第11話 嫌われ者

 疾滅統括征異団しつめつとうかつせいいだん第六部隊基地で居候を始めてから、さらに数日が経過した。


 今日も私はミナトの見回りについて行って、末期症状へと至ったエボルシッカーが殺されていく光景を見ていた。


 一日中第六地区を見て回った結果、その日はミナトによって二人の末期症状者が殺された。

 いつもより少なめである。


 一通り第六地区中を見回ると、私はミナトに連れられて矢田やだ食堂という店を訪れた。


 古びた木造の店に立て掛けられた、矢田という看板。

 店の中にあるカウンター席と外に設置されたテーブルに、多くのお客さん達が座っていて満席になっている。


 そこで出された料理と、私は今対峙していた。


「あの、これ食べれるんですか」


 私は目の前に置かれた料理を指差して、隣の席に座るミナトに尋ねた。


「食べれると思うよ、多分」

「多分、ですか」

「料理だから食べれるでしょ。その後どうなるかわからないけど」

「それ、食べれるって言わないですよね」


 私の目の前に置かれていたのは、端的に言い表すとゲテモノ料理だった。

 何の食材なのか分からない物が多種多様に混ぜ込まれ、丼として米の上に乗っかっている。


 悪魔的な臭いを放ち、食べ物の色をしていないそのゲテモノ料理を前に、私は箸を一ミリも動かすことができなかった。


「なんだお客さん、ウチの料理が食えないってのか!」


 一向にゲテモノ料理を食べようとしない私を見かねて、店主である矢田ハマキチさんが厨房から顔を出してきた。

 汗で照り上げる禿げ頭に、筋肉質な体。異形化の影響で肩に棘を生やした、中年の男性だ。


 物凄い剣幕で迫ってくる店主に、私は恐る恐る尋ねてみる。


「あの、これは何の食べ物ですか」

「当店おすすめの料理だよ。嬢ちゃんがおすすめでいいって言ったんだろ。今更文句は受けつけんぞ」

「い、いや文句じゃなくて……。ただこの料理がよく分かんなくて。なんなのかなと」

「丼だよ丼。当店自慢のね」

「それは分かるんですけど。この上に乗ってるのが、どう見てもゲテモノというか」

「ゲテモノだと? 失礼な奴だな!」

「ご、ごめんなさい」

「こいつの名前はゲテモノ丼だ! 間違えるな!」

「ゲテモノじゃん! 今思いっ切りゲテモノって言いましたよね!?」

「ゲテモノじゃねぇゲテモノ丼だ!」

「だからゲテモノじゃん!」

「おいミナト、コイツはなんだ新入りか? 全然ウチの店のこと知らねえじゃねえか」


 私の隣で黙ってうどん(らしきもの)をすするミナトに、店主が話を振った。


「新入りだよ、店主。だから多めに見てあげて」

「ふん、食わず嫌いする奴は好きになれねえな。飯を粗末にするようなら帰んな!」

「そ、粗末にはしません。でも、これは……」


 私は顔を引きつらせながら、目の前のゲテモノ丼に箸を付けた。

 アニメの世界で見るような毒色をした見た目。収容所で見てきた食べ物の中で、ぶっちぎりでヤバそうな予感がしている。

 どう見たって人が食べていい料理じゃない。


 私は丼の一部を掬い上げて口に運ぼうとしてみる。

 だけど途中で箸を動かす手が止まってしまい、それ以上動かせなかった。

 本能が、これは食べちゃいけないと告げていたのだ。


 涙目になりながら丼を見つめていると、ミナトが私の肩に手を置いて微笑んできた。


「俺の奢りなんだから、遠慮なく食べていいんだよ」


 いや、むしろ遠慮したい。


 ミナトは絶対、分かってて言っていた。

 私の逃げ場を閉ざそうと、からかって面白がっているのだ。


 ここ数日一緒に過ごしてみて分かったことだけど、ミナトは少し意地悪なところがある。


 第六地区に住んでいる他のエボルシッカーに対しては八方美人ぶりを発揮しているミナトだけど、第六部隊のみんなに対してはからかって意地悪しているところをよく見かける。


 それは、彼らとミナトがそういった冗談を言い合えるくらいの仲だからだろう。


 私に対して意地悪してくるようになったのも、第六部隊のみんなと同じくらい好意的に思ってくれているからかもしれない。

 そう考えると嬉しくて、多少意地悪されても許してしまう。このゲテモノは食べたくないけど。


「そんな嫌そうにするな。美味そうに食え。自分を騙して食え! イテッ!」


 無理難題を言ってくる店主の頭が、オタマのような物で叩かれた。

 痛そうに頭を抱えて蹲る店主の後ろから、黒いエプロンを着た茶髪の少女が現れる。


 彼女の名前は矢田ヤチル。店主の娘だと、さっきミナトに紹介してもらった。


「コラお父さん。お客さんいじめちゃダメでしょ」


 ヤチルちゃんは頬を膨らませながら、店主に説教を始めた。

 異形化の影響でワニの鱗みたいになった手でオタマを握って、店主の頭をポカポカと殴り続ける。


「待てヤチルっ。今俺はウチの看板メニューをこの新入りに食わせるとこなんだ。あともう少しで味の感想聞けそうなんだ!」

「そんなことしてる暇あるなら厨房戻って! 注文いっぱい入ってるんだから」


 ヤチルちゃんが店主の耳を引っ張って、無理矢理厨房へと引きずっていく。


 この矢田食堂は、店主のハマキチさんとヤチルちゃんの親子二人で営んでいると、ミナトから聞いた。

 昔から家族で飲食店を営んでいたらしく、それを活かしてこの矢田食堂を開いたところ、一年ほどで第六地区で一番人気の飲食店にまで上り詰めたのだそうだ。


 なぜそこまで人気なのかというと、それは火だ。


 収容所にはガス管が通っていないので、火を起こす場所がない。

 だけどこの店は巨大なかまどを複数有しており、第六地区で唯一温かい食事を提供してくれる店なのだそうだ。


 だから普段冷め切った廃棄食ばかり食べているエボルシッカー達は、こぞって此処へ足を運ぶらしい。


「家族で収容所に住んでいたりすることって、あるんですね」


 私がポツリと呟くと、ミナトはうどんを啜るのをやめて真顔になった。

 いつもヘラヘラと笑っているミナトが、無感情に目を見開いて固まっている。

 どうしたのだろうと顔色を窺っていると、突然ミナトは話しだした。


「別に、珍しくはないね。家族一緒にエボルシックだと発覚して連れて来られたりとか、あったりするよ」

「そうなん、ですか」

「あと、死んだと思っていた家族が、収容所に来て実は生きてた、なんてこともある」

「……どういうことですか?」

「収容所に連れて来られた奴は、地上では死んだ扱いになってるんだ。不慮の事故とか病死とか、突然死とか。無理に理由付けして家族や知り合いを説得して、上手く誤魔化してるってわけ」

「じゃあ私も、あっちじゃ死んだ扱いになってるんですか」

「きっとね」


 それは何というか、ショックだ。両親にも友達にも、私は死んだのだと思われているのか……。


 死んでないのにそう思われているのは、複雑というか納得できない。

 今すぐ会いに行って生きてるよと伝えたいけど、それはできない。


 収容所から脱走しようとすると、怖いスーツ姿の管理人達に処されてしまうからだ。

 生きてることを伝えるために死んでしまったら、本末転倒である。


「仲良い親子だよね」

「ですね」


 厨房で仲良さげに話しているハマキチさんとヤチルちゃんの姿を見て、私は両親のことを思い浮かべた。


 両親は私が死んだと聞いて、どう思っただろうか。やっぱり悲しんでくれただろうか。


 家族が亡くなるのは辛い。それは、私もよく知っていることだ。


 私には三つ下の妹がいた。私は妹のことを溺愛していて、いわゆるシスコンだった。

 妹のことを誰よりも何よりも大切に思って一緒に育ってきた。


 そんな大切な妹を、私は三年前に失った。


 不慮の事故だった。私は妹が死んだと伝えられた時、一ヶ月以上寝込んでしまった。

 両親は勿論、滅茶苦茶に悲しんでいた。

 それでももう一人の娘である私のために、二人は一生懸命働いてくれた。


 私のせいで、そんな両親に二度も子供を失う体験をさせてしまった。

 申し訳ない気持ちで胸がいっぱいになって、辛くなってきた。


 無性に今、両親に会いたい。私はこの衝動を抑え込むように、首元に巻いた赤いマフラーを握った。


「家族っていいよね」


 ミナトが矢田親子の様子を見つめながら、ぼんやりと私に呟いた。

 その時の表情は、元のヘラヘラとした笑みに戻っていた。


「矢田食堂の料理はさ、見た目悪いけど味の方は美味しいって評判なんだよ。騙されたと思って食べてみてよ」


 ミナトに勧められて、私は渋々ゲテモノ丼を一口食べてみる。


「なんだか、不思議な味」


 ゲテモノ丼の味は今まで体感したことのないもので、具体的な感想が出てこなかった。

 どうにも形容しがたく、不可解な味をしている。


 気になってもう一口、もう一口と食べてみて、私は思った。


「意外とイケる、かも」


 このゲテモノ丼を一言で表す言葉が見つかった。これは、病みつきになる味なのだ。


 不味いとか美味いとかじゃなく、箸を止まらなくさせる謎の中毒性がある。

 においや見た目は最悪だけど、それを差し引いてもかなりイケる。


 気が付くと私は、半分以上ゲテモノ丼を平らげていた。


「いい食いっぷりだなミルカ! だはは!」


 ゲテモノ丼を貪っている最中に背後からうるさい声が聞こえてきて、私は顔を顰めた。


 振り返らなくてもわかる、この声はコウヘイさんだ。


「オメーもこの店の良さに気づいたか! 大分収容所に慣れてきたんじゃねえか? だはは!」


 コウヘイさんが私の肩に手を回して、だる絡みしてくる。

 アルコールで酔ってるのかと思うくらいテンションが高いけど、あいにく収容所に酒などの嗜好品は流通していない。

 この人は、シラフで酔っているのだ。


 面倒臭い相手に体を揺さぶられ、私は顰め面になって食事を中断した。


「お、どうした? ほらもっと食え食え! 食べる子はよく育つぞ!」


 アナタが体を揺さぶってくるせいで食べにくいんでしょという言葉を呑み込んで、私は苦笑いを浮かべた。


「コウヘイさんも此処で食事ですか?」

「まあな。オレは此処の常連なんだ。飯のほとんどは此処で済ませてる」

「飯のほとんどって、コウヘイさん基地でもたくさん食べてるじゃないですか。というか食事時にしか帰ってこないし」

「オレは一日八食食べるんだよ。基地では三食しか食ってねえ」

「食べすぎじゃないですか……。収容所の食材は不味い物ばかりなのに、よくそんなに食欲が湧いてきますね」

「オレは味音痴だからな! 不味いとか美味いとかの区別がつかん! この世の飯は全部美味いと思ってる!」


 どうやらコウヘイさんは、頭だけじゃなく舌も馬鹿らしかった。


「腹が満たされるってのは幸せなことだ。どうだミルカ、お前も一緒に一日八食食べねえか」

「遠慮しときます。私の胃袋は八食も食べられるほど大きくないので」

「そうか。ならお前の胃袋がでかくなったら言ってくれ。そん時はたらふく食わせてやるぞ。オレじゃなくこの店がな! だはは!」


 コウヘイさんは豪快な笑い声をあげると、私から離れて別のテーブル席へと向かっていった。

 そこで知り合いとおぼしきおじさん達と肩を組み合いながら遊び始める。自由人だなあ、ほんと。


 私がコウヘイさんからだる絡みされている間に、ミナトは食事を終わらせて席を外していた。

 食器を厨房へと持って行って、店主と何やら楽しそうに談笑している。


 私は賑わう矢田食堂の光景を眺めながら一人、冷め切った残りのゲテモノ丼を食した。


「収容所の生活には慣れたみたいですね」


 不意に聞き覚えのある声が近くから聞こえてくる。

 視線を動かすと、いつの間にか管理人のミルフィーノが私の隣に座っていた。


 気配なく現れた彼女を見て、私は「ひっ」と短い悲鳴をあげてしまう。


「どうして管理人さんが此処に……?」

「仕事です。私はアナタの担当ですので、死んでないか確認しに来たんです。まだ元気に死んでないようで何よりです」


 ミルフィーノは皮肉の効いた言葉を私に言い放つと、視線を遠くにやった。

 その視線の先を追いかけてみると、そこにはミナトやコウヘイさんがいた。

 彼らが着ている白服を見て、ミルフィーノは怪訝そうに眉を吊り上げる。


「彼らと随分仲良くなったようですね」

「はい。色々と助けられて」

「これは命令ではなく、忠告です。彼らと接するのはやめた方がいいですよ」

「え、どうしてですか?」

「アナタ自身のためです。アナタがもし今のままの自分でいたいのなら、彼らと関わらないほうがいいですよ」

「急にそんなこと言われても、よく分からないんですけど」


 困惑する私を見て、ミルフィーノは面倒臭そうにため息をついた。


「アナタは彼らを良い人だと思っているようですけど、それは間違いです。あまり深く関わると、後悔することになりますよ」

「……どういう意味ですか?」


 詳しい説明を求めても、ミルフィーノはそれ以上何も言ってくれなかった。

 お互いに沈黙して気まずい雰囲気が流れてきて、私は逃げるようにミルフィーノから視線を逸らす。


 するとその時、周囲の異変に気が付いた。


 さっきまで賑わっていた矢田食堂の雰囲気が嘘みたいに静まり返り、お客さん達全員がミルフィーノのことを睨んでいたのだ。

 その目にはどれも、深い憎しみが込められている。


 ミルフィーノはその視線に気づきながらも無視を決め込み、静かに虚空を見つめていた。


「あの、管理人さんも何か頼みますか? この店の料理、意外と美味しいですよ」

「まだ仕事があるので結構です。アナタの他にも担当しているエボルシッカーがいますので」


 ミルフィーノはそう言って席を立つと、矢田食堂から姿を消した。

 彼女がいなくなると、周りのお客さん達は元通りに賑わいを取り戻していった。


 どうやら管理人という存在は、みんなから相当嫌われているらしい。

 でも、それは仕方のないことだ。


 だって私達エボルシッカーを収容所に閉じ込めたのは、彼らなのだから。

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