第20話 "ハイ"スクール


 そもそも、レイモンドは学校が嫌いなのだ。

 歩く時は俯いて、目的地へと足早に向かう。

 人と会話をする事はなく、どんな時も心が休まる事はない。

 青春なんてものとは無縁であり、全て何かをこなす為の時間を過ごしていた。


「来るんじゃなかった……」


 今もそう。

 ランチタイムのカフェテリアは10代の少年少女で喧しく、人も多いので窮屈だ。

 トレイを持って並ぶだけで、間に割り込む生徒やぶつかる生徒が神経を擦り減らす。


「はいよ、沢山食いな」

「はは、ありがとうございます……」


 嫌な思いをし続けて、少食のレイモンドには少し負担な量をようやく確保してひと安心……とはいかない。

 席を探して彷徨い歩いて、ようやく見つけた空いた場所に座ろうとしたら、近くに座っていた生徒に止められる。


「ちょっと、そこ親友座るから」

「えっと、ごめん……」

「は?なんなのアレ」


 このように席取りが常態化しているせいで、友人の居ないレイモンドは食べるまでに大変苦労するのだ。

 うろうろ、うろうろと更に彷徨って、空いた場所に座ろうとすれば強引に押し除けられる。

 

「あ?何、文句あんの?」

「ない、無いよ……うん」


 そうして更に探していると、不運だってやって来るというもの。

 左右を長テーブルに挟まれた通路の向こうから、見覚えのある3人組が。


「てか、ライアンお前マジかよ!うちのBBQに歌手来んの!?」

「まあな。連絡先はラッキーで手に入れた。腕の見せ所はこっからだなぁ」

「えー羨ましいわー。友達の女の子と会わせてくれたりしない?」


 いつもレイモンドを虐めてくる3人組とは、学校に居る時間が短ければそれだけ遭遇リスクが減って、比較的穏やかな生活を送れたのだが。

 向こうも楽しいオモチャを見つけてクスクスと笑うので、レイモンドは顔を伏せて足早に通り抜けようと……したのだが。


「おーいおい何処行くんだよレイモンド。座るとこないのかぁ?ん?」

「いや、ただ──」

「ただ、何?オレが間違ってるって?」

「そんな事ないよ僕が間違ってた……」


 3人組に道を塞がれ、通り抜けようとしても回り込まれる。

 どうしても逃す気はないのだと、一度捉えられたらもうどうしようもないと、レイモンドは嵐が過ぎ去るのをただ待つのみ。

 感情を殺して表情に出さないようにし、発する言葉から自我を消す。


「ん?なんだ?何処行こうとしてんの?」

「いや、はは……」

「ほらほら動けよっ!」

「あの……うん。ごめん……」


 ただ囃し立てられ、口を突いて出た謝罪と共に曖昧に笑ってやり過ごそうとするレイモンドだが、やはりそんなものは面白くないのだ。

 レイモンドで面白がろうとする3人組は、より過激な事をして反応を引き出そうとするのも、やはりいつもの事だった。


「てかレイモンドくんはチビガリなのに、そんなに食えんのかなー?」

「ああオレらはバスケやってるから食うけどさぁ……お前はそんなに要らないだろ?」

「っ!」


 何か来るかと身構えて、レイモンドは肩をすくめるが何も来ない。

 叩かれたり、トレイに物でも落とされるかと思って目を瞑ったが……恐る恐る瞼を開けると。


「バァ!あっははッ!」


 下方向からの衝撃に、トレイがレイモンドの顔へ飛び込んだ。

 載っていたランチは全てレイモンドへぶちまけられて、赤や黄色のソースが顔やパーカーを汚す。

 不快感に思わず顔を顰めると、より一層の笑い声がレイモンドへ殺到した。

 

「マジかよそんなアッサリ引っ掛かるかぁ!?」

「マヌケのミートソースとチーズソース掛け!あーウケた」

「てか何?睨んでる?なにその顔」

「ち、違うよ……はは」


 ソース塗れの顔から険を抜き、やはりレイモンドは曖昧に笑うのだ。

 怒りや不満を表明する事すら許されずに、顔から床までべっとりと汚すランチを見ても、やはり言い返す事はない。

 十分笑ったと3人組が去ってから、ようやくため息を吐きせめて片付けをと思いしゃがみ込むと、そこに足が降りて来る。


「うわっ何?汚な……ちゃんとトレイ持っとけよ……」


 周囲を汚したレイモンドへ、非難の視線と嘲笑が突き刺さる。

 公共の場を汚した罪人へ、汚れに塗れた被差別階級へ。

 

(学校……来たよ。いつも通りだった)


 約束を守る事は良い事だ。

 良い行いはレイモンドをヒーローに近付ける。

 ならばこれも試練だろうか?

 レイモンドにはまだ分からない。

 ただ、襟から入ったマカロニが服の下に入って不快だと、そう思っていた。


◆◆◆


 トイレの手洗い場で、ジャブジャブと何度も波立つ音がする。

 排水口は布で詰まって、溜まった水は赤や黄色に染まって混ざる。

 Tシャツ1枚、髪や顔に水を滴らせたレイモンドはいつも着ているパーカーを水に浸け、手で懸命に洗っていた。


「前のスーツの時はこうして洗ってたな……今はコインランドリー使うけど」


 懐かしむ程昔でもないのだが、面倒で辛い現実から離れる為に、無理にでも記憶に浸るのはレイモンドの処世術のひとつだろう。

 とにかくレイモンドの人生には我慢が付きもので、それに対する方策などは、幾らでもあった。


「あまり染みになってないから、まだ着れるよね。大丈夫だよ、うん」


 そう自分に言い聞かせていると、不意にレイモンドは視界に入る鏡の中の自分へ視線を向けた。

 ソースを落とそうと洗った顔は生気が抜けてヘラヘラと笑っており、パーカー程ではないもののソースが付いたTシャツはその姿を余計に情けなく見せる。

 ヒーローであるブリンクとは大違い。

 全てが理想とはかけ離れた酷いもの。


「こんなの消し去って、レイモンドブリンクにならなくちゃ。完璧な女の子に……本物のヒーローに」


 レイモンドは自身を嫌悪している。

 自身の男性性を。

 自身の無能力を。

 産まれた時点で定まった、無価値と罪を。


「お母さんの本物の子供は、きっとその姿をしてるはず」


 パーカーを絞り、水気を切って次の授業へ向かおうと、脚元に置いたリュックサックを持ち上げる。

 頼もしい重さには、レイモンドの全てが入っていた。

 1回分のドラッグ、ルミナスから贈られたヒーロースーツ。

 いつでも学校を抜け出してヒーローに逃避出来るように。

 

「はあ、でも叔父さんもケイナインあの人も言うし、授業受けないと……駄目だよね」


 ランチを食べ損ね、レイモンドの学業へのモチベーションは著しく下がっている。

 とはいえ他人からの親切からの忠告を無視する程、悪性には堕ちていない。

 パーカー無しで授業を受ける事も憂鬱だったが、トイレから出ようと歩き出したその瞬間。

 けたたましくサイレンが鳴り響いた。


「ひっ…!?」


 思わず身を竦ませるような、本能的に危機を感じる音。

 それが意味するところとはつまり……


「学校に不審者が侵入……銃撃、ロックダウン!」


 レイモンドはこのままトイレを出るかその場に留まるか少し悩み、トイレの個室へ閉じこもった。

 このような時、教室は完全に閉じられて、入る事が出来なくなる。

 それが助けを求める生徒であれ、侵入者であれ関係ない。

 少なくとも教室内に居る生徒の安全を確保する為。

 つまりこの状態でレイモンドは、締め出されて安全と言うには頼りないトイレの個室で、隠れ潜まなければならなくなったという事。


「どうする……どうする……?薬使ってなんとかする?でもバレないかな、でも僕がやらないと……いやそもそもテレポートで逃げちゃえば」


 隠れ潜むよりはドラッグを使って犯人を制圧する方が、恐怖心に関しては幾らかマシ。

 なんの対抗手段も持たないよりは立ち向かう方を選びたいのだが、これはとても不自然だろう。

 学校に侵入者が現れて、それをすぐさま制圧するなど、ブリンクの正体はこの学校に通う生徒だと言っているようなもの。

 自身の安全を確保し、更に正体を隠すのならば能力を使って逃げるのが最善。

 だが、それでは被害者が出てしまう。


「駄目だ駄目だそんなの!ヒーローなら見捨てたりしない……!」


 ブリンクであるならまだしも、無能力のレイモンドには恐怖が残る。

 それでも悩み、ヒーロである事を選択しトイレの個室に入ってリュックサックからドラッグを取り出す。

 迷いは無い……とはいえ身近に迫った危険を感じさせるサイレンが鳴り響く中だ。


「落ち着け、落ち着け……」


 もうすっかり慣れてしまった筈の注射も、こうもひっ迫した状況では緊張で手が震えて中々進まないものだった。

 とはいえそれも、トイレの外からサイレンを突き破って聞こえて来た銃声が後押しをする。


「そうだ、僕はヒーローになるんだ。怖いものなんて無い」


 注射針は静脈に刺さり、薬液が押し込まれる。

 もうレイモンドをこの変身の苦痛が苛む事はない。

 ただ洗練を受けるように静かに待ち、忌まわしい肉体を脱ぎ去る。


「ふう……よし、こっちの方がしっくりくる。でもノーブラに違和感が……」


 それはもはやレイモンドとしての自我を、ブリンクとしての自我が飲み込もうとしている状態なのだが、本人はとても満足げ。

 本来の姿・・・・に戻ったブリンクは、リュックサックの奥の奥、頑張って作った隠しスペースから小さなケースを取り出した。

 見た目においてはミニサイズのスーツケースのような、まさしくミニサイズのヒーロースーツのケース。


「こうやってスーツを取り出す時が、1番ヒーローっぽいかも」


 手のひらに乗るサイズのケースを開けば、そこからブリンクのヒーロースーツが飛び出した。

 防刃、防火、スーツをコンパクトに収納可能なケースは、まさしくヒーローの必需品。

 スーツと共にルミナスから贈られたケースを、ブリンクは大層気に入っていた。


「また銃と戦う事になる……今度は怯えたりしない。ブリンクはヒーローで、何も恐れずに悪を倒すんだから」


 スーツに袖を通し、ゴーグルを着ける。

 そしてブリンクとしての、ヒーローとしての自己を規定し準備完了。

 元の服はリュックサックに詰めて、それを背負っていざ悪人退治へ。

 サイレンの響く廊下を慎重に進み、再び銃声や侵入者の存在を示す音が聞こえないかと耳を澄ます。


「相手が銃なら先手を取った方が絶対良い。バレないうちに一撃で倒す」


 サイレンで平常心を乱さないように、自分に言い聞かせるようにひとりごつ。

 ヒーローであるブリンクとして学校を歩いていても、やはりあまりにも日常レイモンドに近過ぎる場所では臆病さが顔を出す。

 その表情は真剣さというよりも緊張で固まって、頻繁に唾を飲み込んでしまう。

 そうして遅々とした足取りはやがて、遠くから聞こえた銃声で止まった。


「っ!撃ったって事は誰か犠牲になるかもって事でしょ!」


 少しだけ慎重さを捨て、ブリンクは音へ向かって走り出す。

 立て続けに、断続的に、銃声は聞こえている。

 人を狙っているのだろうか、威嚇だろうか。

 間に合わなかった可能性に、ブリンクの背筋に冷たいものが走った。


「僕が怯えてどうする……!ヒーローなんだから怖いものなんてない!」


 何度目かの覚悟を決めて、見慣れた廊下を歩いていると、階段の陰に隠れた生徒の姿が。


「ひっ……!」

「大丈夫だよ、助けにきたヒーローだから」

「ヒーロー……良かった」

「おい待てよ、こいつブリンクじゃないか?」

「嘘だろマジかよちゃんと撮れって!」


 ブリンクに場違いな声が向けられる。

 スマホを向けて、ふざけた調子で盛り上がる3人組は、ブリンクもよく知る人間。


「君達……」

「おいおい!ライアンなんかやれって!」

「はぁ!?あー……これオレのアカウント。よければ──」

「チャラチャラした人嫌いだから」

「はっ?」


 格好付けて、それだけ言い残してテレポートで去ってしまえば嫌いな奴に恥をかかせる事が出来る。

 離れた後のブリンクは、しめしめと笑いながらささやかな復讐に満足していた。


「ふふん。いい気味だね」


 とはいえ今は非常事態。

 再び気を引き締めたブリンクは、心に余裕が出来て進む速さも上がっていた。


「撃たれた人が居たら逃す、居なかったら犯人を無力化!素早く判断、常に冷静に……!」


 冷静と呼ぶには少しばかり発汗量の多いブリンクは走って、跳んで、やがてより張り詰めた銃声を聞き脚を止めた。


(近い!)


 反響よりも破裂が強く、より近くに居ると唾を飲む。

 ここを曲がった角に、銃を構えた犯人が居るかもしれない。

 そんな恐怖と戦いながら、その犯人を見付けなくてはとブリンクは進んで……やがてその姿を捉えた。


「くそ、くそ!当たれ!当たれよ!」


 アサルトライフルを撃ちまくる犯人は、ブリンクとそう変わらない年齢の子供。

 この学校の生徒だろうか?

 学校に友達など居ないブリンクには、分かりかねる事だったが。


「この使いずらい能力でどうしたらいいんだよマジで!」

「投降しなさい。貴方はまだ子供で、更生するチャンスがある。でもこのままだと命を落とすわ」

「ケイナイン?さっすが速いなあ……」


 と、そこに居たのは意外な人物。

 通報が入り次第、即座に現場に駆け付けたケイナインが、犯人は子供だという事で刺激しないように投降を呼び掛けていたのだが。


「こっちはそのつもりで来てんだ!この鞄の中には爆弾が入ってる!近付いたらドカン!だ!」


 などと犯人が威勢の良い事を言った直後。


「そう。なら爆弾処理班を呼んでおく」


 その鼻先にケイナインが迫っていた。

 

「クソ──!」

「いいから大人しく……?」


 ──のだが、ケイナインはその自慢のスピードを活かす事なく、膝を突いてその場に倒れ込む。


「は、はは!バカがよ!教師連中と同じだ……人を侮るからそうなる!」


 床に這いつくばったケイナインは、この状況で眠ったように瞼を閉じて動かない。

 そしてこれから非道をやってのけようとする犯人は、その頭にアサルトライフルの銃口を向ける事にも抵抗はない。

 

「マズイ助けないと──!」


 やはりテレポートとは便利なもので、ブリンクが思った時にはケイナインの側までテレポートしていて、引き金が引かれるまでの僅かな時間の内に、彼女を避難させる事が出来るのだ。


「はっ!?何処消えた!?」

「あの人は苦手だけど、殺させはしないよ!」


 そうして犯人の少年に蹴りを見舞うまでものの数秒で済む。

 とはいえその蹴りは銃を警戒していたし、相手が子供という事で幾分手加減したものだったが。


「いでぇ!?」

「これ以上痛い思いしたくないなら──」

「ぶっ殺してやる!」


 アサルトライフルを振り回しての射撃は、反動を使って床から壁から天井までを一気に駆け上がる。

 点ではなく線の攻撃、かつ音も光も恐怖を煽る。

 煽るというのに、ブリンクは怯えず怯まず……むしろ犯人の懐へと近付きタックル。


「うおっ──」


 背後へよろめいた犯人の、その更に背後にテレポートしブリンクは深くめり込む蹴撃をひとつ。

 

「ぐぅ!?」

「まだまだ!」


 位置を変え銃撃を避け、ピンボールのように蹴り回して手玉に取る。

 アサルトライフルも気付いたら弾倉内の弾を撃ち切って、ブリンクはいいように犯人を殴る、蹴る。


「ふざけッ──」

「そろそろ倒れろよっ……もう!」


 ブリンクの拳が犯人の顎を打ち、尻餅をついて勝負は決まるかという、その瞬間。

 犯人は勝ち誇った顔をして笑う。


「ハハハ!バカが!俺の能力を喰らえ!」

「なっ──!?」


 犯人の眼がぼんやりと、怪しく光ってブリンクの脳が揺れる。

 視界が歪み、立ち眩むように地面が定かではなくなった。


「俺の能力は幸福な、理想の世界の夢を見せる!クソったれ能力は俺自身に効かねぇせいで、自分の手で復讐しなくちゃなんなくて嫌になる!」

「う、お……?」


 フラフラと倒れ込むのを抵抗するブリンクに、犯人は立ち上がってニヤニヤと笑い掛ける。

 鞄からハンドガンを取り出して、その額に向けながら。


「お前みたいなユートーセーはそうやって甘っちょ──」

「うりゃ!」


 勝ち誇った顔に拳が叩き込まれる。

 真正面から、脳をシェイクする強烈なものが。

 そんなものを喰らって、犯人は「何故?」ばかりを思って後頭部から床へダイブ。

 意識が途切れるその間際に、口にしたのもやはり疑問だった。


「な、んで……」

「うーん?なんかクラクラしたけど、特に何も見えなかったけど……なんだろ?」


 それは果たして犯人に届いたのか。

 分からないまま気絶してしまったが、ブリンク本人としては相手の能力が少しの眩暈を起こす程度でラッキー、としか思っていない。

 


 あとはその能力の餌食になったケイナインが目覚めるかどうか。

 ブリンクは床に寝かせたケイナインを膝枕して肩を揺すり、起きないものかと不安を募らせる。


「ケイナインさん、ケイナインさーん?」

「う……ん、レイモンド……」

「ひぇっ!?なんで──」


 ぼんやりと、寝ぼけ眼のケイナインはブリンクの正体である少年の名前を口にするので、思わず立ち上がり彼女の後頭部も床に叩き付けるのも無理はない事だった。


「いっ……だぁ……」


 後頭部を摩りながら起き上がるケイナインに、少し前までとは違った内容の不安を募らせるブリンクは、どう切り出すべきか悩んでいると、ケイナインの側はマスク越しでも分かるハッとした顔をした後、心底残念そうな表情へと変えながらひとりごつ。


「ああ、そう……夢だったのね」

「あの、今……」

「何?」

「名前を言って……」

「別に、夢に弟が出て来ただけよ」

「夢……幸せな、理想の世界の夢を見せる能力だって、あの人言ってた」

「ハッ。なら弟が近くに居る世界が、私に都合の良い妄想って事ね」

「その、その弟が?」

「レイモンド?ああ、まったく話しすぎね。弱ってるの?私が?」


 まだ揺れる頭から夢を振り払い、自嘲気味に呟きながらケイナインは立ち上がった。

 そのまま仕事を片付けようと立ち去るので、ブリンクは思わず呼び止める。


「あ、あの!」

「まだ何か?ああ、助かりはした。個人的な感謝はしておくけど……学校に行けって、こういう意味じゃない」

「結果的に良い事出来たでしょ!……そうじゃなくて!レイモンドって事は、愛称はレイ?」


 あまりにも脈絡の無い、奇妙な質問。

 普段のケイナインならば意図の読めない質問には答えなかっただろうが、起き抜けでまだ少し思考が鈍い彼女は口が軽かった。


「は?そうね、レイとは長い事呼んでいないけれど。一般的にはレイモンドもレイチェルも、レイでしょうね」

「!あはは、だよねー」

「なんなの?じゃあ、まばたきする間にさっさと消えて。貴女の事を報告書に詳しく書くと面倒なの」

「う、うん……!分かった!」


 しっしっと、ぞんざいに手で追い払われていてもブリンクは笑顔。

 抑えきれない喜びを胸に、弾むようにその場を立ち去る。

 喜びで跳ねる気持ちをそのままに、テレポートで空へ向かって飛び上がりながら。


「っ!っ〜!!」


 誰にも見咎められない空中で、ブリンクは強い感情に突き動かされるまま手脚を振り乱す。


「あの声、あの声……!」


 ブリンクの耳朶には、まだケイナインの呼ぶ「レイ」という声が残っている。

 その響きを何度も何度も反芻して、確かめていた。


「レイって、呼ぶ声!あの能力も、間違いない!」


「ケイナインは、あの人は──姉さんだ」


 彼女こそまさしくレイモンドの憧れ。

 理想の存在。

 特別な、母の本物の子供。

 ヒーローだった。

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