き締めれば呆気なく骨が折れてしまいそうで、血が通っているのか心配になるくらい冷たい体温しか感じられない。


 けれど微かに脈動する心臓の音を聞いて、私は妹が確かに生きていることを実感した。


「よかった。生きててくれて、よがったよぉ……っ」


 妹の感触を味わいながら、私は泣き喚く。これは夢でも幻でもなく現実なのだと知り、涙が止まらなくなる。

 ハルちゃんはそんな私の姿に困惑し、呆けた面で固まっていた。


 時間をかけてどうにか泣き止んだ私は抱擁を解くと、病室の椅子に座って無言でハルちゃんと見つめ合った。


 お互いに困惑していて、気持ちの整理がつかない。

 まず何から話せばいいのか分からなくて、しばらく気まずい雰囲気が流れ続けた。


 最初に話を切り出したのは、私だった。


「これ、覚えてる?」


 私は首元に巻いた赤いマフラーをハルちゃんに見せながら、微笑んだ。


「五年前、ハルちゃんがくれたマフラーだよ。ずっと大切にしてて、今も使ってるんだよ」

「……そうなんだ」

「昔、色々作ってくれたよね。靴下とか手袋とか」

「……うん」

「今も何か作ったりしてるの?」

「……」

「もっとすごいのとか作れるようになってるのかな」

「……」

「昔から器用だったもんね。良いお嫁さんになるってみんなに言われてて」

「……」

「お嫁さんと言えば昔、よく一緒に新婚さんごっこしたよね。私が夫役で、ハルちゃんが お嫁さんの役だった時にさ、一回だけ凄いことになったよね。ハルちゃんがいきなり」

「ねえ」


 ハルちゃんの冷たい声音が、私の言葉を遮った。

 ハルちゃんは私から目を逸らすと、再び窓の外を眺めながら尋ねてきた。


「どうして、お姉ちゃんが此処にいるの」

「……えっと会わせたい人がいるってミナトに……その、ある人に言われてついてきて。そしたらハルちゃんがいて……」

「そうじゃなくて。いや、もういいや。此処にいるってことは、そういうことなんだよね」


 ハルちゃんはため息混じりにぼやくと、ベッドのシーツを握り締めた。


「さっき、私が生きてるって言って、ずっと驚いてたよね。私のこと、死んでたと思ってたの?」

「え、それは、だって、事故で亡くなったって……」


 話の途中で猛烈な違和感に襲われた私は、一度口を閉じた。

 何か致命的なことを見落としている気がして、不安と恐怖に駆られる。


「そっか。私、死んだと思われてたんだ」

「で、でも生きてるんだよね。本物のハルちゃんが、いるんだもんね。本当に良かった。また会えて嬉しい」

「私は嬉しくない」

「……え、なんて?」

「嬉しくないって言ったの。会いたくなんてなかった、最悪」


 その言葉が信じられなくて、私は耳を疑った。

 だって私の知る妹は、そんなことを言う子じゃなかったからだ。


「どうして此処に来たの。来なくてよかったのに。二度と、会いたくなんかなかったのに」

「な、なんで。そんなこと言うの」


 その時、ハルちゃんが振り向いて私のことを睨んできた。

 その目には涙が溜まっていて、赤く充血していた。


「布団、退けてみて」


 私はハルちゃんの言う通りに、下半身に掛かる布団を払い除けた。

 そこであらわになったハルちゃんの下半身を見て、青ざめる。


 ハルちゃんの下半身は、異形化していた。


 刺々しい鎧に包まれたみたいに尖った赤黒い足を見つめて、私は理解する。


 ……どうして、そんな単純なことに気づかなかったんだろう。

 死んだと思っていた妹が生きていて、浮かれていたのかもしれない。


 此処は収容所。エボルシックというバケモノになる病気を発症した者が閉じ込められる監獄。


 私の妹は三年前事故で亡くなったんじゃない。

 私の妹は、柊木ハルカは、


「もうすぐバケモノになって、死ぬの」



        ※ ※ ※



「こんなところで何してるんだい」


 仕事を終えたミナトがやってきて、私に話しかけてくる。


「服が汚れちゃうよ」

「……うん」


 私は今、病院の入り口にある小さな階段に横たわっていた。

 ミナトはそんな私の隣に座ると、から刀を取り外して地面に置いた。


「知ってたの?」


 私は体を縮こめながら、細々とミナトに尋ねた。


「何を?」

「此処に、私の妹がいること」

「知ってたよ。だから連れて来たんだ」

「なんで私の妹だって分かったの。私、妹がいるだなんて一言も言ったことないのに」

「ハルカちゃんとは元々知り合いなんだよ。よくミルカのことも聞かされてたから、君に会った時は一目でハルカちゃんの姉だと分かったよ。聞いてた性格とよく似てるし、何より顔がそっくりだ」

「……ハルちゃん、もう長くないって言ってた。本当なの?」

「本当だよ。ハルカちゃんは多分、もうすぐ死ぬ」


 ミナトがきっぱりと、私に告げる。


「ステージ4、末期症状の一歩手前だ。その中でもハルカちゃんの症状はひどい。下半身が一切動かないんだ。ステージ2の段階から異形化の負荷に体が耐えきれなくて、ずっとベッド生活が続いてる。上半身を起こすくらいならまだできるけど、もうすぐそれも自力でできなくなるかもしれない」

「どうして、そんなことに」

「ハルカちゃんみたいに、エボルシックに耐性がない人ってたまにいるんだよ。収容所の病院は、そういう人達を集めておくためにある」

「……ハルちゃんは、いつから病院にいるの?」

「二年くらい前だったかな。割とすぐ日常的な生活ができなくなったと聞いてる」

「そう、なんだ。そんなこと、何も教えてくれなかったな」


 ハルちゃんに異形化した下半身を見せられた後、私はあの子とまともな会話ができなくなった。

 ベッドから一歩も動かず出て行けと叫ぶハルちゃんに気圧されて、おめおめとその場から逃げ出してしまった。


 私は、拒絶されたのだ。


俺達疾滅統括征異団しつめつとうかつせいいだんの仕事の一つに、エボルシックに耐性のない相手の殺処分というのがあるんだ。異形化に耐え切れなくて自分で死ぬこともできなくなったエボルシッカーに、楽になってもらうよう殺してあげる仕事。勿論、本人に頼まれたら、だけどね。さっきもその仕事を一つこなしてきた」


 殺しをした割に、ミナトの服装は依然と真っ白なままだった。

 毎日何人も殺しているから、返り血を避けるのが上手いのだろう。


「正直あまりやりたくない仕事なんだよね。まだ末期症状になっていない人を殺さないといけないから、死体が残るし」

「……でも、平然としてるよね」

「まあ慣れてるからね。ってこんな話をしたいわけじゃないんだった」


 ミナトは後ろ髪を掻いた後、珍しく躊躇いながら私に言った。


「ついこの間、ハルカちゃんに殺して欲しいと頼まれたんだ」

「……え?」


 ミナトのその言葉に、心臓が嫌な音を立てた。


「……ハルちゃん、死にたがってるの?」

「生きる気力が見出せないんだと思う。家族に会えば少しは変わるかなと思ったんだけど、余計なことをしたかもしれない。ごめん」

「ハルちゃんを、殺すの?」

「とりあえず保留にしてもらってる。即決できるような内容じゃないからね。それにあの子には、もう少し考える時間が必要だろうと思って」

「殺さないでよ、お願い」

「それは無理な話かも。ハルカちゃん自身が決めることだから、俺や君が判断することじゃない」


 胸がチクチクと痛む。気持ち悪い。


 私は吐き気を堪えながらさらに体を縮こめると、首元に巻いたマフラーに顔をうずめて暗闇の世界に閉じこもった。


 目から涙がこぼれて止まらない。挙句に鼻水まで垂れてきて、大事なマフラーがベタベタに汚れてしまった。


「なんで、こんなことに……。せっかく会えたのに。死んでないって分かって嬉しかったのに。こんなのって、ないよ」

「そうだね」

「酷いよ。こんなの、あんまりだよ」

「……そうだね」


 地面に横たわったまま、私はひたすらに泣き喚いた。

 ミナトはそんな私の隣に座ったまま、ただ相槌を打ち続けていた。



        ※ ※ ※



 ハルちゃんと再会を果たした翌日。私は再び第五地区の病院を訪れた。


「なんでまた来たの」


 病室にやってきた私を見て、ハルちゃんは開口一番にそう突き放してきた。

 口元を歪めながら、不愉快そうに私のことを睨んでくる。


「会いたくないって言ったよね」

「ごめん。でもやっぱりもうちょっと話したくて」

「話すことなんてない。帰って!」


 激昂したハルちゃんに押し負けて、私はおめおめと病室から逃げ出した。



        ※ ※ ※



 翌日。私は再びハルちゃんに会いに行った。


「しつこい! なんでまた来るの!」

「だって、ハルちゃんに会いたいんだもん」

「私は会いたくない! 二度と来ないで馬鹿姉!」


 ハルちゃんに花瓶を投げつけられて、危うく顔に当たりそうになる。

 花瓶は病室の床に落ちると、ガシャーンと大きな音を立てて割れてしまった。

 花瓶の破片が床中に飛び散り、中身の萎れた花と水が流れ出てくる。


 流石にやりすぎたと思ったのか、ハルちゃんは焦った表情を浮かべて破片を拾おうとした。

 けれどベッドから動けないハルちゃんが精一杯手を伸ばしたところで、破片の一枚も拾うことはできなかった。


 そわそわしているハルちゃんの代わりに、私が花瓶の破片を拾って掃除を済ませる。

 ハルちゃんはバツが悪そうに顔を歪めると、私から目を逸らして布団に潜り、ベッドの中に塞ぎ込んでしまった。


 私はどうすることもできなくて、病室を後にした。



        ※ ※ ※



 さらに翌日、私はもう一度ハルちゃんに会いに行った。


「帰って」


 今度のハルちゃんは叫ぶこともなく、か細い声で私のことを遠ざけてきた。

 ベッドの上で布団を被ったまま、顔すら見せてくれない。


 話しかけようと試みたけど、何も言葉が思い浮かばなかった。


 私は一言も話さず、病室を後にした。



        ※ ※ ※



 そのまたさらに翌日。昨日と同じくハルちゃんに拒絶されて病室を出て行った後、私は初めて病院内でのミナトの仕事振りを目の当たりにした。


 ミナトは病室のベッドで動けなくなった老人に微笑みかけて、他愛のない話をしていた。


 話が終わると、ミナトは老人にコップ一杯の水を飲ませた。

 その水には、ミナトが能力で生み出した毒が盛り込まれている。


 毒水を飲み干した老人は、数十秒後に大量の血反吐を吐いて即死した。

 毒の効果で痛みを感じさせなかったのか、老人は安らかな顔で死んでいった。


 病室に患者が吐いた血が飛散して、赤く染まる。やがて血の臭いが病室中に充満して、私の鼻にこびりついた。

 もう何度も嗅いだ臭いだけど、未だに慣れない。慣れたくもない。


「この人は、どうなるの?」


 私はベッドの上で動かない死体を見つめて、ミナトに尋ねた。


「燃やす。火葬場なんてないから、大変だけどね」


 老人の死体が病院に勤める職員らしき人達に運ばれて、病室から姿を消す。


 私は病室に残った大量の血とベッドを見つめながら、ハルちゃんが死ぬ未来を想像してしまった。

 その途端、急激な吐き気に襲われてしまい、私はその場で嘔吐してしまう。


 朝食に食べた硬いパンが胃液と混じって出てきて、最悪な気分に陥った。


 本当に、最悪だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る