第4話 最悪な住処

 収容所第六地区。

 そこは、他の収容所地区と比べてかなり治安の悪い町だと、ミルフィーノが教えてくれた。


 住民をまったく見かけなかった第五地区と違って、そこでは多くの異形達が歩き回り、賑わいを見せていた。


 賑わいと言っても千差万別で、隣人と仲良く談笑するだけの者達もいれば、すれ違いざまに殴り合っている者達もいる。

 賑わいの半分以上は後者で、町の至る所で殺人沙汰の大喧嘩が毎秒のように頻発していた。


 狂瀾怒濤。異形の人達による倫理観を吹き飛ばした喧嘩によって、第六地区はとても騒がしい。


 そんな光景をミルフィーノの案内で何度も目にした私は、町中を歩くだけで軽く失神しそうになった。


「人型を保っているバケモノは、まだ知性のある段階の者です。顔やら体の一部が変化していますが、病状的には軽度になります」


 ミルフィーノは混沌とした町を悠々と歩きながら、私に収容所のことやエボルシックのことをたくさん教えてくれた。


「エボルシックの症状は五段階に分けられます。ステージ1は異形化が軽微な者。ステージ2はさらに異形化が進行し、“能力”を発現させた者が当てはまります」

「能力ってなんのことですか」

「物理法則を無視した特殊な力、異能のことです。エボルシッカーがあれだけ派手に暴れられるのは、その能力のおかげです」


 説明の途中で、またもや町に轟音が響き渡る。

 そろそろ耳がイカれてきて、まともに話を聞けなくなってきた。


「ステージ3になると、異形化がさらに進行します。発現した能力が肉体に適応してくる時期で、エボルシックの中では一番の安定期です。町中で暴れている者の大半はステージ3の者か、まだ能力を発現したばかりのステージ2の者達です」


 と、町中で騒いでいる異形達を指差しながらミルフィーノは語る。


「ステージ4になると個体差が現れます。異形化の進行が悪化し、それに体が耐えきれずに死に至る者もいます。そして末期段階であるステージ5にまで至ると理性を失い、完全なバケモノになります」

「あ、あの」

「はい、なんですか」

「この人達は人間なんですよね?」

「人間ではありません。元人間と言ったはずです」


 ミルフィーノが再びため息をつきながら、私のことを睨んでくる。

 何度も説明させるなと、その冷徹な目は訴えていた。


「話を続けます。基本的に新しく収容所へ来たエボルシッカーは、エボルシッカーの数が少なくなった地区に配属するよう決められています。バケモノであるアナタ達の密度が高くなると、危険だからです。今は第六地区が最もエボルシッカーの数が少ない地区となっていますので、アナタを配属することとなりました。これからアナタはバケモノとして、そこで一生を終えてもらいます」


 何言ってんの? と、私は思わず口ごたえしそうになった。


 私がバケモノ? 私はちょっと変わった性格をしているだけで、ちゃんと人間の母親から生まれた女の子だ。


 バケモノになる病気? そんなの、あるわけがない……。


「見て分かる通り、第六地区の治安は最悪です。あのように町中で暴れ回る荒くれ者が多く、現代社会であれば違法なことばかり起こります。ですが此処は現代の法が適用されない場所ですので、罰せられることはありません。例外はありますが」

「例外?」

「収容所には五つだけ、独自の規則があるんです。

一つ、収容所に暮らす者は必ず働かねばならない。ただし、働けない状態にある者は例外とする。

二つ、収容所に暮らす者は“管理人”の命令に従わねばならない。

三つ、事故や事件その他原因で起こる被害や怪我は全て自己責任。

四つ、収容所に暮らす者が収容所の外に脱走・接触・連絡することは決して認められない。

そして五つ、以上四つの規則に触れる行為以外に罪はなく、罰則も与えない」


 ミルフィーノは規則の内容を丸暗記しているようで、その全てを口頭で私に説明してきた。

 昔からリスニングが苦手な私は、途中で内容を覚えるのを諦めてしまう。


「収容所は法治国家ではないので、まともな法律も人権も政治理念も存在していません。ただこの五つの規則を守ってさえいれば、何をしても構いません」

「もし規則を破れば、どうなるんですか」

「即刻死です。違反した者は危険なバケモノとみなして、殺処分されます」

「……」

「それと、これから私のようなスーツを着た人間は“管理人”と呼んでください。アナタ達エボルシッカーを管理する役を担っているので、そういう名前になっています」

「管理人、さん」

「さん付けは必要ありません。敬語も必要ありません」


 そっちは敬語なのにか。


「そろそろ目的地に着きますので、説明はこれで終了します。質問も一切受けつけません」


 案内されたのは、人気のまったくない廃墟だった。

 大量のカビと埃に侵食された土地に、少し嗅いだだけで咽せ返る腐敗臭を漂わせるこの世の終わりみたいなゴミ溜め。

 そこにひっそりと聳え立つボロアパートの一室に、私は案内された。


「今日から此処がアナタの家になります」


 そう告げられた時、私は現実を受け止めきれずに思考が停止した。


 埃まみれの室内に、穴だらけの壁と天井。カビまみれの水道口。

 キッチンや浴槽、鏡すらない最悪な物件に、住めと言われたのだ。


 ごく普通の一軒家に住んでいた女子高生には、到底受け入れることのできない事案だった。


「本当に、住まないといけないんですか」

「はい」

「他に、もっとマシな家はないんですか」

「ありません。これで我慢してください」

「そんな……」

「私はこれで失礼します」


 絶句している私を置いて、ミルフィーノはその場から立ち去っていった。

 よほどこの場にとどまりたくなかったのか、途中から目にも止まらぬ速さで走り出していく。


 一人取り残された私は外へ出て、しばらく玄関前で立ち尽くしていた。


 そんな私のそばに、一人の女性がミルフィーノと入れ違いで現れた。

 長髪の成人女性で、首から顔にかけて青い紋様のようなものが浮き出ている。

 布面積の小さい服を着ていて、そこからやけに痩せ細った体があらわになっていた。


 青紋様の女性は私と目が合うなり足を止めて、訝しむように私の全身を凝視してきた。

 足から順に隈なく私のことを観察していき、最後にまた目を合わせてくる。


「アンタ、新入り?」

「え?」

「収容所に来たのは最近なのかって尋いてるの」

「あ、あの、はい。そうです……」

「何歳?」

「十五です」

「そう。お気の毒さま」


 青紋様の女性は私から目を逸らすと、抑揚のない声で哀れみの言葉をかけてきた。

 彼女から全体的に生気を感じられないせいか、不思議と不快感はまったくない。


 青紋様の女性は具合でも悪いのか、苦しげに顔を顰めながら何度か咳き込んでいた。

 その際、口元でなく首元に手を当てていたことに私は違和感を覚えた。


「あの、大丈夫ですか」

「……なんでもない」


 青紋様の女性は一方的に話を打ち切ると、アパートの一室に引っ込んでしまった。

 どうやら隣人だったようで、私が案内された部屋の隣に彼女は住んでいた。


「お、お邪魔します」


 青紋様の女性が去った後、私は勇気を出してアパートの一室に上がり込んだ。

 気が動転しているせいか、私以外誰もいないのに話しかけてしまう。


 歩く度に軋み音が鳴る頼りない廊下を渡って部屋に辿り着くと、膝を抱えながらその場に座り込んだ。

 薄汚れた床に尻をつけながら、膝皿に顔を伏せて蹲る。


「なんでこんなことに……。意味、分かんないんだけど」


 涙声になって、愚痴をこぼす。


「なんなのこの場所。収容所ってなに、意味分かんないんだけど。私何も悪いことなんかしてないよね? 何この扱い。人をバケモノバケモノって、私は立派な人間だしっ! しかもなにあの異形の人達、めちゃくちゃ怖いんだけど。ほんとなんなのてば……っ!」


 語彙力のない言葉を並べ立てながら、左手を大きく振りかぶって床に叩きつける。

 その衝撃で降り積もっていた大量の埃が宙を舞って喉に入り、勢いよく咳き込んでしまった。


 自業自得で喉を痛めた私はとてつもない虚無感に襲われて、愚痴をこぼすのをやめた。

 仰向けに寝転んで穴の空いた天井をぼ―っと眺める。


 すると突然、私の左脇腹に激しい痛みが走った。

 大きな針で内臓を刺されているような、そんな痛みだった。


 何の前触れもなく起こったその痛みは、数十分にもわたって私の脇腹を攻撃してきた。

 あまりの痛みに耐え切れず、私は原因を探るべく服をまくり上げて脇腹を確認してみる。


 すると、信じがたいものが目に映り込んできた。


「嘘……なに、これ」


 私の脇腹は、青白く変色していた。

 そこだけ細胞が活動をやめて壊死したかのように、血の気を失った皮膚へと変わってしまっていたのだ。


 私は唖然としながら、痛みを伴うその脇腹に触れた。

 人間の皮膚とは思えない異常な硬さをそこから感じて、恐ろしくなった私はすぐに手を引っこめる。


 昨日まではなかったはずのその変貌を見つめて、私はミルフィーノに言われたことを思い出した。


 ――それはアナタがバケモノだからですよ。


 私の脳裏に、あの巨大なバケモノの姿がよぎる。

 動悸が激しくなり、過呼吸気味になりながら、私は次の言葉を口にした。


「……エボル、シック」


 その名は、今日初めて聞いたばかりの奇病。人間をバケモノにするという、信じがたい病気。

 目にはっきりと映り込む青白い脇腹を見つめて、私は思い知る。


「私、本当にバケモノになるの?」


 受け入れられない現実を目の当たりにして、視界がぐわんと歪む。

 膝がガタガタと震えてまともに立てなくなり、後ろ向きに勢いよく倒れ込んだ。


 その際、頭を強く打ち付けたけど、今の私に痛みを気にする余裕はなかった。

 私は床を這いつくばりながら、震える手で青白く変色した脇腹に触れた。

 石のように硬い皮膚の感触を味わいながら、自分がバケモノになる未来を想像する。


「やだ。そんなの、やだよ……」


 首元に巻いたマフラーを握り締めて、私は一晩中泣き続けた。



         ※ ※ ※



 翌日。時計がないから本当のところは分からないけど、多分翌日だ。


 一睡もできなかった私は、酷く荒んだ顔で床の上に寝そべっていた。

 赤く腫れたまぶたで瞬きを繰り返しながら、青白くなった脇腹をまさぐる。


 手から伝わる血の気のない硬い皮膚の感触に、私はいつまで経っても慣れることができないでいた。


「おはようございます」


 聞き覚えのある声が私の耳に届く。顔を動かすと、すぐそばにミルフィーノが立っていた。

 いつの間にか部屋の中に上がり込んでいたらしい。


 気配にまったく気づけなかったから驚いたけど、今の私には大したリアクションができない。

 その場から起き上がる気力もないので、依然と寝そべったままミルフィーノのことを見上げた。


「今日は死体を回収するつもりで来たのですが、見当が外れたみたいですね」

「……どういう意味ですか、それ」

「収容所へと連れて来られたエボルシッカーの大半はバケモノとなった現実を受け入れられず、酷く錯乱して一日も経たないうちに自殺するんです。ですが、アナタは違った。アナタはまだ生きている。なぜでしょうか」


 ミルフィーノが不思議そうに、首を傾げる。


「……私が生きてるのが、そんなに不思議ですか」

「正直、意外でした。アナタはすぐに心が折れて死ぬだろうと思っていたので」

「死にたくなんか、ないですよ。怖い」

「……そうですか。なら、これを受け取ってください」


 ミルフィーノはそう言いながら、スーツのポケットから何かを取り出して私の顔の前に置いた。


「これは?」

「第六地区で配られているおにぎりです。昨日から何も食べてないでしょう。今のアナタには食料を確保する余裕なんてないでしょうし、生きたいなら食べてください。味は保障しませんが」


 包装された具付きのおにぎりを見つめて、私は喉を鳴らした。

 満身創痍だったせいで空腹であることを忘れていたけど、食べ物を目の前にすると急激にお腹が空いてきた。


 私は寝そべっていた体を起こしておにぎりを掴むと、包装を剥ぎ取りソレにがっついた。


「まずい……」


 水気の抜けた硬い米に、布を食べているような食感の昆布。

 十五年生きてきて、これほど不味いおにぎりは私にとって初めてのことだった。

 なんとか吐き出さずにおにぎりを胃の中に放り込むも、後味が悪過ぎて咳き込んでしまう。


「どうですか収容所での初めての食事は。まあ、聞かずともその顔を見れば分かりますが」

「収容所には、こんな食べ物しかないんですか」

「収容所に支給される食料は全て、地上から出た廃棄食が使われています。当たり外れはありますが、それなりに美味しい食べ物もありますよ。まあ、外れの方が多いですけど」

「最悪……」


 私は口の中に広がる苦味に悶えながら、おにぎりの包装を握り潰した。

 とんでもない物を食わされてしまったせいで、お腹を壊さないか心配になる。


「では、私はこれで帰ります」

「もう帰るんですか」

「はい。私はただ、アナタが死んでいないか確認しに来ただけなので。死んでいたら死体を処理しなければいけませんが、生きているのなら私がやるべきことはありません」


 ミルフィーノはそう言うと、私にお辞儀してから玄関の方へと向かっていった。

 口は悪いくせに、変なところで律義な人だ。


「精々頑張って生きてください」


 去り際、ミルフィーノは私を煽り立てるようにそう言い残すと、ボロアパートから姿を消した。

 部屋の中が静かになると、私はもう一度床の上に寝そべって、青白く変色した脇腹の部分をまさぐった。


 血の気のない硬くなった皮膚に触れながら、最悪な未来を想像する。

 全身の皮膚が青白く染まりバケモノとなって、人々を襲うおぞましい自分の姿。


 深く考えると気が狂いそうになった私は、脇腹をまさぐる手を引っ込めて床の上に縮こまった。

 頭の中に渦巻く恐怖から逃れるように、首元に巻いたマフラーを握り締めながら目を瞑る。


 食後のおかげか、一睡もできなかった昨日と違ってすんなりと眠りにつくことができた。


 眠ると、何も考えなくて済んだ。

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